第十二章 ⑧⓪
取り調べ室から出た安馬は早足で警察署を後にした。完全に頭に血が上り、もう少しであの若造の刑事に殴りかかる所だった。
良く我慢した、お前は偉い!と安馬は何度も心の中で自分を褒め称えた。
取り調べを受ける中、ある程度挑発される事は予想していた。そこで怒ってはいけない事も頭ではわかっていた。
だが我慢出来なかった。文句の一つや二つ言うべきだと思った。そんな取り調べの中にあって予想外だったのは、安馬を施設まで迎えに来たあの刑事が自分の取り調べを行わなかった事だ。
てっきりあの刑事が担当するものだと安馬は思っていた。何故なら昨日、あの男が施設に現れた時も係長と呼ばれていたし、様々な事に指示を出していたからだ。
この事件の責任者なのは明らかだった。だが実際は違い若造が取り調べ室へ入って来た。
顔を見た瞬間、これも罠か?と思った。それとも任意の為、あの刑事の出番は無いという事なのか。
そんな事を考えていると若い刑事が机を挟んで自分の前に立った。
そして二上ですと名乗り生意気な小僧が俺を担当するとほざきやがった。余りにも俺を舐めすぎだ。
馬鹿にし過ぎだ。こんな若造に俺が落とせるとでも思ったか。安馬の精一杯の強がりはいざ自分の前に二上が腰を落ち着けた瞬間に崩れ去った。
その眼光の鋭さといったらなかった。瞳の奥には、安馬さん、俺知ってるんすよ。そう言っているように見えた。だから気づいたら目を逸らし俯いてしまっていた。繰り返し心の中で余計な事は喋るな。あくまでこれは任意の取り調べだ。条件的にはこちらが有利の筈だ。だから必要最低限の事以外は黙秘するつもりだった。
だが要所要所では頷いたりもした。まるで自分以外の力が働いて自分に自白を迫っているように感じた程だった。
若造が同じ質問を何度も繰り返すうちに、最初は恐れていた若造に対し苛立ちが募り始めた。そしてついにキレてしまったのだ。
その後の事は安馬もよく覚えていなかった。
ただ明日も迎えに行くと言われた事だけは、安馬の頭の隅にこびりついていた。
安馬は周囲を見渡し素早く道路付近まで駆けて行った。手をあげタクシーを拾うと直ぐさま乗り込み、施設の住所を告げた。
運転手は自身の予想よりも長距離だったのが嬉しかったのか口元を緩め「シートベルトをお締めください」と言った。
安馬は無言でシートベルトを締めた。そして窓ガラスに頭を預け、目を閉じた。施設に戻ったら少し休んだ方がいい。
幸い、新会員を迎えるにあたり自分は大した仕事を与えられてはいない。おまけに警察署へ呼び出されているのだ。
自分が施設へ戻ってくる時間もメンバー達には読めないだろう。
だからある程度、自由に出来る時間的余裕がある筈だ。だが自分がこのような状態で施設へ戻るのはどうなのか。メンバーや新会員と顔を合わせた時、普通に振る舞えるだろうか。
皆んな、警察からどんな事を尋ねられたのか興味や不安がある筈だから、その事についても必ず尋ねて来る。
その時、俺は何で答えればいい?自分が田浦代表を殺した犯人だから、まともに話が出来なかったとでも言うつもりか?
あの若造も刑事も間違いなく俺を疑っている。それはそうだ。田浦が施設へ来る事を知っていた唯一の人間だからだ。
おまけに空港で一緒にいる所を防犯カメラに捉えられている、そんなような事をあの若い二上と言う刑事がボソリと口にしかけた。
そんな男を容疑者として疑わない訳がない。寧ろ、他のメンバーを取り調べる必要のない事はあの刑事の事だ。恐らく勘づいているだろう。
だが俺が殺害したとの決定的な証拠がない為、表向き、他のメンバーも任意の聴取の為に呼び出さずにはおられない筈だ。
その時、刑事達はメンバーに何を尋ね何を聞き出そうとするだろうか。
考えたくもなかった。何故ならその答えは田浦を殺害した安馬にしかわからないからだ。
100%刑事は他のメンバーに俺の事を尋ねるに決まっている。どんな人間で団体の中での立ち位置など、細かいところまで探りを入れるに決まっている。
予想がつくからこそ、メンバーには会いたくなかった。今の姿もきっと刑事に聞かれるからだ。
それに俺は田浦を殺害した被疑者だから、そんな俺が感じた取り調べの感想なんかメンバーに話せる筈がなかった。
それでもメンバーは次に取り調べを受けるのは自分かもしれないという思いがある為、どのような雰囲気でどのような質問をされたのか、それについての返答の仕方など知りたい筈だ。
だから確実に聞いて来る。そうする事で、少しでも気持ちを落ち着かせたいと考えるのが普通だ。中には自分にやましい所が無いなら取り調べなんて緊張する必要もないし、堂々としていればいいんだと、いう者がいるかもしれない。
だが、その考えは間違っている。制服警官に職質されている訳ではないのだ。
スーツを着た人相の悪い男達の世界に1人放り出され、個室に押し込まれるのだ。そして馬鹿みたいに何度も同じ質問を繰り返される。
あんな状況下に置かれて、何日も取り調べなんてされたら、気が変にならない方がおかしい。
やってまいない事も、つい自分がやりましたと自供してしまい、のちの裁判で取り調べが辛かった為、言わざる終えなかったと冤罪を主張する者がいるが、たったあれだけの時間、取り調べを受けただけの、それも任意での取り調べに関わらず、安馬は冤罪を主張する者の気持ちがわかったと思ったくらいだ。
タクシーは一定の速度で走って行く。運転が安定している為か徐々に眠くなって来た。
ウトウトとし始めた時、安馬は突然、目を見開いた。
周囲や自身の身体を嗅いでいたかも知れないと思ったのだ。慌てて運転手の方を見るが、運転手は無言のまま前だけを見つめている。
そもそも俺が犬のように身体や付近の物に対して、クンクンしていただなんてとても信じられる話ではなかった。
けれど2人もの刑事の証言があった。口裏合わせてそのように言っているだけだと安馬は思ったが、どうしてか未だに自分を信じる事が出来なかった。
何故なら刑事が迎えに来たと起こされた後、やけに自分の身体から嫌な臭いがしてるようで、自分の身体と周辺の臭いを、まさに刑事が言うよな犬のようにクンクンと嗅いだのは確かな事だった。
だからわざわざシャワーを浴びたのだ。そのような経緯があった為に安馬は嘘だと信じきれずにいた。
ただそんな安馬にも僅かに救いがないわけではなかった。それは運転手の態度だった。
もし自分がやたら滅多に嗅ぎまくっていたら、車内臭いですか?等聞いてくると思ったからだ。
だが運転手は自分の仕事に集中していて、言い方は悪いが安馬に対して全くの無関心だった。余りにも自分が嗅ぎまくる為に異常者と思われ関わる事を避けていると言えなくもなかったが、だとしても今の安馬の心を多少なりとも軽くしたのは間違いなかった。
安馬は姿勢を正した。フロントガラス越しに見覚えのある景色が見える。施設まではもうすぐか。
安馬はこんな取り調べが続くなら、2度と、行くものか。全て断り研修が終わり次第、新潟へ帰ってやる。
その思いを決意に変える為に、安馬は両足に乗せた拳を強く握りしめた。




