第十二章 ⑦⑥
部屋に戻っても安馬は中々寝付けなかった。一度風呂に入りに行ったが、熱いシャワーだけで済ませた。
温かくなった身体のままベッドに潜り込んだが、寝付く前に冷めてしまった。それからは何度も寝返りをうつばかりで、完全に覚醒してしまったようだ。
そうなると自然と考えは事件の事へと向かっていくと身体の内部が火照り始めた。
皆んなといる時は感じていなかった感情が、1人になった途端、何処からともなく現れ出た。
その感情は田浦寿子の息絶える瞬間の表情までおまけとして安馬の瞼の裏に現れた。瞬きをしてもその表情は決して離れてくれなかった。
それに引き込まれるように、首を絞めつけた時の両の手の平に食い込んだ数本の紐の痛みさえ思い出した程だった。
このままでは明日予定されている自身の聴取の時、寝不足で頭が働かないかも知れない。それは何としても避けねばならならなかった。
思考が鈍くなると必ずボロが出る。だから安馬は神頼みでは無いが、眠れるようにと祈る事にした。
目を閉じていてるにも関わらず、睡魔は一向に訪れて来なかった。悪い事に手を染めた人間の祈りは、どうやら聞いてもらえないようだ。
なら仕方ないと安馬は思い、真っ暗な部屋の中で目を開けた。どんな凶悪な殺人鬼だとしてもやはり初めての殺人の時は自分のように眠れなかったのだろうか。
いや、凶悪であるなら初めてだろうが普通に眠っていたのではないか。もしくは興奮が治まらない為、眠る事を止め新たな人間を殺しに町へと出かけたのかも知れない。
意外にもその考えが安馬の気持ちを少しだけ楽にしてくれた。自分は殺人鬼ではない。
確かに田浦寿子を殺害した。誰がなんと言おうと自分のこの手で絞め殺してしまった。
田浦が俺を全否定するような言葉で責め苛むから、ついカッとなり……気がついたら殺害していた。
ポケットに入っていた飾り付け用の色分けされている紐をどうして入れっぱなしにしといたのだろう。
田浦代表を殺害する前までは、単に忘れていたと思っていた。
だがカッとなったとはいえ、迷わずその紐を取り出し首に巻きつけた安馬は、やはり何か不都合な事が起きた場合、田浦寿子を殺すつもりでポケットに隠し持っていたのかも知れない。
それでも安馬は殺すつもりはなかったと思った。
それに新たに人間を殺したいとも思わない。
幼い頃、駄々を捏ねても自分の言う事を聞いてくれなかった母親に対し、幼き頃受けたあの時の恨みを晴らしたみたいな爽快感も自分にはなかった。
ただ殺害後にはどうすれば上手く誤魔化し、逃げ切れるのか?という事ばかり気にしていた。
幸いこの施設に防犯カメラの類は設置されてはいない。メンバーには田浦寿子が来る事は知らなかったと話してあるし、あの刑事には本当の事を正直に話してある。
それは施設から空港まで、空港から施設までの間に、どれほどの防犯カメラがあるのか安馬にはわからなかったからだ。
下手に嘘をつき、2人でいる所を撮影された映像が見つかりでもしたら、完全に言い訳は出来ない。
知らないと嘘をついた人間が田浦と一緒にいるのだがら、警察は確実に安馬を第一容疑者と看做す筈だ。安馬はない知恵を必死に絞り、刑事にそう答えた。
今はまだそれについて答えた事が、自分にとって正しかった事なのかさえ、わからない状況にあった。会員についた嘘等の言い訳なんてどうにでもなる。
田浦が自分が施設に来ている事は絶対に黙っているよう釘を刺されたとでも言えばいい。それでも会員達には疑われるだろうが警察に睨まれるよりは数倍も楽だ。
殺人を犯した人間は時にその罪の重さに耐えきれず良心の呵責に苛まれるという事を耳にした事があるが、そのような感情は全くと言っていい程、安馬の中にはなかった。
手をかけた事は申し訳ないと思うが、半分は田浦代表のせいだ。自業自得と言っていい。
自分で自分の気持ちを分析すると、こんな感じなのだが、それなのに眠れない事が安馬は釈然としなかった。やはり未だメンタルが興奮状態にあるとしか説明がつかなかった。
