5 それぞれの価値観の中で
この学園の生徒会と呼ばれている部門は、正確には中央執行部会という。
一般生徒は、中央執行部会のことを『生徒会』と呼んでいる。
正確に言うと、専門部門は5つに分かれている。
・中央執行部会(私たちが所属している専門部会の統括部門)
・学習補助会(講義の補助を行う)
・学園生活補助会(学園生活を円滑に保つために、風紀の乱れなどを取り締まる)
・文化会(生徒同士の交流や、図書館の利用などを促す)
・監査会(専門部の予算が適切に使われているかを確認する)
他の部門と連携をとって生徒会を運営しているので、他の4つの専門部会に書類を届けたり、先生たちに書類を届けたりする仕事があるのだ。
そして今は、『新入生歓迎の宴』を1ヵ月後に控えている文化会と、入ったばかりの新入生に『どんな講義があるのか紹介文を作成』している学習補助部門と頻繁にやり取りがある。
そして今日は学習補助部門に書類を届けに来た。
「こんにちは。失礼します」
ノックをして入室すると、私は息を呑んだ。
(攻略対象のモーリスだ……)
ゲームではまだ攻略していないので、彼がどこに所属しているのかを知らなかったので驚いてしまった。
「生徒会の方ですね。はじめまして、本日から学習補助部門の役員に任命されましたモーリス・フルスと申します。1年です」
私は慌てて姿勢を正した。
「はじめまして。私はジェイド・リンハールです。私も同じく1年です」
あいさつを交わすと、私はモーリスに書類を渡した。
「こちらをお願いします」
モーリスは書類を受け取ると、「今後ともよろしくお願いします」と言って微笑んだ。
私は学習補助部門の部屋を出ると、深く息を吐いた。
私はアルフレッド殿下と、クラウスルートしか知らないが、ゲームの説明ではモーリスのルートでは殺人事件が起こると書いてあったはずだ。
アルフレッド殿下ルートの盗賊団はすでに壊滅させた。
モーリスのルートの犯罪も未然に防げるといいのだが……
++
そして私は次に校医が在中する医務室に向かった。
「失礼します」
「どうぞ~~」
ノックをして許可を得たので、医務室に入ると私は目を丸くした。
「え? フィリップ先生!? どうしてここに??」
そこには以前、怪我をした時に診てくれていたフィリップ先生が優雅に本を読んでいた。
「お、ジェイド。久しぶりだね~~どう? 驚いた??」
私はフィリップ先生に近づきながら言った。
「驚きましたよ~~、宮廷医師ではなかったのですか?」
フィリップ先生が笑いながら言った。
「ああ。元々はこの学園の校医だったんだけどさ、丁度ジェイドがケガをした時期は、本来の宮廷医師の先生が産休だったら代わりに王宮に通っていたんだよ」
なるほど……産休。
私はフィリップ先生に書類を手渡しながら言った。
「教えてくれたらよかったのに……」
フィリップ先生にが目を弧にしてニヤリと笑った。
「びっくりさせようと思って」
「びっくりしました」
「あはは、ジェイドは素直で可愛いな~~お茶でも飲んで行く? 生徒会の雑用係さんはお疲れだろ?」
私はフィリップ先生の言葉に眉を寄せた。
「何ですか、それ……」
「あれ? 知らないんだ? ジェイド、伯爵家だから始めは結構みんなに妬まれていたんだけど……凄く働いてるからみんな今では同情して『生徒会の雑用係』って呼ばれてるいるみたいだよ?」
知らなかった!!
私、生徒会の雑用係って呼ばれていたんだ。道理で最近色々な人に生徒会への用事を頼まれると思った!!
「お茶は魅力的ですが、今度お伺いします。まだ何カ所が行くところがありますので」
フィリップ先生が「まぁ、無理はしないように~~。疲れたら逃げておいで~~」と言ってくれたので、「その時はよろしくお願いします」と言って医務室を出た。
(フィリップ先生……本当はキーゾク学園の先生だったのか……少し有難いな……)
私が本当は女性だということを知っていてくれる人がいるのは少しだけ気が楽になった。
そして廊下を歩いていると、誰かに肩を抱かれたと思えば明るい声が聞こえた。
「よう、ジェイド。何してるんだ?」
声をかけて来たのは攻略対象の一人クラウスだった。
クラウスとは、数少ない二人の王太子殿下と履修が被っていない鉱石の授業が同じで仲良くなった。
始めは攻略対象なので少し距離を置こうとも思ったが、クラウスは真っすぐで気さくで本当にいい人だった。
それに私が王子殿下と仲がいいとは知っているが、一度も『紹介してほしい』と言われたことがない。
通常は少し話をするようになると、王子殿下たちに会わせてほしいと言われるのだ。それもあって、私はクラウスのことは友人としてかなり好きなので一緒にいる。
私はクラウスの問いかけに答えた。
「ああ、生徒会のお使い」
「へぇ~~お使いってことはその手に持ってる書類届けるってこと? ジェイドが行かないと困るヤツ?」
なぜそんなことを聞くのか不思議に思ったが、私は自嘲気味に言った。
「いや……私が行く必要は……ないかな……」
何も仕事をしない悪役令嬢の皆さんが、少しくらい動いてくれてもいいのに……と思うほど誰でもできるお仕事だ。
悪役令嬢の怠惰さに目を細めていると、クラウスが楽しそうに言った。
「ジェイドが行かなくてもいいなら、俺が手伝ってやろうか?」
クラウスは私の肩を抱いたまま顔を覗き込んで来た。
「本当? 助かるよ。届けるだけなんだけど、この学園の端と端で地味に遠いからさ」
私はクラウスの提案に目を輝かせた。
正直この学園は広大過ぎて全部回っていたら下校時間に間に合わないかもしれない。
一箇所でも誰かが行ってくれたらかなり楽になる。
「端と端? それは大変だな。この学園かなり広いから……どこに行くんだ?」
頬がくっつきそうなほど、顔を近づけてきたクラウスに私は反対に尋ねた。
「ちなみにクラウスはどこに行くつもりだった?」
「俺? 俺は訓練場だけど……」
訓練場は校舎の端で、しかも通り道に学園生活補助会の部屋がある。
「クラウス、学園生活補助会の部屋ってわかる?? 訓練場に行く途中に通る西館の2階なんだけど、部屋の前に『学園生活補助会』って書いてある」
クラウスは笑いながら言った。
「そこには行ったことはないけど、西館は通り道だし、部屋の前に書いてあるなら行けるよ」
私はクラウスに学園生活補助会に届ける書類を渡した。
これで東館にだけ行けば終わる!!
