7 王子様の提案
BADエンドの象徴ともいえるデニスの登場に絶望しているとデニスが声を上げた。
「では、始めましょう。まずはアルフレッド殿下、ランベール殿下。いつもの訓練を開始して下さい」
デニスの言葉にアルフレッド殿下とランベール殿下は同時に声を上げた。
「はい」
「はい」
そして二人は木刀を持つと私から少し離れた場所で木刀を振り始めた。
二人の風を切る音がここまで聞こえてくる。
(わぁ……音がここまで聞こえる……)
ゲームの中でも、アルフレッド殿下は剣が得意だと言われていた。きっとこんな風に練習していたのだろう。そう思うと完璧な王子と言われていたアルフレッド殿下が普通の子供と同じなのだと思えた。
(彼は特別だったんじゃなくて、努力していた……)
当たり前のことだがそのことにようやく気付いて感心していると、団長デニスが私に数歩近づいて言った。
「ジェイド、剣の経験は?」
剣の経験はお茶会に参加しても何かあった時に話が合うように執事が剣を学園時代に学んでいたと聞いたので、持ち方や素振りなどの方法を教えてもらった。つまりお試し程度なので経験と言われるとないと等しい。
私は背の高いデニスを見上げながら答えた。
「ありません」
ゲームではあまりはっきりと見えなかったが、ダークブラウンの髪と瞳とはっきりとした目鼻はとても存在感がある。私が本物のデニスを前に緊張しながら答えるとデニスが口を開いた。
「ふむ……では基本的なところから教えよう」
(ええ!? 騎士団長に基本から教えてもらえるの?? いいのかな??)
確か騎士団の幹部に剣の教えを受けるのはかなりの費用がかかるはずだ。リンハール伯爵家のような傾きかけた家には到底無理な金額だったはず……それなのに、王子たちのための時間を私に割いてもいいのか不安になって尋ねた。
「いいのですか!? ……騎士団の隊長様に基本など……殿下たちの指導の時間が……」
デニスは困ったように笑いながら言った。
「気にするな、誰でも初めは初心者だ。むしろ基本を教えられるのは光栄だ。それに殿下たちはまだ稽古の準備段階だ。後でしっかりと稽古をつけるので問題ない」
(優しい……デニス団長……『BADエンドの使者』だなんて呼んでごめんなさい……)
私は深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「ああ。では、まず持ち方だが……」
私は騎士団の団長に基本から指導を受けることになったのだった。
信じられないことに、剣なんて自分には無理だと思っていたが団長の指導がいいのか、段々と剣に夢中になっていった。
(凄い、この人の言う通りにやれば、身体が本当に動くようになる……)
学生の時は公式テニスをしていた。
あの頃は練習がつらいと思っていたが、ずっと動いていなかったので久しぶりに動くととても楽しいと思えた。
気が付くと私はいつの間にか、夢中で剣を振っていた。
◇
アルフレッドとランベールは準備運動を終えて水分休憩をしながら、ブランカがジェイドとして団長の個別指導を受けているのを見ていた。
アルフレッドは瓶に入った水を飲み終えた後に言った。
「今日初めて剣を持つとは思えないほど動きがいいな」
ランベールは布で汗を拭きながら口角を上げた。
「ああ……なかなかすばしっこいヤツだな……」
アルフレッドは、そんなランベールを見ながら瓶を置くと楽しそうに言った。
「ほら、笑ってる……」
ランベールは顔を布で隠くようにアルフレッドから顔を逸らしながら言った。
「そろそろ再開する」
「ああ」
そしてアルフレッドとランベールも訓練を再開したのだった。
◇
「では今日はここまでにしましょう」
隊長デニスの声が辺りに響き渡った。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
陽が傾き辺りがオレンジ色に染まる頃、無事に剣術の稽古が終わった。
後半は王子殿下たちが団長と打ち込み稽古を見ている間に、家できる自主練方法を聞いてそれをひたすら実践していた。
(剣術稽古、普通に楽しかった……)
結局、心配していた王子殿下たちとの絡みもほとんどなく、素晴らしい指導を受けただけだった。
本当に……私は一体なぜここに呼ばれたのだろうか?