結局、安馬が眠りにつけたのは早朝5時を少し回った頃だった。それから9時に起こされるまでうなされる事も、夢を見る事もなく、深い眠りの底にいた。
安馬を起こしに現れたのは園崎だった。
ノックでは安馬が起きなかった為、仕方なく入室したようだ。鍵は掛かっていなかったらしい。
「安馬さん、警察が迎えに来てます」
「今、何時?」
「9時を少し回った所です」
「そうか。わかった。悪いけど、着替えて直ぐに行くと伝えておいてくれ」
園崎は頷き、安馬の部屋から出て行った。
安馬は用を足し、顔を洗った。鏡に映る自分は普段と何一つ変わらずそこにいた。
歯を磨き顔を洗ってから、着替えようとして、ふと動きを止めた。何処となく自分の身体から嫌な臭いがしたように感じだからだ。
腕や手の平、脇や足の指などを嗅いで確かめたが、とくに臭くはなかった。それでも意識すれば微かに嫌な臭いがした。
安馬はどうせ待たしているのだからと、構わずシャワーを浴びに着替えを持って部屋を出た。
スッキリしたのはいいが例の嫌な臭いはまだしていて、いつしか鼻について離れなくなった。
意識しなければ、さほど気になる程でもない臭いではあったが、それでも微かに臭い事にはかわりなかった。
安馬は髪も乾かさず、新たな服へと着替えその足で
正面玄関へと向かった。
そこで待っていた人物を見て、安馬は一瞬、足が止まりそうになった。
園崎からは警察が迎えに来たと聞いたが、まさか昨日の刑事、それも若手じゃなく自分から話を聞いた刑事が待っていたのだ。
こういう場合、通常の例がわからない為、安馬は少しばかり動揺した。警察署に向かう道中、頭を整理しようと考えていたが、この刑事だと下手すれば道中も取り調べの状況になりかねない。
勘繰りをすれば自分に考える時間を与えない為、こいつ本人から迎えに来たのかも知れなかった。
「おはようございます。お待たせして申し訳ございません」
「いえ。昨日あのような忌まわしい事件を目の当たりにされたというのに、こちらこそこのような朝早くから伺ってしまい、ご迷惑ではなかったですか?」
「あ、いえ、昨日はこちらの方から一度、お断りさせて頂いていますし、早朝の5時とかなら、迷惑だと思ったでしょうけど、流石に9時を過ぎているので全然、大丈夫です」
安馬は微かに微笑んで見せた。早朝の5時と言うのはジョークのつもりだったが、犯人が自分だと確定したなら、真夜中だろうが令状を持ってこの刑事はここへ現れるだろう。
だが今はまだ何も確定していない。それに近いものがあるのかも知れないが、それはまだ知る必要はないし、こちらか詮索するような真似もやってはいけない。可能な限り、普段の自分を心がけようと安馬は思った。
「昨夜は眠れましたか?」
「眠れたかと聞かれたら、余りとしか答えようがないですね。私を含めメンバーの皆んなの動揺は計り知れないものでしたから」
「お気持ちお察し致します」
刑事はいい、安馬に向かって深々と頭を垂れた。
「事件解決の鍵は初動捜査にかかっていると言っても言い過ぎではありません。被害者を含め関係者各位の皆様の記憶も、早ければ早いほどその分、明確です。なので申し訳ないとは思いつつも、お迎えに伺わせて頂きました」
安馬と刑事はそのようなやり取りの後、刑事の行きましょうかと言う言葉に続き施設を出た。
迎えに来た刑事車両は律儀にも駐車場に停めてあるようだった。流石に任意の為、正面玄関にビタ付けはしなかったようだ。
だからといってそのような常識的な行動に出たからといって、刑事に心を許すわけにはいかなかった。
出来るならのらりくらり交わし、新潟へ帰ってしまいたかった。帰った所で捜査は終わらないが、嫌な場所や人との距離感は離れれば離れる程、人の気持ちを楽にする筈だ。
だから安馬は予定していた研修期間の1週間を目処に、この土地から出るつもりでいた。
