第六章 ②⑨
私の転校初日に病欠していた堀籠朱音が登校して来たのは、それから四日後の事だった。
私はどうやって堀籠朱音に声をかければいいか、悩んでいた。
堀籠朱音といえばトイレ以外は席を立たないし、授業と授業の僅かな休憩時間となると決まって誰かしらが堀籠朱音に勉強の事を教わっているようだった。
堀籠朱音は頭が良いって事は他の女子から聞いていたから、そのような生徒がいてもなんら不思議ではなかった。中にはそこに男子も混ざっている時もあった。
そうでない時、つまり誰一人堀籠の側へ行かない時は、殆どなくあるとしたら、ほぼ給食の時間だけだった。
その給食の時間に私が見た光景はまさに異常と言える程のものだった。それは幾人もの生徒が堀籠朱音に勉強についてわからない事を聞きに行く癖に、誰1人として堀籠朱音を給食を一緒に食べようと誘う生徒がいなかったのだ。
それがとても不快で不思議だった為、私は給食を共にする女子になんの気無しに尋ねた。
「堀籠さんっていつも1人で食べてるの?」
「うん。堀籠さん、頭は良いけど、ちょっと変わってて」
向かい合わせの女子が少し私に顔を近づけた。
「堀籠さんは幽霊とかが大好きで、いつも怖い雑誌持って来とってな、給食食べながらその雑誌を読んだりするんよ。今は勉強でわからない事があると教えてもらったりする子もいてるけど、五年生になった最初の頃は、いつもニヤニヤしてたから変な人だって事で誰も寄り付かなかったんよ。怖い話の事を思い出して笑ってたみたい。けど東京に転校した柏木さんが、堀籠さんに勉強を教わるようになってからは徐々に他の生徒も話しかけるようななっていったんよ」
「へぇ。そうなんだぁ」
私に顔を近づけていた生徒がうんといい、姿勢を正した。
「その転校したって子、私が座ってる席にいた子であってるよね?」
「うん。柏木雫って女子。なんか親が東京に家を買ったんだって。だから東京に転校して行ったんよ」
「その柏木雫って子も、変わっていたの?」
「普通だったかなぁ。ただ、やたらに堀籠さんにつきまとってた」
「付きまとう?」
「うん。勉強教えてほしいって。堀籠さんも最初は断ってたみたいだけど、柏木さんの余りのしつこさに根負けしてちょいちょい教えてあげるようになって、それからしばらくしたら2人で一緒に給食食べたり、一緒に帰ったりしてたけど、堀籠さんの事件の後、堀籠さんは施設で暮らすようになったから、それからは図書室で勉強してたりしたみたい」
「2人は仲良かったんだね」
「うん。そうなんよ。けど、堀籠さん、柏木さんが転校した後からは誰かと一緒に給食を食べるって事はなくなったかなぁ。皆んなから嫌われてるからって事じゃなくて、多分、柏木さんのように話しかけられないからだと思う」
「話しかけられない?それってどういう意味?」
「勉強でわからない箇所があって、それを堀籠さんに聞くのは平気だけど、他の話題となるとやっぱね。何を話して良いかわからないんだと思う。それに元々、堀籠さんは変な人だって印象が強いからそれなりの話題や目的がないと側に行けないんよ」
「堀籠さんってモデルやってるんでしょ?なら話題はファッションの事で良くない?」
「私達、蓬原さんみたいに詳しくないから、それも無理なんよ」
「私なんか全然」
そう返事を返しながら、頭の中では、あんた達こそ知らな過ぎと思った。
なるほど。なら堀籠朱音に近寄る為の話題はファッションの事でいいのかと私は思った。
正直、今となっては私の前で給食を食べていた女子の顔も名前も思い出せない。
けど、不思議とこの時の会話だけは良く憶えていた。きっと私が堀籠朱音に話しかけるきっかけとなったからかも知れない。
それとこの時、堀籠朱音の事件というのが何なのか物凄く気になりはしたが、それはこの子に聞くのは違う気がした。
堀籠朱音の負の歴史を突っついて陰で笑うような真似をしたくなかったという事も、私の中にあったのかも知れない。
とにかくこの時も、その後も女子から堀籠朱音の事件について聞く事はしなかった。
私が、その事件とやらを聞いたのは小野乃木雷鳥からだった。
勿論、しつこく尋ねて何とか吐かせた感じにはなってしまったけれど。
当時から感じていたが、本当に小野乃木雷鳥は口が硬い。
私には女子から聞けば良いやろ?と言い続けた程だったし。それでも私は諦めなかった。
意地でも雷鳥の口から事件の事を聞き出してやりたかった。
ムキになっていたのは間違いないけれど、気になる事に対しての私の異常な程のしつこさは、この時、既に完成していたのかもしれない。
とにかく私は、雷鳥から事件のあらましを聞いた後で、堀籠朱音に話しかける事にした。
渋々といった感じで話してくれた雷鳥によると、授業参観日に酔っ払った父親が乱入し、堀籠朱音を殴ったという。
その話を聞いた時、私は自分の耳を疑った。
何故なら我が子への虐待というものは、滅多に他人の目がある場所、つまり公共の場では行われる事は先ずないからだ。
勿論、世の中にはそれを想起させる親はいる。例えば泣いている子供を怒鳴りつけたあげく、その場に置き去りにして自分だけさっさと行ってしまう親なんて、東京で暮らしているとざらに目にする。
このようなタイプの親が100%家中で子供を虐待しているという事はないのだろうし、その確証も私にはない。
が、そうだとしてもこのようなタイプが虐待しないとは言い切れなかった。
寧ろ、虐待により近しい人間であるのには間違いない筈だ。
堀籠朱音の父親がこのようなタイプでないのは、堀籠朱音にとって幸運としか言いようがなかっただろう。
命に関わるような状況に陥る前に施設に引き取られたのだから。
にしても母親は?と雷鳥に聞いたら、知らないとつっけんどんに返された。
又、隠しているつもり?と思ったが、本当に知らなかったようだった。
それは他の女子も同様だったから、雷鳥が知ってて隠していたという事はなかったのだ。
堀籠朱音の母親について知っている者はいなかった。あくまで噂の範疇という事でなら、母親は堀籠を見捨て他の男のもとへと去って行ったという。
けれど話もそこまで来ると私は飽きてしまっていて、どうでも良くなった。
何故なら、とりあえず堀籠朱音は無事に生きているという事が事実として私の側にあったからだった。
こんな私でも、今と違い当時は他人の生存を思いやる気持ちくらいあったのだ。
今はその真逆な気持ちが私の中で色濃く染まっている。
死者数を知り、それをノートに記帳するほど他人の死が私を安心させてくれるのだ。
何故なら、その死者数の中には必ずアイツが含まれていたからだった。
そして死者数を知る事で、私は昨日もアイツは死んだんだ、一昨日も、先一昨日もアイツは死んだんだ。
絶対にアイツは生きていない……
私は名前すら載らないただの記号としての死者の数字を数える事で、私の中のアイツの生存と折り合いをつけていたのだった。
その為には、この数字は私にとっては大切で重みのある記号だった。




