第十二章 ⑦③
田浦寿子殺害の容疑者と見られる男が遺体発見後から8日後に逮捕された。その速報は全国ネットで大々的に報道された。
男の名前は安馬裕之(あまひろゆき36歳)
[葉の雫]の設立当初からのメンバーで今回行われる事になっていた研修の運営、設営などの業務の為、新潟から四国へと来ていた。
本人の供述によれば、田浦寿子が自分を[葉の雫]の役員として雇わなかった事に対しカッとなり首を絞めて殺害したと告白。
安馬裕之には消費者金融に多額の借金があり返済も滞っていた。
その返済にあてる金欲しさに田浦寿子に役員の話しを持ちかけた。しかし田浦寿子は首を縦に振らなかった。
[葉の雫]は企業ではないと安馬の話を突っぱねた。安馬はその程度では引かなかったようだ。
ーーーそれならあんたはどうやって生活費を捻出してるんだ?どうせ会員からの月々のお布施を全部ポッケに入れてんだろ?その事は黙っておいてやる。代わりにこっちに少しだけ回してくれ。安馬は田浦を空港まで迎えに行った帰りにそのような話になったと語った。それでも安馬は田浦の希望であるサプライズを守る事で、少しは気持ちも変わるのではないかと考えた。裏口から田浦を施設内へと入れ施設に来た時に使う田浦専用の部屋へと2人で向かった。事件はそこで起きた。車内での話の続きを振り返した安馬に対し、田浦寿子は呆れたと言わんばかりの大きな溜め息をついた。
「貴方は私達の前で初志貫徹を誓ったではありませんか?この信仰を通して多くの人を救いたい。涙ながらに語ったあの夜の事をお忘れになられましたか。非常に残念でなりません。[葉の雫]の会員として生きていくにあたり、最低限の決まりとして会員同士の金銭の貸し借り勿論、そうでない方とも金銭の貸し借りは禁じたではありませんか。それを提案されたのは安馬さん、貴方ですよ?あの夜、僅か5人からスタートした[葉の雫]は最初に貴方の禁止事項を取り入れました。まさかお忘れになられた訳ではありませんよね?
代表の役割についても貴方を除いた4人は貴方を推薦致しました。ですが貴方はその代表の役割を断りました。あの時は全員がショックを受けました。会を1つに纏めらるのも、引っ張っていけるのも安馬さんしかいない、誰もが心からそう思っていました。それが何ですか。消費者金融に多額の借金がある?安馬さん、貴方は自身の父親と同じ道を辿りたくなくて信仰の道に入る事を決めたのでしょう?それだけならまだ個人で返済すれば私達は文句は言いません。安馬さんはご存知ないでしょうが、新潟のとある会員の方から私は相談を受けておりました。ここまで話せばその会員の方からの相談というものの内容はお分かりになるでしょう。人間生きていればやむ終えなく借金をしなければならない時もあります。ですがそのやむ終えないことは絶対に他者を巻き込んではならないのです。貴方は大人の人間としてみっともないし、みすぼらしい。心まで貧相になっている事すら自分で気づけていらっしゃらないなんて……この10数年貴方は一体、何を信仰して来たのですか!」
一気に捲し立てられた田浦の言葉に安馬は自分の中にある人生という歯車がカチリと鳴った音を聞いた。
尚も続く容赦ない田浦の言葉に安馬はこのままでは自分の人生の歯車が回らない。
さっきの音はその歯車が外れた音に違いない。外れた歯車を再び嵌めなければ、と安馬は思った。
しかしどうやって外れた歯車を嵌めればいい?安馬はふとポケットに手を突っ込んだ。
田浦は自分専用のデスクに座り、安馬を見上げていた。持参したノートパソコンを鞄から取り出しデスクに置く。立ち上げている間、田浦は安馬を見ずに言った。
「この事は私の中にだけで留めておきます。ですがこのままだと貴方は他の会員に迷惑をかける恐れがあります。迷惑とは何かくらいはお分かりになるでしょう。ですのでこの研修が終わり次第、安馬さん。貴方には[葉の雫]を退会してもらいます。辞めて頂きたいと申しません。これは強制です。それが会員を守る代表としての私の役目です。拒否なさるのであれば警察へ連絡するだけです。ですが、私も鬼ではありません。この一週間で貴方が心を入れ替え、自ら作った借金に対し自らのみで対処する事を違い、更に真摯にこの信仰と向き合う決意が見られたのであれば、私は再度貴方の処遇を考えてあげましょう」
あげる?考えてあげるだと?安馬は田浦の最後の言葉に引っかかった。
と同時に再び歯車がカチリと鳴った。安馬は良かったと思った。歯車がはまってくれた。