皆の意見や新会員達の意見が研修期間の短縮へと向かってくれれば、より早くここから立ち去る事も可能だろう。
それを警察側が認めてくれるかは又、別の話になるが。それに[葉の雫]は宗教法人としては決して大きくない団体ではあるが、大々的に代表の葬儀も執り行わなくてはならないだろう。
本部が東京にある為、当然、田浦寿子ね葬儀は東京でやる事になるだろう。その際、会員は香典を持ってくる筈だ。その管理を安馬は自分がやるべきだと思った。
田浦がしていたように会員からの金を自分へと回せれば借金の返済へ充てられる。これはチャンスだと思った。上手く立ち回れれば、葬儀の先の未来も上手く行くかも知れない。
勿論、永遠に会員のお布施をポケットに入れ続ける事は出来ない。全国にある施設の備品や場所によっては新たに施設を建設しなくてはならない事もあるだろう。
惜しみなく資金援助を申し出る会員もいるというし、田浦亡き今、ここでは自分が1番年上だし、会員歴も長い。貢献度で言えば自分の右に出るものはそうはいない筈だ。
だからここにいる間、安馬はここにいる間に葬儀の事など一気に決めてしまおうと考えながら駐車場までの砂利道を進んで行った。
前を行く刑事は安馬がついて来ているかの確認すらしなかった。その背中を見ながら、安馬は取り調べなんて受けている場合じゃねーぞと思った。
この人は田浦寿子代表を殺害した犯人を探している。その為には、取り調べをする人間に対して様々な手法を駆使してくるの筈だ。
自分が刑事ならと、立場を置き換え考えてみれば、絶対に同じようにする。
おまけに、同行をお願いした相手は田浦代表が施設に来る事を唯一知っていた人間なのだ。真っ先に疑われるのを当然だった。
この時点で安馬はある意味、諦めた。素人が幾ら逃げ道を考えた所で必ずボロが出る。
そのボロを出させる為に事情聴取があり、同時進行で証拠探しもやられる。
自分の身体は1つしかなくおまけに取り調べ室で身動きが取れないとなれば、お手上げと言うしかない。
その間、警察は容疑者にアリバイがあればアリバイ崩しに奔走するわけだ。
それに自分が施設にいた昨夜、警察は夜から今朝にかけてあらゆる場所の防犯カメラをチェックしているに違いない。
時間の問題だなと思ったが、そこは上手く切り抜けるしかなかった。
何故なら、今、田浦寿子が死んだお陰で自分の未来が開き始めたからだ。
とにかく落ち着いてゆっくりと話せばいい。リラックスだと言い聞かせた時、その刑事から刑事車両の後部座席のドアを開けた。
安馬は軽く会釈をしてから車に乗り込んだ。刑事は安馬が乗ったのを確認するとシートベルトをするように伝えて来た。
従うと刑事はドアを閉めて運転席へと乗り込んだ。
警察署までは大体、30分程度か、と安馬は考えた。
その間に自分の行動を繰り返し思い返した。
空港から帰宅後、とにかく自分は田浦を専用部屋に送り届けた後、直ぐに自分の部屋へ戻った。夜も遅かったから誰とも会わなかった。
これを通すしかない。一点張りだって構わない。取り調べが過酷になり始めたなら、弁護士を呼ぶと言おう。疲れた場合、いやなるべく早く、この取り調べは任意なのでいつまでも拘束する事は出来ないと主張しよう。
もしも毎日事情聴取をされるような事が起きた場合、それで逃げ切るしかない。自分が田浦寿子を殺害したと言う証拠は何一つないのだ。強気で押し通せる筈だ。
安馬は動き出した車両の窓から外の景色を眺めながらそのように思った。
沈黙が支配する車内にあって安馬は改めて刑事が発する威圧感に息苦しさを覚え始めた。
刑事から何も圧力をかけられた訳でもないのに、胸が締め付けられるような圧迫感を感じ、どうにも息苦しかった。
「窓を開けてもいいですか?」
「ええ。構わないですよ。何でも今日は冬らしくない1日らしく気温も随分と上がるようです」
「そうなんですね」
