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爆ぜる  作者: 変汁
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第十章 ⑤⑧

とんでもない事を口走りよった、と弓弦は思った。


例えば嫌な奴や、やってもない事を勝手に弓弦がやったと決めつける先生や、理不尽な怒られ方をしたりしたら殺しちゃるとか死ねやと思う時がある。でも実際に人を殺したりする人間は稀だ。


けれど今も鳴り続けているこの耳鳴りのせいで、これから先タイミングが悪ければ自分だって殺人を犯す可能性はないと言い切れる自信が弓弦にはなかった。


こうして話している今でさえ問題の耳鳴りは大きくなり続けているのだ。


殺人とは違うが、自分だって耳鳴りを止める為に生き物を焼き殺している。


それも自分が楽になる為にだけ必死に虫や爬虫類を捕まえている。


そうしないと耳鳴りが治る事はないからだ。可哀想だという気持ちは微塵もない。


寧ろこれで耳鳴りも治ると思い気持ちがスッと軽くなる。ホッともする。


反対にもしそれが出来なかった時、自分はどうなるかそちらを考える方が恐ろしかった。


未だ暴れ出しそうな昂る気持ちを感じただけで、実際に誰彼構わずに襲いかかるような所までには至っていない。


が、万が一、昆虫や爬虫類といった比較的捕まえ易い生き物を焼き殺しても耳鳴りが治らなくなるような事があれば、考えたくもないけど、自分は錯乱したようになり、最悪な場合、無差別に人を襲うかも知れない。


常にそのような恐れが弓弦の中にあった。地面から湧き出る水のようにその恐れは弓弦の心の片隅に今か今かとその時を伺っていた。


だから冴木が重信悠人の殺害に協力を求めて来た時、勿論、耳鳴りは始まっていたが、アホな事いいよるわと思った。


それは何故か?殺人は人生を賭けるほどのものじゃないし、絶対わりに合わないと思うからだ。


だが、次第と耳鳴りが大きくなるにつれて、弓弦は冴木と自分を重ね合わせて考えるようになっていた。


冴木の現実を思えば生きていくには辛すぎる。

学校内では虐められる前のように振る舞えと強要されているようだし、一歩、学校から出れば、仲間の筈のアイツらから壮絶な虐めに遭っている。


それ自体、酷いが、アイツらの質の悪さは冴木の身体についた痣や切り傷を見れば明らかだった。


奴等は敢えて服を着たら見えない箇所ばかりを狙って冴木を虐め抜いているのだ。


春や夏がくれば短パンTシャツを着る機会だってある。だから手足には傷や痣はない。


それは冬場に入った今でも同じようだった。自宅に居れば暖房などで薄着で過ごす事だってある。弓弦もそうだった。


家の中では春や秋に過ごすような格好をしている。パジャマだって一年中、薄手の物を着ている程だ。


つまり冴木が家の中で薄着になった事を考え、上半身に限定した暴力を振るっているようだった。


幾ら家の中だとしてもさすがにお風呂以外で裸になる事は考えにくかった。


それにこんな姿になるまで冴木は虐めを我慢しているのだから、家族にだって隠している筈だ。


アイツらがそれを予想していたとは思えないけど、それでも上半身だけを狙うというのは虐める側として考えてみると、ずる賢いとしか言いようがなかった。上半身なら薄着でもTシャツで隠れるからだ。


