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暴力資本=金毛獣と向き合う。

イスラム国について考えてみた

作者: 牝牡蠣

***


私は論文が書けないので読みづらいかもしれません。だけどない知恵絞って書いたのでどうかご念慮ください。


***


私がこの文章を書くのは怖れからである。

なぜかといえば、私が彼らを確固として定義づける書物に未だ巡り会えていないからである。

それは私がただ単に情報収集に怠慢であるからかもしれない。

国際社会の彼らへの対応はまさに霞を掴むようである。

けれども、私は現状のテロリズムとその国際社会の対応を表面だけでも見る限り、各国とも彼らに手を焼いているように思える。

それはGゼロ=リーダー不在の世界に突入したことで、彼らに対する対応の足並みがそろわないからかもしれない。

Gゼロはアメリカが「我々は世界の警察ではない」に示させるように国際社会の主導力を失った状態である。

だが私は、それ以上にテロリズム=形無き暴力を定義しきれず、未だ国際社会が前代的な対応しかとれないからだと思っている。




国際社会はテロリズムとの戦いに勝てない。

なぜなら、彼らが私的なるものだからである。

私的なるものは、公的なるもの=国際社会や国家に対する個人のことである。

彼らは曲がりなりにも国家を名乗っているが、彼らの国家の形はまさに古代そのものであり、現代社会において国家と認めるのは難しい。

私的なる彼らは、公的なる国際社会の武力行使を受けたところで、一方的に虐殺と感じるだけである。

歴史的に見ても、公的なる国家に虐げらる私的なる個人=大衆は活力を奪われてもその反感はさらに強くなる。

このような公的なる国家が私的なる個人=大衆に行う恐怖政治=テロリズムは、私的なる彼らが強大なテロリズムを持つ今、その効果を相殺している。

彼らは公的な意識を持たないため、国際社会の行為を認識できないのである。

そして、彼らは公的な枠=国家を持たない。

ゆえに、時間空間を飛び越えて現れる。

そこにはやはり公的な意識はない。

それはアルカイダや他の原理主義団体とはことなる彼ら特有の恐ろしさである。

そこにあるのは私的なる暴力の異議申し立てだけである。

それに私は、彼らがグローバル資本主義の負の不満から生まれた18世紀の市民革命よろしい21世紀の革命なのではないかと思ってしまうのである。

今やGゼロ=リーダー無き世界やEUの分裂、中国やロシアの台頭に表されるように、時代は大きな転換期を迎えている。

私は彼らのテロリズムが歴史の本流に外れる存在だと思えないのである。

これからの世界は公的なるものが分解し、私的なるものの集積したかたちになるのかもしれない。

彼らはもしかしたらその先頭にいるのかもしれないと。

だが、今現在の我々としては彼らに何が出来うるだろうか。

国際社会のいかなる行為は、まず彼らを公的なる国家という枠に入れない限り意味をなさない。

国際社会は彼らを国家と認めた上で、反人道的な行いを正してゆく他ない。


***


ああ、わかりません。怖ろしいです。何か良い書や考えがあればご教授下さい。お願いします。

「そして、彼らは公的な枠=国家を持たない。ゆえに、時間空間を飛び越えて現れる」ちょっと観光の哲学っぽい?

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