自分の言葉で
「ユナ、またAIサポート切ってんの?」
話しかけてきたのはミナ。私の親友だ。
「うん、思考を邪魔されたくないからね」
AIの急速な進歩により、AIが人間を超えたと言われるようになって十数年。今や社会を見渡せばAIの補助を受けない機器は無くなっていた。代表的なもので言えば体に埋め込むAIサポート機器。私たちの思考を補助するという目的で現代では多くの人が利用している。
実際のところ、私には考えを支配されているようにしか思えない。まあ、そんなこと周りに言えるわけもないけど。
「またそんなこと言ってー」
あ、ミナにだけはそれとなく言ってある。ただ、私が本気だと思ってないのか、いつも冗談めかして笑う。
「そろそろ授業だよ」
「もうそんな時間? 休み時間みじか」
「ほら早く、遅れるって」
私は読んでいた本を本棚に戻し、急かすミナの後を追う。図書館から教室までは歩いて5分くらい。ちょっと遠い。でも、
「走れば2分!」
「行けー!」
爆速で辿り着いた私たちはギリギリで授業に滑り込み、恥を晒さずに済んだ。
サッと素早く席につき、教科書を取り出し、何事も無かったかのように授業の準備を整える。
お偉い科学者や世間の予想では、AI技術の進歩は人間の社会を根本から覆すと思われたが、現実はそうはならなかった。AI技術は私たちの日常に、さも最初からそこにあったかのように入り込んできた。つまり、パッと見の風景は昔から変わっていない。
AIの知能は高くなったけれど、最低限の人間は必要だってことになって、労働もなくならず教師も相変わらずいる。ちょっと仕事は減ったみたいだけど。
「じゃあ今日は117ページからだな。それじゃ、各自AIに従って問題を解きなさい」
私はうんざりするほど聞き慣れたAIの音声に従い、教科書の問題に取り組む。AIサポートによる個別学習プログラムは今日も完璧。私が詰まれば上手く教えてくれるし、理解が足りなければ視界にもアクセスして図付きで説明してくれたりする。
すごく便利で迷惑なこれは、私たちが生まれた時からずっとある。だからAIがない生活なんて想像できないし、そんな生活があったって考えもしなかった。
ぼんやりと問題を解き続けていると、授業のチャイムが鳴った。
やば、何か聞き逃したかも。
「〜は共有ドライブに提出しておいてなー」
私は会話ログを開き、聞き逃した連絡事項を確認した。AIのこういうところはすごく助かってるから、ずっと切ってるわけにもいかないのが辛いところ。
「ユナー」
「どうした」
「安藤くんがね、放課後屋上来て欲しいって」
「は? 安藤くん? 屋上?」
「そう、告白かな?」
安藤くんはミナの隣の席で、ミナとも割と仲が良いから伝言を私に伝えるよう頼んだんだろう。自分で言えよ。
放課後は次の授業の後だからあと小一時間モヤりながら授業を受けないといけない。
思い出を思い出していたら早く終わるだろうか。
私は数年前までは別にAIサポートを使うことにはなんの躊躇もなかった。当たり前だ。生まれた時からずっとあったんだもの。
私たちはAIのある時代に生まれたけれど、過去も学ぶ、歴史の授業がある。
そこで少し昔、AIがまだ発展途上だった頃があり、現代とはちょっと違った生活があったことを知った。そうした歴史に興味を持った私は歴史について調べ、一昔前の本を読み漁り、一つの疑問を抱いた。
現代の人間はAIに支配されているのではないか、と。
そんな大層な命題とかでもないけれど、今でもあるスマートフォンがもっと低い性能だった頃から、人は機械に依存している。そのことは社会問題にもなったらしいし、多くの研究者がその事について論文を出している事実だ。そうしてさらに性能を格段に上げた機械は、人間を支持し、指示している。人間をサポートするという建前で、私たちの思考を読み取り、その考えを補正したりする。
それ自体は正しい使い方だと思うのだけれど、AIの支配だなんてことは誰も口にしない。以前は多く報道されたというスマホ、すなわち機械への依存も、今はほとんど聞かない。
私はそれがすごく怖くなった。AIによって皆が操られ、世界で自分だけが取り残された気がした。
だから私は、こういった考え事をする時AIサポートを切るのだ。
もうそろそろやっと授業が終わる。この授業がAI使わないタイプで良かった。
私はチャイムが鳴ると同時に自分の荷物を片付け始める。
正直早く帰りたいのだけれど、安藤くんに呼ばれてしまったから屋上に行かなければいけない。面倒くさい。荷物は……教室に置いておくか。ミナが早く行けと言わんばかりにこちらを見ている。私はミナの視線と圧を感じながら屋上へと向かった。
この学校の屋上は、私たちの教室と同じ階の階段から行ける。屋上に続く扉には立ち入り禁止だとか書いてあるが、皆結構普通に使っている。扉に鍵掛けてない方が悪い。
屋上の扉を開けるともう先に安藤くんがいた。
「あっ、来てくれたんだ」
そう言って彼は顔を綻ばせた。
「うん。それで、何の用?」
「うん、実は……」
安藤くんはそこで一旦覚悟を決めるように深呼吸をした。
あーこれは。
「ずっと好きでした! 付き合ってください!」
やっぱり?
