継ぐ家もない傲慢令嬢と婚約破棄された噂の私ですが、本当は違いますよ?
「ねぇ、本当に?!ニック!私をお嫁さんにしてくれるの?!嬉しい!!」
ランチスペースで屈託のない笑顔を私の婚約者…いえ、元婚約者に向けるレジーナ男爵家の令嬢ドロシー様に、溶けるように甘い視線を送るのは焦げ茶色の髪に碧の瞳をした甘い顔立ちの男、ニクソン様だ。
エスカリオ伯爵家の嫡男である。
彼は昨日までは私の婚約者だった。
二年前に婚約を結んだ時には既にこの男爵家の愛妾の娘であるドロシー様が傍にくっついていた。
私はセレイラ・アーヴェント。我が家は建国から続く歴史ある侯爵家だ。
彼との婚約は、貴族家向けの高級品を扱う商会を営むエスカリオ伯爵家が、高位貴族から一目置かれる我が家との繋がりを欲し、調ったものだ。
私には四歳上に兄がいて、私は家を出てニクソン様と結婚し、伯爵夫人となる予定だった。
しかし、婚約して二年、彼は私が彼に一目惚れしたことで、この婚約が結ばれたと学園で吹聴した。ニクソン様には愛する恋人がいるのに…、私は爵位を盾に強引に婚約を迫った傲慢な令嬢だとあらぬ噂が広まった。
全く…アーヴェント侯爵家を敵に回して良いと考えるなんて浅はかだわ。
まして、障害は無くなったよ、なんて甘く囁くそのおめでたさに呆れを通り越して心配になる。
この二年の間にニクソン様が私を尊重したことはほとんどない。形式的に公式な場では、迎えに来たし、エスコートもされた。一度目のダンスも私と踊った。だが、その後は放置だ。
彼はすぐさま自分が贈ったドレスで着飾ったドロシー様の所へ向かい、その後はずっと彼女を傍に置いた。
エスカリオ伯爵は常識のある方だったので、息子の愚行を度々謝罪し、諫めようとしてくれていたが、学園でニクソン様に悪意のある噂をたてられたせいで、ドロシー様に味方をする貴族の子息令嬢も多かったため、いっこうに改善はしなかった。
そんなわけで、我がアーヴェント侯爵家に無礼を働くエスカリオ伯爵家と縁づくことを良しとしなかった父であるアーヴェント侯爵は、強引に、しかしある程度は円満に婚約の解消を断行した。
昨日の婚約解消の場に現れたニクソン様は、顔色を真っ青に染めているエスカリオ伯爵とは対照的に、喜色に溢れた表情をしていた。もともとドロシー様との婚姻を望んでいたのに親に勝手に決められた政略結婚が嫌で仕方なかったのでしょうね。
成績は真ん中より上。顔は美しさで有名な伯爵夫人に似て甘い顔立ちをしている。商会の経営も上手くいっている裕福な伯爵家の嫡男とあって、思い通りにいかないことが無かったのでしょう…、と冷静に推測する。
まぁ、彼の愚行のおかげで、こちらには賠償義務もなく、あちら有責で我が家にとっては円満に婚約が解消出来て良かったわ。
本来なら我が侯爵家からエスカリオ伯爵家へ賠償金を支払わないといけなかったのだから…。
スンとした表情で彼を観察していたセレイラは、無事に婚約が解消されたことにホッとした。
もともと好きでもなんでもなかった。貴族の令嬢として生まれた以上、政略結婚は当たり前だったし、どんな相手と結婚することになっても、しっかりと義務は果たすつもりで学んできた。
彼らが帰った後、父はしてやったりの表情で豪快に笑っていた。
昨日の今日で、ニクソン様は新たな噂を広めているようだわ。
「ようやく、セレイラの両親も娘の愚行を反省し、円満に解消してくれたよ。ただ、今後、セレイラは新たな婚約者を探すことが難しいだろうな。もう17だ。継ぐものもない傲慢な彼女を娶ろうという男なんて都合よく現れるわけがないからな。」
