第7話 望まぬ再会
跋くん人気?
2日後、その日は夕方あたりから雪がちらつき途中から雨へと変わった。
アルドラ皇国にとって春の訪れを示す細い雨の中10番街西区の酒場『一角獣』に1人の客が入ってきた。
剥き出しの裸電球に照らされ鈍い飴色を示す銀髪。整った顔つきに暗い血色の目、なにがおかしいのかにやついた口元。
アヴェルである。
傘の水滴を払い、顔を上げると驚きに目を見開いた。
「リリー?」
「ひっさしぶりぃー」
アヴェルの呼びかけにリリーと呼ばれた、店の中に唯一いた客は間延びした声で答えた。
カウンター席に腰掛けているが、かなり小柄な少女である。
腰まである長い髪は、アルドラではよく見られる色素の薄いブロンド。緩くウェーブを描き、裸電球の光を美しく反射している。
垂れ気味なアイスブルーの瞳は眠たげに瞼が被さっており、その口調とも相まって実におっとりとした雰囲気を醸し出している。
眉の上で一直線に切られた前髪が際立たせる童顔と、一見するとスーツに見えないほど改造を施されたスーツのせいで妙に高等学生らしく見える。
「もぉーアヴェル遅いよぉ。ケーキ食べ終わっちゃうじゃん」
「ああ、悪い。てか跋じゃねぇのか?」
基本的にイーヴァルソン一家の上級幹部は個人で仕事をこなすため、このように担当が変わることは珍しい。
「跋ぅ?ああー跋はねぇ、3日間業務ほったらかしにしてたからぁその片付けしてるー」
相変わらず天然だよねぇと笑うリリーに乾いた笑いを返し、隣に腰掛け寡黙な店主にホットミルクとケーキを注文する。
「アヴェルの甘党も相変わらずだねぇー酒場でケーキとか悪趣味ぃ」
「お前が言うな、お前が」
「あたしはー女の子だからぁいいのー」
「なんつう男女差別!」
理不尽な仕打ちに頭を抱えていると、すっとケーキとホットミルクが置かれる。
「んで?俺の相棒らしい奴が見当たらないんだが。まさかこの店主とかいうんじゃないだろうな、カメレオンも真っ青だぜ」
「んー違うよぉ。いくらイーヴァルソン一家お抱えの酒場でも、マスターはやっぱりマスターだよぉ。でもぉ確かにおそいねぇー、まだ『日が浅い』から迷ってんじゃないかなぁ」
「『日が浅い』?お前まさか新参者――」
「いらっしゃい」
眉根を寄せたアヴェルの台詞を店主の声が遮る。
反射的にドアの方を振り返ると、膝まであるコートをしとどに濡らした背の高い男が立っていた。
目深にかぶった帽子からはみ出す赤銅色の髪、その間から覗く昏いターコイズブルーの瞳は今や大きく見開かれている。
「よぉ、久しぶりだな」
「貴様っ、よくものこのこと!」
アヴェルの言葉に被るように怒鳴りつけ、ホルスターから拳銃を取り出す。
狭い酒場ゆえにその距離は3メートルとない。
よほどの素人でなければ外さない距離だが、アヴェルは焦るどころかホットミルクを啜っている。
リリーも楽しそうに足をぶらつかせ、店主も黙々と棚の片付けをやっている。
1人場違いな空気を漂わせる帽子の男は敵意と殺意の中に困惑を滲ませていた。
「まぁとりあえず銃おろせよ」
「……貴様に指図される覚えはない」
冷静さを取り戻したのか、静かにアヴェルの言葉に応える。
「いや俺じゃなくて。ここは天下のイーヴァルソン一家のお抱えの酒場だぜ。しかも、こいつはイーヴァルソンの忠犬だ。ここで銃ぶっ放すのはイェスペル・イーヴァルソンにぶっ放すようなもんよ。あんたも死にたかねぇだろ?まあ自殺志願者なら止めねぇがな」
「……このガキが?俺に接触してきたのは背の高い極東の男だったぞ」
リリーを見て眉間にしわを寄せる帽子の男。
「跋はぁお仕事入っちゃったからぁ変わりにわたしが来たってわけー。リリーっていうのー、アヴェルが忠犬とかいうけどぉーただロードが命より大切なだけだからぁよろしくねー」
フォークを振りながら間延びした自己紹介をするリリーを見て、帽子の男の表情がさらに険しくなる。
「まぁとりあえず座りなよー。ロードには黙っててあげるからぁ」
しばらく2人の顔を睨んでいたが、ようやく状況の整理がすんだのか渋々銃をホルスターにしまう。
そして、カウンターテーブルに乗ったケーキとホットミルクにぎょっとした表情を見せるも特になにも言わずリリーの2つ隣に腰掛けた。
「んーじゃあ揃ったからぁいこっかぁー」
「は?」
呆然とする2人を尻目にぴょこんとスツールから降りる。
「おいリリー、行くってどこへだよ?」
「ロードのとこだよぉ、エヴァルドが車出してくれたから大丈夫ー」
「イェスペルのところか!……おい、あいつも連れて行って大丈夫なのかよ?」
後半は声を潜め、いまだにこちらを睨みつける帽子の男にちらりと視線を走らせる。
「ロードのご指示だからねぇー」
そのことになにも疑問を抱く様子もなく、改造スーツのポケットから大きいぬいぐるみがぶら下がった携帯電話を取り出す。
短縮ダイヤルで番号を呼び出し発信する。
「あ、もしもしぃー揃ったからぁもう来てもいいよぉ」
しばらくすると車独特のエンジン音が聞こえ酒場の前で止まる。
「じゃーいこーかぁ」
ピンクと黒の傘を持ち出て行くリリーに支払いを済ませたアヴェルと帽子の男が続く。
