当たり前の毎日
『祐造が死んだ』
いつも何気ない親との電話の
つもりだった
いやむしろそれすら考えてないし当たり前とか慣れって
すごく矛盾してる。
そんな事は無いのに
そんな言葉はある
今から並べる言葉に正直
自信が無い。
気持ちを言葉とゆう決まった形にするのは難しい、とゆうより
不可能な気がする。
その表現は真ではなくどれだけ似せるかだけだ。
あとこの話をする事はもしかしたら間違いもあるかもしれない
自分勝手に。
ただ自分の中の考えで
今は文字を並べてみる。
その日は母の誕生日だったので朝『誕生日おめでとう』
メールを送って
『ありがとう!夜皆でケーキ食べにこない?』
私は実家の近くに一人暮らしを
していたので
このメールを見て
ダイエット中だけどケーキは食べずに
夜行くだけ行こうかな
って頭で考えて返事は
しなかった。
その日は雪が降っていて
雪が降る寒い日はなんか好きで
お昼に近くの公園に行って
その後
実家にもとりあえず行こう
公園からの帰りに
煙草を買いにコンビニに寄って
たまたま車の中にあった
雑誌を見ている時に
お父さんから着信が入った。
私は気分で電話に出ない事が
多いが、その時はたまたま通話ボタンを押した
『祐造が死んだ』
『嘘やろ?』
あんなに一瞬で信じれない言葉を理解する頭があるんだとも
思った。
急すぎて頭で理解する前に
言葉が出たとゆう感じ。
ただ今思えば
その言葉を口にした時のお父さんの心は考えてもわからないし
言葉になんかできないと思う。
『帰っておいで』
電話を切って
すぐハンドルに頭を乗せた
頭は瞬間色々考えたが
全部に?がつく事ばかりで
とりあえず車を動かして
実家に向かった
家の周りには消防車とパトカーがその場所には異様な数止まってるのと何人か人がその様子を
見ている姿があった。
駐車場までの道の間に袋に
何かを詰める人の姿が見えて
その後に血の存在を
探す自分がいた。
みつからなかった。
駐車場に車を停めて
ただ家に向かって歩いた
歩く余裕があったんだ。
玄関はドアは開いていて
明らかに何かがあった後だった。多分警察の人に
『家族の方ですか?』
『はい。』
『何があったか聞きましたか?』確かこうゆう会話をした。
玄関を開けるとすぐ階段があるので階段の登り始めぐらいに
『お兄さんが自殺しました』
あまりこの言葉は覚えてないが
意味は全く同じ言葉が
後ろから聞こえた。
私の実家は1階が親の職場
2階がお風呂とトイレとリビングと
親の部屋
3階が次男の部屋と三男の部屋とトイレ
2階に行ってお父さんの姿を見て私は
『ゴンタは?』
冷静とかそんなのではなく
ただ飼っている犬のゴンタが
心配になったんだ
ゴンタは親の寝室で横になっていたこの頃ゴンタは老衰していて
自分では歩くのも大変そうだったので、ぐちゃぐちゃになった家の中で生きていた事に安心して
顔を近づけて頭を撫でた。
正直この時の記憶は曖昧かも
しれない場面の記憶はわかるけど言葉ははっきり覚えてない
ただお母さんが見当たらない不安と警察がたくさんいるのとお父さんの
『最悪な結果になった』
とゆう言葉
そしてお母さんの姿が見えて
安心したとゆう
そんな感じだった。
『ゆうくんは?』
『警察に行ってる』
状況がわかるのにわからない
矛盾してるけど
そんな感じだった。
私が家に帰った時は
最悪な結果になった1時間後だった。
私の家族は父・母・長男・次男・三男・末っ子の私の6人家族。
ゆうくんは三男だ。
ゆうくんは中学の頃に
人間関係で病んでしまったみたいでそれから世間でゆう
ひきこもり的な状態に
なっていた。
部屋はもう中和できたから大丈夫とゆう意味はわからないが
