体脂肪率2%:邂逅
家を出ると香ばしい臭いがした。
香ばしいと言っても食事的な意味合いではなくむしろその逆、排泄の臭いだ。
つまりは臭い。
「あ~、くせぇ~。」
小学生の頃、農場に行くことがあった。その時嗅いだ牛舎の臭いに酷似している。
物思いにふけっていると、中年男性に声をかけられた。
「おはよう!今日も暑いね~!」
「おはようございます。暑くて臭いとか地獄ですよ。」
「ははは、臭いのは悪いね。申し訳ないけど、しばらく我慢してくれ。」
老人の名前は和泉哲夫、年齢は40代後半ぐらいに見える。詳しくは聞いた事がないので分からない。
趣味は家庭菜園で収穫時期に野菜が多く取れるとアパートの住民におすそ分けしてくれる。
俺の住んでいるアパートの大家だ。先ほどの臭いは和泉さんがアパートの敷地内の畑に肥料を撒いたからだろう。
「これから職業斡旋所かい?」
「はは、俺がハロワなんて行くわけないじゃないですか?ハワイなら行きたいですが。そうだ!大家さん、ハワイに連れてってくださいよ。」
「冗談もほどほどにしなよ。溜め込んだ家賃、倍にして返してくれるんなら連れてってやるよ。」
「そりゃ無理だ。せいぜい一月分返すのが関の山だね。」
「じゃあ、無理だね。諦めなさい。」
「ちょっと待てよ。溜め込んだ家賃を倍にして返せばいいんだな。じゃあ、滞留分を1ヶ月だけにして、その1ヶ月分の倍つまり2ヶ月分払えば連れてってもらえると。ここの家賃が4万だから、8万!格安じゃないか!やったぜ大家さん!俺の勝ちだ!」
「人の揚げ足とるんじゃないよ。だいたい、家賃もすぐに払えるのかい?」
「うっ、それは……」
「ほら見たことか!君のお母さんに感謝するんだね。君が友人の子供じゃなければすぐにでも追い出すところだよ。そういえば沢丸くんは今朝のニュースは見たかい?」
「ああ、肥満を誤魔化す薬品を使ってた会社員が逮捕されたとかいうニュースでしたっけ?」
「そうそう。そのニュースだよ。」
「なんでもアイファンドとかいう薬を使うと周りの人間にデブが細く見える蜃気楼を見せるんだとか。」
「凄い薬もあったもんだね。しかし私はまだ慣れないよ。ついこの間までは体型で犯罪者扱いされる事なんてなかったのに。体型なんてのは人の個性だ。それを否定する事は人道に反するよ。ましてやそれを国が行うなんてね。日本はどうなっちまうんだか…」
大家はいつもこの手の話には否定的だ。昔の感覚がまだ抜け切れていないからだろうか。俺は子供の時からどれだけ食べても太らない体質のため基本的にこの手の話は他人事の様に感じていた。ご飯を食べる事は大好きなため肥満怠慢罪が施行される前、小学生の頃はデブの男子と給食のおかわりを奪いあったものだ。
「だいたいね、デブってすごく素敵なんだよ。まずあの顔についたブヨブヨの贅肉!
顔がパンパンでホント愛らしい!次に、丸みを帯びて広い肩幅!好みのデブ女性を見つける時には判断材料にもってこいだよ!それにふくよかな胸!デブって男女問わずおっぱい大きいから揉みごたえあるよね。揉まれてる時の嫌がってる態度もツンデレっぽくて良いんだよね~。そしてやっぱり、あのポッコリ出たお腹だよ!ただねブヨブヨのお腹じゃまだ甘い。まぁそれが良いって人もいるみたいだけど、私はやっぱりタプンタプンのお腹が好きだなぁ~。あのお腹に顔を埋めたときの感覚と言ったら!ウォーターベ
ッドなんか目じゃないね!」
(それにしてもこのおっさん話なげえな~。)
「あの~、すみません、そろそろバイトあるんで行きますね~。」
「他にはね~、あの大きな尻も魅力なんだよ。あのお尻を枕にして寝た時はホントに快眠できるからね~。あれ以上の枕を私は知らない。まだまだあるよ~~」
(聞いちゃいねえな~。もう無視して行こう。)
大家と別れた後、俺はヘッドホンを着け、衣服のポケットに入ったミュージックプレ
イヤーの電源を入れて最寄り駅に向かった。
晴れた日の駅までの道のりは、家を出た所にある畦道を抜ける所から始まる。
別にこの畦道を抜けなくとも駅へ向かう事はできるが、道なき道を行くというのは童心が刺激され、朝からテンションを上げてくれるので止められない。
畦道を抜けるとこれから始まる苦難に向けて準備していけとばかりにコンビニが待ち構えている。
ここでいう苦難とは何を指すのか。
バイト先の先輩のプライベート自慢や過去の体験談、人生論を聞かされる指導という
接待か?
