表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
爆ぜる  作者: 変汁
83/107

第十二章 ⑧②

屋上まで階段を一気に駆け上がり、外へと出るドアノブを掴んだ。回して押し開けると、中央付近に物干し台が四つありそこへ物干し竿が、2本乗せられていた。


施設にいる時は、基本洗濯物は個人個人でやるのだが、古参の安馬は慕われているのか、敬われているのかそれとも他の狙いがあっての事か、施設に来て1度も自身で洗濯をした事がなかった。


女性陣の誰かが置いておいてくださいねと声をかけてくれ、今までずっとそれに甘えて来た。


だから屋上に上がったのも、この施設が出来て以来、恐らく3回もないだろうか。


当然、施設の落成記念以来、研修の手伝いなどを含めれば10回以上は来ているが、それに対して3回もないというの少なすぎる。どれだけ他の会員の手を煩わせていたか、今更ながら気づいた。


これからここにいる間は、自分の事は自分ですべきだ。安馬は風に揺れる洗濯物を見ながらそのように思った。


男性の物と思われる衣服と下着が綺麗に干されてあるが、女性の一切の衣服類は見当たらなかった。従来であれば一緒に取り込んでくれる筈なのに、どうして男性物だけ残っているのか安馬にはわかりかねた。


慌てていた為そのまま外へ飛び出した安馬は、直ぐに外履き用のサンダルに履き替え、目的の自分のズボンが干してある所へと向かった。


ベージュのチノパンが裾を上にして干されてある。他の男性会員の洗濯物を避けながら急いで洗濯バサミから裾をを引き抜くと左のポケットに手を突っ込んだ。


まだ乾き切っていない左ポケットの中はジメリとして余り良い気持ちがしなかった。直ぐさま右ポケットに移り手を差し込んだ。


その瞬間、安馬の動きが止まった。指先に何も当たらないのだ。


慌てた安馬は再度、左のポケットに入れて裏地を引き出した。右も同じようにしたが、中には何もなかった。


田浦の首を絞めた飾り付け用の数種類の紐は完全にポケットからどこかへいってしまったようだった。


安馬は自分のチノパンを放り出し残った洗濯物のポケットを漁った。


一緒に洗ったとしたら、こちらへ移動したかも知れない。到底あり得ないだろう事を考える程、安馬はテンパっていた。


どの洗濯物にも紐は入っておらず安馬は急いで洗濯置き場へと駆けて行った。


脱水時に洗濯機の中へ飛び出した可能性に安馬は賭けたのだった。だがそれも徒労に終わった。


もしあの紐が誰かの手に渡り、そこから警察になんて渡ったら自分の人生は一貫の終わりだ。


かと言ってポケットに何か入っていなかった?と志自岐や前田に聞くのは絶対にマズい。田浦が絞殺されたのは皆が知る事実だ。


そこへ来て安馬のズボンのポケットに紐が入っていましたよ?あれって飾り付け用のですよね?私達ずっと探していたんですよ。まさか安馬さんが持ってたなんて。お陰で飾り付け出来なかったじゃないですか。全くもう……いきなり女性会員の1人から文句を言われたイメージが頭の中を突き抜けた。


確かに衣服をほっぽり出されていたら、ポケットのある物は中を確認するのが多分普通だ。恋人や奥さんなら間違いなくやる。


けど、ここは施設だ。果たして女性会員がそこまでやるだろうか?安馬は過去にそのような事が、つまりポケットの中に小銭を入れっぱなしにしていて、それを見つけた女性会員が男性会員1人1人に、衣服の確認をし、小銭を返却された事はあったか?自分は記憶にない。なら他の会員はどうだ?そんな事憶えている筈がなかった。


だが紐が無くなった現実を踏まえると、1番可能性が高いのは、恐らくそれだ。


安馬は備品置き場へ向かう事にした。1階のホールで出迎えた歓迎会では飾り付けはしていなかった。つまり安馬のポケットから紐を見つけた者はそれを使わなかったという事だ。


それはつまり新会員がこの施設に到着する以前、もしくはギリギリの時間で見つけたという事になる。安馬を迎えに来た刑事と一緒に施設を出た後、直ぐに洗濯置き場でポケットから紐を見つけていたら飾り付けをする時間は多少なりあった筈だからだ。