お陰でこれからの人生に動き出す事が出来る。安馬は憑き物が祓われたようなスッキリとした表情へと変わって行った。
ポケットに入れた手に、新会員を迎える為の飾り付け用の紐が指に絡まった。あぁ自分がやるからと言ってそのままだったな。
この紐を壁や天井から吊るしておかないとせっかく描いた歓迎の言葉や絵が台無しになる。明日、忘れずにやらないと……
そんな風に考えながら安馬はデスクの横を通り窓の方へ近寄った。レースのカーテンを開けて窓から見える月を見上げた。
「代表、今夜は月が綺麗ですね。あ、満月、いやまだ少し欠けてるな。けど月の場合、欠けて見えても、実際は欠けてなんかいません。ですが、人はどうでしょう?美貌や学歴、職歴に経済力、多くの人が欠けたものばかりで満ちているではないですか。1人1人の人間が短い人生の中でそれを補う事は可能なのでしょうか?美貌であれば今は整形という手段があるから良いけど、その他は無理だ。奇跡的に欠けた物を補えてもそれは決してその人の本物ではない。何故なら本物は最初から欠けているのですからね」
「補う必要も、それを追い求める必要もありません。そのままの姿こそが、人生に生きる意味を与えてくれるのです。ですが人間には感情があります。欲もある。他人と比べないもの強請りをする卑しさもある。だからこそ信仰が必要なのです。貴方も貴女もそのままの自分でいい、それこそが美しい姿であり、他者と比べる必要も無ければ、比べられる必要もない。貴方も貴女も生まれたままの姿でこそ価値のある人生を歩む事が出来るのだと気づく為に、信仰があるのですよ。草創期から切磋琢磨し踏ん張り時に悲しみ時に喜び、信仰を根本に苦楽を共にして来た安馬さんほどの方の言葉とはとても思えません。やはり魔がさしたとはいえ、借金をしたのは安馬さん自身、信仰を軽んじていたのでしょう。そのツケがようやく回って来た。寧ろ遅いくらいです。安馬さん、これ以上貴方と話をする事はありません。その必要もないです。なので、出て行ってください。後はご自分で決めるしかないのですから。期限は1週間もあります。その間にどうするか、どうしたいか決めてください。決めるのは私ではありません。貴方です。ですが貴方が決めた事が[葉の雫]に不利益が生じると私が思えば先程申し上げた通り、安馬さんには退会して頂きます」
田浦代表はそのような重要な言葉をパソコンを見ながら言った。
それは安馬にとっては屈辱でしかなかった。余りにも非情だった。
代表ならば会員を思いやり慈しむべきではないのか?俺は月が綺麗だと言ったじゃないか。
ならせめて横に立ちその月を今日まで共に頑張って来た同志に対し健闘を讃えながら月を見るべきではないのか?代表という立場であればそうするべきだろ!こいつは代表でいてはいけない。いて良い訳がない。
これから先の未来[葉の雫]がもっと大きくなる為にはこいつが居座っていたら会員が可哀想だ。
再び歯車がカチリと鳴った。嵌った筈の人生という歯車が再び外れた。
気づいたら安馬は田浦の真後ろに立っていた。手には飾り付け用の紐が握られている。
数種類に色分けされた複数の紐は安馬に虹を思い起こさせた。そういえば、虹なんてしばらく見てないな。いつからだろう?
安馬は田浦の首へ紐を巻きつけた。椅子の背に片膝を押し付け、もう一方の足は踏ん張りを効かす為に壁につけた。全身全霊を込めて安馬は力を込めた。
身体の重心を落とし手前へと引く。自身の歯軋りの音とデスクを叩きもがき苦しむ田浦の出した音が室内に響いた。その姿が目に焼きついた。
貴女がいけない。どんな時でも悩む会員が側にいるなら寄り添い話を聞くべきだ。
草創期からの同士だからと言ってほったらかしにしていいわけがない。間違っている。
田浦寿子の驚愕に見開かれた目にルームライトの灯りが反射している。さっきまでとは違い抗う力が弱まって来ているように感じた。
机の上に投げ出した両手の先に爪で引っ掻いた傷が出来ている。この机もさぞ高かっただろうに。こんなに傷がついた物は俺は使わないぞ。
田浦寿子の口角に唾が溜まり泡立ち始めている。苦しさに見開いた目から光が失せ、その先には部屋の扉があった。
動かなくなった田浦寿子を見下ろしながら、安馬はゆっくりと首に巻きつけた紐を回収した。全身から吹き出す汗を拭う事もせず、安馬は良かったと思った。
これで会員も救われる。疲弊した身体を横たえたかったが、そうもいかなかった。壁にもたれ、改めて夜空を見上げた。
さっきまで欠けていた月が今は満月になって見えた。安馬は1つ、たった1つだけ自分に欠けていた物が手に入ったと感じた。
