第八章 ④①
「人に優しい世界を目指して私達は活動しています」
政治団体かもしくはNPO団体か宗教団体かは知らないが、10名の男女が駅前で整列していた。
その後ろに設けられた壇上の中心には40代と思われる女性がマイクを握りそのような事を述べていた。
壇上の前で整列している10名とマイクを握る女性は共に黄色のトレーナーを着込み、首にはピンクのスカーフを巻いていた。
両端には男性2人が立ち、まるでその2人が挟んでいる人間を守るかのように幟を持ち真剣な面持ちで正面を真っ直ぐに見据えている。
挟まれた残りの8人は行き交う人々へ演説の邪魔にならない程度の声で通り過ぎる人達へ必死にビラを配っていた。
誰も受け取らないが、8人はめげる事なくビラを手渡そうとその手を止める事はしなかった。
駅中へ向かう殆どの人が耳にイヤホンをしており、ビラを配る8人の人間や壇上の女性の声をあからさまに遮断している。
列の手前寸前で、わざわざイヤホンを装着する者もいた程だ。
それはきっとその人物のいつものルーティンなのだろうが、周りから見れば演説を遮る為だと思われても仕方のない動作だった。
中にはスマホから目を離さず列の前を通る際に、ビラを持った手を払いのけるサラリーマンもいた。
蓬原ヒヨリはその光景を少し離れた場所のガードレールに寄りかかり眺めていた。
ヒヨリの目にはその団体の人間が通常に映り、頭の中ではこの場で全員が業火に焼かれ苦しみ死に翌日の死亡者としてヒヨリの中でその数がカウントされていた。
代表と思われる壇上に立つ女性の言葉はヒヨリには全く響かない所か耳にすら入って来なかった。
当然のように両耳にはイヤホンが押し込まれ、大音量で音楽が流されていたからだ。
しばらくの間、見ていたが誰一人立ち止まり話を聞こうとする者はいなかった。
この人達が掲げるスローガン、恐らくそうだろうが、その言葉が幟に書かれているが今のこの状況はまさにその言葉からは乖離したもののように思えてならなかった。
「取り戻そう。笑顔を。あなたの未来はここにある」
朝の忙しい時にこんな事をしている時点で、ここにいる人達の笑顔を奪っているのがどうしてわからないの?
ヒヨリは誰にでもなく呟いた。
そしてもたれた身体を起こし、その場から立ち去った。
団体名がわかったからだ。
「葉の雫」
これが今、駅前にいる人達の所属する団体らしかった。何故、それがわかったかと言えば、Bluetoothのイヤホンから爆音で流れていた音楽が丁度終わった時に、ヒヨリの前を通り過ぎて行った2人の主婦らしき人達の会話を耳にしたからだ。
その言い方は今、この場所にいる「葉の雫」の人間以外の人達の気持ちを代弁するかのように刺々しいものだった。
全ての会話を聞き取れた訳ではない。けど、この「葉の雫」という団体は最近、あちこちで目にするらしく、その数も次第に増えているという。
どうやらそのような噂があるらしかった。その殆どが未成年や若者で、その数もかなり多いようだ。
確かに列を作っている人達の中には、見るからにヒヨリより年下の女の子もいた。
そんな子がどうして朝からビラを配るような団体に所属したりしたのだろうか。予想した年齢があっているならあの女の子は大学に行くか専門学校に向かっていてもおかしくない。
社会人なら尚更だ。女の子は、講義前に手伝っているか、仕事なら休みという可能性も考えられた。
もしそうなら家でゆっくり出来る時間をどうしてふいにする?その気持ちが理解出来なかった。
それだけで「葉の雫」を知るには充分だった。
もし私が代表なら1人で街頭に立つ。会のメンバーの手を煩わせるような事はしない。
例え休日であっても。休日ならそれを自分の為に有効に使って欲しいと私なら思う。
でも「葉の雫」のメンバーは違う。何を差し置いても会の為になる事=自分の為と捉えているのかも知れない。それならば集うのは容易い。
「葉の雫」のルール、もしくは教義、戒律、何でもいいがそれらがどのようなものかは私は知らない。ホームページはあるのだろうか。
一つ屋根の下で寝泊まりしているのだろうか。その実、宗教団体に見せかけたねずみ講の類なのかも知れない。それは捨てきれなかった。
そこの辺りは活動拠点などは追々調べればわかる事だろう。けどもし一つ家の下で寝食を共にしているのであれば、それはヒヨリにとってはとても悍ましく思える事だった。
父とだって同じ空間にいると考えるだけで鳥肌が立つのだ。ましてや幾ら大好きな彼だとしても一緒にいるのは長くて3日が限度だった。
3日目ともなると生理前や生理でもないのにイライラが止まらなかった。
同じ空間にいる事自体、腹立たしくてやたらに突っかかりもした。そんな私に辟易して向こうから別れを告げて来た男は何人いるだろう。