「まぁ、可哀想。せっかく侯爵家という高位貴族に生まれたのに、心根が卑しいと幸せになれないのね。」
クスクス笑いあう彼らと、彼らを応援していた友人達が笑っている。
「確かに私は早く婚約者を見つける必要があるわね…。」
私は静かにその場を後にした。
「あら…、グランディール伯爵令息様。」
夕方の学園の図書館の奥、分厚い参考書の棚が並ぶ一角で、静かに勉強をしている彼に、思わず声をかけた。
いつもは裏庭のベンチで座っていらっしゃるのに、今日は珍しく中にいらっしゃったのね。
私の声にハッと顔を上げると、小さく頭を下げた。
「珍しいですね。いつもは裏庭にいらっしゃるのに…。」
「…今日は…雨が降っているので…。」
小さく答えた静かな落ち着きのある声に私はフッと笑う。
「そうでしたわね。ここでご一緒してもよろしいでしょうか?」
私の問いに、驚いたように目を見開いた。
放課後の図書館には人は少なく、この難しい参考書が並ぶ一角は静かだがうす暗く、人があまり寄り付かない。私は一年前に見つけてから時折ここに来て静かに本を読む事を好んでいた。
4人掛けの机なので、遠慮がちに斜め向かいに座る。
まもなく試験期間に入るため、私は教科書を出してノートを開く。
私の成績は学年でもトップクラスだが、数式だけは苦手で、試験前には苦労していた。
静かに教科書を捲っていると、ふと顔を上げて彼を見た。
グランディール伯爵令息は静かにこちらを見てぼんやりとしていた。
目が合い、慌てた様に顔を背けられたが、気になって私は声をかけた。
「グランディール伯爵令息様、もしかしてお邪魔でしたか?」
一人が好きでここにいたのに、急に他人が来たことで集中力が途切れてしまったのだろうか?
私の言葉に慌てて、「違いますっ!」と声をあげた。
「いえ…随分普通に僕に接してくれるのだなと…驚いてしまって…。」
「普通…?どういうことですか?あ、私が傲慢な令嬢だと噂されているから…?」
ニクソン様の広めた噂で私の印象は最悪だと思っている人も多い。
そのせいで学園ではあまり友人付き合いもしていないのだけれど。
「それは違います。アーヴェント侯爵令嬢は、その様な方ではありません。」
真っ直ぐに否定された私の方が驚いて目を見開いた。
「貴女がそんな人ではないことは知っています。そもそもエスカリオ伯爵令息の事、好きでもなんでもなかったでしょう…?」
「…ええ…。そうですね…。」
「いつも呆れを含んだ目で傍観していると言った様子だったので…。彼の今後は大変だなと思っていたところです。」
「まぁ…。驚いた…。私の事、よく見てらっしゃったのね…。」
普通に観察していたという意味で返した言葉に、耳まで真っ赤に染めたグランディール伯爵令息が言葉を失った。
「あ、違います!そう意味ではなくて…。ほら、人って真実かそうでないかとか関係なく噂を鵜呑みにする傾向があるでしょう?だから、ちゃんと見ててくれたんだと思って嬉しくなったのです。ありがとうございます。」
フフッと笑った私を見てますます真っ赤になった彼がなんだか可愛く見えた。
「僕は……、グランディール伯爵が気まぐれにメイドに手を出して生まれた庶子です。伯爵夫人も兄達からも忌み嫌われていて、誰も僕という存在を気にしません。からかわれたり、遠巻きに見て笑われることはあっても、その…こうして普通に話しかけて傍に座ってくれたのは貴女だけだったので…驚いたのです…。」
その言葉にああ、そうだったわと腑に落ちた。