「クラウスありがとう」
クラウスも楽しそうに笑いながら言った。
「あはは、いつも一人で走り回っているジェイドを助けられてよかったよ。俺、お前のそういうところすげぇ好きだし」
「はは、私もクラウスのそういうお節介なところ、好きだよ」
「お節介って誉め言葉じゃないの知ってる? まぁ、いいけど……ははは」
クラウスに肩を抱かれたまま笑い合っていると、後ろから声が聞こえた。
「ジェイド!!」
振り向くと、ランベール殿下がこちらに向かって歩いて来た。
「お、もしかして殿下が手伝ってくれるのか? じゃあな、ジェイド。この書類は任せろ!!」
「ありがとう、クラウス!!」
クラウスは私から離れると、ランベール殿下に一礼してその場を去って行った。
私はクラウスを見送ると、ランベール殿下の方を見た。
「ランベール殿下、どうされたのですか?」
ランベール殿下は私ではなく、クラウスを見ながら眉を寄せた。
「誰だ?」
そう言えば、ランベール殿下はクラウスに初めて会うかもしれない。
「彼はクラウス・シュテルンです。鉱石の授業が同じなのです」
ランベール殿下が私を見ながら言った。
「……随分と仲良くなったのだな?」
「はい。クラウスはとても気さくでいい人なので」
私が答えると、ランベール殿下が不機嫌そうな顔をした。
「それにしても少し馴れ馴れしいのではないか? それに……お互いに好きだと言い合っていたが……こんな往来で好きなどと軽々しく言うのはどうかと思うが……」
私はじっとランベール殿下を見つめてしまった。
クラウスも私も先ほどの《《好き》》という言葉に深い意味などない。
だが、ランベール殿下は《《好き》》というのは男女の間にある特別な物と認識しているのだろう。
「ランベール殿下って、甘いもの好きですよね?」
ランベール殿下が眉を寄せた。
「突然なんだ? まぁ、嫌いではないが……」
「それと一緒ですよ。私たちが先ほど言った好きは……」
ランベール殿下は呟くように言った。
「だが、そんなに気軽に使っていたら本当に好きな相手に『好き』だと伝える時に、適切な言葉が無くなってしまうだろう?」
そんな風に思ったこと……なかったな……
私はランベール殿下がとても丁寧に言葉を選んでいるのだと知って胸が熱くなった。
つまり、ランベール殿下が『好き』という言葉を使う時は、本当に好きな物や人に対する時ということだ。
「ランベール殿下に好きだと言って貰える人は幸せですね……」
「え?」
「まぁ、ですが、全ての人がランベール殿下のように『好き』という言葉を特別な意味だけで使うわけではありません。とても気軽に『好き』だと言う人もいます。人だけではなく、食べ物が好き、持ち物が好き……きっとどちらが正しいとか、間違いとかそういう問題ではなく、価値観の違いです」
「そんなものか?」
「はい」
きっと人は人とのかかわりの中で、こんな風に自分の価値観だけではないことを知っていくのだろう。それが世界を広げていく。
だが私はできればランベール殿下には『好き』だと言う言葉は大切にしてほしいと思ってしまったのだった。
「ジェイド、好きだ」
「え?」
私はランベール殿下を見て固まった。
「と、突然どうしたのですか? 今、気軽に使えないって……」
私が尋ねるとランベール殿下が真剣な顔で言った。
「それはそうだが、ジェイドに堂々と好きだと言える人間がいると言うのなら、私ばかり我慢するのは嫌だ。それに、私が好きだと伝えればジェイドからも好きだと言って貰えるかもしれないのだろう? 私だって言いたいし、言われたい」
わかってる、この言葉に深い意味がないことくらい。
でも……
心臓に……
……――悪い。
私の頭ではこの言葉に深い意味はないとわかっているのに、心臓が早くなり身体全体に熱が回る。
破壊力があり過ぎる。
ランベール殿下が私に期待するようにじっと見ている。
私は少しだけ震えながら口を開いた。
「私だって……好きですよ。ランベール殿下のこと」
一生伝えることが出来ないと思っていた言葉をこんなにあっさりと伝えられたことが不思議だった。
ランベール殿下への『好き』……私のこの想いが恋なのか、友情なのか、家族愛のようなものなのかそれはわからないが、ランベール殿下が好きというのは確かな感情だ。
「はは、嬉しい……ものだな」
ランベール殿下が照れたように耳まで赤くしなら笑った。
その顔は本当に綺麗で、私まで全身が熱くなる。
二人で真っ赤になってお互いから目を逸らして、しばらくするとランベール殿下が私の前に手を差し出した。
「書類……配るの手伝う」
私はランベール殿下に一つ書類を渡した。
「お願いします」
「では……行くか」
「はい」
私たちは書類を届けるために途中まで一緒に廊下を歩いたのだった。
私の心臓は全く落ち着く様子がなかったのだった。




