第18話 魔法暴発で、貴族令嬢の心の扉が開いた
──街道沿い、護衛任務の帰路。
貴族令嬢エレノア・フォン・リースは、馬車の中で静かに紅茶を飲んでいた。シアが淹れた完璧な紅茶を、優雅に味わっている。
馬車の外では、アルが力なく歩いている。
「詠唱は不要です。静寂こそが秩序です」
エレノア嬢の言葉が、馬車の窓から聞こえてくる。
「俺の存在、否定されてる気がするんだけど……」
アルは小さく呟く。詠唱魔法使いが詠唱を禁止される。それは存在意義の否定だ。
リリはきらきらした目で、アルを励ますように言った。
「でも、アルくんの魔法って、すっごく心がこもってて、ちょっと泣けるよね!」
「それがダメなんだよ!!感情がこもりすぎて、貴族令嬢の神経に触れるんだよ!!」
感情がこもった詠唱。それがアルの魔法の特徴であり、同時に欠点でもある。
──そのとき、森の奥から魔物が出現した。
だが、今回は違った。魔物が放つ魔力が、周囲の魔力と干渉し、空間が歪み始める。
「うわっ!?なんか空間が変!?」
アルは魔力の流れを感じる。そして──
「詠唱してないのに、魔力が勝手に──!」
アルの体内の魔力が、勝手に暴走し始めた。魔物の魔力干渉によって、触発されたのだ。
──空間が激しく揺れ、光が舞い、詠唱が漏れ出す。
アルの口が勝手に動き、詠唱が始まる。
『我が心よ、誰にも届かず、それでも叫びたい──セレスティアル・ヴェイル・オブ・フォーゴトゥン・ライト』
「やめてぇぇぇ!!俺の内面が勝手に朗読されてるぅぅぅ!!」
アルは口を押さえようとするが、詠唱は止まらない。誰にも届かず、それでも叫びたい。それはアルの深層心理だ。魔法を誰にも理解されなくても、それでも使い続けたいという想い。
──魔法が発動し、神聖な光が魔物を包み込む。
白く、眩い光。セレスティアル・ヴェイル・オブ・フォーゴトゥン・ライト。忘れられし光のヴェール。それは防御魔法であると同時に、魔物を浄化する光でもあった。
魔物が光に包まれ、消滅する。
そして、馬車の中──
エレノア嬢の瞳が、微かに揺れる。
「……この詠唱……どこかで……」
その声には、驚きと、そして懐かしさが混ざっていた。
「え!?今、何か反応した!?俺の魔法に!?まさかの共鳴!?」
アルは驚いて馬車を見る。あの冷たい貴族令嬢が、今、明らかに感情を見せた。
エレノアは馬車の窓から顔を出し、静かに、しかし確かな感情を込めて呟く。
「……昔、兄が……詠唱魔法を使っていた。感情を込めすぎて、父に叱られて……それでも、私には綺麗に見えた」
「え、えええ!?なんか急にエモい展開になってる!?俺の魔法、感情の扉開けた!?」
エレノアの兄。感情を込めすぎた詠唱魔法を使っていた。それは、まさにアルと同じだ。そして、父に叱られた。貴族として、感情を表に出すことは好ましくないとされたのだろう。
リリは涙ぐみながら、両手を合わせる。
「アルくんの魔法、やっぱり心に届くんだね……!」
「届かなくていい!!俺の羞恥心が世界に拡散されてる!!」
確かに心には届いた。だが、それはアルの内面が暴露されたということでもある。
エレノア嬢は馬車から降り、アルの前に立つ。その瞳には、先ほどまでの冷たさはなかった。
「……次の護衛依頼も、あなたに頼みます。詠唱は……許可します」
「え!?俺、許された!?詠唱、公式に許された!?でも恥ずかしい!!」
詠唱許可。それはアルにとって、存在を認められたということだ。だが、それは同時に、恥ずかしい詠唱を人前で叫ぶことを許可されたということでもある。
シアは淡々と、メモ帳に何かを書き込む。
「詠唱許可、記録しました。ギルド報告書に"感情干渉による和解"と記載します」
「報告書に書かないでぇぇぇ!!俺の羞恥心が公文書になるぅぅぅ!!」
感情干渉による和解。それは事実だが、報告書に書かれると、ギルド中に広まる。そして、また黒歴史ランキングに載る。
エレノアは小さく微笑む。その笑顔は、先ほどまでの高慢な態度とは全く違っていた。
「あなたの詠唱は……兄に似ています。だから、許可します」
「……ありがとうございます……」
アルは複雑な気持ちで頭を下げる。認められたことは嬉しい。だが、恥ずかしさは消えない。
リリが笑顔で言う。
「やった!アルくん、詠唱できるよ!」
「うん……できる……けど……恥ずかしい……」
ルドが静かに頷く。
「……詠唱は、お前の力だ」
「ルドさん……」
その言葉に、アルは少し救われた。
こうして、アルの魔法は暴発し、貴族令嬢の心に届いた。
エレノアは兄の記憶を思い出し、詠唱魔法を許可した。
詠唱は許され、尊厳は削られ、でも少しだけ報われた──そんな一日だった。
「……我が心よ……」
「アル、もう練習してるの!?」
「次の依頼に備えてるんだよ!!詠唱許可されたから!!」
冒険者としての道は、まだまだ続く。
そして、アルの黒歴史魔法も──まだまだ、終わらない。