彼は生まれた時から虐待されてきたらしい。メイドである母は伯爵夫人の怒りを買ったことで追い出されたそうだ。子供の彼だけを残して。一応伯爵の血を引く子供だからと認知はされ、正式に三男として登録されたが、壮絶な虐めが家内であったと聞く。
その証拠に今も身に付けている制服は体に合っていないようでこの三年間一度も買い替えられていないようだ。貴族が義務付けられているこの貴族学園を出た後は放逐される予定だと聞く。
ただ、彼は入学してからずっと学年首席だ。その努力と才能には目を見張るものがある。
「生まれがどうかなんて、その方の人となりとは関係ないでしょう?私は先入観を持つことの怖さを知っていますし、父にも常々自分の目で見て判断するようにと言われております。グランディール伯爵令息様はとても勉強が出来るでしょう?いつも学園で首席をとり続けている貴方と実はゆっくりお話がしてみたかったのです。そしてあわよくば私に数式を教えて欲しいのです。」
少しの下心を込めてお願いすると、また、驚いて目を見開いた。
「あら…グランディール伯爵令息様の瞳は綺麗なアメジストみたいですね。」
思わず手を伸ばして長い黒髪をかき分けると、とても綺麗な顔が現れた。
「まぁ…とても綺麗なお顔をしてらっしゃいますのね。髪をお切りになったらきっと令嬢達が放っておきませんことよ?」
グランディール伯爵家の彼の兄達にはご挨拶をしたことがある。
美しい顔をした腹違いの弟に嫉妬して虐めていたのではないかしら。
彼らの顔立ちは凡庸だったもの。
まぁ、人は顔ではないけれど。
目の前で湯気が出るほど真っ赤に顔を染めたグランディール伯爵令息がやっぱり可愛いと思ってしまった。
それからは何とはなしに待ち合わせをして、一緒に勉強をすることが増えた。
娯楽品を与えられる事のなかった彼は、本を読む事だけが楽しみでもあったそうだ。
家の書庫に閉じ込められたときは、実はずっと本を読んでいて幸せだったといった思い出話を聞いた時、つらい過去を楽しい思い出に変えられる強さになぜか私が誇らしい気持ちになった。
勉強はいつかの自分の身を助けるだろうと続けて来たそうだ。
放逐されても一人で生きて行けるように学んでいるのだと。
三か月が過ぎた頃…
「エルヴァン様、私と結婚しませんか?」
セレイラは彼に提案した。
驚きすぎて動きを静止した彼の顔が徐々に真っ赤に染まっていく様子に、あぁ、この人が好きだなぁと愛おしくなった。
「いや…でも…。僕はただの庶子で…卒業後は家から放逐される予定で…、も、もちろん!ちゃんと仕事についてしっかりと働くけれど!!でも…貴女は…アーヴェント侯爵家のご令嬢だ…。」
「ええ。だから優秀で真面目で尊敬できる方を伴侶に迎えたいと思っていたのです。エルヴァン様は婚約者がいないし、私の父の了解は得ているのです。私ではダメですか…?」
「そんなダメなわけ…!!す…好きです…。ずっと貴女が好きでした…。こうして一緒に勉強する前から…ずっと背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ貴女が綺麗だと思っていた…。」
彼の言葉にお互い真っ赤に染まった後、ゆっくりと二人で見つめあって笑った。
「ではあなたの了承も得たので、早速我が家に来てください。」
「え?」
放課後、連れ立って侯爵家の馬車に乗り込む私たちを見たニクソン様とドロシー様達が、フラれて嫁にいく先の無くなった傲慢令嬢がとうとう平民になる予定の男にしか相手にされなくなったと笑った。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「は…?父上、今なんと…?」
