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エリジャ姫  作者: 囘囘靑
19/43

19_いつまでもいつまでも

「ご主人様、起きてくだされ!」


 鬼気迫る乞食の声に、エリジャは飛び起きた。


「何?! 何があったの?!」

「夜盗です! エリジャ様、これを!」

(夜盗ですって――)


 乞食から投げ渡された一振りの剣を、エリジャは鞘から抜きはなった。長剣の刀身が、月光を受けて冷たく光る。


 そのときふと、エリジャはあることに気づいた。


「乞食、どうして私の名前を……?!」

「……見つけた!」


 乞食からの答えが返ってくる代わりに、エリジャの耳に、野太い男の声が聞こえてきた。エリジャが振り向いてみると、覆面をかぶった男が鉈を構えている。


「お前がエリジャ姫だな?」

「あなたは誰?!」

「お前の知ったことか。首に懸けられた賞金は俺のものだ――」


 鉈を掲げると、男は力任せに振りかぶった。エリジャは床を蹴って横に飛び、男の攻撃をかわす。標的を見失ってたたらを踏んでいる男の首筋めがけ、エリジャは剣を薙いだ。


「それっ――」

「あっ――」


 エリジャの耳が悲鳴を捉えたときにはもう、男の頭はその身体から離れてしまっていた。


「ハァ、ハァ――」


 男の頭が床に着地したのと、エリジャが尻餅をついたのとは、ほぼ同時だった。実戦で剣を振るったのは、エリジャにとってこれがはじめてだった。肉を断ち切る際に、腕に伝わってきたこの重み、ついさっきまで生きていたのに、今は横たわっている男の死体。――エリジャが尻餅をついたのは、自分の行動の結果に、思わず脚がすくんだからだった。


 しかし、いつまでも動揺している暇は、エリジャには与えられなかった。馬車に伝わる振動が、一段と大きくなってくる。


「――うわっ?!」


 立ち上がることもままならず、エリジャは馬車の壁面に衝突する。馬のいななき声が響き、人々の悲鳴が重なり合い、ガラスの砕け散る音がして、砂がエリジャの肌に当たる。馬車が横転して、砂漠のくぼみの中に落ち込もうとしているのだ。馬車の中にいたエリジャは、なすすべもなくあちこちに身体をぶつけるしかなかった。


「うっ……?!」


 立ち上がろうとした矢先、エリジャまで駆け寄ってきた男が、エリジャに掴みかかってきた。


「は、離しなさい!」

「女だな、へっへっへ……」


 黄色い歯をむき出しにしながら、男はエリジャの上に覆い被さり、エリジャの服を引き裂こうとする。エリジャは背筋の凍る思いだった。この男は、エリジャを陵辱しようとしているのだ。


 男の腕が、エリジャの胸を、服の上から鷲掴みにする。


「離せ……っ!」


 右脚を折り曲げると、エリジャはかかとで男の胸を蹴った。


「がッ?! こいつ――」


 エリジャに注いでいた男の視線が、好奇から殺意へと変わる。エリジャの白くて細い

喉に手をやると、男は万力のように首を締めてきた。


 悲鳴をあげようにも、エリジャはそれができない。男の腕から伝わってくる力は、ほとんどエリジャの首をへし折りかねない勢いだった。エリジャの視界はたちどころに暗くぼやけはじめ、手足の先端もしびれてくる。


 痙攣しかかっていたエリジャの右手が、何か棒のようなものに触れた。ぼやけた視界の中で目を凝らせば、それは砂漠に刺さっていた、無数の風車の一つだった。


 その軸を握りしめると、エリジャは風車を男めがけて振りかぶった。次の瞬間、男は悲鳴を上げてエリジャを突き飛ばすと、そのまま砂の中に崩れ落ち、動かなくなった。エリジャの振りかぶった風車の軸が目に刺さり、そのまま眼球を突き破り、男の脳天を貫いたのだ。


「――やあっ!」


 剣を支えにして、やっとの思いで立ち上がったエリジャの耳に、聞き覚えのあるかけ声が響いた。続いて、冷たいはずの砂漠の夜気の中から、かすかな熱が到来し、エリジャの肌をなでた。


「乞食!」


 繰り広げられている光景を見て、エリジャは目をみはった。一人の男が火柱となり、乞食の側でどっと倒れた。乞食は真ん中から折れた剣を投げ捨て、自分めがけて掴みかかってきた男ともみ合いになっている。


