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月四万五千円の家賃はバイト先の給料日に払うこと。
冷蔵庫に入れるものには、必ず名前を書くこと。
掃除は一日おきにすること。洗濯物も同様。
風呂場は使った後洗うこと。
友人を招かないこと、まして男は当然連れ込まないこと。
「それから……」
「まだあるの!?」
「当然だ」
「……」
同居のための条件は、まだあるらしい。数の多さにうんざりし始めてきたところだ。
「そういう面倒くさいところが、上手くいかない原因なんじゃない?」
率直な意見を申し立てると、案の定物騒な目つきで睨まれました。
「赤の他人がトラブルなく暮らすには必要なことだろう。最初に線引きをしておかないと、今後トラブルに発展する可能性が高い」
「なるほど……」
ごもっともだ。
上條の部屋は、ものすごい豪華なマンションというわけじゃなかった。ファミリータイプのマンションらしく、子連れの家族住まいが多いようだ。2DKの間取りで、各部屋は六畳の洋室、八畳のキッチン。システムキッチンではなく、うちの実家みたいなキッチンだ。バストイレは別。洗面所兼脱衣所は狭い。鉢合わせしないように、ドアの前に「使用中・空き」の札が掛けてあるのは、元カレとの生活の名残りだろうか。あ、カップルだったら必要ないか。
上條は一見チャラチャラしていそうで結構真面目だ。ゲイといはいえ、相手とも真剣なお付き合いをしていたらしい。上條とは学部も違うけど、まあこの面構えだから割と目立つから、顔だけは知っている程度だった。
どうしてわたしが、こいつと親しく(親しいのか?)なったのかは、のちのち語る機会があればっていうことで省略。
「あと、ここで絵は描くな」
「え! なんで?」
課題の締め切りで切羽詰まっている時、自宅で描けないのは厳しい。
「油絵具が臭い」
でも、臭いってわけじゃないけど、独特の匂いがあるよね。仕方がないか。
「……了解」
「あと、男連れ込む時は外泊してくれ」
「はい?」
「ここは俺んちだ」
ちょっと待って!
「でもわたしだって家賃払うんだよ?」
「格安にしてやってるだろ」
「あんたが持ち出した条件でしょ」
それとこれは別問題だ。ここで条件を飲んだら最後。頻繁に外泊さしなきゃならないなんて冗談じゃない。
「……わかったよ」
しばしの問答の後、上條の方がとうとう折れた。
あーびっくりした。話に聞いているのと、実際目にするのは別だ。致すならホテルにでも行ってくれ!
さて、同居生活開始から約ひと月。案外快適な毎日を過ごしている。
朝はお互い朝食を取らないので、コーヒーがあれば十分。しかもインスタントじゃなきて、ちゃんと豆をミルで挽いている本格派だ。わたしが起きるころには、上條はもう家を出ている。まだぬくもりが残るコーヒーに牛乳をたっぷり注いでいただく。
「うまー……」
夜は夜でわたしはバイトで帰りが遅い。だから、ほとんど顔を合わせることもない。今のところ上條が男を家に連れ込むこともなく、非常に安定した毎日だ。こんなに安定した日々を送るのは、大学に入ってから始めてかもしれない。
実は上條から同居を持ち掛けられた時、もしかしてわたしに気でもあるんじゃないかと思ったんだ。でも、その気どころか興味の欠片すらないって十分にわかった。気もない女だから、同居を提案したのだろうな。別に女として興味を持って欲しいわけじゃないんだけどさ、どだいゲイに期待する方が無理な話だし。
ただ、たまには一緒に家飲みするとか、もうちょい交流があってもいいんじゃないかな。
上條の恋バナとか恋バナとか、スッゴく聞いてみたいし。リアルBLの世界が目の前にあるのに……こんなに美味しい状況をみすみす逃すなんて出来ません!
そんな平穏な毎日に終止符が打たれる前兆が訪れたのは……週末の出来事、珍しくバイトを休んだ土曜日だった。
たまには夕食でも作ろうと、キッチンに立っていた。共有スペースにある食材は使っていいという約束だったはず。この際だから遠慮なく使ってやると思ったものの、残念ながらニンジン、ジャガイモ、玉ねぎといった根菜類くらいしかない。
うん、カレーに決定だな。
幸い冷凍庫に豚バラの塊がある。これを贅沢に使って豚バラカレーだ! 上條の分も作っておけば、恐らく文句は言われないと信じたい。
くつくつと音を立てるカレーが仕上がり、ご飯もツヤピカに炊き上がった。ガチャガチャと玄関の鍵が開く音と、何やら話し声が聞こえてきた。
「あ、おかえ……」
おかえりなさい、と最後まで言えなかった。
キッチンに入ってきたのは上條じゃなかった。上條より拳ひとつ分背が高い。顔立ちは悪くないのに、どこか「ぬぼー」っとした印象の青年。
目が合った一瞬後、思わず声を上げそうになった。どうして、ここにいるの!? すると相手が「あれ?」っという顔になる。
「斎藤……?」
え? わたしのこと……憶えてるの?