「だから…セレイラ嬢がアーヴェント侯爵家を継ぐことになったと言った。」
エクスカリオ伯爵家の応接室に呼び出されたニクソンは、父の言葉に混乱した。
「アーヴェント侯爵家は彼女の兄が継ぐのでは…。」
「兄であるレオン様が隣国へ留学していたことは知っているな?彼はあちらの公爵令嬢と結婚することになった。その方は元は第二王子殿下の婚約者だったそうだが、第二王子殿下が病で亡くなり、婚約者がいなかったそうだ。」
「それで…侯爵家を継ぐ予定だったレオン様が…婚約者に…?」
「ああ。お互い一目惚れだったらしい。」
継ぐものもない、傲慢な令嬢には次は見つからないなどと吹聴していたニクソンは、未来の侯爵となるセレイラを散々貶めてきたのだ。
次が見つからないどころか、釣り書きが殺到するだろう。
彼女を射止めたら次期侯爵となる未来が待っているのだから。
「本来ならこちらに有利な条件で婚約の解消が出来たはずなのに、お前が彼女に対して不誠実だったせいで、逆に賠償金を支払うことになった。」
「それは…。彼らが卑劣にも、このことを黙って婚約解消したのでは…!?」
「馬鹿を言うな。セレイラ嬢と婚約してから、お前が彼女を尊重したことが一度でもあったか?何度も私はお前にあの男爵家の庶子と別れてセレイラ嬢を大事にしろと言ったのに。まぁ、もう遅い。お前はあの女と結婚でもなんでもすればいい。好きにしろ。」
「…良いのですか?あ!ありがとうございます!!早速彼女に会いに…」
「あぁ、お前は廃嫡する。この家は次男のノーマンに継がせる。」
「…は?ま、待ってください!!私は嫡男です!!成績だって悪くない!この家を継ぐために必死で学んできました!!」
半ば叫ぶように父に詰め寄ると、額を抑えて大きなため息をついた。
「まだ、わからんのか。お前はあの建国から続く大貴族のアーヴェント侯爵家を愚弄したのだぞ!貴族向けの商品を扱う我が商会の交易を広げるために、こちらからお願いした婚約を不誠実な対応で無にした。しかも根も葉もない噂を広めているようだな。侯爵から名誉棄損だと苦情が来ている。アーヴェント侯爵家を敵にするという事は、我が家の商売が出来なくなるという事だ!さらに婚約を解消したセレイラ嬢が次期侯爵となるのだ。我が家の評判は地に堕ちた。貴族の婚約という大きな契約を守ることも出来ない家が、商売をして信用を得られるわけがないだろう!しかもお前の相手は男爵家の庶子。高級品を扱う我が商会の相手は高位貴族だぞ。そのような者が対応できる訳がない。」
「そ…それなら!ドロシーは愛妾にして、誰か他の高位貴族の令嬢を妻に迎えますっ!」
「頭の悪い男爵令嬢を常に引っ付けているお前に、高位貴族の令嬢が婚姻を望むとでも?こちらは速やかに噂の訂正を厳命された。お前の周りにいる下位貴族どもを使ってセレイラ嬢を侮辱しているようだが、真っ当な家なら婚約解消がどちら有責だったのか既に知っている。その上で聞くが、高位貴族の令嬢がお前を結婚相手に望むとでも?」
「………っ。」
言葉をなくしたニクソンを温度のない目で見つめた後、父は小さくため息をついた。
「卒業後は小さな領地の代官の職をやる。そこで自分を見つめなおせ。」
ガクリと項垂れた頭をあげることも出来ないまま、ニクソンは自分がなんて返事をしたのかわからなかった。
ーーーーーーー
「ど、どういう事でしょうか?エルヴァンを引き取りたいというのは…!?」
突然のアーヴェント侯爵の来訪に、大慌てで応接室に駆け込んできたグランディール伯爵は、優雅にお茶を飲みながら穏やかな笑顔で提案された侯爵の話の内容に驚愕した。