「一年生の時の学祭で話しかけてくれたあの時から……」
一年の学祭……接点ないと思ってたけど話したことあったんだ。私はAIのログを遡って検索をかける。あった、割と話してた。
その後も彼はなんだかんだと言ってたけどまあ、相当想ってくれてたんだなってのはわかる。ただ気になるのは。
「告白は受けても別にいいけどさ、一つだけ確認していい?」
「え? あ、はい」
「君のその告白、AIに頼ってない? ちゃんと自分の言葉?」
「なんでそんなこと……」
「私は自分の考えを持つ人と付き合いたい」
安藤くんの顔が曇る。多分全部じゃないだろうけど、AIのサポートを受けた言葉だったんだろう。悪いとは言わないけれど、付き合うなら本音で話せる人にしたい。
「僕なんかがでしゃばってすみませんでした……」
そう言って安藤くんは屋上から去って行った。
「ちょっとユナー?」
陰でこっそり覗いてたミナが不満げに近付いてきた。
「それはないんじゃないー? 結構良い奴だったじゃん。顔も」
「そうかもだけど」
私にとっては大事なんだ。
「前から思ってたけど、変なこだわり捨てなって。今どきAI使わない人なんていないんだからさー」
それはそうだ。この社会は最早AIが無ければ成り立たないようになってしまった。AIに頼り、AIに最適解を探してもらう。
「でもっ、大事な場面でAIに頼りきりなのはおかしいと思うから」
「上手くできるならそっちの方が良いじゃん?」
「そんなの自分の考えじゃないじゃん。AIが喋ってるのと同じだよ」
「結局喋るのは自分で、喋るかどうか選択するのも自分なんだから自分の考えで良くない?」
「AIは私たちの思考を読み取って動いてるんだよ? 私たちがどう喋るかだって誘導できる」
「私たちがAIに支配されてるって言いたいの?」
「そうだよ!」
私が声を荒らげるとミナは少したじろいだ。
「何回も言ってるでしょ」
「うん、うん……そうだね。いつもあんたはそうだ」
もういい、とだけ言い残してミナは先に帰ってしまった。これは私が悪いのかな。
なんとなくAIに分析させてみると、6:4で私が悪いと出た。そっかぁ……。
いつもミナと帰る道は少し寂しかった。
翌日、私はミナと鉢合うのを避けて少し早めに家を出た。
毎朝ミナと通る道。彼女と私は家が近いから、通る道もほぼ同じ。よく時間ギリギリまで寝ているミナを私が起こしに行く。
でも今日は無理。絶対気まずい。
学校到着はジャスト8時。いつもは8時20分とかだから私にしてはかなり早いが、皆はそうではないらしい。思ったより人がいた。
8時半ちょっと前にガララ、と教室の扉が空いて、入ってきたミナと目が合ってしまった。すぐに逸らしたけど気まずい。
その後はなんとなくそれとなく彼女を避けつつ体育の時間へ。
完全に忘れてた、絶対にペア組まされる……。
案の定、周りの空気に押し流されて私とミナが残り、仕方なくペアを組むことになってしまった。
今日は持久走だ。じゃんけんでミナが先に走ることになった。
「はい、お願いね」
「ん」
ミナが目を合わせずに記録用紙と下敷きのボードを渡してくる。どうやら気まずいと思っているのは向こうも同じらしい。
ミナはクラスの皆と並び、スタートの体勢に入った。
ピッ、という先生の合図とともに彼らは走り出す。ミナはいつも通り、AIに従った正確なペースで楕円形のトラックを軽やかに駆けていく。AIはこういう体を動かす種目も私たちをサポートする。
ミナは順調に走り続け、そろそろラストの周回となった。
「ラストーがんばー」
一応ラスト一周だけは声をかけた。ミナは私をちらっと見たかと思うと、グッと加速した。
彼女はスピードを維持して最後まで走り切り、息を切らしたまま私の傍に座り込んだ。
「歩け」
「……次、ユナの番、行きな」
「わかってる」
記録用紙とボードをミナに預け、スタート位置まで移動する。
