第二章 ⑧
仲間との友情に決定的で修復不可能で底の見えない闇深い亀裂が心の中に出来たのは、きっとあの夜の出来事からに違いない。
当時の僕は皆んなに対して威張っているつもりはなかった。けれど僕以外の皆んなは、僕が色々言ったり、何をして遊ぶかを決める事に対し随分と嫌気がさしていたのだろう。
それでも皆んなから無視されるような事はなかったけど、あの夜を境にして少しずつ距離を置かれ始めたのは何となく肌で感じ取っていた。
だけど僕自身、幾分幼かったせいもあってか、そんな皆んなの態度の変化にしばらくは気づかなかった。けれど1人、又1人と一緒に遊ばない日が増え始めたある時、僕は爆発した。
夜中に集まらなかったのも、悪いのはお前らじゃないか。仲間のくせに約束を破るなんて。そのような言葉を並べ連ねて全員を非難した。
皆んなを非難する事は友達としてやるべき当然の事だと思っていた。それが思いやりであり仲間としての権利だと信じて疑わなかった。けれど熱っぽく非難する僕とは対象的に、皆んなは冷ややか目で僕を見返した。数人が溜め息をついたのを覚えている。誰かはわからなかったが、それが更に僕を苛立たせたのは間違いなかった。
僕はその苛立ちを今度は個人個人へ向けて中傷した。
真弘、悠人、宗太郎、康太、蓮と順番に名指しして文句を言った。それがやり過ぎだった事は、今ならわかる。いや、全員を非難した夜にはそう思っていた。けれど謝るのは嫌だったし、違うと感じていた。だから皆んなを怒った事は一生謝るもんかと自分自身に言い聞かせた程だった。
仲間というのはそれくらい大切なものだと皆んなに気づいて欲しかったからだ。
でもやはり謝るべきだったのだ。
僕が怒った事で皆んなからの信頼や友情を損ない始めたのだから。僕のした事に対し、いっその事、仲間はずれや無視をされた方が良かったとも思う。
そうなっていれば、わざわざ同じ中学や高校に行く事はなかったし、僕にも別な友達が出来、今とは違う人生を送る事が出来たかも知れない。
そんな風に思うと、つくづく人生の岐路を見分け選択を誤らないようにするには、何をすれば良かったのだろう。中高生活はそれなりに楽しかったからそんなに後悔はないけど、1つ挙げるとすれば、皆んなといて心底笑った事はなかった事だろうか。顔やリアクションは大袈裟に振る舞うような態度を見せながらも、僕は自分自身を冷めた目でみていた。一緒にいても楽しくないのに何故、僕はこいつらとつるんでいるのだろう?なんて思う事などしょっちゅうだった。
そんな風に思うのも、あの日、昼間に僕が提案した事が無茶な話だと気づけなかった事が、このような僕を自ら作ってしまう要因だったのだ。
当然だ。小学生5年生で深夜に家を抜け出すなんて、それ自体無茶な話だった。
まだ小さなガキが放火魔を捕まえられるわけがない。
けれどあの時の僕にはそれがわからなかった。
仲間という言葉に心酔していたし、そして何より全員の事が大好きだった。放火によって殺害された隼人とその両親に、放火魔を捕まえる事で、その恨みを晴らしてあげたかった。
今ならわかる。そんな僕の気持ちは、ただの驕りで傲慢かつ自己中。思い上がった馬鹿な奴に過ぎないという事が。
「隼人が殺されたのは確かに頭に来るし許せないけど、だからといって放火魔を捕まえるのは、別の話だよ」
と言ったのは確か、重信悠人だった筈だ。
それまでなら、大体、古里宗太郎が真っ先に意見を言って来るのが普通だったけれど、その時は、宗太郎は一言も口を挟まなかった。恐らく、悠人が言った方が良いだろうと、事前に宗太郎達と話し合っていたのだと思う。
結局、その話し合いをきっかけに、僕と皆んなとの仲間意識は、より深い亀裂が入ったわけだ。
けれどそんな皆んなとは何だかんだ高校まで付き合った。でも3年生の時、全員東京の大学を受験し、皆んなは志望大学に受かり、僕は見事に落ちてしまった。滑り止めだった筈の大学にさえ受からなかった。
その結果、僕が密かに東京にいる事が彼等にバレてからは、いつしか僕は彼等の揶揄いの的になってしまっていた。
当人達は、冗談のつもりだったのかも知れないが、その事で僕は深く傷ついていた。そんな事すら気づかず本気なのか冗談なのかわからない過去の僕の事をネタにし、全員が笑った。お酒の力もあったのだろうけど、毎回のように言いたい放題言われる僕としては、こっちの身にもなれと腹の中では思っていた。その頃からだった。僕自身、2度と彼奴らとは付き合いたくないと思ったのは。
