10_光は蝋燭の光
北東の塔の入り口には、衛兵のひとりさえいなかった。
「大丈夫、オルタンス? 寒くない?」
「うん……大丈夫」
とはいうものの、オルタンスはエリジャの手を掴んで離さなかった。オルタンスの不安をぬぐい去るべく、エリジャもオルタンスの手を強く握りしめる。
(アースラがいればな)
ふとエリジャは、そんなことを思った。思えば王位に就いてからというもの、乳姉妹のアースラとは会えていない。こんなときしか、いや、むしろこんなときだからこそ、アースラと会えたのではないか。
「おねえさま……どうしたの……?」
「ウウン、何でもないわ。さぁ、行きましょう」
手と手を取り合って、エリジャとオルタンスは塔の中へ一歩踏み入れた。
――……
「不思議ね、オルタンス」
塔の壁を這うようにして続く回廊を上りながら、エリジャはオルタンスに語りかける。
「こんなに誰もいないのに、ちゃんとロウソクが灯ってるわ。それに、すごく掃除されてる。まるで、ついこの前建てられたばかりみたい……」
オルタンスの不安をぬぐい去るためだけに、エリジャは話をしているわけではなかった。このようにして声を出していないと、自分自身も闇の中に呑み込まれてしまうような気が、エリジャにはしたからだ。エリジャの発した声は、石壁に響くこともなく、周囲の闇の中に溶けていくかのようだった。
「ここが……」
頂上にたどり着くと、エリジャはオルタンスから手を離した。エリジャの目の前には、分厚い鉄扉が立ちはだかっている。
目を細め、エリジャは鉄扉に触れようとする。
「あ、おねえさま……!」
エリジャの背後から、オルタンスが声を漏らした。
「どうしたの、オルタンス?」
「いえ……その、気をつけてください」
しどろもどろになっているオルタンスを見て、エリジャはわざと肩をすくめてみせる。
「どうしたのよ、オルタンス? 一緒に入りましょう?」
「え……っ?!」
「フフフ、冗談よ。ここで待っていて」
慌てふためいているオルタンスを尻目に、エリジャは鉄扉をこじ開け、そのわずかなすき間の中に身を滑り込ませた。
部屋の中は、暗くてよく見えない。エリジャはしばしの間、自分が呼吸する音と、あたりに漂う錆びた鉄の匂いを嗅いでいた。
部屋の奥に、エリジャは目をやった。窓が半開きになり、白いカーテンが風ではためいている。この部屋だけが荒れ果てているのは、窓が開いていたせいだろう……とエリジャは考えた。だから部屋の中に雨が入り、ロウソクの火は消え、中にあった調度は錆びているのだ。
(それにしても、ひどい匂い)
顔をしかめながら、エリジャは窓の方へ寄った。窓の側に、消えたロウソクが立てかけられているのを、エリジャは見つけたからだ。
「あっ!」
踏み出した矢先、エリジャは何かに足を取られ、転んでしまった。手をついた拍子に、鉄さびのまじった泥のようなものが、エリジャの手のひらについてしまう。
(もう……どうしよう)
一夜のうちに泥だらけになってしまったら、侍従たちに何と言われるかわからない。なるべく手を下げないようにしながら、エリジャはロウソクを掴んだ。
人差し指を立てると、エリジャはその指先に魔力を集中させる。ほとんど魔法が使えないエリジャだったが、こうしてロウソクに火をつけることぐらいは可能だった。
ロウソクに明かりが灯り、周囲の様子が露わになる。
「よし――!」
ロウソクをかざして振り向いた瞬間、エリジャは息を呑んだ。
まず、自分の手は血まみれになっていた。
次に、右大臣のカルフィヌスが首を切られて死んでいた。