体脂肪率1%:終わりの始まり
幼い子供の手をひく若い男女の姿。
女は子供に微笑みかけながら語りかける。
「大きくなったら何になりたい?」
一呼吸、時間をおいて子供は答える。
「大食いチャンピオン!!」
男は大笑いしながら理由を尋ねる。
「どうして大食いチャンピオンなんだい?」
「いっぱい食べてるだけなのにお金がもらえるから!!」
間髪入れずに返事が返ってきた。
「子供の内から楽する事ばかり考えちゃ、お父さんみたいになっちゃうわよ。」
「お父さんみたいになっちゃうってどういう事?」
「牛さんになっちゃうって事よ。」
「お父さん、牛さんなの?」
「違うよ。お父さんは豚さんなんだよ。」
「えー!!お父さん豚さんだったの!?じゃあ、僕も豚さんなの?」
「ふふふ、冗談よ。でも楽ばっかりしてるとぶくぶく太っちゃうって事よ。」
「そっかぁ。」
「でも○○には太るのも大食いチャンピオンになるのも無理だな。」
「どうして?」
「それはね……」
電子音が耳に響き渡り、脳に届く。
暗闇を模索するようにして手を動かした。音の発信源に触れ、目を閉じたまま指を動かすが、電子音は鳴りやまない。
仕方なく、重い瞼を少しだけ開き、ぼやけた視界でそれを捉える。
ぼやけてはいるが先ほどよりは情報が多いため、より正確な動きで目標に触れ、再び指を動かした。
再び訪れた静寂に俺は安堵し、少しだけ開いた瞼を再び閉じる。
しかし、頭は先ほどの電子音で覚醒したのか俺を心地よい世界へは誘ってはくれない。目を閉じたまま、布団の上で精一杯身体を伸ばし、右へ左へ上半身を動かした。少しほぐれた体は先ほどよりも軽い気がする。
俺は、身体を起こし、カーテンを開けた。窓からは、陽ざしが差し込み体に朝が来た事を教えてくれる。
カーテンを開けたことにより部屋に光が差し込み、部屋の中をを鮮明に映し出す。
俺が部屋を見渡すと部屋には、お菓子の空袋、脱いだ衣服が無造作に散らばり、机には電気ポット、ビール缶、ノートパソコンが置かれていた。
(そういえば昨日はゲームの実況を見た後に片づけないまま寝てしまったんだった。)
今年で21歳を迎える俺だが、大学に進学はしたが友達ができず学校生活を苦に感じて中退、就職もせず、派遣バイトで稼いだ金で酒を飲み、動画投稿サイトにゲームの実況動画をチェックし、コメントを確認して満足する。バイトが無い日などは家に引きこもって1日中ゲームプレイの生放送をネットで配信している。他人が見ればくだらないと思うだろう。
だが、これといって欲しいものも無く、成し遂げたい野望もない。そんなうんこ製造機の様な俺が、社会に貢献できるとすればそれは貯金ではなく浪費だ。そう考えれば後ろ向きな気持ちにならずに済むので取りあえずそう思うことにしている。
自分の趣味に思いをはせた後、俺は携帯を手に取った。
今日の派遣バイトの集合時間を確認するためにメッセを見る。今日の勤務地は首都圏にある田川駅近郊の倉庫と書いてある。集合時間は10時半。
テレビ台の中にある時計を見ると、時間はまだ7時。田川駅まではここから電車で2時間ほどなので時間的には余裕がある。
携帯のアラームの設定時間を7時にしておいたのだからそうでないと困るのだが。
(面倒だけど、片づけるか…)
俺はお菓子の空袋を部屋の隅にあるゴミ箱に捨てた後、書籍類を本棚に戻し、畳んだ衣類を本棚の隣の箪笥にしまいこんだ。次に机の上を片づけた後、眠気覚ましに洗面台に向かい顔を洗い、歯磨きをする。
完全に目の覚めた俺はキッチンへ向かう。慣れた動作でおかずを作り、朝食の準備を整え、おかずとご飯をお盆にのせ再びリビングに戻って朝食を取り始める。
賑やかしにテレビを点けるとニュースで裁判の様子が映し出されていた。
どうやら1匹のデブが裁判にかけられているようだが、様子がおかしい。ニュースの見出しには「デブ、裁判所へ出荷!」と大きく見出しが映し出されているが、映し出されている被告人の体系は至って標準だ。男性も裁判所でデブじゃないと叫んでいる。
そこで、テレビ画面は切り替わり、テレビ局のスタジオに戻る。キャスターの話を聞いていると被告人はどうやらIFNDなる薬物を使用して、その醜い体を隠しているらしい。