けど、と弓弦は思った。まだ半年以上先の事だけど、夏になるとプールの授業がある。


その時、冴木が授業を受ければ、冴木の身体の痣や傷を見たらその身に何が起こっているのか先生達も気づくだろう。


だがアイツらの事だ。それくらいの事はどう対処するか、多分考えていると思う。


もし自分がアイツらと同じグループなら冴木をプールの授業には参加させはしない。

そして警告し、冴木と同じクラスの奴に見張らせる。


実際、仲間の1人が冴木と同じクラスだった筈だ。栗林と言った名前だった気がするが、夏になればそいつが冴木の見張り役になるのではないか。


冴木に代わりにアイツらグループのリーダー格らしき古里の指示でプールの授業は見学しろと強要されるのは、痣だらけの上半身を見れば当然だ。おまけに乳首もないときてる


だが冴木は恐らく今日の虐めで、乳首を切断された事で、さすがに命の危険を感じたのだろう。このままでは殺されると思い、アイツらと決別を決意した。


けど、1対4ではさすがに勝ち目はない。だから冴木守親は考えた。


自分が虐められている事を知っている唯一の人間である血脇弓弦を仲間に引き込もうと。


弓弦が金木や古里達を毛嫌いしているのは虐められている事を自ら話した時に感じたに違いない。


全てを話す事で弓弦は、冴木にとって唯一アイツらの本性を知っている言わば理解者となるわけだ。


だから冴木は切断された胸の痛みを堪えながらも弓弦を探し、ある意味で待ち伏せするような形で運良く弓弦を見つける事が出来た。まさに冴木の執念が成しとげたと言えた。


そしてわざわざ、自分がされた非道な虐め現場を弓弦に見せる為、廃屋へと連れて来たのは2つの狙いがあったと思われた。


1つ目は、虐めの現場を目の当たりにさせる事。何故ならこの惨状をみて怒りに震えない人間はいないと考えられるからだ。


そしてもう1つの狙いは弓弦の同情を買おうとしていた為だ。この冴木の2つの狙いに弓弦はまんまと引っかかった。


弓弦の表情が苦悶に変わって行くのを、冴木は見逃さなかった。


そんな表情を見た冴木は今しかないと思い、自分の乳首を切った張本人である重信悠人の殺害を手伝って欲しいと誘った。


だが弓弦の苦悶の表情は冴木の思う所とは大きくかけ離れていた。確かに虐めの現場の惨状を見て怒りを覚えたし、許せないと思った。


けれどタイミング悪く耳鳴りが起きてしまった。


冴木とは早く話をつけなければならなかった。ダラダラといつまでも冴木にかまってなんかいられない。


これが通常な状態であれば、弓弦は冴木の話を断った筈だ。


だが耳鳴りにより激しく苛々が募る中で、弓弦は血飛沫が飛び散った虐めの現場を目の当たりにし、切られた冴木の両の乳首が壁にピン留めされているこの状況下では、断る事は、限りなく悪に近かった。


悪いのはアイツらだ。弓弦が生きるこの小さな世界にあって許して良い事と許してはいけない悪い事があるのだとしたら、アイツらの存在は間違いなく悪い事だ。


許してはいけないとなれば、その存在を無くすのが1番だ。自分が女王蜂を始末したように。その考えが弓弦の中で膨らみ始めた。瞬間、駄目だと自身の声を聞いた。殺すより虐められている事を大人に話し助けてもらう方がいい。もし自分が殺人を犯しそれがバレでもしたら爺ちゃんや婆ちゃんが悲しむに決まっている。父ちゃんと母ちゃんも同じだ。だからさっさと馬鹿な提案は断って生き物を探しにこの廃屋から飛び出すんだ。


そう言ってくる自分の中の意識に向かって弓弦はそうや、その通りやと何度か頷こうとした。だがそれ以上の力を持ってその意識を破壊する血脇弓弦が胸の中に存在していた。


それは耳鳴りと共に弓弦の中で強大な力を持って膨れ上がっていった。


その力が、刻々と時間が進む中にあって更に弓弦の苛立ちに拍車をかけた。何もかもが腹立たしくなっていった。


廃屋も壁に貼られた人形の絵も、この家にある古びた棚や食器類、綿が飛び出した茶色に汚れたせんべい布団、湿気で捩れた畳も天井に巣食う蜘蛛なども全て、粉々に引き裂き砕いてやりたかった。


そうしなければ、再び自分の下へ異形な姿の女王蜂がやって来る筈だ。そいつは常に自分を食い散らかしてやろうとその時を待っている。


弓弦の精神を支配し、肉体を思い通りに操ろうとその時を待っている。耳鳴りとは言わば女王蜂のカウントダウンだった。まるで女王蜂の復活を預言するようなトランペットの音色が耳鳴りと共に脳内に響き渡り始めた。


ヤバいわ、と弓弦は思った。これ以上、ここにいてはダメや。早く、生き物を捕らえて……その時、弓弦の前には、何となく見覚えのある顔があった。


弓弦はどんよりとした眼差しで上半身裸の生き物を捉えた。と同時に頭の中で響いていた預言の音色が鋭く鳴った。耳鳴りはより小さく、音色はより強く鳴り更に旋律を伴った。美しくより繊細なそれでいて悲しみを含んだトランペットの音色が脳内へ広がって行く。


頭蓋骨に反響した音色はやがて舞い降る粉雪が身体に触れ体温によって溶けるように弓弦の全身へ侵食していこうとする。それは弓弦にも理解出来るように直ぐに言語化されていった。