 男の手が、乞食が頭にかぶっているぼろきれを掴み、砂にたたきつけた。乞食の頭から、真珠色の長い髪の毛がこぼれ落ちる。


「まさか、そんな――!」


 心臓が飛び出してしまうのではないかと思うくらい、エリジャは驚いた。覆面の下から顔を出したのは、他ならぬエリジャの親友・アースラだった。


 ここに来てエリジャは、遅まきながらもすべてを悟った。アースラは乞食に化けて、ずっとエリジャのことを追ってきていたのだ。


 アースラは必死になって、男から距離を取ろうとしている。今ここで火の魔法を放ったら、アースラ自身も炎の餌食となってしまうからだ。


 そんなアースラを逃すまいとしつつも、夜盗が自らのふところをまさぐっているところが、エリジャからはよく分かった。


「あっ――」


 エリジャは思わず声を上げた。男が振りかざしているのは、月光に鈍くきらめく匕首だったからだ。


「アースラ!」


 エリジャは叫んだ。しかしエリジャが叫ぶよりも、アースラめがけて匕首が振り下ろされる方が早かった。アースラの表情が苦悶にゆがむ。そして次の瞬間、アースラの手前で炎が不規則に幕を広げ、アースラと夜盗とを代わる代わる包んだ。


 炎に怯えた夜盗が、慌てて逃げようとして、砂に脚を取られる。アースラと夜盗とは、互いにもつれ合ったまま、砂のくぼみの中へと転げ落ち、エリジャの視界から消え去った。


「アースラ……!」


 痛む身体に鞭を打ちながら、エリジャもアースラたちが転げ落ちた方角へと歩みを進めた。砂が靴の中に入り込むのも構わず、エリジャはがむしゃらに砂丘のうねりをかき分けてゆく。


 周囲には、馬車の残骸が散らばっている。兵士たちは皆死んでおり、夜盗もまた折り重なって倒れていた。


「アースラ……アースラ……!」


 何度も友の名を口にしながら、エリジャは砂丘のくぼみへと近づいた。くぼみの奥底では、アースラが両手両脚を投げ出して、仰向けに倒れていた。その隣では、火柱が煌々と燃えさかっている。アースラの振りしぼった魔力が、夜盗の腕力に勝ったのだ。


「アースラ、アースラ、しっかりして!」


 アースラの側まで駆け寄ると、エリジャもその場に倒れ伏した。身体は節々が痛く、砂のせいで前へ進めないにもかかわらず、心だけが急いていた結果だった。


「あ……陛下……」


 アースラの肌は、紙のように白かった。彼女の右胸には、匕首が斜めに突き刺さっていた。周囲に溢れた血を吸って、砂漠の砂が赤黒く染まっている。


 一陣の風が吹いて、風車が音を立てた。


「アースラ、アースラ、しっかりして……!」

「へ、陛下……私は……幸せです……こうして……陛下に……」

「それ以上喋らないで、喋っちゃダメ!」

「陛下……エリジャ様……」


 左腕を突き出すと、アースラはエリジャに何かを手渡そうとする。受け取ってみればそれは、赤いイチジクの実だった。結局アースラは、イチジクの実を食べず、エリジャのために取っておいたのだ。


「エリジャ様……」


 アースラの目尻からは、涙が溢れていた。


「わ、わたしは……エリジャ様の従者でいられて……し、幸せでした……本当に……幸せでした……エリジャ様……愛しています……」


 アースラの言葉は、ほとんど消え入りそうなほどだった。嗚咽をこらえながら、エリジャはアースラの近くまで顔を寄せた。


「アースラ……悲しいこと言わないで……私も……あなたと友達でいられて……本当によかったと思ってるんだから……! 本当よ……? だから……アースラ!」


 吹き寄せる風を抱いて、砂漠に刺さる無数の風車が羽音を立てる。そのただ中で、アースラは永遠の眠りについた。


「うっ……うっ……!」


 アースラの亡骸を抱きしめながら、エリジャはひとり泣いていた。友がもうこの世にいないことの悲しみ、砂漠に取り残されたことの孤独、そして自分たちをこのような目に追いやった者たちへの怒りが、エリジャの心の中で混じり合い、大きなうねりとなりつつあった。


 そのときだった、


「おい、いたぞ……!」


 背後から声が迫ってきたかと思うと、声の主は乱暴に、エリジャを自分の方角へ向けなおした。


「エリジャ姫だな?」


 声を掛けた男は、泣きはらしているエリジャに気圧されているようだった。


「やけに遅いと思って出向いたらこのざまだ……すぐに伝令を王都までやろう」


 エリジャの脇をすり抜け、別の男がアースラの側に立った。それを見て、エリジャの頭に血が昇る。


「――近づかないで!」

「あっ、待て! おい、やめろ!」


 自分を捕らえようとする男の指に、エリジャはすかさずかみついた。


「ああ、なんてことだ! 気でも狂ったんじゃないか?!」

「おい、手伝うぞ、相当気が立ってる――」


 男はエリジャの脚を取ると、そのままエリジャを砂に押し倒した。


「は、離して――」

「護送するぞ。気をつけろ。自分で自分を殺しかねない勢いだ」

「アースラ!」


 両脇を兵士たちに抱えられながらも、エリジャはアースラの名を叫んだ。砂漠の夜空には星が展開し、ただ天体だけがエリジャの証人だった。

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