でもその度に私は心底ホッとした。けれど高校3年の時の彼からフラれた直後、ある感情が私を襲った。
それは途方もない悲しみと寂しさだった。わかっている。原因が私にある事自体わかっていた。
でも、別れを告げられた後に起きた感情に混ざり、私の体に異変が起きた。
グツグツと煮えたぎったマグマなような物が私の胃の底に現れ出て私の身体の内部から幾度も爆発し噴き上がろうとした。
私の内から私の全てを、毛穴という毛穴から穴という穴から噴火しようと試みていた。
私を焼き殺そうとしていた。私は足掻き、もがき、悶え、全身を掻きむしり髪の毛を引きちぎり、シャーペンで腕を刺し貫きながらそのマグマの活動に抵抗しようと必死に争った。
それほどまで私を苦しめるマグマの正体が、究極の絶望だったのかとその時初めて気づいた。
もし中学2年の夏のあの日の前に、私の中にマグマが息を潜めていると知っていれば気づ私は初めて自分から告白などしなかっただろう。
でも当時の私がこの絶望を知る筈もなく、私は大好きになった男子に告白し春から付き合い始めた。
後から知ったのだが、その元彼はセフレにするべく私の告白を受けたようだった。
学校からの帰り道、私がその男子に告白すると言った雷鳥や弓弦に止められた。良い噂を聞かないからだと。そう言って散々止められた。
けど好きという衝動を私は止める事が出来なかった。だから私は私の気持ちに正直になり、告白した。
けどまさか最初からセフレの立場にされるとは考えもしなかった。恋は盲目とは良く言ったものだ。
私は周りが見えていなかった。誰の言葉も耳に入らなかった。忠告は私の心にかすり傷さえつけられなかった。セフレにされたなんて私は全く気づかなかった。その挙げ句、飽きられて捨てられたのだ。
初めて告白した男子の性癖に応えられなかったからだ。中学2年の男となれば、性的に興味がある事は全てやりたがるのは当然だ。
でも私はそれを受け入れなかった。それに腹を立てた元彼は私の髪の毛を鷲掴み顔面に拳を打ち付けた。脳が揺れ目の前の景色が歪んだ。
鼻から生暖かい物が垂れて行くのがわかった。口の中が裂け血の味がした。そして鷲掴みにされた私の長い髪の一部を元彼はカッターナイフを使い、ジリジリっと斬り落とした。
今に思えばその時。既にに私の中にマグマが生まれ始めていたのだろう。けれど私は気づかなかった。
殴られても大好きな相手だから絶望なんてしなかった。許してと懇願した。望むようにしていいからと。
だがその元彼は裸の私に唾を吐き掛けると部屋から引き摺り出し階段から蹴り落とした。
激しい音と衝撃を伴って私は石ころのように階段から転がり落ちた。
その音でリビングから誰か出て来た気配を私は感じた。元彼の母親だった。
母親は一階の床の上で裸で呻いている私を一瞥した後、2階から投げ捨てられた私の制服や下着、靴下などを拾い集めるとそれを裸の私の上に置くと「早く帰って」といいリビングに姿を消した。
悔しいのはその時初めて生み出されただろう私のマグマは元彼に対しては憎しみの象徴ではなかった事だ。
もしそれさえ気づいていればこの手で復讐出来たのなや当時の私はただ馬鹿な女で大好きな人にフラれたという絶望感に浸っている事しか出来なかった。
ひたすらに悲しみのどん底に落ちていた。切られた髪の毛は自転車で転び、髪の毛がタイヤに絡んで引きちぎれたと雷鳥と弓弦、そして女友達には説明した。顔の痣も同様だった。
父はと言えば、私の怪我のその理由をドアの向こうから尋ねて来た。だから私は私がノートの切れ端に理由を書き殴り、翌朝、リビングのテーブルに置いて学校へ行った。
学校から帰って来た時、父からの手紙がご丁寧にも便箋に入れられた状態で部屋のドアの隙間から投函されていた。
この時、父は私の嘘の怪我について何て言うのか気になり、私は父からの手紙を初めて開封し目を通した。
「不運だったね。今後は気をつけなさい」
これだけだった。けど、やっぱり私の父だと思った。
それ以降、何度か父が手紙を入れて来たが私は2度と読む事はしなかった。
その代わりと言ったら可笑しいが、黙った手紙を焼く前に何故か弓弦にだけ読ませた事があった。
読んだ弓弦は手紙の内容も、何故自分に読ませたのかという問いも、私の父に対する意見も何一つ言わなかった。
ただ小学生の時のように無言でライターを取り出し便箋に戻した手紙を私の目の前で燃やした。
そして川へ捨てたその手で黙ったまま私の手を握った。握られた時、思わず涙が出そうになった。
けど、同時に弓弦の手が恐ろしい程、熱くて私は涙をこぼす前に「熱い!」と怒鳴り弓弦の手を振り解いた。
その時、どうして弓弦の手が異常なまで熱かったのか、私がその理由を知ったのは数ヶ月後の事だった。