「カウントダウンは既に終わりへと近づいている。業火に身を投じねばならなかった我が怨嗟をこの場で晴らしてみせようぞ」


言葉が弓弦の全身へ広がると、見境ない暴力装置としての自分が体内から孵化しようとしていた。血管を破裂させ内臓を引きちぎり腹を食い破り始めていた。


だが、かろうじてまだ本来の弓弦が生きていた。女王蜂の呪いによって宙ぶらりんな弓弦の魂が、この身体の何処かに存在していた。


その弓弦が弛んだ口元から垂れていたヨダレを手の甲で拭った。早く1人になり生き物を捕まえ焼き殺さなければもう自分を抑える事が出来なくなる。


限界に近いと思われた。目の前の見覚えのある顔が何やら叫んでいた。


「行かんといかん」


その思いに隠された呪いへの抵抗の意味を、弓弦は雷鳥やヒヨリに見られる前に目の前にいる歪んだ顔に見られたくなかった。


雷鳥やヒヨリの2人にはいずれは話すつもりでいるが、それは今ではなくまだ先の話だ。


だが友達でもない存在なんかに、このままおめおめと見られてたまるか。


これ以上、自分の秘密を知られる事も見られる事も弓弦は望まなかった。


だから命懸けで女王蜂の呪いに抗おうとした。

なのにまだ、目の前の歪んだ存在はワシの目の前に立っている。


変貌しつつあるその姿を見る権利を、こいつに与えてしまいそうだった。その機会を与えそうになっていた。それが弓弦には腹立たしかった。


だから弓弦は殺人の協力を求めて来た冴木に対し、震える声でこう返した。


「ええか。ワシは絶対に手は出さん。やるんはお前や。実際にお前が重信をどうやって捕まえ何処で殺すんか知らんが、お前が重信を殺すまではつきあっちゃる。けど、もし重信を殺したとしても死骸の片付けはお前1人でやるんや。ワシは知らん。正直、人殺しになんか関与しとうないけぇの。お前にそれが約束出来るんなら、ワシはお前の提案に乗ってもええぞ」


弓弦はいい、歪んだ存在を横手で払った。床に散乱している食器の欠片を蹴散らし踏み潰しながら勝手口へと向かっていった。


眠くなる時のように瞼が重く感じられた。次第に目にしている物の実態が薄れて行く。


弓弦の両の瞼が閉じられようとしていた。そのせいで弓弦が、目にしている物が歪んで見えたようだった。


弓弦は酒に酔った人のように、頭をくの字に下げ、身体を左右に揺らしながら勝手口へと向かった。


冴木はそんな弓弦をみても口は出さなかった。いや余りの弓弦の豹変ぶりに足が震えて身動きが取れなかったのだ。


そんな弓弦はゆっくりとだが背虫男のように身体も曲がり始めていた。


皮肉な事にその姿はまるで弓弦が焼き殺した女王蜂の姿に似てきていた。


だが女王蜂と違い弓弦には羽がないせいで生き物を捕らえる為に外へと飛んで行く事が出来なかった。


ズズズと足を引き摺りながら何とか勝手口から出た弓弦はズボンのポケットから100円ライターを取り出した。


そしてそのまま地面へと突っ伏した。片手を使い、地面に爪を立てた。土を引っ掻き雑草を握りつぶした。


何だっていい。生きている物ならば文句は言わない。喘息のような掠れた呼吸をしながら、弓弦は地面を這った。


弓弦はその状態のまま100円ライターを点火した。炎を立て側の雑草へと火をつけた。


自分が本来あるべき本当の姿を取り戻す為への、言わば賭けでもあった。だが賭けに出る程、今の弓弦には体力も知力も決定的に足りていなかった。


だから廃屋の裏手の辺りに生息している生き物を一刻も早く捕まえたかった。


だがこの身体では到底不可能に近かった。だから弓弦は手の届く範囲へ火をつけたのだ。


火をつけたせいで、炎が広がってしまい周囲を焼き尽くそうが、関係なかった。生きた物を焼く事でしか女王蜂からの呪縛から逃れられないからだ。


炎は弓弦の頭上から半円形を描く形で広がった。弓弦の願いは強く、そして生き物が死ぬ可能性がある限り炎の力を信じた。諦めなかった。だがそれは風鈴のように脆く儚かった。


女王蜂のカウントダウンは終わりに近づこうとしていた。弓弦は100円ライターの火を付けたまま、その場で気を失った。

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