ただ本来迎えるべき部屋での歓迎会は出来なかったせいで、そもそもの最初から紐は使われる事なく片付けられた可能性もないとは言えなかった。


そしてもっとも安馬の恐れている事は機転が効く、頭の回転が早い女性陣の誰かが最初に紐を見つけていたとしたら……


そのようなタイプの女性が今回来ている中でいるとは思えないが、それでも田浦殺害の凶器は見つかっていない事。そして紐状の物で田浦は絞殺された事くらいは皆が皆、耳にして知っている。


紐を見つけた時に、瞬間的に凶器と結びつけられる人間が、いや女性会員がどれだけいるだろうか。


安馬は数秒考え、いない方へ賭けた。競馬で、散々借金を作った男が人生最大の危機に面している時に賭けなんてするとは自分でもびっくりだった。


自分は賭けに向いていない、弱いのは重々承知の上だ。骨賭けの才能がない事くらい骨の髄まで染み渡っている。だが、今回は当たる気がした。


安馬は自分はどう行動すればいい?と考えを巡らせた。とりあえず鑑識はあらかた終わった筈だから、改めて全ての部屋をしらみつぶしに調べる事は直ぐにはしないだろう。


いや、その場合、恐らくは令状が無ければ出来ない筈だ。首の皮一枚、繋がったかと安馬は思った。だがその一枚で生き残るには、先ずは安馬のズボンのポケットから紐を抜き取った人物を特定しなければならなかった。


そして現在、紐は何処にあるのか?その事実を他に知っている者はいるのか?一刻も早くそれを知る必要があった。


安馬は全員の分の洗濯物を取り込み、屋上を後にした。


洗濯物はそれぞれ畳んで指定のロッカーの中に分けて入れておいた。安馬は頭を整理する為、一旦、部屋に戻る事にした。


部屋着に着替え、着ていた服を畳む。これらも洗濯しなければならない。未だに嫌な臭いがするからだ。臭いと言えば、今朝に比べて部屋全体が嫌な臭いで充満しているようだった。


やはり刑事の言う通り、自分は気づかない内に周囲を犬のように嗅ぎ回っていたのかも知れない。


そう感じた時、安馬の頭の隅である事を思いついた。直ぐに部屋を出て1階のロビーのあるフロアへと戻った。


戻って来た安馬に対し、馴染みのあるメンバーは心配そうな顔を見せた。だが安馬は気にもせずその輪の中へ入って行った。園崎を見つけ側に行き話しかけた。


「せっかくあれだけ一生懸命に皆んなで作ったのに、飾り付け出来なかったのは残念だったね」


このように話せば誰が紐を見つけたのかわかると思ったのだ。


「そうなんです。安馬さんが警察へ行ってる間、前田さんが、やっぱ飾り付けやろうよって仰ったんですけど、ここだとつけられる場所もないし、それに備品倉庫にも、ある筈の紐もなかったから諦めたんですよ」


「そうだったんだ?確かにここだと紐で吊るすのは無理そうだしね」


園崎と、恐らくは前田じゃない。残るは……

その時、安馬はある違和感を感じ取った。この場にいる筈の顔が1人見当たらないのだ。


「あの子。なんて名前だっけ?」


「誰の事ですか?」


「先週入会した子。さっきまで居たと思ってたけど……」


「あぁ。志自岐さんですね」


「そうそう。その子はどうしたの?」


「ついさっき出て行きましたよ」


「出て行った?買い出しか何か?」


「あ、いえ、安馬さん部屋に戻られててご存知なかったでしょうが、さっき警察の方が来て、志自岐さんを連れて行きました」


「警察が?こんな時間に来たんだ?」


「事情聴取らしいですよ」


「だからってもう遅い時間じゃないか」


「まだ16時前ですけど……でも言われてみればこの時間から女の子の事情聴取するのって、確かにどうなのかなぁ。警察の感覚なら普通なんでしょうね。ま、私も別に何とも思わないですけどね。でも、それなら安馬さんと入れ替わりでやれば良かったんですよ」