違う。
毎回何をさせられるか具体的な説明を聞かされないまま2tトラックに乗せられ現地に行かされる謎のバイト?
違う。
世間様では夏休みというこの時期に未だ彼女もいない俺が、バイト先でリア充の浮足立った様を聞かされ、見せられ、魅せられることなのか?最近ではラブハラスメントと言うらしい。つまりリア充爆発しろ。
違う。
俺の目の前にはT-REXを彷彿させるコンクリートの恐竜がいる。
尻尾の先から臀部にかけては緩やかな波だが臀部から上は急勾配となっており、ここから頂上まで十分に見渡すことができない。そんな様からこの坂を登る大学生から恐竜みたいな山道ということで"竜山"と呼ばれている。そんな竜山を登り終えるころには春夏秋冬関係なく、いつも汗だくになっている。
そのため、5年前は最寄り駅行きのバスも出ていたが肥満怠慢罪の登場後、運動不足が原因で肥満予備軍の学生が増えたため対策として大学側が通学バスを廃止した。
しかし、もともと太りにくい体質の俺からすれば余計なお世話でしかない。
駅までの道のりなど3年も通っていれば普通は慣れるのだがこの坂は何回登っても慣れない。
信号の切り替わりと同時に俺は竜山を登り始めた。
ヘッドホンから軽快なメロディが聞こえてくる。山登りに相応しいその音楽は坂を登り始めるその足を少し軽快にしてくれる。
坂を半分ぐらい登った所で後ろから肩を叩かれた。俺は、ヘッドホンを外し、振り返った。
「おはよう!」
「ああ、あはよう。結城さんもこれからバイト?」
振り返ったと同時に最初に目に飛び込んだのは自己アピールの激しい豊満な意識高い
おっぱいだった。タンクトップの開けた胸元の谷間に俺の意識は吸い込まれていく。俺
の脳内セクシャルライブラリがバストサイズはFカップぐらいだと認識させる。
「どこ見て挨拶してねん!」
発声した方へ視線を向ける。
前回の派遣先で知り合ったフリーター結城彩智だった。
バイト先で男の視線を釘づけにする乳に完全にノックアウトした俺は彼女を口説くも失敗。しかし、住んでる場所が近かった事が会話で判明し意気投合した結果、友達という立場にランクアップする事ができた。
「朝からセクハラとはええ度胸しとんな自分!」
「人は何故パイオツを見るのか、そこにパイオツがあるからさ!しかし君は本当に良いパイオツをしている!どれもっと大きくするために俺が念入りに揉み解してあげよう!」
ふいに腹部に重い痛みが生まれる。
結城に殴られた……
「ドスッ!腹部に重い一撃が……
俺の意識はどんどん薄くなっていく……
目が覚めると目の前には見知らぬ天井が!