外にでると雨は止んでおり、冷たい霧が立ちこめている。
店の入り口には一目で高級とわかる黒塗りの車と、その車の屋根に顎を乗せている1人の男がいた。
柔らかそうな栗毛に琥珀色の瞳、女性に好まれそうな顔立ちだが、着崩された黒いスーツから軽薄な雰囲気が漂っている。
本来は人好きのしそうな笑みが浮かんでそうな顔だが今は疲労がその顔を彩っている。
「ったく、リリーちゃん人使い荒すぎ」
「えーでもエヴァルド暇そうだったしぃ」
「いやいや暇じゃないから、普通に仕事中だから」
全く悪びれた様子を見せないリリーに溜め息をつく。
「ま、とりあえずボスもお待ちだから乗りなよ。旦那たちもさ」
そういってエヴァルドが運転席に乗り、リリーが助手席に乗る。
「ま、とりあえず乗れよ。車のシート汚したら殺されるからな」
からからと笑い後部座席に乗り込むアヴェルに警戒した視線を送りながらも後に続く。
「全員のった?じゃ、ボスのとこまでしゅっぱーつ」
「しゅっぱーつ」
賑やかな掛け声とともに車は緩やかに加速する。
「こういうときはとりあえず自己紹介ってながれなのかね。まあはじめましてなのはそっちの帽子の旦那だけだけどな」
ラジオから流れる人気歌手の歌に合わせて鼻歌を歌うリリーをそっちのけにして、エヴァルドが話を進める。
「帽子の旦那ももう察しはついてるんだろうが、俺たちはイーヴァルソン一家の上級幹部だ。そっちのかわい子ちゃんがリリーで、俺がエヴァルド。家名はない。強いて言えばイーヴァルソンになるのかもしれねーが、とりあえず名前だけ覚えておいてくれや。巷じゃ『狂信者』とか『忠犬』とか言われてるみたいだけど、ボスのことに触れなきゃ基本人畜無害なんでそこんとこよろしく」
「よろしくぅー」
「で、そっちの銀髪の旦那が」
「知っている。アヴェル・カーディフだろ」
久しぶりに口を開いた帽子の男に一気に視線が集まる。
「なんだ、俺のファンか?サインなら後回しにしてくれよ」
「戯れ言を吐くな『虐殺者』。イーヴァルソン一家が狂犬を飼ったというのは、あながち嘘ではないようだな」
かつて10番街は2つの勢力によって支配されていた。ニルス・セーデルルント、イェスペル・イーヴァルソン。彼らが10番街を二分し、統べてきた裏の支配者たちである。
その影響力は10番街に収まらず、噂では貴族とも通じていたらしい。
しかし2年前、突如セーデルルントの勢力が瓦解した。原因は内部分裂。
反乱の混乱の中でセーデルルントと幹部は虐殺されその凄惨な死体は路上に曝された。
後に血の日曜日と呼ばれるようになったこの事件により、10番街のパワーバランスは崩れ一時期大混乱を招いた。
かつての10番街を思わせる混沌。数多の血が流れ軍警はおろか騎士団すら派遣されるのではないかと思われた。しかし、最大勢力であったイーヴァルソンが他勢力を吸収。
現在、イーヴァルソンが睨みを利かせる形で10番街は平定された。
その決め手となったのがセーデルルント及び幹部殺害の実行犯、アヴェル・カーディフという人物を契約という形で吸収したことである。
唐突に裏舞台に登場した少年はセーデルルントたちを血祭りに上げることによってその名を裏社会に轟かせた。
その残虐な手口と敵仲間関係なく殺すことから『虐殺者』と『狂犬』などの二つ名がつけられ、ある意味最大のタブーとして語られている殺人鬼である。
「『虐殺者』と『狂信者』には関わるなと忠告されたんだがな」
「あははー完全に無駄になっちまったなぁ」
溜め息を笑い声が掻き消す。
「んで?そういう旦那はなんて呼んだらいい?」
「……ジルベスター・クラッセン」
「マッドハッターでいいだろ」
今まで黙っていたアヴェルが急に口を開いた。
「は?なんでまた」
「軍支給の煙草でイカレたやつにはぴったりだろ?こんなもん吸ってたら戦場だってスキップできらあ」
いつの間にかアヴェルの手元には、精神向上剤が含まれているなど怪しい噂がつきまとう軍の紋章が刻まれた煙草の箱が握られていた。
ジルベスターの瞳に殺気が浮かび、ホルスターから抜かれた銃がぴたりとアヴェルのこめかみに当てられる。
「いつやった?」
「さあな、つかんな怒んなよ。別にとりゃあしねーつの」
放られた煙草を空中で掴み、引き金にかかった指に力がこもる。
「ジルっちぃーアヴェルはロードのものだからぁ、壊したらぁー殺すよぉ」
冷たい声で会話に加勢したリリーにジルベスターは小さく舌打ちし、銃をホルスターにしまう。
「けどぉ、アヴェルも久しぶりぃーって言ってたしー前に会ったことあるのー?」
「まあな、浅からぬ縁ってやつ」
「まさか生き別れの兄弟?」
「エヴァルドそれ面白くなーい」
「あ、そっスか……」
リリーのダメ出しに本気で落ち込み、運転に集中する。
「まあ余計な詮索はよすさ。よろしくな、マッドハッター」
「……勝手にしろ」
「ほいじゃ、仲良くなったところで今回の依頼内容は2人とも把握済み?」
「ああ」
「跋から聞いた。殺人鬼が殺人鬼狩りだなんて皮肉な話じゃねぇか」
シニカルな笑みに苦笑が返ってくる。
「そりゃ重畳。だけどボスのとこに行く前にちょっくら掃除してかなきなきゃいけねーみたいだわ」