「そうだね」


安馬は一呼吸置いてから再び園崎に尋ねた。


「最初から決まってたの?」


「志自岐さんの事情聴取ですか?」


「うん」


「どうなんでしょう。私は聞いてないです。自分の番もいつなのか知らないですし」


「なら、いきなり警察が来て志自岐さんを指名して連れて行ったんだな」


安馬はマズいと思った。きっと自分のズボンが置きっぱなしにされていたのを見つけたのは志自岐に違いない。


よくよく考えてみれば、志自岐は事情聴取から帰って来たばかりの俺に洗濯物を起きっぱなしにしました?と聞いて来た。


それってそもそもおかしな話だ。誰のかわからないのなら、先ず施設に残っている男性に聞くだろう。


皆んな違うとなれば消去法で残るは自分しかいない。なのに志自岐はわざわざ聞いて来た。


まるでアリバイの裏を取るかのように志自岐は俺の口からそう言わせた。それに前田に聞き、他の男性の洗濯物と一緒に洗濯をしたと言った。


その時点で気づくべきだった。ポケットに紐がある事に気づいたのは志自岐で間違いない。


そして園崎は備品室に紐がない事を知っていた。だから前田にいい。飾り付けは中止となった。つまり前田も紐が無い事を知っているわけだ。


志自岐は俺のズボンから紐が見つかった事を誰にも言わなかった。飾り付けの話が出ているのをわかった上でだ。わかった上で言わなかった。


それはつまりその紐が田浦殺害の凶器かも、知れないと思ったからに違いない。


だから先輩である園崎や前田には紐の存在を隠しておいた。あったと言えば使われる可能性があり、それによって証拠となる筈の物が損なわれる可能性を考え隠していた。


その志自岐は今、警察へ行っている。


「安馬さん、大丈夫ですか?顔色悪いですよ?」


園崎の言葉に安馬は、平気だよと震える声で言った。


「安馬さん、風邪?うつさないでくださいよ」


「あ、あぁ。前田さんにうつしでもしたら後が怖いからね」


「そうですよ。私怖い女ですから」


前田はいい、園崎へ笑って見せた。


「前田さん、志自岐さん1人で、大丈夫ですかね?」


「大丈夫じゃない?」


「そう思います?あの子、田浦代表の事で、相当参ってるみたいでしたから」


「そうだけど、でももう平気だと思うよ。だって自分から今から事情聴取を受けたいから、警察に連絡したいんですけど110番で良いんですかね?って聞いて来たから、私、若い刑事から名刺貰ってたからさ。それを渡してあげたんだよね。直通の電話番号と若い刑事の携帯番号が記入されていたから、どっちかにかけたんじゃない?」


「あ、そうなんですね。心配して損しちゃった」


「まぁ迎えに来たのが若い刑事だったから携帯にかけたんだろうけど、あの若い刑事、セクハラ野朗だよ」


「え?」


「だってさ。志自岐さんが、表に出た瞬間だよ?いきなり肩を抱いて自分の身体へ引き寄せたんだもん」


「志自岐さんが不安がっていたからじゃないですか?」


「それはないでしょ。だって自分から事情聴取を受けたくて連絡してんだからさ」


「あ、確かに」


志自岐美菜という女はここに手伝いに来た時から口数は多くなかった。こちらから話しかけ備品の場所や食堂、寝泊まりする各自の部屋の清掃などを指示しても蚊の鳴くような返事出目も合わせようとしなかった。


典型的な指示待ち族だなと安馬は思った程だ。そんな自分を変えたいと願い、田浦と出会ったのをきっかけに[葉の雫]に入会したのだろうが、その時はこいつは変われないなと思ったりした。


そんな女がいきなり自分に話しかける程の自発的な行動に出た事に、安馬はもっと注意を払うべきだったのだ。ほんの1時間も経ってないじゃないか。


あの時、志自岐のとった行動に「急になんだ?この子そんな子じゃなかっただろう?」くらい思っていれば、刑事へ連絡する前に志自岐を止められたかも知れないのだ。


「なら志自岐さん、大丈夫だね」


きっと声は震えていたに違いない。園崎と前田が、その事に気づいたかはわからなかった。


「自分もだけど。わざわざ迎えに来てもらって帰りも警察の人に送ってもらうのはなんか申し訳ないから俺、志自岐さん迎えに行ってくるよ」


「それもそうですね」


園崎が言った。


「送迎させればいいのよ。向こうは仕事で私達から話を聞きたいわけでしょ?そもそも私達からお願いした訳じゃないし。田浦代表が、殺されて参ってるのは私達の方なんだから。それくらいしてもらわないと、こっちが疲れて倒れちゃうわよ」


