9 呼び方
「ようやく終わったな……」
シュテルン家のアルフレッド殿下の部屋に着くと、ランベール殿下が息を吐いた。そしてアルフレッド殿下が上着を脱ぎながら言った。
「食事まで一刻と言ったところか……急いで自堕落を満喫するか?」
急いで自堕落を満喫という言葉の意味がよくわからないが、アルフレッド殿下が自堕落に過ごしたいというのは理解した。するとランベール殿下の上着を脱ぎながら言った。
「まずは夕食の前に剣の稽古を済ませた方がいいのではないか? 夜間の護衛を慣れない者たちにさせるのは心苦しい。自堕落を満喫するのはその後でもいいだろう」
私はいつも朝早く起きて稽古をするが、アルフレッド殿下とランベール殿下は夜に訓練をしているようだった。
アルフレッド殿下は上着をハンガーに掛けると頷いた。
「そうだな。今のうちに剣の稽古を済ませるか」
「ああ」
結局アルフレッド殿下は自堕落に過ごす時間を取れそうにない。
私は、二人に向かって言った。
「申し訳ございません。さすがにこんな素敵な服で剣の訓練に参加するわけにはいきません。部屋で着がえてきます」
するとランベール殿下が「わかった。エントランスにいる」と言ったので私はすぐに部屋に戻って着がえた。そして3人で剣の稽古に励んだ。
「結局時間ギリギリまで稽古になってしまったな」
私たちは急ぎ足で部屋に向かっていた。
そろそろ約束の時間だ。3人とも汗だくなので部屋で着替える必要がある。
ランベール殿下が階段を登りながら言った。
「では、各自食堂に集合しよう。ジェイドもそのまま食堂に向かえ」
「はい」
私は着替えてここに来た時に着ていた服に着替えて鏡を見た。
(うん、問題ない)
部屋を出ようとした時に、ノックの音が聞こえて扉を開けた。
「ジェイド、よかった部屋にいたのか。一緒に食事に行かないか?」
どうやらクラウスが私を部屋まで迎えに来てくれたようだった。
ランベール殿下たちには先に行け、と言われているので私は大きく頷いた。
「ありがとう、クラウス」
「いや……」
私はクラウスと並んで廊下を歩いた。するとクラウスがポツリと呟くように言った。
「ジェイドは本当に凄いな」
「突然、どうした??」
私は何の前触れもなく褒められたので、思わず声を上げた。するとクラウスが切なそうに言った。
「いや、俺は『騎士になる』って決めて、正直、それ以外の勉強はどうでもいいと思っていたんだ」
「そうなんだ……」
私はクラウスとは鉱物の授業だけしか知らないが、クラウスは決して不真面目という感じではないので驚いた。
「ああ。テストでは落第しない程度に点を取って、剣や乗馬や弓とかだけは必死でやった」
騎士になるというのならそれでも問題ないのかもしれない。
「でもさ……ジェイドは、剣の稽古もキッチリやって、古代文字や芸術にまで詳しいだろう? この辺りを荒らし回っている怪盗の名前も即座に反応したくらい世間のことも学んでいる。そんなジェイドだから、騎士団長だって『護衛』だと認めているんだと……痛感した」
私は、クラウスの顔を覗き込んだ。
「もしかして……クラウス、落ち込んでる?」
「……はっきりと言うな……ああ。落ち込んでるというより、すっげぇ悔しい。今までの俺を殴り飛ばしたい。『もっと真剣にやれよ』って」
そしてクラウスが私を真剣な顔で見つめながら言った。
「俺、ジェイドと対等になりたい。ライバルは誰だと聞かれたら、ジェイドの口から俺の名前が出るくらいの男になる」
「クラウスは私のライバルになりたいの??」
「ああ、いつもジェイドの頭の中に俺がいるくらいの、互いを意識するような関係になりたい」
いつも頭の中にいて、自分を振る立たせる存在。
クラウスは、私とそんな関係を望んでいた。
正直に言って、私はずっとクラウスのことを友達だと思っていたので、少しだけ寂しいと思えた。
「そっか……私はクラウスとは友達になりたいんだけど……」
私がそう言うと、クラウスが当たり前のように言った。
「友達? それは今も友達だろ? 友達だけど、ライバル。そんな関係になりたいんだよ」
すでに友達だとは思われていたらしい。
友達だけじゃなくて、互いに刺激し合える関係を望まれていた。
「友達だけどライバル?」
クラウスは眉を寄せた。
「ずっとジェイドとは互いを意識し合う関係でいたんだよ? この関係をどう言葉にすればいいんだろうな?」
クラウスの言う関係は親友とか、相棒とかそんな言葉がしっくりくる気がした。
そんなことを考えていると、クラウスが片目を閉じた。
「覚悟しろよ。俺のことが頭から離れないくらいの存在になるから」
私は「うん」とだけ答えたのだった。
◇
そして、翌々日。古城での夜会が開かれる日がやってきた。
ちなみに夜会までの一日は、朝から遠乗りに出掛けたり、別荘地周辺の物価を確認したりして一日忙しく動いていた。やはりアルフレッド殿下とランベール殿下に自堕落的な時間は訪れなかった。
通常の夜会は、夕方18時頃にスタートして22時くらいに終わるのが普通だ。
だが別荘地で開かれる場合は、昼過ぎ16時頃にスタートして、大体20時頃に終了する。