とりあえず行ってもいいとゆう
言葉を警察から聞いて
部屋に行くと
警察の人が座って部屋の中の物を調べている様に見えた。
中には入らず、すぐお父さんとお母さんのとこに行った。
泣きわめいてる訳じゃなく
悲しい事が起きたとゆうより
最悪な事が起きたとゆう感じだ。
お父さんのあんな姿は
初めて見た。
いつもマイペースで少し不思議で前向きな父からネガティブな言葉を聞いたのも初めてだった。
お母さんは一瞬現実を受け止めれていない様に見えた。
お父さんからお昼の状況を話してくれた。
流れでいえば
一緒にお昼ご飯をお母さんとお父さんとゆうくんで食べて
ゆうくんが今の辛さからどうか抜け出したい話が上手くいかず
お父さんはまた後で話そうと
とりあえず仕事の休憩中の間に
お母さんの誕生日ケーキを買いに30分ぐらい家を出て帰る途中お母さんからの変な匂いがするとゆう電話があり帰ったら変わり果てたゆうくんが居た事。
帰った時にゆうくんの部屋に行っても姿は見えなくて
2人で全部部屋を探して
ゆうくんの部屋の押入れの中で
ゆうくんはバケツに顔をつっこみ
倒れていて、そこから
降ろして人工呼吸をしたりしたがその時まだ暖かかった身体が
救急車に向かう直前には
冷たくなっていた事。
私はその場に居なかったので
聞いた言葉での想像しかできない
ゆうくんが自殺した
死んだとゆうこと。
ふと見たら警察がゆうくんも使っていた家のパソコンを扱ってインターネットの履歴を見ていて
私も一緒に見ると
自殺サイトや死に関わったと思われるサイトがその日の2週間前に開かれていた
その履歴画面を警察が
カメラにおさめていた。
ゆうくんの死をより確実に現実にさせたのは警察署の検死室で
変わり果てたゆうくんに会ったとゆうより見た時だ。
帰ってきた長男の兄とあんなに強く手を握ったのも
初めてだった。
涙が現実を理解したり理解できなくなったりと流れて止まってを繰り返す。
私は時々ゆうくんの部屋に
煙草を吸いに行っていた。
その日の二日前に私から
『ねえ死にたいって思う?』
『死にたいとは思わん』
『そりゃそうよね…
今何がしたい?』
『笑いたい』
会話のその部分が
頭で繰り返し再生される。
ゆうくんは中学の時に
人間関係がうまくいっていなかったらしい。
いじめとゆう言葉は
私はあまり好きではない。
客観的にいじめる人間といじめられる人間
どちらも同じ人間であり
どちらにも心がある。
私にはどちらが悪いなんて
判決はできない。
親から、ゆうくんが亡くなって聞いた話では
お父さんとお母さんとゆうくん
3人で焼き肉を食べに行って
ゆうくんが
『毒が入っとる殺される』
それを聞いた親は
精神病院に連れて行って
ゆうくんは多分
怖くなって診察室から逃げ出して喚いて、鎮静剤とゆう名の注射を打たれ牢屋みたいな部屋に
閉じ込められた。
お母さんもそこで一緒に過ごした。
この話を聞いた時はゾクッとした。
ゆうくんはそれから家に
帰ってきた。
いつもお母さんとお父さんは
仕事中以外
ゆうくんの部屋で3人で
ずっと一緒にいた記憶がある。
私は中学生になり
そこに違和感を感じて
家に帰りたくなかったとゆうか
家に帰っても何も寝る以外意味を感じれなかったので
友達と遊びほうけていた。
だからその頃の家族の思い出は
私の中にはあまり無い。
ただ親から帰ってきなさい、勉強しなさい。
なんで?もっと誉めてほしかった、普通の会話をしたかった、反抗期もあり親の全てに怒りしかなかった。
高校を卒業するまで
家族とゆう存在から逃げてきた。ただ私にはその間に
唯一自分の誇りと思える
大事な友達と出会えた。