「いやいや、同じ学園に通う娘から、ご子息がとても優秀だと聞いてね。ぜひ我が家で力を揮って欲しいと思いこうして伺わせて頂いた事大だ。」
「あ…そうでしたか…。愚息を褒めて頂いて…恐縮です…。」
この国の重鎮であるアーヴェント侯爵とは公式の場でご挨拶したことがある程度。
圧倒的なオーラを漂わせる突然の侯爵の来訪に、小心者のグランディール伯爵はバクバクと煩い心臓を抑えるように、両手を握り締めた。
「愚息だなんて。先日エルヴァン君を我が家に招いて話をしたのだが、彼は素晴しいね。この国の法律が全て頭に入っているし、あらゆる分野での知識が並外れている。謙虚で努力家な性格も素晴らしい。どうかな。彼を引き受けるにあたってのこれまでの養育料だ。」
そういうと、傍に控えている側近が書類を提示した。
「では失礼します…。こ、これは…!」
そこに記載された金額に驚く。
グランディール伯爵家はもともとそれほど裕福な家ではない。
その上、メイドに手を付けたことで夫人の怒りをかったため、夫人の我儘や贅沢に目を瞑ってきたせいで、年々赤字が増えている状況だ。
貴族としての体裁のため、学園を卒業する成人の年まで養育したうえで、放逐予定だった無用なエルヴァンをこれ程の金額で厄介払い出来るなら夫人らも納得するだろうと考えた。
「我が息子にそれほどの価値を見出してくださったとは…。感謝いたします。ぜひ…。」
「一つ、条件がある。」
「条件…?」
「もともと卒業時に、放逐予定だと聞いたご子息なら、一年早く家から除籍するのも問題ないだろう。」
「いや…あの…。」
妻が社交界で地味で役に立たない庶子であるエルヴァンを一年後には家から追い出す予定だと触れまわったことを侯爵に知られている…!
メイドに産ませたエルヴァンは、妻と息子たちに長い間虐げられてきた。
グランディール伯爵はそれを見て見ぬふりをしてきたのだ。
「今迄育てた養育費を余裕で上回る金額だ。惜しくもないだろう。納得したらこちらにサインを。」
アーヴェント侯爵の恐ろしいほどの圧を感じ、グランディール伯爵は震える手で言われるがままサインをする。
「では彼の荷物を運び出します。」
アーヴェント侯爵の側近が、グランディール伯爵にエルヴァンの部屋を聞くと、顔を真っ青に染めた。
まさか使用人部屋の一角に部屋があるとはとても言えない…。
「あ…いや、荷物は私達が後日アーヴェント侯爵の屋敷へお届けします…。」
「……そうですか。では荷物が届き次第、お金を振り込みます。」
彼は冷たく冷静な瞳を伯爵に向けた後、退出するアーヴェント侯爵の後を追う。
残されたグランディール伯爵はヘナヘナと椅子に座り込んだ。
ーーーーーーー
「どういうこと…?伯爵家を継がないって…。」
「いや…でも結婚は出来るよ。」
「伯爵家を継がないあなたと結婚して何のメリットがあるの?!貴女が伯爵家を継ぐ嫡男だから、私は貴女と恋人になったのよ!」
いつもは可憐な様子で可愛く甘えてきていたドロシーの冷たく嫌悪感を滲ませたその歪んだ表情に信じられない思いで呆然となる。
ドロシーは俺を愛していると散々言っていた。だから今まで恋人として大事にしてきたし、政略で決まった侯爵令嬢のセレイラを排除しようとしてきたのに…。
「学園でも私たちがセレイラ様の悪意ある嘘の噂話を広めたと、呼び出しを受けたわ。彼女が貴女に惚れて強引に婚約を結んだっていうのは噓だったって!!」
一方的に被害者面をしてニクソンを責めるドロシーに苛立ちが溢れてくる。
散々高価な贈り物を強請って、私をお嫁さんにしてくれと言っておいて!
