第七章 ③②
朝、教室に入ると皆んなが騒めきたっていた。
「何かあったの?」と少し緊張しながら近くにいた女子に雷鳥が尋ねるとその女子は「また、放火やて」とそっけなく答えた。
一瞬、何の事かわからなかった雷鳥だったが、直ぐに、昨夜、確かにサイレンを耳にしたような記憶があった事を思い出した。
こういう事は朝の時点でお母さんなりお父さんなりの会話から情報を得るものだけど、生憎、最近は2人とも家には帰って来ていない。先週の木曜日、お母さんは突然、沢山の冷凍食品とレトルトを買い込んで来ると、雷鳥にご飯の炊き方を教えた後、数万円の現金を手渡し「お母さんはしばらくお婆ちゃんの所に帰るから」と言って、キャリーバッグを持ってそのまま家から出て行った。お父さんの方は恐らく浮気相手の女の人の所にいるのだろう。
2人が帰らない日がしばらくした後、お婆ちゃんの家に電話をかけてみた。お父さんに浮気されたお母さんの事が心配だったからだ。
けど、電話に出たお婆ちゃんは、雷鳥の言葉にびっくりしたようだった。
「え?雷鳥ちゃん、お母さんはここには来てないよ?」と言った。
瞬時に雷鳥は、お母さんが自分に嘘をついた事を察して、「あ、ごめんなさい。お父さんのお婆ちゃんの方と間違えちゃった」と誤魔化した。
その嘘が上手く行ったかはわからないけど、とりあえず電話の向こうのお婆ちゃんは、雷鳥のついた嘘を気にする風には感じなかった。
電話を切った時点で、雷鳥はお母さんもお父さんと同じ事をしているのかも知れないと予想を立てた。それが当たっていようが外れていようが、直接、雷鳥の身に災いが降り注ぐわけでもなさそうなので、しばらく放っておく事にした。
ただ食材とお米が無くなった場合は又、話は別だ。それらが無ければ自分が生きていけないから。
そんな雷鳥の不安を悟ったかのように、ある日の夕方、学校から帰宅すると宅急便が玄関の前に置かれてあった。送り主の欄には夢乃未来と記入してあった。夢乃とはお母さんの元の苗字だ。
その名前で送って来る事がどういう意味なのか雷鳥には直ぐ理解出来た。
離婚という言葉が頭を過ぎる中、雷鳥は玄関を開け扉を足で押さえたまま荷物を持ち上げた。中に入り、靴を脱ぎ捨てるとそのままリビングへと向かった。
「お父さんとお母さんが離婚したらこの家はどっちの物になるんや?」
そんな考えが頭に浮かぶ。雷鳥としては慣れ親しんだこの家から他の場所へなど引越したくなかった。
それには血脇弓弦という友達と、新たに出来た友達、蓬原ヒヨリという女子の存在が大きく関わっていた。
万が一引越した先でも今の小学校から転校せずに済むかも知れないけど、それでは学校が終わった後にあの山に行くのが大変になる。
他にも山はあるにはあるけど、雷鳥はこの家の近くにある山が好きだった。理由を言えと言われたら言葉に困るけど、雷鳥が好きなあの山は、とても綺麗に整備されその頂上には切り開いた公園があり、管理する事務所もある。
健康の為にウォーキングのルートにこの山を選んでいる老人達も多くいた。けど、雷鳥はこの綺麗に整備された山が好きなわけではなかった。
綺麗な場所の裏に別な何かを感じ取っていた。
その理由は女子達の話す会話の中身とさして変わらなかった。
「この人、イケメンやけど、絶対性格悪いわ」
「美人はいつも周りからもてはやされて、直ぐ調子に乗るから性格悪いって決まってるよ」
雷鳥があの山に感じるものはこのような女子の根拠のない雑談程度の感覚に過ぎなかった。
けれど、絶対にあの山には何か、言葉にするなら、おぞましいとか、嫌な雰囲気が醸し出されていると感じていた。それは未来なのか、現在なのか、過去の話なのかはわからない。けど、その感覚が雷鳥の気持ちを昂らせ日課のようにあの山へ向かわせていたのだった。
当初の目的は枯葉集めだった。未だジッポライターのオイルを手に入れられていない為に、代用品の100円ライターを使用し、枯葉を燃やす事でジッポライターを使えていない鬱憤を枯葉にぶつけていた。火をつけるのが100円ライターのせいで、あの日の深夜の事は明確には思い出絶対なかった。枯葉に広がる炎があの人から貰ったジッポライターでつけたものなら、あの人とのたった1度の僅かばかりの出会いを一言一句鮮明に思い出せる筈だ。
それ程、雷鳥にとってあの夜は特別な物だった。
そんな思いを1人心の中へ押し留めながら、夢中になって枯葉を拾ったりしていると、ふと自分を取り囲む山の空気が一気に下がったように感じた。このように感じるのは1度や2度じゃなかった。