私を殴り髪の毛を切り階段から蹴り落とした元彼が鬱蒼と生い茂った河原の草むらの中で裸の姿でキャッチボールをしていた近所の小学生に発見されたのだ。
たまたまその小学生の相手が悪送球しなければ、元彼は野垂れ死んでいたかも知れない。
発見当時、元彼は手作りらしき樹の十字架に縛りつけられた状態だった。
全身の毛という毛は焼かれた状態で皮膚も焼け爛れていた。特に顔面は酷かったらしく、瞼は完全に溶けてなくなっていたようだった。
口の中には声を上げて助けを求められないように雑巾が押し込まれおり、尚且つ猿ぐつわのように縄で口が縛られていた。辛うじて息はあり、命に別状はないらしかった。
そんな元彼の発見当初の状況を耳にした時、私は瞼が焼け溶けて無くなるまでどれくらい時間がかかるの?と呑気に思った事を覚えている。
松明みたいなものを押し付けられたのか、それともガスバーナーみたいな物だろうかなどと。
そんな呑気な私の気持ちは、吹っ切れた証でもあった。フラれて数ヶ月も経過した後ではさすがに私の感情が乱れる事はなかった。
その平静さは、やがて私の思考を元彼を襲った犯人に向けられた。だがそれはあっさりと答えが出た。
誰がやったかなんて私には簡単にわかった。でも私はそれを犯人に向かって尋ねる事はしなかった。
あの時、犯人の握った手の熱さを知っていれば、知っている者だからこそ尋ねるなんて事は出来る筈がなかった。
そのような経験をしたにも関わらず私は私から好きになった相手にフラれると、今でもそのマグマが目を覚ます。
究極の絶望が私に襲いかかるのだ。そうなるとフラれた直後は私は生きること自体を放棄したくなる。
だから私はその究極の絶望に対抗する為に、代わりの死者を立てた。私という設定で毎日のように死者の数を数えた。
都内だけでも毎日沢山の死者が出てるのに、実際、それ程の死者と同数の男性と私が恋に堕ちるなんて出来やしないけど、数えずにはいられなかった。
私の内部を業火で炙り毛穴という毛穴からマグマが噴き出し私を殺さない為にも、私は私という身代わりの死者を立てる事で恋に崩れる自分を救いたかった。
その準備も怠りたくなかった。だから私は毎日死者を数えていた。その死者全員が私だからだ。
けれど時は社会や価値観、景色までも変えてしまう。私もその例に漏れる事はなかった。
私はいつしか変化をし、恋から遠ざかり、私は私から男性を好きになる事は無くなった。
だからマグマは究極の絶望を私に与える事は出来なかった。代わりに呪いのように今でも私は死者を数えずにはいられない。
社会人になって少なくない男性から告白され付き合って来たけど、増えるのは身代わりの私の死者の数だけだった。
その死者数の中にあの団体の連中が含まれれば良いのにと私は思いながら歩いていると、いきなり悲鳴が聞こえた。私は足を止めた。
振り向くと「葉の雫」の列をなす1人に向かって誰かが大声をあげていた。
そもそも社会というのは組織で成り立っているし、会社や部署もその組織団体と言ってもおかしくない。
学校だってそうだ。あの子達のように新たな団体に入るなんて気がふれているとしか思えなかった。今、そのメンバーと争っている人はきっとその子の親か知り合いなのだろう。そうなる気持ちは私にわからないでもなかった。更に激しく掴み合いを始めた「葉の雫」のメンバー達を眺めながらヒヨリは思った。
そんな彼等からしたらヒヨリはある意味敵のようなものだし、ヒヨリから見たら理解出来ない団体の人間だった。そんな奴らは派出所などの前に掲載されている昨日の都内の死亡者の欄にただの数字として書かれている数の中に含まれてしまえと思える人達だった。
ヒヨリは争いのどさくさに紛れてチラシを奪った。それを急いでポケットに入れ、振り返り壇上の上に立つ人物を見上げた。そのおばさんは争いを止めるでもなく慌てるでもなく、まるで無関係者のように傍観していた。
やっぱろくでもない人間だよ。そう思ったヒヨリの視線を察したのか壇上のおばさんがヒヨリの方へ振り返った。見下ろすとヒヨリに向かって満面の笑みを浮かべている。
「信じられないかも知れませんが、貴女の幸せはここにあるのです」
マイクを通して語られた言葉は争いの喚き声に掻き消された。だがヒヨリの耳にはしっかり届いていた。
ヒヨリは[あんた死ねよ]口パクでいうと、スマホをポケットから取り出した。そして未だこちらを向いている「葉の雫の」代表であるおばさんの顔を写真に撮った。
ネットで調べれば直ぐに出てくるだろうが、ヒヨリはおばさんの動揺する姿が見たくてそのような行動に出たのだったが、全く無駄だった。争いを前にしても、おばさんは馬鹿みたいな笑みをヒヨリに向けていた。