「君だって、俺に彼女から嫌がらせされたと散々嘘ついて、彼女を貶めてきたくせに!そもそも君が俺と結婚したいと言い出したから、俺は彼女との婚約を解消するために色々考え、セレイラ嬢との婚約が無くなったんだ!身の程も弁えず、たかが男爵家の庶子風情が、伯爵夫人になんてなれるわけないだろう!せいぜい愛妾程度だ!!それを…君を正妻しようとしたせいで…。俺が廃嫡されるなんて…。」
怒りで真っ赤になったニクソンに、ドロシーは鼻で笑う。
「そうよ!愛妾でも良かったわよ!最初からセレイラ様と白い結婚でもして私を愛妾にすればよかったんだわ。そうすれば私が生んだ子が伯爵家を継ぐ。いずれ石女のレッテルを張って彼女を追い出せばいい話だし。今からでもセレイラ様に再婚約を持ち掛ければいいじゃない!」
「…何を言っている?君は知らないのか?セレイラ嬢がアーヴェント侯爵家の後継になったことを。」
ニクソンの言葉に、ドロシーはポカンと口を開いた。
「は?だって…彼女は継ぐ家もないって…。」
「嫡男のレオン・アーヴェント様は隣国の次期公爵となることが決まったんだよ。そのため急遽彼女が次期後継となった…。」
「なにそれ…。だったら、貴方の婚約解消はセレイラ様の家の都合でしょう?貴方が廃嫡されるなんておかしいわ。」
「話を聞いていたのか?散々セレイラ嬢を貶めてきた俺が、こちらの有責で婚約を解消されたんだ。全てはお前のせいだ。お前さえいなければ万事うまくいっていたのに…。こんな打算まみれの汚い女だったなんて…。」
心底蔑んだ目でドロシーを睨みつけると、ニクソンは彼女から離れていく。
「ねぇ、待ってよ!!ニック、あなた、伯爵家を継がないなら、侯爵になるセレイラ様の家に婿入りすればいいじゃない!そしたら侯爵になれるわ!私も侯爵家の愛妾ならもっといい生活が出来るわ。」
背中から叫ぶドロシーの言葉に、理解不能になる。
…頭がおかしいんじゃないのか…。こんな女のために…俺は全てを失ったのか…。
ニクソンが悪質な噂話を吹聴しなければ、本来ならセレイラ嬢は高貴な美しい薔薇と社交界でもてはやされていたほど凛とした美しさを持った令嬢だった。初めて恋した愛しい恋人が出来て浮かれていた時に、親に政略で強引に決められた婚約者の彼女を勝手に嫌悪していたが、良く考えると何一つ彼女は悪くないのだ。苦言は呈されたことはあっても婚約者としては当たり前の内容だったし、最初は注意されたが、そのうち諦めた様に静観されていた。
彼女に…侯爵家に謝罪をしないと、この先のエスカリオ伯爵家に未来はない。
もう既に自分が伯爵になる未来は潰えたが、それでも家門が落ちぶれることは避けたい。
---
セレイラが学園に着くと、数多の視線を感じる。
今迄は下位貴族の蔑んだり面白がるような視線が多かったが、今は何とかお近づきになりたいと言った羨望のこもった視線が多い。
父は先日、公式の場で兄が隣国の公爵令嬢との婚約が調い、私が次期侯爵となることが決定したと報告した。貴族社会は噂が回るのが早い。
そのことを知っている者が多いのだろう。
まぁ、家を継ぐ予定のない二男、三男などにとっては侯爵家を継ぐ私なんて喉から手が出るほど欲しい相手でしょうね。
そのうえ、ニクソン様が正式に私に謝罪した。
彼との婚約も解消も、どちらが願い、誰の有責で婚約が解消になったのかを周りの皆に説明し謝罪した。
反省したとしても我が侯爵家を愚弄したことは許せないが、憑き物が落ちたかのように真摯に謝罪する様子は、どこかサッパリとしていて、もともと父が了承したくらいだ。きっと元は優秀な方だったのかもしれない。ただ、恋に落ちて周りが見えなくなっていただけで。