「春並みの暖かさで、日中は半袖で過ごせる程、陽気な天気だとニュースで言っていました」
「それは良いですね」
「そんな日の朝からわざわざ御足労おかけして申し訳ありません」
「いえ」
「本日、いらっしゃる予定の新会員の方々も、きっとお慶びになられる事でしょう」
「本来なら自分が空港まで迎えに行く予定でしたが、あんな事があった後なので中止を申し出たのですが、新会員の誰もが来る事を選んだようです。捜査中なので催し物は出来ないと話したそうですが、それでも構わないと言われ、我々としても仕方なく、受け入れる事にしました」
「それだけ新会員の方は信仰に熱心だという事でしょう」
「是非、そうあって貰いたいものです。代表なき今、全国の会員も不安でしょうから出来るだけ早く、[葉の雫]として纏まらないといけません。
それが遅れれば遅れる程、[葉の雫]は否応なく崩壊の道を辿ってしまうでしょうね」
「そんなものでしょうか?」
「ええ。田浦代表は[葉の雫]の一枚岩でした。
その代表が亡くなられた今、きっと全国の会員はこの先大丈夫なのか?と思う筈です。自分を含め会員は田浦代表の人柄に惚れたと言ってもいいくらいです。教義的な解釈は正直、田浦代表に反発する者もいます。会員である自分が言うのも可笑しな話ですが[葉の雫]の教義とは、言ってしまえばあらゆる宗教の良いとこ取りなんです。キリスト教、仏教、神道、ヒンドゥー教に、禅やヨガまで混ざってます。なので[葉の雫]の教義を深めようとすればするほど、その良いとこ取りに気づきます。私もそうでしたから。なので、いっときは退会も考えた事があり、亡くなられた田浦代表に相談した事もあります。その時田浦代表は私にこのように言いました。
「あらゆる宗教の神や仏が一堂に会しこの世界について話し合ったら、どのような答えに行き着くと思いますか?」と。私は答えなど出ません。ただ神や仏は他の神や仏を非難し、収拾がつかなくなると思いますと返しました。すると田浦代表は
「私はそうは思いません。神や仏はこの世界を憂い、心を痛め、人々が平和に暮らせるよう手を取り合う筈です。でも現実は全く神や仏が憂う以上の世界になっています。それは何故でしょう?」
「さぁ」
「結局の所、神や仏が人間を憂いた為、生まれた宗教も、良い人間が利用すれば幸福は少しずつ広がって行くでしょう。反対に他宗教を一切認めない、認めたくない人間が神や仏を信じればそこには他宗教への非難中傷、そして信仰する者への暴力へと向かいます。ならば何が1番良いのか。全ての宗教を取り入れれば良いのです。何も今の時代、修行僧のような真似をする必要はありません。ライトに宗教を取り入れれば良いのです。
全世界の神々、そして仏様よ。私は幸せになりたいのです。その為に私はあなた方神々や仏様をお慕いもうしあげます。そしてこの生をあなた方の望む人の幸福の為に捧げます、といった具合なんです。刑事さん、[葉の雫]って無茶苦茶だなぁって思いますでしょ?自分もたまに思います。ですが私達は強引に勧誘もしません。ただ親身に相手の話を聞き、微力ながら力になり、そしてその人の為に神々や仏に祈り、集中力がない時などはヨガをやりながら祈ります。これが意外と良いんですよ。日々の生活において活力が漲ります。朝起きてヨガをしながら祈る。昼間は苦しんでいる人がいれば手を差し伸べ、祈る。夜は又、世界の為に祈るんです。それが主だった私達の活動になります」
「初めて知りました」
「刑事さんもやってみれば良いんです。ヨガや坐禅、瞑想とか。最初はなんでも良いので、自分思い描くイメージが大切なので。やり方なんか独自でも構いません。あ、因みこれは別に刑事さんを勧誘している訳ではないですからね?その辺はご安心ください」
その時、ルームミラーに映る自分と刑事の目が合った。瞬間、刑事の方から目を逸らした。
安馬は「ん?」と思ったが何も言わなかった。




