第十二章 ⑦⑦
「そうですか。思い描くイメージねぇ」
刑事はゆっくりとブレーキを踏んだ。右折するつもりなのか刑事が右手の方を向いた。安馬は運転席を覗き込むように少し身体の位置をずらし、左に半身を乗り出した。
「ええ」
乗り出した身体を下ろし元の体勢に戻った。
安馬は今、何故、刑事が右手に曲がる事が気になったのか自分でもよくわからなかった。
右側へ曲がった先に何かあっただろうか。
当然ながらこの辺りの地図には詳しくはない。
わかっているのは買い出しする為のスーパーと空港までの道のりくらいなものだった。それもスマホのナビを使ってだ。
その道中に確か警察署や消防署があった筈だ。方角的には右折するのではなくこのまま真っ直ぐに進んだ方が警察署には近いと思うのだが……
「刑事さん、署に向かうなら右折ではなく真っ直ぐ行った方が良いのではないですか?」
余計な事と思ったが、つい口に出してしまった。
「え?あ、あぁそうですね。そうでした。申し訳ない」
刑事はいい出していたウィンカーを止めた。
「お疲れのようですね」
安馬が尋ねると、
「確かに少しだけ疲れてはいますが、安馬さん程ではないですよ。ちょっと考え事をしていましてつい……」
「ヨガや坐禅の事でしょうか?」
安馬自身、刑事がそんな事を考えているとは思っていなかった。恐らくは自分に対しての取り調べについて考えていたのだろう。だが話の流れ的に、そう言うのが正しく思え、安馬は刑事にそう言ったのだった。
「残念ながらそうではありません」
「すいません。別件でしたか。てっきり私は……」
安馬の座っている側の車窓から見えるホームセンターの先にビルがある。
この辺りからこの町の中心部、いわゆる栄えた場所となるのだが、とはいえ都会とは比べものにならないくらいこじんまりとした印象は拭えない。
だがその中に建築中の建物もちらほらと目にするからこれから先、中心部はもっと栄えた場所へと変わるに違いない。
このような光景は地方都市でよく見かける光景でもあるが、その殆どが両端には数多くの飲食店や大手電化メーカーの店舗が並んでいる。どの場所も広い駐車場があるのが特徴だ。
自分の生活拠点の新潟もそうだが、車が必須な地方特有の町づくりは嫌でもこのような形になってしまうのかもしれない。
「申し訳ありません。せっかく葉の雫の教義について詳しく教えて頂いたのに」
「全然、良いですよ」
安馬はいい、更に続けた。
「因み何を考えていらっしゃったのか聞いても良いでしょうか?」
「構いませんよ」
刑事は言い、一呼吸間を置いて話し始めた。
「私は今、2つの事を考えていました。1つは連続放火殺人について。その放火が、昨夜又、起きてしまい家族3人が焼死体で発見されました。その家族の家が右折した先にあるんですよ。ここからだとまだまだ遠いですが。そしてもう1つは、これが主に考えていた事ですが。いや思い出そうとしていたという方が正しいでしょうか」
「そうなんですね」
「ええ。昔、と言っても数年前の事ですが、一時期、読書にハマりましてね。読書と聞けば一般的に小説の類を連想なさるでしょうが、私の場合、ノンフィクション物ばかりでして。仕事が仕事ですから読む物は犯罪物ばかりだったんです。FBI捜査官とか、精神分析官からみたシリアルキラーの生い立ちについてとか。その手の物をちょいちょい読んでおりました。で、どの本かは憶えていないのですが、私が特に興味を持った事がありましてね」
「それって犯罪者の精神についてでしょうか?」
「確かにそのような物だったと記憶しております」
刑事はいい、再び車を走らせた。
安馬は刑事が考えていた事に興味が惹かれた。
この町で、放火殺人が多発している事は耳にはしていた。
だから施設に被害が及ばぬようある程度、警戒もしていた。だが警備員を常駐させる訳にもいかず、管理人も見に来るのは2日に1回だという説明も田浦から受けていた。
そして放火が多発している事は会員には黙っておくようにと忠告もされていた。
下手に話しせっかくの新会員の研修がギスギスした感じになるのを田浦が危惧しての事だった。
おまけに最近はメディアへの露出も増えホームページや公式のSNSには誹謗中傷の数も日毎に増えていた。
過去に東京地下鉄にて大規模なテロを実行したカルト教団とのありもしない関係性をでっち上げられ、何も知らない人達にもカルトだとレッテルを張られてもいた。