持久走は最初が一番緊張する。
走り出してしまえば後は何も考えず脚を動かすだけ。そう思えば少し気も楽かな。
ピッ、という合図と共に走り出した。
いつも私はミナと違ってAIに頼らない。私の身体能力なのに、皆と同じ走り方をしてしまうのはなんか負けた気がするんだ。私は全力で走って、気力を振り絞ってゴールを目指す。
でも今日は、少し試してみたくなった。周回した数が半分を越した頃、AIサポートを起動してみる。
途端に視界に重なる情報の数々。ペース補助、理想的なコース、現在の私の体の状態とか色々。久々に使う運動補助機能はアップデートを重ねて知らない機能が増えていたが、使うのは最低限で良いだろう。
理想的なペースに合わせて律儀に音まで鳴らしてくれるAIの音声に従って、私は自分の走るペースを調整する。
正直、想像以上に良い。AIは私の体を分析して、ゴール時点までギリギリ体力が残るようなペースに調整してくれるし、フォームが崩れてないかまで見てくれる。
以前使った時は鬱陶しいと思ったけど、UIは前よりすっきりして不快にならない程度の情報量に抑えられている。
これは皆使うわけだ、となんだかため息が
出た。自分の変な意地が、少しだけどこかに行った気がした。
私はそのまま良いペースで走り、ラストの周回になった。疲労が溜まっているはずなのに足は軽く、楽に走れている。脚が勝手に回って、私の身体を運んでくれているみたいだ。
そしてゴールまで走り抜けた私は、ミナの隣に崩れ落ちるように座り込んだ。
「歩きなよ」
「記録、どう、だった」
「15分52秒、最高記録」
「よっしゃ、勝ち!」
ミナの記録は16分台だったはずだ。
「……今日は調子良かったね」
ミナはこっちを見ずに応える。
「今日は、AIを使ってみた」
「ユナが?」
ミナがこっちを見て目を丸くした。
「普段あんなに嫌ってるのに」
「嫌ってはないよ。ただ……昨日の夜色々考えたんだ。こだわり……かな、それが強すぎるのも良くないかなって」
ミナが言う私のこだわりはこだわりと言うには違う気がするけど、今はいい。
「私も……」
「え?」
「私も、今日最後のほうだけAIを無視してみた」
「マジか」
最後の周で急に加速したりしたのはそれか。AIの指示するペースは大体一定だから変だなとは思った。
「それで、なんか記録更新しちゃったからさ。まあ、AIを全部信用するのも違うのかなって思った」
ミナは気恥ずかしそうにまた目を逸らした。
記録用紙を見てみると確かに、前回の記録よりも30秒ほど早くなっていた。
私は立ち上がろうとしたミナをちょっと待って、と抑えて、彼女に向き直った。
「……その、昨日は変なこと言ってごめん」
「私の方こそ、ごめんね」
「これからはもうちょっと、できるだけこだわりを控えることにするよ」
「めっちゃ保険かけたね」
「保険なんてかけてなんぼよ」
ふふ、とお互いちょっと笑って、どちらからともなく視線を空に向けた。
空は、AIに支配されずに昔から変わらない。でも、天気予報はAIのおかげで昔より正確になって、滅多に外すことはなくなった。
今この社会はAIに頼りきりになる人が多いけれど、例えば天気予報の様に、部分的にAIを使って、私たちの自然な部分を大事にしていけたら良いなと思う。
「結局、付き合い方だよね」
「何が?」
「AI」
「あー、確かにそうかもね。どっちが悪いとかないし」
「寧ろどっちも良い結果に繋がったしね」
「それ。というか今もう完全にAIを使わないで生きるのとか不可能だもんね」
相槌を打ちつつ私はちらっと校舎の時計を見た。もうすぐ体育の時間が終わる。そろそろ教室に戻らないといけない。
「……次の授業なんだっけ」
「数学」
「あー……地獄」
「睡魔との戦い、がんばろ」
「AIに起こしてもらうわ」
「それがいい」