俺の手足は縛られ、周囲には俺に改造手術を仕掛けようとほくそ笑む怪人たちが…」
「何言うてんねん。マジキモいな!こんなんやったら見かけても声かけんかったらよかったわ。」
結城は俺を見る事なく一人で駅の方へ歩き出した。
「……」
「ごめんなさーーい!」
俺は結城を追いかけ必死に謝り、結城に許してもらった頃には駅に着いていた。話を聞くと今回結城とは勤務地が違うようだ。
結城に別れを告げて電車を降り、目的地へ向かった。
派遣先の案内は派遣バイト紹介会社からいつもメッセで届く。
指定された場所に行くと大学生からヤンキー、オタク、浮浪者などあらゆるジャンルの人間が集まっており、派遣リーダーを名乗る男の指示を受け現場に向かう。
そして、そのバイトのほとんどが男だ。だからこそ結城と出会った時はテンションが超上がったし、おっぱいめっちゃ見てたし、ずっと見てた。それはもう視姦とも言えるレベルで現場にいた男からガン見されていた。
しかし、そんなセクハラに全く動じず仕事をこなす結城を見た俺は、鈍感な女もしくはドMなのかと興味深々で声をかけたが、軽くあしらわれドSである事を確信した。
「ここまでのようだな。大人しくソイツを渡して貰おうか。」
「クッ、誰がお前らなんかに!これは絶対に渡さない!!」
目的地に向かう途中、商店街から少しそれた路地裏から声がした。
(何だ、このいかにも悪人ですよみたいなセリフと今にも誰か助けてーって叫びそうな
セリフは……。特撮の撮影でもしてるのかな?)
少し様子が気になり、路地裏の壁際から様子を見てみる。
薄暗い路地の奥にはイントレが組まれた少し開けた空間があり、おおよそ縦5m、横30mにイントレが組まれ、イントレ上には作業員らしき男が2名が周囲を確認にする様に見渡している。光が遮られ、影で覆われた荒涼として人影の少ないこの場所で男たちの動きはどう見ても不自然に思える。
工事中なのかとも思ったがイントレ状にいる男の動きと先ほどの声を発声した人物の姿が見当たらないため、面白そうな雰囲気から好奇心の悪魔が俺の心に"覗け"と煽り始める。
(どうしよう、凄く気になる。怪しいよなぁ。問題に巻き込まれてバイトに遅れるみたいな事があっても嫌だしなぁ。でも、バイトまではまだ時間あるんだよなぁ。ちょっとぐらいなら大丈夫かなぁ。バレなきゃ良いんだ。バレなきゃ。)
結局悪魔の誘惑に負けた俺は、イントレ上の男たちに見つからないように向かいの壁際に移動して路地裏の様子を伺ってみた。
目の前には壁際にある配電盤を網目状のフェンスが囲んでおり、イントレ上の男と同じ格好をした男たちが全部で8名、フェンスに追い詰められているであろう黒いフードを被った誰かを囲む様にして仁王立ちしている。
「貴様、それがどういった物か分かっているのか?」
男の一人が黒フードに尋ねる。
「分かっているわよ!これがあれば○○○○が○○○ことがね!」
周囲の雑音のせいでよく聞こえなかった。
「くっくく、やはりな~にも分かっていない様だな。」
「騙そうったってそうはいかないわよ!これを○○○に届ければ、全部○○○○がうま
くやってくれる!」
「そんなもの1つで○○○○○○○なるわけがないだろう。○○○○はなぁ……」
(くそっ、雑音が五月蠅くてよく聞こえない。なんだか物騒な話だが面白そうだぞ。)
話に集中するために自然と身体少し前に出る。
前方の光景に意識を向けすぎていた俺は、前方に身を乗り出した時に指が経年劣化によって壁にできた鋭く尖った針金に思い切り掌を差し込んでいた。
「いいいいいいいいっっっっっっっつつつつつつつたあああああああああああ!!!」
突如掌を襲った激痛に虚を突かれた俺はふいに近くにいた猫も驚いて逃げ出すほどの大声を発していた。
もちろんそんな大声を付近で出された不審者は、俺の存在に気づかない筈もなく……
「誰だ!?」
作業員の誰かが声を発し、全員の視線が俺の方に集中する。
黒フードはこの隙を見逃すまいと、足元に何かを投げつける。刹那、周囲を煙幕が覆い隠され、視界は遮られる。
「逃げるわよ!!」
俺が煙幕に気を取られていると何者かに手を引かれ、その場から離された。
俺の手を引っ張る人物を見ると、それは先ほど作業員たちに迫られていた黒フードだった。
それにしてもこの黒フード手汗でベトベトである。よほど怖かったのだろうか?
「ありがとう!誰か知らないけど助かったわ!じゃあ、私は忙しいからこれで!」
声と口調から察するに女だろうか?そういうと黒フードは颯爽とその場から立ち去った。
色々あってびっくりしたが、そろそろバイトに行かないと遅刻しそうなので、黒フードの女が去った後、俺も目的地の倉庫に向かった。