第5話 悪趣味な客
9番街は帝都唯一の花街である。一般人から10番街の重鎮、果ては貴族まで入り乱れるそこは莫大な富を生み、皇族も黙認せざるを得ない状況だ。
そんな9番街南区に店を構える『黒猫』という酒場兼娼館は今日も表と裏の客が立ち代わり入れ代わりなかなかの繁盛ぶりを見せていた。
カランとドアベルを鳴らし酒とタバコに煙った店内に入ってきたのは、間接照明に鈍く照らされた銀髪。小柄な身体に血色の瞳、アヴェルである。
いかにも荒くれ者といった連中に目もくれることなく、奥へと足を進める。
しかし、その歩みを強制的に止めるものが現れた。
「おいおい、ここはお前みたいなお嬢ちゃんが来るところじゃねぇぜ」
下卑た笑いを浮かべた大柄な男がアヴェルの前に立ちふさがる。
「なんせここにゃあ俺たちみたいな怖ぁいお兄さんたちがいっぱいいるからな」
男とその仲間たちから下品な笑いが起こる。
しかし、それ以外の客は憐れみに満ちた目を男たちへ向けていた。
「……るっせぇな」
「あん?」
「耳障りだっつってんだよ。脳みそあんのか?木偶の坊」
完全に獲物として見下していた相手の反抗に、男の怒りはあっという間に沸点に達する。
「てめぇ!やんのかコラァ!」
男の怒鳴り声にもアヴェルは不機嫌な眼差しを返す。
「おい!聞いてん、のか……」
がくりと男が膝から崩れ落ちる。
慌てたように下をみるとちょうど心臓の部分に脂ぎった食事用のナイフが突き刺さり、明らかに致命傷レベルの血液が傷口から溢れ床を汚している。
「俺の……俺の心臓がぁ!」
「わざわざ手持ちのナイフを出すまでもねぇ。てめぇみたいなゴミの血にゃあきったねぇナイフがお似合いだ」
「ぁ、が…ぁ」
いつ刺されたのか、全くわからないという表情のまま男は自らの作った血溜まりの中に沈んだ。
いつの間にか静まり返った酒場。
次の瞬間男の仲間たちが酒で赤い顔を更に赤くして立ち上がった。
「てめぇ!このクソガキ!」
「マイク!おい!マイクぅ!」
仲間1人が男の身体を抱き起こすが、すでに最後の痙攣をしている男が助からないことは明白である。
「俺は今すこぶる機嫌が悪い。とっとと失せろってのがわからねぇのか?」
「てめぇ……」
「言わせておけば勝手なことばかり言いやがって」
男たちが懐から粗雑なナイフを取り出し、一気に酒場の緊張感が高まる。
「そこまでにしな」
不意に緩い声が緊迫した雰囲気に響いた。
いつの間にか2人の間に女が1人立っている。
女性にしては短い髪は、アルドラでは珍しい黒髪。エキゾチックな美貌に気怠げに輝く双眸は同じく黒く、着ている服も遥か東の果ての国の民族衣装だ。
肉厚な唇に加えられたキセルから紫煙が細く上がっている。
「い、以来…」
男の1人が真っ赤にしていた顔を今度は真っ青にして、呻くように女の名前を呟いた。
「誰の店だかわかってるのよね」
目の前に横たわる死体には眉一つ動かさず氷のような声が響く。
「だっだが、こっちも仲間が殺されたんだぜ」
「それがわたしの店の床を汚す理由かい?」
まるでどうしようもない子どもを窘めるような言い方に、男が黙る。
「すっすまない!この埋め合わせは絶対にする!」
以来の名前を呼んだ男が再び懐に手を入れ、そこそこ分厚い札束を取り出しテーブルに置く。
かなりの額であることを示すその厚さに一瞥くれると再び男に視線を据える。
「まあ、今日はいいわ。とっとと消えな」
その言葉を皮切りに、男たちは転がるように店から出て行った。
「全く、躾のできてないガキはどっちだか」
深く紫煙を吐き出し、札束を懐に入れる。
すると奥から覆面をつけた黒いスーツ姿の男が3人ほど出てきて、2人が男の死体を担ぎだし、1人が血溜まりを拭っていく。
とりあえず片付けが済んだ酒場は、再び活気を取り戻した。
「酒場の女将も楽じゃねぇな」
「……この店は殺人禁止なんだけど。どういえば殺人鬼の空っぽの脳みそにわかるかい?」
「今回は不可抗力だぜ。それに首を切らなかっただけ感謝して欲しいくらいだ」
「あんたが顧客じゃなかったらとっくに殺してるところよ」
「奇遇だな。俺もあんたを殺したいよ」
その言葉に一瞬2人の周りの客が緊張感をはらむが、以来は諦めたように紫煙を吐いた。
「にしても、うちにも馬鹿な客が来るようになったもんだね。あんたを知らないなんてさ」
くるりと身を翻し、民族衣装――キモノにミスマッチな網タイツとハイヒールを鳴らしカウンターに戻っていく。
