第十一章 ⑥⑨
雑木林を出て直ぐに雷鳥はリュックを裏の戸口の側に置き忘れている事を思い出した。
人影にその事を伝えると「忘れ物は作品の良し悪しに深く関係してくるんだ」といい、雷鳥に直ぐに取って来るよう促した。
雷鳥は頷き、走って取りに行こうとした。それを見た人影が慌てて雷鳥の服の背中の部分を掴み制止させた。
いきなり後ろから引っ張られた雷鳥は両手足がバラバラと変な方向へ向いて身体が宙に浮いた。
地面に落ちそうになる所を人影が受け止め、
「どんな時も走ってはいけない」
そう言うと雷鳥の背中をポンと叩き改めて雷鳥をリュックのある裏の戸口へと送り出した。
雷鳥は息を潜め戸口へと進んで行った。人影のように殆ど物音を立てずに歩くのは、かなりの難易度だった。
雷鳥は自分が人影くらいの歳になる頃にはその歩き方をマスターしたいと思った。
リュックを掴み、開いたままの口に枯葉が入っているビニール袋を入れた。
ジッポライターのオイル缶もそれに倣った。チャックを閉め背負うとここまで歩いて来た時と同じような進み方で人影のいる所まで戻った。
道路に出ると人影は足を止め腕時計を確認した。雷鳥も人影の時計を覗き込み時間を確かめた。12時を少し回った所だった。
「もう少し、かな」
人影が言った。
「それでも眠っているのはほぼ間違いないだろうけど」
きっと社長や奥さん、息子の木下の事を言っているのだろう。
「でも、今夜は土曜日だからもうしばらく駐車場で様子を見ていよう」
土曜日というのが何を意味しているのか、雷鳥にもそれなりに理解出来た。
きっと翌日は日曜日だから多少夜更かしても平気という意味だ。
雷鳥は自分の考えが合っているか確かめたくて人影に尋ねた。
「それも確かにあると言えばあるけど、確率で言えば五分五分だと思う。明かりが消えてても起きてる可能性があるんだ」
「真っ暗にしてるのに起きてるの?」
「大人はたまにそういう事をする。人によりけりだけど、好んで明かり消さない人もいるし、週に4日とか明かりを消しても寝ないで起きている大人や、社長に限って言えば夫婦だからね。ま、恋人同士もそんな事が稀に、かな?まぁあるのさ」
「そうなんだ?」
「そうだね」
「真っ暗の中で何で起きてるんだろ?」
雷鳥は考えながら、ふと今の自分の状況を思い出した。寒さに耐えられず眠れないからと、布団の中に潜り込んで懐中電灯の灯りで本を読んだ事もある。
けど社長の家が電気を止められるというのはあり得ない。だから寒いからって事は考えられなかった。
「大人でも布団の中に潜って本を読んだりするのかなぁ」
雷鳥の独り言に人影が振り向いた。
「するよ。僕は毎晩そうやって本を読んでる」
「へー。そうなんだね。なら人影さんも電気を止められてるんだ」
雷鳥の言葉に人影は口を手にあてクスクスと笑った。
「人影さんかぁ。雷鳥君は上手い表現をするね。確かに言われて見れば僕は人の影のような者かも知れない。どれほど深い闇の中にあってもそこに人がいれば影もいる。影が自分の意思で勝手に人から離れる事はない。出来ないよね。影は常に人について回るものだから。切り離せない存在だ。絶対に裏切る事もない。どんな状況に陥っても影は人と共にある。悲しい時も楽しい時も、孤独を感じ辛い時もね。雷鳥君がそのような存在として僕を見ていてくれていたとは、うん。嬉しい。非常に嬉しいよ」
人影はいい、ゆっくりと歩きだした。
「でも、雷鳥くん、残念ながら僕の家の電気は君の家と違ってまだ止められてはいないよ」
「そうなんだね」
「あぁ。けれど家にいる時でも基本的に電気はつけないな。だって僕は暗い世界の方が好きだから」
社長の家の駐車場に入り、車の後ろの棚の所まで行った。
