第89話 失われたもの
「ああああ……ああああ……」
あと葉は目を大きく見開いている。
彼女の胸を貫いた棒状の物体が唐突に引き抜かれる。
こちらに倒れこんでくるあと葉を抱きかかえる。
拍動に応じて出血する。
映画で見るほど、動脈の血は真っ赤じゃなく、出血量も著しいものではない。
その光景がやたらとリアルに思えた。
あと葉の後ろには竜司とエルが立っていた。
竜司はエルの力を利用してあと葉のすぐ後ろに現れたのだと分かった。
あと葉を貫いた棒状の物体は竜司の手の中で銀色の蛇に姿を変える。
だが、そんなことは今はどうでもよかった。
「あと葉? あと葉、しっかりするんだ!」
彼女の口角から血が流れ落ちる。
「竜一さん、はあ、はあ、竜一さん、どこですか? はあ、はあ」
肩を上下させて必死に息をしている。
「あと葉、俺はここにいるぞ!」
俺はそう言いながらあと葉の手を握る。
もうすでに血が通っていないかのように冷たい。
「あ、竜一さん」
弱々しい力で握り返してくれる。
そして、ほっとしたように彼女は微笑む。
その様子を見て俺も安堵する。
唇がゆっくりと言葉をつむぐ。
「死に、たく、ない」
そして、呼吸が止まって、手の力もなくなり、瞳の輝きが失われ、家戸あと葉という人間は死んでしまった。
「あと葉! あと葉!」
そのあと、俺がいくら泣いて懇願するように呼びかけても無駄だった。彼女だった体はもう彼女ではなかった。二度と動くことはない。
アリアが俺後ろから抱きしめてくれた。俺はさらに泣き続けた。あと葉のことを何でも知っているわけではないが、彼女はきっと生きることに失望していただろう。
それがかりそめとはいえ、生きる希望のようなものを見いだしかけたところだった。
「気がすんだかい、兄さん? いい加減聞き苦しいよ、その泣き声」
しばらくして、唐突に、竜司が口を開く。
悲劇を引き起こした張本人だ。 泣くという行為に向けられていた情動が捌け口を失って、代わりに目の前の憎むべき存在へと向けられる。
「竜司!」
「なにを怒っているんだい?」
睨みつける俺を嘲笑うかのような竜司。
「竜司、お前は、お前だけは!」
「僕のことは最初から憎いはず。なにをいまさら、そんな女が死んだからといって熱くなってるんだい? 兄さんらしくないよ」
「そんな女だと!」
こいつだけは赦してはいけない。
「竜司さん! さすがにそれは酷いよ」
竜司のあまりの悪行に、銀の龍の姿の鏡美が竜司に怒りのまなざしを向ける。
「鏡美ちゃん、家戸姉妹のことは嫌いだったろう。何で今さらそんな態度なんだい?」
「竜司さん!」
「僕を裏切ったんだ、死んで当然だよ」
鏡美が口からとてつもなく大きな光の玉を吐き出す。吐き出されたそれは一点のまばゆい光源に収束し、竜司に直撃した。