日本では10年ほど前に総理大臣が細井透という人になってから刑法に肥満怠慢罪という犯罪が組み込まれた。肥満して、1か月で痩せない物は逮捕、デブ専用刑務所、通称:肉詰めに連れていかれる事となる。そこに1度連れていかれると人権を奪われ、痩せて仮釈放となっても1年は人権を失ったままという法律だ。
それができてから日本ではデブの権威はどん底まで落ち、学校や会社でもデブに対するイジメが黙認される等、普通では考えられないような事が起こった。
法律が適用されてから学校の道徳を学ぶ授業でもデブを差別するような教育が施され、それに意見する生徒がいれば徹底的に批判され、反抗の芽は潰されていった。教師の中にも反対する者がいたが、そいう教師はあらゆる事を理由に退職させられ右翼的な社会が構築されていった。
俺自身も日本人特有の協調性、悪く言えばみんなと同じであることで安心する事を求め、周りと同じ様にデブを批判している。
その影響でそれまでデブだったものは必死にダイエットをするか海外へ亡命をして難を逃れるしかなかったが、それができなかった人は例外なく皆、肉詰め行きとなった。
ただし、この法律に適応されない人間もいる。肝硬変やネフローゼ症候群、卵巣嚢腫などの病気や外国人である。これは役所などで不肥不肥カードというのを作ってもらい、疑われた時などに見せると人権は守られる。
テレビ画面が裁判所近辺に切り替わり、キャスターの女性が話し始める。
「このアイファンド、一体どういうものかと言いますと振りかけた相手の周囲の空気を冷やし、空気の密度を高くして蜃気楼を見せるというものだそうです。被告は公判中、このアイファンドを用いて、周囲の目を欺き、あたかも一般人の様に振る舞っていたデブとの事です。このアイファンド、効果時間や入手経路などの詳細はまだ判明しておりませんが被告が一般の会社員である事から他にも使用しているデブがいると見られ、捜査当局では本日より大規模な捜査が始まるとのことです。テレビをご覧の皆様も不振な人物がございましたらすぐに警察にご連絡ください。くれぐれも1人で調べようなどとは考えないでください。手負いの豚は何をしでかすか分かりません。以上、現場からでした。」
再び画面はスタジオに戻る。スタジオでは、アナウンサーとコメンテーターがアイファンドについて議論している。
「しかし、恐ろしい薬品が発明されたものですね。」
「ええ、もしかしたらこのスタジオにもデブが紛れ込んでいるかもしれないという事ですからね。人間不信になってしまいますよ。見分け方みたいなものはないんですか?」
「はい、見分け方としましては今のところデブと思わしき人物に近づき、ウエストに手を当ててみるしかないとの事です。」
「臭いや汗などで見分けるというのは無理なんですか?」
「はい、そちらもアイファンドの影響でデブの周囲の空気が冷えているためデブは常に汗をかくことはなく、臭いも香水で誤魔化せてしまうため判別は難しいようです。」
「う~ん、それではデブとしての害は少ないのでは?」
「そんな事はありません。確かに表面上、デブの3Kと言われる臭い、汚い、(あつ)苦しいは誤魔化せるかもしれません。しかしそれは肉体面での害悪です。皆さんは精神面でのデブの3Kをご存知ですか?」
(精神面での3Kか中学校で習ったな~。確か、厳しい、汚い、ケチだったかな。)
「それは、勿論。最近では小学校から教えてるそうじゃないですか。確か、厳しい、汚い、ケチだったかな。」
「そうです。いくら肉体面が誤魔化せようとも精神面までは誤魔化せない。デブは人に厳しく自分に甘く、何をするにも手段が汚い、そしてケチなんです。この害悪がなくならない限り私たち一般市民に安心、安全は訪れないでしょう。こうしている間もデブは私たちにどんな嫌がらせをしようか考えているに違いありません。」
「怖いですね~。問題の早期解決を望むばかりです。」
(とんでもない薬物が出てきたな。しかし、学校で使ってるやつはまだいないだろう。今回の事件でも使っていたのはサラリーマンだというし、まぁ気を付けるにこした事はないか。)
俺は朝食を済まし、食器を片づけ、田川駅へ向かう準備して家を出た。