第1話 もしかしたら平穏な日々
3番街、ベルトラン家。
高級街の一等地に立つその屋敷は土地に恥じぬ立派なものであった。
しかしその立派に屋敷も、今は変わり果てた姿を晒している。
高級そうな家具には赤黒い染みが飛び、元は赤かったであろう毛の長い絨毯は黒く染まっている。
その大広間のマホガニーのテーブルに行儀悪く腰掛け書類を捲っているのは、高級な内装に似合わないラフな格好をした血まみれの男だった。
血に染まった銀髪の間から覗く瞳は血色、整った顔立ちと括った髪、男性にしては小柄な体躯から一見十代半ばにも見える。
なにが面白いのかその唇はにやにやとした笑みを浮かべている。
明らかにこの屋敷の当主ではない男の周りに散らばるのは元人間としか表現できない肉塊。
恐らく正当な当主もこの中の一部にあるのだろう。
「あー血ぃ鬱陶しい」
書類を見ながら、鬱陶しそうに額に張り付く前髪を払う。
全て返り血でなのだろう。その声に苦痛の色は見えない。
「あいっかわらずエグい帳簿だな。商人つうんは因果な商売だぜ」
一通り確認したのか、懐から古いデザインのライターを取り出し、書類の一端の火をつける。
あっという間に火は広がり書類を灰に変えていく。燃え尽きる直前にカーペットに落とす。
「重要書類はこれで全部、ってこたぁここもはずれか」
燃え尽きた灰を見つめ残念そうに呟く。
不意にぐるりと視線を巡らせ、とあるクローゼットに目を留めた。迷いなく肉片を踏みしめ歩き、クローゼットの扉に手をかける。
「よぉ、お嬢ちゃん。そんな狭いとこいないででてこいよ」
ニヤニヤと笑いかけた先にはブロンドの少女がガタガタと震えていた。
「ぁ…いや、こないで……」
狭いクローゼットの中でさらに後ずさる少女。
その視線の先には肉片となった家族が映っている。
「いやぁ、1人少ねぇから以来に裏切られたかと思ったぜ。ま、お嬢ちゃんがいてくれたお陰でまだあの女は殺さなくてすみそうだな。重畳、重畳」
くるくると手の中でナイフを回す。
「でもあの女殺したら次どこで情報仕入れりゃいいんだ?俺としたことがすっかり失念してたぜ。情報は大切だからなぁ、信頼できる情報源ってのはすげぇ貴重なんだよな」
なぁ、お嬢ちゃん。
同意を求めるも、すでに錯乱気味の少女にはどんな言葉でも死刑宣告にしか聞こえない。
「……なんで!なんで殺すの!?お父さんたちがなにしたっていうの!?」
逆上して叫ぶ少女をつまらないものでも見るような目で眺める。
「なんでって、いわれてもなぁ。生きてるってこたぁそれだけで死ぬ理由になるんだぜ、お嬢ちゃん。なにせ死体は殺せねぇもんなぁ」
自分の言葉によほど納得がいったのかうんうんと1人頷いている。
「そこに人がいるから人を殺す。とある奴との約束でな。ママに教わんなかったか?約束はちゃんと守りなさいって。肝心のママは俺が殺しちまったけどよ」
血まみれの部屋に男の笑い声が響く。
「向こうでママによろしく伝えてくれや」
血と脂に濡れたナイフを、未だに懇願する少女に向かって無造作に振り上げる。
そのナイフが振り下ろされる刹那、男が後ろに飛び退いた。
「……ひぃっ!」
直後、目の前を通り過ぎる無数の弾丸に少女は短い悲鳴を上げた。
「おっかしい、なっ。俺は、観客は、とらねぇ主義なんだが」
軽口を叩く間にも銃弾の雨はやまず、少女から距離をとらされる。
「誰か宣伝でもしてんのかねぇ?」
声をかけた先、まだ硝煙を上げるアサルトライフルを引っさげ廊下の暗がりからでてきたのは、帽子を目深に被った背の高い男だった。
きつく結んだ口元に帽子からはみ出る赤銅色の髪、その間から見えるターコイズブルーの瞳がやけに昏く見える。
「その子を見逃せ」
威圧感のある低い声が男に向けて発せられる。
「……あんた誰?見たところ殺し屋っぽいけど」
「その子を見逃せと言っている」
男の言葉を遮るように発せられた声に僅かな怒気が混じり、再びアサルトライフルの銃口が男に向けられる。
「おいおいなんでも暴力で解決すんのはよくないぜ。まずは交渉から入るのが人間の知恵だろ?」
「人間を相手にしているつもりはない。それに俺がしているのは懇願じゃない。命令だ」
にべもなく切り捨てると、帽子の男は躊躇なく引き金を引いた。
フルオートで発射される弾丸を足元に転がっていた男の上半身を引っ張り上げて防ぐ。
「死体を盾にするのか!?」
「ただの肉袋に敬意を払う趣味はねぇ!」
一瞬弾丸がやんだ隙に、男がナイフを投げた。
帽子の男はそれを首を曲げることで避け、走り出した標的に向かって掃射する。
室内を立体的に使い逃げる男に弾丸の雨が降り注いだ。
がぃん!
「っ!」
しかし、歪な音とともに弾丸の雨が止む。
帽子の男が構えるアサルトライフルの銃身に先ほど避けたナイフが突き刺さり、弾の射出を止めているのだ。
「ちっ」
即座にただの鉄の塊と化したアサルトライフルを捨て、懐に入れていた拳銃を抜いた。
しかし、その隙を見逃す訳もなく、男は一気に距離を詰める。ナイフがきらめき帽子の男の左腕を浅く切り裂いた。
慌てて距離を取ろうとステップを踏むが、追撃によりすぐに追いつかれる。明らかに頸動脈を狙ったナイフに反射的に左手を翳した。
「…っ!?」
すると男は目に見えて動揺し、ナイフの速度も落ちる。
帽子の男は失速したナイフを叩き落とし、強度を上げた拳銃でその横っ面を殴りつけ、再び距離をとった。
「一つ聞いてもいいか?」
血が混じった唾液を吐き捨て、男が訊ねる。
「お前は、能力者か?」
その姿からは先ほどの軽薄さは微塵も感じられなかった。