後悔は微塵もなかった。全ては会員の為であり、[葉の雫]の未来の為だったーーー
「ビデオルームの設営は自分がやる筈だった。みんなにもそのように伝えてあったが、歓迎会の食事の材料が足りなくなり、急遽、自分が車を運転し町まで買い出しに行かなくてはならなくなった。ビデオ研修は明日の午後からだっし、椅子を出す事なんて数分もあれば出来るから、あの日に用意をする必要なんてなかった。なのに、自分ともう1人が買い出しで抜けた事で、メンバーの1人がテンパリやがって、先輩の言った事を無視してあの新人に準備するように命令しやがった。
そもそも、田浦代表が来る予定はなかったんだ。
けど、急遽自分に連絡が来て、行くと言い出した。それは別に構わなかった。代表に話もあったからいい機会だと思った。けど、代表は自分が来る事は内緒にしといて欲しいといい、理由を聞いても教えてくれなかった。サプライズ的な演出を考えていたんじゃないかな。だから仕方なく夜になって代表から到着のメールが届いたから自分が空港まで迎えに行ったんだ。その帰り道話し合いが合って……」
田浦寿子の死体を何処に隠すか安馬は迷った。車はまずい。研修は1週間もある。
その間、新たに買い出しに行く可能性は大いにあった。備品の貯蓄はそれなりにあるだろうが、万が一という事もある。
その買い出しの時にトランクを開けない訳には行かない。安馬は思った。
同時に自分がやる設営の事を思い出した。ビデオルームには椅子や座布団、機材などをしまう倉庫がある。
そのビデオルームはこの部屋からそう離れてはいない。安馬は机に置かれてあるデジタル式の時計を見た。
今頃は皆んな風呂に入っている頃だ。死体を移動するには今しかない。
田浦をこの部屋に置いておく事は出来ない。代表の部屋だからこそ、掃除はこまめに行われている。それに代表は来る予定にはなかった。
だから1週間隠し通せれば、何とかなる筈だ。それには殆ど使用されないだろう、ビデオルームの倉庫内へ隠すのが1番だ。
外に持ち出す手もあるが、誰かに見られたらそれで全て終わりだ。今、外出しているのは俺だけなのだ。
きっと目撃されたら、そいつは安馬さん?と頭に過ぎるに違いない。今いる会員全員に田浦が来ている可能性について疑念を持してはならなかった。
ならばやはり場所はビデオルームの倉庫しかなかった。決断してからの安馬の動きに迷いはなかった。
これから自分が代表になる為に田浦には自殺をしてもらう必要がある。
瀬戸大橋付近で死体を流せば飛び降りたと思わせる事が出来るのではないか?首に出来た傷は首を吊って死ねなかったから飛び降りた、そういうシナリオが安馬の頭の中で生まれた。
きっと出来る。大丈夫だ。安馬は田浦の死体を背負い、ビデオルームへと駆けて行った。
飛び込むと急いで倉庫に入る。積み重ねられた椅子の足の空洞になっている部分へ田浦を押し込んだ。
明日の設営は俺がやる事になっている。全員にそれは伝えてあった。ホッとした安馬は会員に見つからないよう慎重に、自分に用意された個室に急いだ。
風呂に入る事は諦めた。簡易ベッドに横になった時、ある事に気がついた。無意識に上半身が飛び起きた。
ひょっとしたら俺が車で出かけた事を誰か見ているかも知れない。もしそうならマズいなと安馬は思った。再度裏口から出て帰って来た風を装う必要があるかも知れない。
裏口が開いていたのはそういう理由だと安馬は思った。よくよく考えれば直ぐにわかる事じゃないか!
裏口を含め戸締りは徹底されているのだ。
関係者意外の人間に立ち入られない為だ。何の気なしに裏口から入ったが、やはり誰かが安馬が車で外出したのを目撃しているという事だ。
つまり裏口さえ閉まっていれば、安馬が帰って来ていると、その目撃者は思う筈だ。
安馬は自分が裏口を閉めたかどうか少し不安になった。だが戸締りは身についている。
覚えていなくても、それはきっと大丈夫な筈だ。無意識だろうが閉まっている筈。わざわざ出て行って確かめるまでもない。
そんな所を安馬が出ていく姿を目撃した奴に見つかれば、今のこの精神状態では誤魔化す自身がなかった。
閉まっているかどうかなんて好きに確かめればいい。
最悪閉まってなくても、安馬さん、自分は口煩く言うくせに、閉め忘れてんじゃん!とムカつかれるだけだ。
その程度ならわざわざ確認しに行く必要はないと感じた安馬は、そのままベッドに部屋から出る事はしなかった。再び横になり、安馬はゆっくりとその瞼を閉じていった。