つまり、今の彼は恋に落ちていないのだろう。
常に張り付いていたドロシー様が傍にいないから。
優雅な仕草で歩きながら、教室へ向かうと、ひと際目立つ男子学生が教室の前にいた。
遠巻きに令嬢達が頬を染めて見つめる先にいるのは、私の婚約者となったエルヴァンだ。
その姿を目に入れるだけで私の胸はキュンとなる。
父は彼を引き取ると、すぐさま寄子であるベルツイン伯爵家の養子に入れた。
ベルツイン伯爵家は我が家を建国時から支えてくれた筆頭寄子だ。
彼は今、エルヴァン・ベルツイン伯爵令息であり、卒業と共に私の夫、エルヴァン・アーヴェントになるのだけれど。
今の彼は、髪が伸びてボサボサで、体に合っていない草臥れた制服に身を包んでいつも下を向いていた時の彼ではない。長い前髪を切り、艶やかに整えられたサラサラの黒髪にの下には整った顔立ちを露わにしている。体に合った制服を品よく着こなしている穏やかな表情の彼は、誰がどう見ても素敵な紳士だ。
ふとこちらに気付いて溶けるような甘い顔でフワリと笑顔を見せた。
「セレイラ嬢!」
アメジストに輝く宝石のような瞳を細めて笑うエルヴァンは、やっぱりとても可愛い。
「エルヴァン様。久しぶりの登校ですわね。」
「ええ。手続きが終わってようやく落ち着いたので…やっと貴女に会えました…。会いたかったです…。」
ギュンッと何やら叫びだしたいようなときめきなるものを感じてしまうのは致し方ないでしょう。
だって少し頬を染めて、私よりずっと背が高いのに上目遣いでこちらを見つめるその顔が本当に可愛い過ぎるのですもの。
「帰りは一緒でしょう?まぁ私も…ここのところ貴方はずっとベルツイン伯爵家にいらっしゃったので…さ、寂しかったですけども…。」
「…!!」
恥ずかしくて少しだけ顔が赤くなることは見ないで欲しい。
お互いに頬を染めて照れ合う私達の後ろから戸惑ったような声がかけられる。
「あ、あの…セレイラ様…その方は…。」
チラチラと頬を染めてエルヴァン様を見ている令嬢達に、挨拶をする。
「おはようございます。彼はエルヴァン・ベルツイン伯爵令息ですわ。そして私の婚約者ですの。」
「こんやくしゃ…。」
「あの、こいつ…いや、この方はグランディール伯爵家の庶子では…!」
後ろから声をあげた男子生徒に、ニッコリと微笑む。
「フフ…、彼はベルツイン伯爵家の養子になったのです。二度とグランディール伯爵家の名前を口にしないでいただけると嬉しいわ。」
同じ伯爵家でも格が違う。ベルツイン伯爵家はアーヴェント侯爵家を代々支えてきた筆頭寄子で、かなり裕福で歴史のある家だ。アーヴェント侯爵家の信頼も厚く、そのためエルヴァンの養子先に選ばれた。
ベルツイン伯爵家は大喜びで彼を受け入れ、大事にしてくれている。
オシャレが好きなベルツイン伯爵夫人は、見た目の良い義理の息子が出来て大喜びで服を仕立てているそうだ。ベルツイン伯爵もその子息達も、エルヴァンと違ってかなりマッチョで顔も厳ついのだ。
「そんな…もう、ご婚約されたのですね…。」
ショックを受けたような令息達の声に続き、お祝いの言葉も聞こえる。
「セレイラ様、ご婚約おめでとうございます。」
「おめでとうございます!私、あの噂を聞いても信じておりませんでしたわ!」
口々に声をあげる生徒たちに向かって私はにこやかに笑う。