「前田さんの気持ちは凄くわかるよ。けど、志自岐さん、あんな性格じゃん?」


「あんな?ってどんな?」


前田が聞いて来た。たまにタメ口になるのは前田の性格のせいだ。


「あの子、自分から喋らないじゃない?返事も小さいしさ。大人しいから強面の刑事との事情聴取なんか、耐えられないんじゃないかな?」


「え?安馬さん、何も知らないんですね」


「はい?」


「志自岐さんって良く喋る子ですよ?こっちが言わなくても聞いて来るし、凄く明るい子です。何でも、実家が嫌で身寄りも知り合いもいないのに家出して東京へ出たんですって。その時、偶然田浦代表と出会って良くしてくれたからこの団体も噂と違って悪い物じゃないと思って入会したんですから。大人しいというより、むしろ活発な子ですよ。ま、後先考えずに家出するくらいだから、行き過ぎな所はあるかもだけど」


前田は言い、あーあと背伸びをした。


「ま、あとはこっちで適当にやりますから。安馬さんが心配なら迎えに行ってあげても良いんじゃないですかねぇ」


「志自岐さん、意外だなぁ。俺にはそんな所、全く見せなかったよ」


「女は猫被りですから。それに男を見定める時ほどそれやりがちです」


前田は「ねぇー園崎ちゃん」といい、園崎に抱きついた。


つまり、志自岐は最初から俺を見定めていたという事か。田浦代表を、殺害する前から俺の何かを感じていたのだろう。どうにも勝てないなと安馬は思った。


2人に、後はお願いと言い安馬は部屋に戻った。車の鍵はある。志自岐が警察へ行ったのは早くても30分前くらいだ。


となれば今頃警察署についた頃か。それから事情聴取が始まってこちらへ戻って来るまで最低1時間はかかると思われる。逃げるには余りに頼りない時間しかないが、このままいてもどうせ紐から俺と田浦のDNA、もしくは皮膚片が検出されるだろう。


その期間がどれほどかは知らないが、きっと昼夜を問わず作業に取り掛かるに違いない。研修が終わる丁度その頃には自分の逮捕令状が下り、田浦寿子殺害容疑で逮捕されてしまうだろう。そんなのはごめんだった。


とりあえず衣服は持たず、現金は途中で下ろして車は四国を出て岡山辺りで乗り捨てよう。きっと警察は実家のある新潟方面へ逃亡したと考える筈だ。


何故ならそちらの方が土地勘はあるし、匿ってくれる知人もいるかも知れないからだ。だから敢えて岡山からは九州方面へと逃げようと安馬は思った。


そして部屋を出て1階から皆んなに挨拶を終えて駐車場へと向かった。鍵はかけていない為そのままドアを開ける。乗り込もうとした時、背後から声をかけられた。


この状況に安馬は見覚えがあると思った。そうだ。買い出しから戻って来たら沢山の警察車両があって、その後、何やかんやあり、係長と呼ばれた人に前田を睨みつけている所を見られ慌てたんだったな。その後、メンバーが心配だからとそちらへ行っていた時、今のように背後から声をかけられた。


その時は確か、ご迷惑をと謝られた筈だった。なら今からはこの刑事からどんな言葉が自分へ投げかけられるのだろう?


安馬が振り向くとそこにはやはり自分に謝罪し、今朝迎えに来た刑事が2名の制服警官を従えて立っていた。


「安馬さん、今朝はどうも」


「どうも」


「何処か出かけられるのですか?」


「うちの、会員の志自岐を迎えに今から警察署へ行こうとしていた所ですよ」


「その必要はございません。こちらが責任を持って保護、あ、いえ送り届けさせていただきますから。ま、今すぐとはいきませんが」


安馬は刑事を見ながら車のキーを差し込もうと手を伸ばした。エンジンをかけ急発進するまで何秒かかる?刑事達との距離は何メートルある?逃げ切れるか?一か八かやるしかない。


