第6話 不本意な依頼
娼館の壁は薄く、廊下にまで嬌声が響いてくる。
そんな声には眉一つ動かさずアヴェルは紙に書かれた部屋へ向かっていた。
一番奥まったところにあるドアに手を掛けためらいなく押し開けた。
「お待ちしておりました。アヴェル・カーディフ様」
同時に響いたのは娼館という場所に似つかわしくない硬質な男の声。
部屋の真ん中で直立してアヴェルを迎えたのは黒髪をオールバックに撫でつけた、これまた黒いスーツを着た細身の男だった。
身長は180と高いが、極東の国の者特有の平坦な顔がいまいち年をわかりにくくしている。
「よぉ、跋。よく俺がここにくるってわかったな」
「御言葉を返すようで心苦しいのですが、カーディフ様ほど顔の売れてる方となれば馴染みの娼館程度、路傍に硬貨をいくつか投げてやればいくらでもわかります」
跋と呼ばれた男は一切姿勢を崩さず、高等教育を受けたことを伺わせる口調で返す。
一応一般市民でも教育が受けられるように義務教育が定められているが、10番街以下は貧民街の名の通り、まともに教育を受けてない者の方が多い。
そういった中でこのように高等教育の片鱗を覗かせるということは、単純に『外』からきた人間か、あるいは権力者側の人間かどちらかである。
「じゃなくて今日俺がここにくるってことよ。俺は定期的に通うほどマメな性格じゃぁねぇと思うんだがな」
「ああ、そのことでしたら」
感情の薄い一重瞼がぐるりと狭い部屋を眺める。
「3日ほど前から張っておりましたので問題ありません」
「……は?」
煙草を取り出す仕草を中断し、思わず顔を上げる。
「3日ほど前、正確にはカーディフ様がベルトラン氏の屋敷を襲撃したとの情報を受けてからですが」
こともなげに言うがここは娼館である。
つまり、角部屋で幾分静かとはいえ快適な空間とは言い難い。
というか常人であれば1日で気が触れそうな環境である。
「ベルトラン邸宅に狙撃の痕跡があった故、銃嫌いなカーディフ様なら情報なり女性なりを求めてここに来るであろうと主が仰いまして」
「相変わらずの忠犬ぶりだな……」
すでに驚きを通り越して呆れが滲んだ声でぼやき、加えた煙草に古びたライターで火を付ける。
「わたしにとってこの上ないお褒めの言葉でございます」
声の調子は変わらないが若干目が潤んでいる。
おそらく感涙に咽び泣きたいのを必死にこらえているというところであろう。
跋は現在10番街を取り纏める裏の王、イーヴァルソン一家の上級幹部である。
イェスペル・イーヴァルソン率いるイーヴァルソン一家はイーヴァルソン本人の噂もさることながら、上級幹部達のその心酔ぶりも裏社会にて有名な話の一つである。
すでに宗教とすら揶揄されるその心酔ぶりの前には、娼館で3日間人を待ち続ける程度わけない話なのである。むしろ主人に命令され、主人の役にたったのであればまさに無上の喜びなのであろう。
「けど俺が来たら以来に携帯に電話してもらうって手は思いつかなかったのな」
アヴェルの提案に小首を傾げ、明後日の方向を眺める。
「次回からはそのような手法をとらせていただきたく存じます」
跋の反応に気が抜けたような溜め息をついた。
「……で?そこまでして俺を待ってた理由は?依頼ならいつもどおり小間使いでもよこせよ。わざわざ幹部のあんたががくるこたねぇだろ」
娼館の一室に男2人という空間が居心地悪いのか、紫煙を吐き出し一つしかない椅子に乱暴に腰掛ける。
アヴェルはイーヴァルソン一家に属しているわけではないが殺し屋として専属契約しているのだ。
「依頼と言えば依頼ですが……」
跋にしては珍しく歯切れの悪い言い方をする。
「カーディフ様は帝都連続殺人事件をご存知ですか?」
「能力者が殺されてるやつだろ?」
自分が襲われたことは伝えない。
「さすが、お耳が早い。最初幹部会ではカーディフ様の仕業かと疑われていたのですがね」
跋の言葉にアヴェルは顔をしかめる。
「明らかに手口が違うだろ。俺はあんなに優しい殺し方はしないぜ」
「ええ、主も同じことを仰ってました。それでここからが本題なのですが、カーディフ様に帝都連続殺人事件の犯人の始末を依頼させていただきたいのです」
隣の部屋は佳境に入ったのか悲鳴のような甲高い声が響きわたる。
「さらに誠に勝手ながら今回はペアで仕事に当たっていただきたい」
「……正気かよ」
「残念ながら」
「俺が言うのもなんだが仲間だからって俺が殺さない理由にはならねぇぜ」
「それが主からの命だったとしてもですか?」
「あの女からの?」
「カーディフ様!」
跋が語気を強める。
「……失礼しました。しかしどこに耳があるかわからない世界ゆえ」
「ああ、いや俺も悪かった」
気にするなというふうに軽く手をふる。
「主によれば契約の内であると」
「……ち、わかったよ」
「ありがとうございます。では2日後こちらにいらして下さい。そのとき細かいことを打ち合わせいたしましょう」
そういって懐から三つ折りにされた紙を取り出し、アヴェルに手渡す。
紙には10番街西区のとある酒場の名前と時間、イェスペル・イーヴァルソンのサインが書いてあった。
その紙を一瞥すると先ほど煙草をつけたライターを取り出し、その紙に火を点した。
一気に燃え上がる火はあっという間に紙を飲み込み灰にする。
灰皿に落ちてもまだ燃え続ける紙にアヴェルは吸い終わった煙草を放り込んだ。