令嬢だったら開始時間が早いので午前中から夜会のために準備をするだろうが、男性はそれほど支度に時間はかからないので、私たちは午前中は観光名所を回って、昼食を摂ってから夜会の支度をした。
そして、現在15時に私たちは王家の馬車に乗り込んでベルクの古城に向かっていた。
着飾ったアルフレッド殿下、ランベール殿下、クラウスもいつもとはまた違った良さがあり、ずっと見ていて居られるほど、眼福だった。
特にランベール殿下と、クラウスは髪を上げているので印象が全く違う。
「ジェイド、どうした?」
アルフレッド殿下に声を掛けられて素直に答えた。
「いえ、やはり皆様、正装は素敵ですね。思わず見とれていました」
アルフレッド殿下が柔らく微笑んだ。
「いつも褒めてくれてありがとう。だがジェイドも今日は格別だ!! とてもよく似合っているし、何より私の好みで私の好きに仕上がりに大満足だ」
ランベール殿下も深く頷いた。
「確かに……フレッドが選んだというのは気に入らないが、似合っている。これまでで一番好みかもしれない」
私は笑顔で「ありがとうございます」と答えた。
クラウスが私たちを見ながら確認するように尋ねた。
「不敬だとは思われたら、答えなくて結構ですが後学のためにお聞かせ下さい。アルフレッド殿下のことをランベール殿下のように呼ばれる方はいらっしゃるのですか?」
アルフレッド殿下は少し考えながら答えた。
「そうだな。私を『フレッド』と呼ぶのはランベール、ただ一人だ。兄たちは『アル』と呼ぶからな……」
(アルフレッド殿下をフレッドと呼ぶのはランベール殿下だけ?)
私はてっきり、陛下や、王妃殿下、ルーク王太子殿下もアルフレッド殿下のことを『フレッド』と呼ぶのだと思っていた。
それを聞いて私はゲームのアルフレッド殿下に『フレッド』呼びを頑なに拒まれた理由に気付いた。
ゲームで仲を深めて許してもらえるあだ名は『アル』『アルちゃん』『王子様』『アルフレッド』『ハニーたん』の5つ。『フレッド』も選択肢に入っていたが、いくら仲良くなっても拒否させれていた。
つまり『フレッド』と彼を呼んでいいのはこの世でランベール殿下ただ一人だけ。
ゲームでは、アルフレッド殿下は自分の判断で、ランベール殿下を死なせてしまったことを後悔していた。いや……後悔という言葉で生温い。闇落ち一歩手前になるほど精神を病み、自分の過去の行動を憎悪していた。
だからこそ、誰にも『フレッド』と呼ばせることを拒んだのだろう。
(そんな理由……知らないよ……)
ゲームの裏設定に気付いて、思わず泣きそうになった。
きっと、ゲームのアルフレッド殿下にとって『フレッド』と呼ばれることは、ランベール殿下を思い出して耐えがたいことだったのだろう。
私がゲームの裏設定に気付いて心を痛めていると、クラウスがランベール殿下が私を見ながら尋ねた。
「ランベール殿下はなぜアルフレッド殿下のことを『フレッド』殿下と呼ばれるのですか?」
ランベール殿下は無表情に答えた。
「呼びやすいだろ? フレッド」
クラウスが困ってように言った。
「なるほど……ではランベール殿下だけの呼び方ですね」
するとアルフレッド殿下が驚くべきことを口にした。
「ランベールだけ……ん~~別に、ジェイドも呼びやすいのなら私のことを『フレッド』と呼んでもいいぞ?」
「えええ!?」
「そこまで驚くことか?」
「驚きますよ!!」
ゲームのブランカは、アルフレッド殿下と愛し合い、将来を誓いあってもなお『フレッド』呼びを許されなかったのに……
(え? こんなあっさりと……許して貰えるの??)
「とにかく私は引き続き『アルフレッド殿下』と呼ばせて頂きます」
アルフレッド殿下はニヤリと笑うと「では将来側近か護衛にしたら呼ばせるか」と呟いたのだった。 するとランベール殿下が私の顔を覗き込みながら言った。
「ジェイド、私の特別な呼び方も考えろ。そしてすぐにそれを呼べ」
「ええええ!?」
ランベール殿下の提案に、アルフレッド殿下がすぐに口を開いた。
「だから考えなくともベルと呼ぶと言っているだろ?」
ランベール殿下が眉を寄せながら言った。
「それはフレッドが昔、木から落ちたのを助けて世話をしていた鳥の名前だろうが、絶対に嫌だ!!」
「じゃあ、ラン?」
「それはフレッドが昔拾ってきた猫の名前だ。ったく、どうしていつもいつもフレッドは俺の名前の一部を拾ってきた動物につけるんだ!!」
(なるほど、これまでアルフレッド殿下は御自分の保護した動物たちにランベール殿下の名前の一部を付けていたんだ……)
ランベール殿下が苦い顔をすると、アルフレッド殿下が気にする様子もなく言った。
「仕方ない。お前がいつも近くにいるんだから、忘れない名前がいいだろう?」
その話を聞いて私は思わず思ったことを口にした。
「それ……私が考えても、いずれアルフレッド殿下がまた動物の名前にするのでは?」
ランベール殿下が真剣な顔で言った。
「……ジェイド、やはり今のままの呼び方で構わない」
「かしこまりました」
そして私たちは古城へと到着したのだった。