「ありがとうございます。才能あふれる優しく優秀な彼との婚約が決まり、私も嬉しく思っております。あぁ、あのくだらない噂話…。誤解されていた方も多くいらしたことは知っております。あえて訂正しなかったのは私ですもの。でもおかげで、我がアーヴェント侯爵家にとって、有益か否か判断する材料が手に入りましたので、無駄ではなかったですわ。」
「…っ!!」
信じておりませんでしたと大きく口を開いたご令嬢が嬉々として噂話を盛り立てていたことは知っている。
『自分の目で見て判断しろ』
幼い時から家訓のように父から繰り返し言われた言葉。
あの噂が拡がった時、ただ、傍観する者、真実を調べる者、心配して連絡をくれる者、そして楽しそうに噂を広める者…。様々いた。そうしていくうちに自分が信じられる人や家門を見出していく。
「セレイラ嬢、昼にまた迎えに来るから一緒に食べよう。」
「ええ、エルヴァン様。お待ちしてます。」
甘い笑顔を見せるエルヴァンに、とびきりの笑顔を返すと、名残惜しそうに自分の教室へ戻っていく。
後姿に、彼の耳が赤いことがわかる。相変わらず可愛らしい人だわ。
最初は優秀さに興味が惹かれた。
毎回首席をとる優秀さと、努力を継続できる心の強さ。
元々庶子だろうが何だろうが、私は実際に見て話して感じた自分の感覚で判断すると決めていたため、彼が最初に驚いた、普通に接してくれる、というのは当たり前のことで。
そうして話すようになった彼は、最初の印象通り、とても可愛くて真面目で優秀な人だった。
生まれた環境や将来への不安、それを自分の努力に変換出来る強さがあった。
そして酷い環境で育ったのに、周囲へ怒りを向けることがなかった。理不尽な目に遭っても、環境のせいにせず、それを次へ進む一歩に出来る人だった。
彼はとびきり穏やかで優しく、自分に対しての好意や優しさに真摯に応えてくれる真面目なところがとても好ましいと感じた。
貴族社会はきれいごとだけでは生きていけないけれど、それでも誠実さは力になる。
政略結婚を覚悟して生きてきたし、恋をしたいと思ったことはなかった。それなのに知れば知るほど彼が欲しくなった。
つまりは私は彼に恋に落ちたのだ。
今なら、あの時のニクソン様の気持ちがわかる。…とは言えないが、恋が自分の気持ちで変えることが出来ない強い気持ちだという事はわかる。
「あの方は…あんなに素敵なお顔をしてらしたのね…。」
不意に聞こえた令嬢の声に顔を上げると、ハッと慌てて頭を下げられた。
「ええ…素敵でしょう?彼と婚約出来て本当に幸せなんです、私。」
少しだけ恥ずかし気に笑った私に、周りの生徒達が顔を赤らめた。
その後、ニクソン様は心を入れ替えたかのように勉学に励み、卒業後の自分の未来を見据えて努力し始めたそうだ。ドロシー様は必死で嫁ぎ先を探していると聞くが、アーヴァイン侯爵家を敵に回した彼女にまともな縁談などなかった。彼らが吹聴した噂は悪質な虚言だと学園が発表したし、嫡男ではなくなったニクソン様とすぐに別れたことにより性格の悪さが露見し、もともと男爵家の庶子という立場もあって今では誰も相手にしなくなった。男爵家は何人も原因不明で妻を亡くしている老貴族の後妻として彼女を送る手続きを進めているそうで、慌てた彼女がニクソン様に復縁を迫ったそうだが相手にされなかったようだ。
最初からニクソン様との純愛を貫けばよかったのにね。
そして驚く事に、私達のことは、真実の愛で結ばれた二人が障害を乗り越えて婚約を結んだと噂された。
本当に皆さま、噂話がお好きなのね。
でも、その噂を聞いたエルヴァン様がとてもとても嬉しそうに笑ったので、噂もたまにはいいかなと思った。