その肩越しに零れた言葉にアヴェルは肩をすくめる。
「所詮は過去の栄光ってやつだな」
「栄光ね……物は言いようだわ」
以来がカウンターに戻り、アヴェルがその前の席に腰掛ける。
「ご注文は?」
「いつもの」
「……酒場に来てその注文はもう悪趣味ってもんだよ」
ぶつぶつと文句をいいながらしばらくして出てきたのは薄く湯気を上げる乳白色の液体、ホットミルクだった。
「ひっさしぶりだなぁ、以来のホットミルクは。俺はお前のホットミルクが一番だと思ってるぜ。この俺が言うんだから自信持っていい」
「そりゃどうも」
嬉々としながらも猫舌なのか少しずつ味わうアヴェルをげんなりと眺める。
「見慣れた、いや見慣れちゃいけない組み合わせだけど、やっぱり気が抜けるねぇ」
自分用のブランデーの入ったグラスを傾ける。
無邪気にホットミルクを飲む姿は年相応以上に幼く見え、先ほど男1人を殺したとは思えない。
「で、今日はどうしたんだい?」
その言葉にホットミルクに向けられていた視線がちらりと以来に向けられる。
「しくじったってわけじゃなさそうだけど」
まるで興味がなさそうな以来の視線に、面白げにアヴェルは笑う。
「実はさっきそこで襲われた」
「遺族……ってわけじゃなさそうだね。賞金稼ぎかい?」
「さぁな。ただヤバい奴ではあった」
そういうと一本のナイフをカウンターに置く。
黒装束のシャムシールを受け止めて刃こぼれしてしまったナイフを見て、以来は目をすがめた。
「スミスんとこのかい?」
「当たり前だろ」
「あんた殺されるね」
「笑い事じゃねぇよ」
低く笑う以来を見て不機嫌そうに返す。
「まあいいや。以来、最近の賞金稼ぎか新入りでヤバい奴いるか?シャムシール獲物にしてるガキなんだけど」
情報とは必然的に酒場と娼館に集まる。
故に以来のように、娼館の女将を勤めながら情報屋をやる者は少なくないのだ。
「シャムシール?またずいぶん珍しい武器だねぇ。中東の方の人間かい?」
「生憎全身黒ずくめで肌色は愚か性別すらわからねえ。あれだ、お前の国のニンジャだっけ?みたいだった」
「別に忍者は黒ずくめじゃなきゃいけないわけじゃないよ……というかあんた忍者見たことないだろ」
呆れたように溜め息をつき、思索するように視線を巡らす。
「とりあえずそんな腕のたつようなやつの噂は聞いたことないねぇ。まあ心当たりがないわけじゃないけどさ」
アヴェルが黙って紙幣を差し出す。
笑顔と共にそれを受け取り話を続ける。
「あんたも話は知ってるだろ?帝都連続殺人事件さ」
「……冗談だろ?」
「金をもらって嘘を吐くほど趣味は悪くないさね。検死記録によると死体の傷口はサーベルみたいな曲刀によるものらしいわ。共犯者の存在も一致する。噂によれば子どもらしい人影も目撃されてるし、それにあんたが能力者だってのはそこそこ有名な話なのよ」
顔を手で被い、椅子にもたれかかって天を仰ぐ。
「否定できねぇのが辛いところだな」
「とんでもないないもんに狙われたもんだね」
言葉とは裏腹にクスクスと笑う。
「それで、これからどうするんだい?」
「どうするもこうするも相手が誰だかわかんねーんじゃ殺しようがねぇよ。相手がまた殺しに来てくれんならやりようがあるけどな」
「まあせいぜい死なない程度に頑張りな」
「なに?心配してくれてんの?」
「たまにゃあリップサービスしとかなきゃ客が離れるだろう」
「あーそーかい」
大して気にした風もなく温くなったホットミルクを一気に飲み干し、硬貨を置いた。
「今日は抱いてかないのかい?」
帰り支度を始めたアヴェルを見て、以来は声を掛ける。
言うまでもなくここは娼館でもある。
酒場にもちらほら娼婦と思わしき女たちが客を相手に酌をしている。そうして今夜の客を探しているのだろう。
「お誘いありがたいが、このあとスミスんとこによらなきゃいけねぇんでな」
「まあそういわずにさ、あんたを待ってたんだよ」
「あん?どういうこった?」
妙に回りくどい言い方をする以来にアヴェルは顔を上げる。
すると視界を全面に埋めたのは酒場の風景ではなく真っ白い紙。
どうやら以来に突きつけられていたらしい紙を受け取ると、異様に整った字で部屋番号と跋という字が書かれていた。
「健気な子だろ?」
「健気も度が過ぎれば病気だぜ」
アヴェルは自分を殺し屋として雇っている雇い主、引いてはその幹部を思い出し溜め息をついた。