「あ、安馬さんすいません。その施設専用車ですが、本物の鍵はこちらでして」


刑事が顔の前で振って見せた。


安馬は顔を引き攣らせて、キーを差し込もうとした。だが入らなかった。


「その鍵、見覚えないですか?」


安馬は伸ばした手を引き戻し鍵を見やった。


「それはこの施設の正面玄関の鍵ですよ」


「え?」


「志自岐さんがすり替えたそうです」


「何だって?」


「いやぁ。私もびっくりですよ。二上に連絡が来た時にある程度の事情は話してくださいました。紐を貴方のズボンのポケットから見つけた事、安馬さんはご存知ないでしょうが、志自岐さんから二上に連絡があったのは貴方がお怒りになられ取り調べ室から出て行った直ぐ後なんです。紐を見つけた時点で連絡をくれれば、貴方が取り調べ室から出られる事はなかったのですが、志自岐さん、紐を見つけた時点で貴方が田浦代表を殺害した犯人だと直ぐに気づいたそうです。何故かわかりますか?」


安馬は頭を振った。


「田浦代表から貴方には気をつけるよう忠告を、受けていたんです。危険な人物だからと。そしてもし自分が死ぬような事があったなら、犯人は安馬さん、貴方で間違いないと、ね。あ、あとそれともう一つ、田浦代表が歓迎会に来る事は貴方だけしか知らないと仰らていましたが、志自岐さんも、ご存知だったんです。その事は貴方が買い出しから戻って来る前にご本人から聞いておりました。勿論、田浦代表が志自岐さんに忠告した事も全てです」


「そうでしたか」


「ええ。ですが志自岐さん、紐を見つけてから何故昼まで二上に連絡をしなかったのか、それは自分の手で貴方を殺害しようと考えていたからだそうです。けどどう考えても勝てる見込みがなかった。それで仕方なく諦めるまで昼頃までかかったそうです。安馬さん、貴方、余程恨まれてますよ」


「でしょうね」


「ま、そういう事で二上への連絡が遅れたそうです。因みに貴方が逃げる恐れがあるからと車のキーも取り替えたのも志自岐さんです。帰って来た貴方の顔を見たら何となくそうしそうだと思ったらしい。だから貴方な隙を見計らって鍵を取り替えた。いやぁ正直、志自岐さんには参りました。安馬さんを殺そうと考えたのは頂けませんが、その気持ちはわからないでもない。私も数年前、まだ東京にいた頃ですが部下の木下というまだ若かった男を連続殺人犯に殺されましてね。その時は絶対にその女を殺してやると思ってました。逮捕ではなく、殺すつもりで捜査していましたよ。けど、全く捜査に進展もなく、逮捕すら出来なかった。けど、数年後にその連続殺人犯である女は逃亡先の千葉で共犯者である妹と一緒に何者かに殺されて、惨殺死体で発見されました。それを聞いた時、私は小さくガッツポーズをしましたよ。逮捕でなく殺害された事が嬉しくてです。刑事である私でさえそのような感情に支配されるのだがら、志自岐さんが貴方を殺害してやると思うのも無理はない。だが本当にやらなくて良かった。勘違いなさらないで欲しいのですが、何も貴方に返り討ちに遭う確率が高いからという意味ではありません。貴方のような人間の為に未来ある若い女性が自分の人生を棒に振るような事にならなかった事が、良かったと私は言っているんです。そんな彼女ですが、実に頭が良い。恐ろしく機転が効く事と、発想力が強いと私は思います。もし彼女が転職など考えているのであれば是非警察に欲しいくらいですよ」


最初から自分が疑われていた事はわかっていた。

田浦と一緒にいたのだから当然だ。会員達が田浦と接触する機会など最初からありはしなかった。


その前に自分が手を掛けたからだ。だがそれでも

死体発見が遅れれば遅れるほど、こちらに有利に働くと睨んでいた。


が、それも前田のせいで台無しとなった訳だ。おまけに田浦は志自岐に俺の事と、施設に来る事まで話していた。とんだピエロだなと安馬は思った。


「刑事に迎えに来てもらった時、彼女は凄く不安気で刑事に抱きかかえられながら出て言ったとメンバーから聞きましたが、それも志自岐のアイディアですか?」


「恐らくそうでしょう。会員の方からわざわざ二上の名刺を貰ったのもワザとです。警察へ行く事を貴方に知られた時、つい今し方となれば、貴方

が何かしらの行動に出る筈だと、志自岐さんは仰られていたようですから」


「なるほど。最初から俺に勝ち目はなかったという事ですね」


「残念ながら。もしあったとするならば、紐の処分さえ怠りさえしなければ、貴方は我々の事情聴取をかわし続け、何とか研修を終えて新潟へは帰れた筈です。なんせ昨日の朝までの時点で決定的な証拠はゼロでしたから。でもだからといって我々の目を逃れる事は絶対になかった筈です。こちらには志自岐さんの証言がありましたから」