そこで一旦、腰を下ろした。雷鳥は自分が調べに来た時、見つけた灯油の事を人影に話した。勿論、囁くように小さな声でだ。
「雷鳥君、凄いね。そこまで調べていたんだ。偉いぞ」
人影は雷鳥を見ずにいい、再び時計に目を向けた。
「雷鳥君、準備は良いかい?」
頷く雷鳥を見て人影は身体を起こした。
「雷鳥君は僕から少しだけ離れた距離にいるように」
「わかりました」
人影はドアの前に立ち、胸から細い金具を取り出した。続けて小さなペンライトを口に咥える。明かりは弱くオレンジ色だった。金具の先端はL型に折れ曲がっていて、それをドアと壁の僅かな隙間に差し込んだ。
両手を使いその金具を回し始めた。僅か数秒でカチッとい音が鳴り、人影が「開いたね」と背後に立つ雷鳥の方へ振り返って言った。
人影はノブを掴み、素早く回した。それが雷鳥には不思議でならなかった。
物音を立てたらいけない状況にあるのに、普通ならノブを回すのは慎重になる筈だと思ったからだ。なのに人影は我が家に入るかのように素早く回した。
ドアを開ける前にその事を人影に尋ねると、人影は
「慎重にならなければいけない状況にあればある程、大胆に行動しなくちゃならない時があるんだ。勿論、時と場合によりけりだけど。でもこの家の住人はこの程度の物音では起きる事はない。何度か検証済みだしね。それにこの辺りは夜にぬるとキツネやタヌキが餌を求めてやってくるんだ。よく見ればわかる事だけど、棚や置かれてある物には多くの傷が付けられている。それらは皆、タヌキ達の仕業だ。何回か彼等が現れて餌を漁る様子も見た事がある。雷鳥君は何故、タヌキ達がこんな所に餌があると思うのだろう?って考えているみたいだけど、それはこの家の子供が、両親に隠れて食べ物を置いていたからさ。最近はその食べ物も見かけないからどうやら餌やりが親にバレたらしいね。つまり駐車場で物音がしても誰一人起きては来ない。目が覚めたとしても、又、タヌキ達が来たのか、程度にしか考えないようだね。例えそうだったとしても、何が起きているのか知らずにほったらかしはいけない。そんな事だから僕達に簡単に侵入されるんだ。人間ってね。身の危険に関わらない事が続けて起きた場合、その原因さえ与えてやれば、直ぐに警戒心を解くものなんだ。今回で言えば物音の原因は餌やりにある。だから絶対に調べに出て来ないのさ」
冴木の仲間の中では大人しく見えるけど、でもあの木下がそんな優しい所があったなんて、雷鳥にはかなり驚きだった。でも半日前に冴木から虐めの話を聞いたばかりだから、そんな印象を受けるのかも知れない。雷鳥は人影に木下の事を簡単に説明した。一瞬、人影はそんな情報はいらないよと言わんばかりに眉間に皺を寄せ雷鳥を見下ろした。けどそれも直ぐにほどけ、表情が穏やかになった気がした。気がしたというのは勿論、人影の目しから見る事が出来ないからだ。フードにマスク、そして顔にペイント。全て黒で統一されている為、気がしたとしか言いようがなかった。
「その冴木という同級生、どうするつもりかな」
「どうするって」
「このままじゃ殺されてかねないよね?」
確かにそうだ。だから弓弦に殺害を手伝うよう頼んだのだ。人影の問いに返答が遅れた雷鳥を見て、人影は言った。
「対策は既に用意されてるって顔だね」
雷鳥は頷いた。けど、雷鳥としては弓弦に冴木の手伝いをして欲しくはなかった。だから雷鳥は人影にその事を話した。
「なるほど。そうなんだね。けど人を殺すのって簡単じゃないんだけどなぁ。初めての場合は特にね。後は慣れて来たと思ってからも難しいんだ。ま、でも僕の言葉が正しいかどうかは、その友達に雷鳥君から話してあげたらいい」
人影はいいドアを開け中へと入って行った。




