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大学の学生寮が閉鎖になる。それは半年前からわかってはいたが、現在次の住まいはまだ決まっていない。来月には撤退しなければならないというのに、だ。
理由は家賃だ。もちろん古い寮の閉鎖に伴い、新しい寮が完成する。当然そこに入居できるわけだけれど、家賃が高い。全室洋室で、共同風呂などではなく各室にシャワーが完備されている。テレビ付きインターフォンは当然、入口は本人照合が取れなければ開かないセキュリティ完備となっている。ランドリー室の洗濯機はすべてドラム式……などなど、家賃が上がる条件しか揃っていない。
裕福な人はいいだろうが、苦学生のわたしには荷が重い。学費だって奨学金をとっているし、バイトだって欠かせない。しかも画材代がバカにならない。デッサン用の食パンだって、貴重な食糧だ。炭が多少付いたくらいでお腹なんか壊しやしない。
実家から通えばいい? 冗談じゃない。親の反対を押し切って入った大学だ。学費だって生活費だって自分でどうにかしなくちゃならない。
ああ、どうしてわたしにはこんなにもお金がないのだろう?
お水でバイトができるような高等接客術があれば……と思うが、ファミレスの接客すらできないわたしには無理な話だ。お水でバイトができる友人を心から尊敬する。
学生寮並みに、オンボロの学生寮並みに家賃の安いアパートなどないだろうか?
「その類いの寮があるだろう、確か」
俺には関係ないけどな、と最後の一言が余計だ。トレイに乗ったおかずの一品をわけてくれてもいいのにと思いつつ、むなしく卵掛けご飯を掻き込んだ。
こいつは上條晃。実家は土地持ちのブルジョアで、法学部の四年生。学部も違うしキャンパスだって離れている。どう考えても接点がないわたしたちが、こうして一緒にランチをしている(といっても学食だ)のかというと、多少訳がある。訳は追々説明する機会があれば……ということで省略。
こいつがいう「その類いの寮」というのは、経済困窮者向けの学生寮のことだ。個室ではないし、バストイレは共有だけれども家賃は格安だ。最寄駅まで徒歩二十分。電車で一時間と離れているのが難点だけど。
「もちろん申し込んだけど、落ちちゃった」
定員も少ない上、新入生が優先なのだろう。残念ながら審査の段階で弾かれてしまったわけだ。
「寮は他にもあるだろうが」
「だから、高いんだってば」
言っていて更に虚しい。鼻で笑う奴を無視して、具のない味噌汁を飲み干した。
まだ足りない……と思いつつ、ぬるい緑茶を口をつける。奴のトレイの上でふるふるしている杏仁豆腐から未練を絶つように、「じゃあね」と断りを入れて席を立った直後に「ちょっと待て」の声が上がる。
「……なに?」
無視するとこの上なく面倒なので、一応足を止める。
「家賃五万ならどうだ?」
「無理」
「光熱費、食費込みでキャンパスまで徒歩十五分」
何それ、その超お得情報!
思わず前のめりになってしまいました。
もし格安学生寮だとしても家賃一万五千円の、光熱費と食費で三万円くらい? すっごぐ頑張れば二万円……米と納豆、モヤシでなんとかなるかもしれない。交通費は大体七千円くらいかな? そうすると格安学生寮でも五万二千~六万二千円くらい。
なんといっても交通費が浮くのが魅力だ。徒歩十五分くらいなら毎日歩けなくはない。
「四万は……どう?」
上條の冷やかな目が告げる。この馬鹿が、と。
「じゃあ……四万五千円」
自分では控えめに言ったつもりだったけれど、とうとう目を逸らされた。やっぱりダメかと諦めかけたところ、「家事労働で譲歩する」と投げやりに告げる。
それくらいお安い御用だ。
「それで、どこの寮? もしかしてシェアハウスとか?」
「ああ、そうだな……一応シェアハウス的な」
珍しく煮え切らない返答だ。
普段なら、ずけずけとものを言うくせに。
「もしかして事故物件とか、幽霊が出るとか……」
「違う」
だったらなんなのさ。
「……同居人が、さ」
はい?
「同居人募集中なんだ」
ひとりじゃ家賃がきついんだよ。と、これも投げやりな口調だ。
あれ、よく見ると……頬に痣が。唇の端っこも、ちょっと切れてない?
「あー……なるほど」
「なるほど言うな」
憐れみの眼差しを向けると、睨み付けられた。怖い怖い。
つまりはあれだ。同居人もとい同棲していた彼氏と別れちゃったのか。
前も派手に振られてたもんな……結構イケメンなのに。女からみたらモテるっぽく見えるけど、男相手だとモテないんだろうな、多分だけど。
「いい人だったんだね……上條くんって」
「今更知ったのか」
「今初めて知りました」
性悪男が神に見える。
思わず手を合わせて拝むと、あからさまに嫌そうな顔になる。
「つまりは事情を知ってるアンタが都合いいんだよ」
「それでも助かる、ありがとう!」
あなたのそのランチを奢ってあげてもいいくらい感謝しています。
あ、学食は前払いでした。
「次の同居人が決まるまでだけどな」
次の彼氏が見つかるまでね。だよねー、やっぱり。
「ん、わかってる」
願わくば、わたしが卒業するまで彼氏ができませんように。
自分のキャンパスライフが守れるよう、もう一度拝んでおいた。