そんな腹の中の思いは、昨夜、とんでもない形で現実のものとなった。彼らは、恐らく放火によって焼き殺されてしまったからだ。
これで金輪際、僕は飲みの席に参加する事もなければ、彼等から大学受験に失敗し、逃げるように東京に出て来た事も未だフリーターである事も、2度といじられる事はなくなった。
今は起きた現実にショックを受けてはいるけれど、何処かでホッとしている自分がいるのも確かだった。
僕は身体を起こし目を擦った。カーテンの隙間から僅かだが、陽の光が差し込み始めている。
ヒヨリさんは寝息を立て、気持ちよさそうに眠っている。
僕は起き上がり、足音をたてないよう気を配りながら、クローゼットからバスタオル、下着、新しいシャツに半パンを取りバスルームへと向かった。
ユニットバスのカーテンを開け、便器の蓋を下ろし脱いだものその蓋の上に置く。
お湯の温度を少し下げ、蛇口を捻った。
熱いお湯を顔面で受けながら、皆んなの記憶も一緒に洗い流されてしまえばいいと思った。
これから先の未来、僕が幾つまで生きるかわからないけど、その間、どれだけ皆んなの事を思い出すだろう。胸が締め付けられ苦しくて泣いたりする事もあるのだろうか。答えはわかっていた。
けれど、その気持ちを絶対に口にする訳にいかなかった。彼等は幼馴染で仮にも元「仲間」なのだから。
ヒヨリさんの言うように僕は運が良かったのだ。繁華街前で行くか止めるか悩んでいたあの時間がなければ僕は彼等のように死んでいた筈だ。
けれど、僕はこうして生きている。助かったのだ。憂鬱な気持ちを抱えながら、約束の居酒屋へ行く事を何度も躊躇い、足を止め、再び動き出し、溜め息をついて又、足を止めた。妄想だったのか現実だったのかもわかりかねる世界が僕の背後へと広がっていた。
そんな世界の中に巨大な目が現れ人々はひまわりの種のようなものに変わり、その目へと吸い込まれふと現実世界へ引き戻された。頭がおかしくなったのか?と思える時間が、偶然だとしても、自分の命を救うだなんて……
僕はシャンプーを取り、力任せに頭を洗った。
けれど今の僕は、幼かった時のように彼等を殺害した放火魔を捕まえ仲間の恨みを晴らしてやろうなんて、これっぽっちも思わなかった。
それ以上に僕はあいつら5人との関係が永遠に切れた事が嬉しかった。
髪の毛を、シャワーで洗い流し、身体を洗った。シャワーカーテンを開いてバスタオルへ手を伸ばした。身体拭き、下着をつけ風呂から出た。
ヒヨリさんを起こさないように静かに移動した。冷蔵庫から水を取り出しゆっくりと嚥下する。
身体の内部が冷え水分がゆっくりと全身へ染み渡って行くような感覚の中、首にかけたバスタオルを取った瞬間、僕は呟いた。
「5人?」と。
僕は慌ててスマホを取りLINEを開いた。
例の居酒屋に既に集まっていた皆んなから、それぞれ急かす内容が送られて来ていた。
けど、そこには悠人だけ、あいつからだけは届いていなかった。元々、大人しい性格で口数も少なく皆んなが決めた事にも反対せず、後からついてくるといったタイプな悠人だ。引っ込み思案って程ではないが、自分の意見を言うようなタイプではなかった。それは大人になっても変わっていなかった。僕自身、そう感じていた。だから、LINEが来ていないのも納得がいくが……
でも…… 皆んなが待ちぼうけをくらっていた時に、1人1人が急かすLINEを寄越して来たのに、宗太郎や康太が送らない悠人に黙っているだろうか?
「悠人、お前も送れって」
そんな風に煽る康太の姿がありありと目に浮かんだ。
もしそうであれば、悠人は生きているという事になる。何らかの理由で来られなかったのかも知れない。いや、待って。単に悠人が皆んながLINEしたからいいってと断った事も考えられるじゃないか。
そこまで考えて僕は悠人が生きていたらどうしよう?と思った。本当の仲間ならそこは、仲間の死を悼みつつも、悠人の生存を喜ぶべき所だ。
だが、僕は違っていた。悠人にも死んでいて欲しかった。康太や宗太郎、蓮、真弘ほど僕を苛立たせたり揶揄ったりはしなかった。にも関わらず、僕は、やはり、悠人に生きていて欲しくないと思った。どうかあの火事で皆んなと同じように悠人も死んでいて欲しいと思った。