5 貴族子息も御多忙です!
馬車の揺れは心地よくて、さっきまで寝ていたのに少しだけまぶたが重くなる。目を閉じそうになっているうちに馬車が停まった。しばらくして馬車の扉が開いたので外に出た。
「お嬢様、おかえりなさいませ。奥様とジーク様がジーク様のお部屋でお待ちです」
私を見るとすぐに執事が声をかけてきた。
「ありがとう、すぐに行くわ」
きっとお茶会を無事に終わらせることができたのか確認したかったのだろう。
私は急いで兄の部屋に行くと、兄と母が待っていた。
「ただいま戻りました」
部屋に入ってあいさつをすると、母は私の顔を見て少し切なそうな顔をしながら言った。
「おかえりなさい、ブランカ……大変だったわね……ありがとう。これで家の体面を保つことができたわ……」
髪まで切って男子としてお茶会に行った娘を労うため、気丈に振舞う母の気遣いを感じて胸が熱くなる。
これで少しでもリンハール家に振り注ぐ負の螺旋を断ち切れたのなら言うことはない。
「いえ、私が選んだことですから……家のためになれたのなら光栄です」
正直に言うと貴族令嬢はドレスは重いし、マナーは細かいし、言葉遣いも大変だ。
現代人の記憶を持っている私には覚えることがたくさんある貴族令嬢としてお茶会に出席するよりも、断然貴族令息として参加する方がよかったかもしれないとさえ思えた。
しかも私はあいさつをした後は、ベンチで爆睡していたのだ。
見知らぬ男の子に迷惑をかけてしまったが、向こうが私とは関わりたくないと言ったのだ。
わざわざ私を探して苦情を言われるとは考え難い。
すると兄がベッドに座ったまま微笑みながら言った。
「ブランカ、ありがとう。男の子の姿のブランカもとても可愛いね」
可愛いと言われれば正直に言えば嬉しいが……
「貴族の令息としては可愛いというのは……いいでしょうか?」
すると兄が困ったように笑いながら言った。
「確かにそうだね。でも私には可愛く見えてしまって……」
母も穏やかに微笑みながら言った。
「ふふふ、仕方ないわよ。私たちは普段のブランカを知っているのだから……でもメイド長のシルビアは『端正な佇まいで素敵です』と絶賛していたわ。大丈夫。普通の人には素敵な男の子に見えたはずよ」
「よかった……」
私が胸を撫でおろすと、兄が優しい笑顔で言った。
「ありがとう……おつかれさま、ブランカ」
私は二人に向かって答えた。
「いえ……あとは、お兄様がお元気になられて出席されればいいですね」
乙女ゲームの舞台、キーゾク学園の入学式まで後5年。
それまでには髪も伸びるだろうし、兄も元気になるはずだ。
(はぁ、これでリンハール家の破滅を防げた……)
そう思っていた。
ところが……変えてしまった運命は私に更なる試練を与えたのだった。
◇
「え゛!? アルフレッド王子殿下から剣術稽古のお誘い!?」
朝食を済ませて、お茶を飲んでいた私は目を大きく開けて固まった。カップを落とさなかったことが奇跡だ。
執事は申し訳なさそうに言った。
「はい。しかも今回は、ジェイド・リンハール様と指名されております」
「私を……指名?」
私は目立たず、騒がずを最大の目標に掲げてお茶会を乗り切ったはずだ。
最後に少々のアクシデントはあったものの問題なくお茶会は終えたはず……
(え? え? どうして私を名指し?? アルフレッド殿下とはあいさつをしたよね?? でもあいさつしかしてないよね??)
もしかして、会場からすぐにいなくなってはいけなかったのだろうか?
いや、そんなはずはない。
兄はいつもあいさつが済んだら、会場から離れてのんびりと過ごしていると言っていた。
そうなると……
男性じゃないことがバレたのだろうか?
だが、もしそうなら何らかのお咎めは父に直接来るはずだ。
私は執事に尋ねた。
「お父様は何とおっしゃっているの?」
執事は「旦那様は『ブランカには申し訳ないが誘いを受けてほしい』とおっしゃっていました」と答えた。
(まぁ、そうだよね……王家からのお誘いだもんね……)
王子殿下直々のお誘いだ。断ることは難しい。
お茶会は多くの貴族の子息が出席していたので、『リンハール家が王家のお茶会を欠席した』という噂は高速で広がる。一方、剣術訓練ならそう多くはないかもしれない。だが……剣の稽古に呼ばれていた他の令息が噂をして、ゲームと結果が変わらない可能性がある。
(断るっていう選択肢はない……それにどうせたくさん呼ばれているのだろうし、私に剣の適正が無ければ『どんくさいヤツ』と思われて次から呼ばれなく可能性が高いんじゃないかな? うん、どんくさいのは王家を蔑ろにしているわけではないから問題ないはず!!)
私は執事を見ながら答えた。
「剣術稽古、参加するわ」
執事は私をじっと見つめながら尋ねた。
「ブランカお嬢様……ありがとうございます。どうか、おケガにはお気をつけ下さいませ」
心配するのもわかるので私はゆっくりと頷きながら答えた。
「ええ。充分に気をつけるから大丈夫。それに剣術稽古といっても騎士と同じようなキツイ内容というわけではないと思うの。無理だったら途中で休むから平気よ」
まさか10歳の貴族子息にいきなり激しい剣術の訓練をするとは思えない。恐らく王子殿下との顔合わせのレクリエーションのようなものだろう。
「かしこまりました、旦那様にはそうお伝えいたします」
「お願いね」
執事が食堂を出ると、私を見ながらエイミーが困ったように言った。
「またしてもお誘いを受けるなんて……お茶会からまだ数日しか経っていないし……しかも剣術訓練だなんて……本当に大丈夫ですか、お嬢様」
私はエイミーを見上げながら言った。
「大丈夫。無理はしないわ。それに私に剣の適正がないとわかれば、もう誘われなくなるわよ。きっとこれは男の子同士ならではの社交なのだろうし……」
私の言葉にエイミーが納得したように言った。
「ああ、なるほど……確かにそうですね。それに、将来殿下をお支え出来る人材を探すいう意味があるのかもしれませんね」
(それ……聞いたことあるな……)
そう言えば、乙女ゲームの中でアルフレッド殿下が言っているのを聞いたことがある。
――王族は常に自分の味方を探している……
これはかなり好感度が上がったアルフレッド殿下が、主人公ブランカに対して切なそうに教えてくれるのだ。
まぁ、好感度が上がって仲良くなってもhappyエンドに行けるとは限らないのだが……
「当日はケガをしないようにだけ気を付ける……」
私が力なく言うと、エイミーがなだめるように言った。
「ええ、それが一番です」
こうして私は、アルフレッド殿下に誘われて剣術訓練に参加することになったのだった。