振り返ると誰もいないが、雷鳥が振り返るまでは、見知らぬ老人がそこに立ち、今にも雷鳥の首を絞めようと隙を伺っている、そんなおどろおどろしさがこの山からは感じられた。やっぱりこの山には何かある。ただ整備され、綺麗で登山する人やウォーキングコースになっているだけじゃなかったのだ。この時ばかりは勘違いや気のせいという気持ちは雷鳥の中には微塵も存在していなかった。
背筋がゾクゾクっとした。鳥肌が立ち始めたのもわかった。雷鳥が生まれるずっと前に、もしくはこの先の未来でこの山で何か恐ろしい事が起きた、起きるのではないかと、考えてしまう程、その怖気は雷鳥を怖がらせ、それ以上に高揚させた。何かが山にいる。絶対にいる。雷鳥は集めた枯葉をゴミ袋に詰めて、ゆっくりと立ち上がった。誰かに見られている気配はない。だが、やはり何かがいるように感じられた。その感覚は動物の類じゃないと告げていた。
だからこそ雷鳥は山に近いこの家から出たくなかった。それにここからなら弓弦の家までもそんなに遠くない。自転車ならあっという間だ。だからこの家がどちらかの所有と決められた時点で、雷鳥はこの家の持ち主の方と一緒に暮らす事を選択しようと思った。
特別、お父さんの事もお母さんの事も嫌いじゃない。
けど、弓弦やヒヨリのように2人の事が大好きでもなかった。
それに予想に反して、雷鳥自身、弓弦以外に仲良しで大好きな友達が出来るとは思ってもいなかった。それも相手は女子だ。どの学年の時もあまりに緊張する為、極力、女子と話す事を避けていた雷鳥だったが、ヒヨリの雷鳥の気持ちの事などお構いなしな接し方でれいつしかヒヨリと会話する事に緊張も抵抗も無くなっていた。
丁度、そんな関係性が出来上がって来た頃、ヒヨリの方から弓弦に話しかけるようになった。給食の時はさすがに他の女子と食べてはいたけど、ヒヨリとしては僕ら2人と一緒に食べたがっていた。でもそれをすれば、さすがに厄介な事が起きるからと僕らと一緒に食べる事だけは堪えていたようだった。
帰りはヒヨリ1人が逆方向だったから、河原で待ち合わせて遊んだり、僕と弓弦がヒヨリの自宅がある町の方に出向いて何をする訳でもなく、3人でブラブラしたりした。
そんな時だった。いきなりヒヨリが僕に
「ライター貸して」と言って来た。
どうしてヒヨリが僕がライターを携帯している事を知っているのかが不思議でならなかったけど、僕は言われた通り、ライターを取り出す為、ポケットに手を突っ込んだ。その時、弓弦の厳しそうな視線を感じたが、既に遅かった。雷鳥はヒヨリにライターを手渡していたのだ。
「ライターなんか持って何するつもりや」
まだヒヨリに対して雷鳥より打ち解けていない弓弦が、棘のある口調でヒヨリを問いただした。
「燃やすに決まってるじゃん。ライターの使い道なんて火をつける以外、何かあった?」
一本取られた感のあったヒヨリの言葉に弓弦は少し嫌な表情を浮かべた。
「まぁ、それ以外の使い道があったら教えて欲しいくらいや」
「ないよね」
ヒヨリはいい、川の側に腰を落とした。そしておもむろに肩から下げた毛糸のポシェットから何かを取り出した。束ねてあるのを見て、雷鳥は直ぐにそれが手紙だと気がついた。そのどれもがまだ開封されていないようだった。
「中は見んでええん?」
「見る価値もないから」
ヒヨリはいい、束ねた手紙を僅かに持ち上げ、四隅の角の下から火をつけた。
「言葉を燃やせば、それを伝えて来た奴も一緒に燃えてしまえばいいのに」
ヒヨリは燃える手紙の束を摘みながらそう言った。摘んだ指に炎が届くギリギリまで待ち、そしてそれを川へと放り投げた。
ヒヨリの放った独り言に、まだ不満そうな顔を浮かべていた弓弦のその表情が僅かだが崩れた。
弓弦はヒヨリのその言葉にヒヨリ自身の中にある何かを感じ取ったのかも知れない。
「そのライターやるわ」
ヒヨリの背中に向けて雷鳥が声をかけた。
「これ?」
振り返るヒヨリに頷いて見せる。
「そのライター、理科室で拾ったものやし、僕は自分のライターがあるけぇ」
「そ。なら遠慮なく貰っとく。けど、弓弦はどうなの?」
「どうなのって何がや?」
「自分のライター持ってんの?って事よ」
「当然や。ヒヨリは知らんやろうが、ワシは自分のライターでスズメバチの巣を退治したんや」
「へー。やるじゃん。弓弦」
ヒヨリが立ち上がり、僕と弓弦の真ん中へ陣取った。ヒヨリはまるで僕達のリーダーになったんだと言いだけに僕達2人の肩に両腕を回し、
「ねぇ?火って凄くない?何かが燃えていくのを見てると、私、なんかワクワクするんだよね」