安馬は取り替えられた鍵を2、3度放り投げてはキャチした。


「まさか鍵まで替えてるなんて、誰が思います?」


「1人だけいるじゃないですか」


「そうでしたね」


「安馬さん」


「何でしょう」


「申し遅れましたが、私こういう者です」


刑事が名刺を差し出して来た。


「三田、さんですか。係長なんですね。あ、その事は知っていました。警察の方がそのように呼んでいましたから。でもせっかくの御名刺ですが頂くわけにはいきません」


「どうしてです?」


嫌味な奴だなと安馬は思った。このような事を平然と言える男が自分の事件に関わっているのだから、遅かれ早かれ自分は逮捕されていただろう。


何故なら、安馬はまだ田浦殺害を自白をしていないからだ。証拠も直ぐに上がって来るだろうし、さっきの会話を聞いた者がいるとしたら、俺が犯人だと誰もがわかる筈だ。


なのにこの三田という刑事は未だ俺を田浦殺害容疑で逮捕するとは一言も言っていない。


つまり三田という刑事は完全に揺るぎない事実を突き止めるまで、決して先走らないのだろう。この人がもし犯罪者だとしたら、警察に捕まるようなドジを踏む事はないのだろうな。


「刑事ってのは一見、派手そうなお仕事に思えますが、本当の所はとことん、細かい所まで調べたりするんですね。勿論、証拠を得る為にしている事はわかっていますが、それでも志自岐から得た情報をひた隠し私を嵌めるような真似までなさる。けど、それを一切、悟られない。上手く私を誘導するような言葉や仕草を見せて来る。細かすぎますよ」


「そうかも知れませんね」


「刑事って職業は地味と言うか、地道なお仕事なんですね」


「そうですね。ま、私は特にその傾向が強いらしく、東京にいる頃は陰で私の事を地道刑事と呼ぶ者もいたくらいですから」


「そんな方からのせっかくのお名刺ですが、私にはもう必要がないので受け取るわけにはいきません」


「何故です?警察に知り合いがいると何かと便利だと思いますが。色々な相談にも乗ってあげられる。例えば……」


「例えば、ここで私が自首すると罪が軽くなったりするものですか?」


「それは分かりません。私が決められる事ではありませんので」


「せっかく三田さんに相談したのに、意味ないじゃないですか」


「まぁ私の手の届かない事もこの世の中には沢山ありますので」


「そうでしたか」


「ええ」


「三田さん」


「はい」


安馬は車のドアを閉めて三田へと向かって行く。

2人の制服警官が微かに身構えた気がした。


「私が田浦寿子を殺しました」


その瞬間、安馬の強張った筋肉が解けたように感じられた。


だが相変わらず自分の周囲では嫌な臭いがしていた。やっぱりこの臭いは犯罪者の身体から発せられるものなんだと安馬は思った。


つまり三田刑事が車中で話してくれた話は本当のだという事だ。


安馬は三田の前に両手を差し出した。三田はそれを見て制服警官の1人に目で合図した。


その1人が安馬に手錠をかけた後で、連行しろと怒気の混ざった声で命じた。


その言葉と声こそが、三田の本性だと安馬は思った。先程まで自分へ優しく話しかけて来たのも、それはこの瞬間の為に作られた三田なりの道のりなのだ。この人はとことん地道だなぁと安馬は思った。


警察が安馬逮捕の発表を遅らせたのは新入会員やその他のメンバーを気遣っての事だった。


せめて研修が終わるまでメンバーの1人が代表を殺害した事を知らせたくなかった。


だから施設から人がいなくなった8日後に安馬逮捕の知らせを発表した。各テレビ局やメディアが一斉に報じたのは、それから間もなくの事だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