私が汗を拭いていると、横からすっと水の入った瓶が差し出された。
「ほら……」
私に水を差し出してくれたのはランベール殿下だった。
「どうも……飲んでもいいのですか?」
「いいから差し出している。早く受け取れ」
「は、はい!!」
私は水の入った瓶を受け取るとゴクリを水を流し込んだ。かなり動いて喉か乾いていたのでとても美味しいと思えた。
「美味しい……ありがとうございました」
水があまりに美味しくて、笑顔でランベール殿下にお礼を言うと「別に……」と言って顔を逸らされた。
私たちのやり取りを見ていたアルフレッド殿下がとても機嫌がいい。
ゲームでは完璧で感情をあまり表に出さない人物だったが……全く違う印象だ。
(子供の頃はこんな感じだったんだ……)
不思議に思っていると、アルフレッド殿下が上機嫌なまま言った。
「ジェイド、また来い」
私は無意識に答えていた。
「遠慮します」
「ふはっ!!」
するとなぜか隣でランベール殿下が声を上げて笑った。
アルフレッド殿下が、ランベール殿下に不機嫌を装いながら尋ねた。
「ランベール。何がおかしい?」
ランベール殿下は笑いながら答えた。
「いや、フレッドが誰かにこんなにはっきり断れているのを初めて見た」
「私だって……ランベールが声を上げて笑うのは本当に久しぶりに見た……はは」
アルフレッド殿下が驚いた後に本当に綺麗な顔で笑った。
私は楽しそうに話をしている二人の王子から目が離せなかった。
(二人共仲がいいな……)
微笑ましく思いながら二人を見ていると、ふとランベール殿下と目が合った。
ランベール殿下は目を大きく開けた後に私を見て穏やかに微笑んだ。
そして私の前に夕日を背負ったランベール殿下歩いて来ると、私の頬に触れ真剣に私を見て呟いた。
「ジェイド……か、なるほど」
「え?」
ランベール殿下は微笑みながら「綺麗だな……」と言った。
その瞬間、胸が何かに掴まれたような感覚を覚えた。
するとアルフレッド殿下もランベール殿下の横から私を覗き込みながら言った。
「ああ!! それで、ジェイドか!! 確かに夕日で、瞳に色が翡翠色に見える……もしかして、ジェイドは夕方に生まれたのか?」
――ジェイドとは翡翠色という意味なのよ? ブランカちゃんの青い瞳に夕日が映って翡翠色に見えて……とても綺麗だったの。
母の言葉を思い出していると、楽しそうなアルフレッド殿下の顔と穏やかに微笑むランベール殿下の顔が至近距離に目に入り思わず声が上ずってしまう。
「は、はい。そう聞いています」
私が答えるとアルフレッド殿下が弾んだ声で言った。
「ジェイド、やっぱりこれから何かあったら城に呼ぶから来い」
「え……」
今日は本当に剣の稽古しかしなかった。
正直、なぜ私がまた呼ばれるのか意味がわからなくて困惑していると、アルフレッド殿下がいたずらっ子のような顔で言った。
「案ずるな。これは強制ではないし、命令でもない。ただの《《お誘い》》だ。どうしても来たくないというのなら、来なくても構わない」
「う……」
そんな風に言われると逆に断れない。
それに私も……
(久しぶりにすごく……楽しかった……)
私はアルフレッド殿下に向かって頷いた。
「わかりました……お邪魔いたします」
「では、こちらから声をかけるので遊びに来るくらいの気軽な気持ちで来い。待っているぞ」
ランベール殿下を見ると、私が来るというのにイヤそうな顔はしていなかった。
こうして私はなぜか城に来ることが決まってしまったのだった。