そんな状況にある中で、施設がある町で連続放火が起きていると知ったら、研修の手伝いに来た参加者達も、不安になり、急遽、帰宅するという者が出ても何ら不思議ではない。
おまけに警備のプロが24時間体制で数名を施設付近に配置しているならまだしも、警備についてはただの素人が余計な情報を耳にしたりしたら、中止を申し出る事だってあり得るだろう。
それは新会員にとっては可哀想な事だった。出来る限り歓迎してあげなければ、テンションも下がるだろうし、そうなれば[葉の雫]ってこんなもんなの?と呆れてしまわれても困る。
それは組織として弱体化に繋がりかねない。旧会員の信仰に対する気持ちに新たな風を吹き込むのは決まって新鮮さと純粋さを持つ新会員でしかなし得ないからだ。
放火事件の事が勝手に耳に入るのは仕方ないとしても、それを伝える事は皆んなに混乱を招きかねない。その為、安馬にも田浦の判断は正しいと思えた。
自分達が利用している間は、管理人は来る事はないと田浦から聞いていた為、より自分が注意を払わなければならないと考えていた。
だがもし夜中に放火されたらどうすればいいんだ?と安馬は田浦に問いただした。
「大丈夫です。神々は私達をお護りくださいますから」
と言うばかりで、安馬はそれってどうなんだ?と思った記憶があった。結果的には施設は自分が犯した殺人のせいでてんやわんやになっていたから、
放火の事は今まで頭から抜け落ちてしまっていた。まさかその放火が昨夜も起きていたとは。それは今、安馬自身初めて耳にした情報だった。
結果的に施設はまだ放火されていないし、それは幸いな事だが、田浦が言った神々は、取り敢えず施設は護ったようだ。だがそう信じた神々は何故か田浦自身を護る事はしなかったようだ。
つまり神々は人間の突発的な意思にはどうにも手を出す事は無理だという事か。なるほどそういう事かと安馬は思った。
自分の信仰に対する向き合い方は、恐らく熱心な会員に比べると天と地の開きがあるだろう。
だが安馬はその程度が丁度いいと思っていた。
設立当初は確かに横暴なやり方で勧誘した事もあった。
その時は人々を救いたいとの思いは薄く多くの人間を会員にすれば[葉の雫]という組織の中で地位が築けるのではないかというのが勧誘をする理由だった。
だから無茶な勧誘をしても何とも思わなかった。寧ろ良い事をしているとさへ感じていた程だ。それは設立当初の男のメンバーは殆どがそうだった筈だ。
「で、刑事さんが興味を持った内容ってどんな事なんですか?」
「知りたいですか?」
「ええ。是非お伺いさせて欲しいですね」
「本のタイトルも作者の名前も忘れてしまいましたが、その本にはとあるシリアルキラーの告白が書かれていました。シリアルキラーは初めての殺人の後、ある異変に気づいたそうです。その異変とは何かと言いますと……」
「ええ」
「どうやら臭いがするらしいんです」
「臭い?ですか」
「そうです。臭いです。身体から嫌な臭いがするようになったそうです。その臭いはシャワーを浴びても香水をつけても誤魔化す事が出来ない。だから頻繁に自分の身体のあちこちを嗅いでしまうらしいのです。勿論、最初は意識して嗅いでいたらしいのですが、いつしか無意識に自身の身体を嗅ぐようになったそうです。まるで犬のようにくんくんと嗅ぐのです。他人にその事を指摘されても本人は全く憶えていない。寧ろ指摘した人をおかしいと思ったそうです。でもその臭いが何かシリアルキラーはわからない。けれど新たに殺人を犯した後、それまでしていた臭いに変化が訪れたのです。微妙な変化ですが間違いなく良い臭いに変わり始めたとシリアルキラーは感じたそうです。その変化に興味を抱いたシリアルキラーは更に犯罪を重ねて行きました。12人目を殺害後、臭いは完全にムスクに似た臭いになったそうですよ。数多くのシリアルキラーと呼ばれる人間はいますが、その全員が自分の周りに漂う臭いに気づいたのかは、残念ながら書かれておりませんでした。調べてもいないのかも知れませんね」
「なるほど。興味深い話ですね」
安馬が言うと刑事はルームミラー越しに安馬を見つめた。
「安馬さん、お気づきになりませんか?」
「何が、ですか?」
「貴方、この車に乗り込んでからずっと、自分の身体や周辺を犬のように嗅いでいるのですよ」
刑事のその言葉に安馬はハッとした。
施設を出る時、何か嫌な臭いがすると思いシャワーを浴びた事を……
「どうされました?額の汗凄いですね。暖房弱めましょうか?」
安馬は俯きながら、弱々しい声で大丈夫ですと答えた。




