1 令嬢辞めます!
(早く帰って、今日こそ一人ぐらい幸せな結末が見たい!!)
急ぎ足で家路についていたことは覚えている。
そして道を歩いていると見えた眩しい光と圧迫感。
そこまでが私の覚えている最後の記憶だった。
「お嬢様……朝ですよ」
女性の声で意識が浮上した。
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、侍女のエイミーの顔が見えた。
「エイミー?」
そう言った途端、意識がはっきりとした。
(え? お嬢様!? しかも、エイミーって誰? どうして私、この人の名前知ってるの??)
自分でも意味がわからない。
メイド服を着て、赤い髪に茶色の目の長い髪をサイドで結んでいる少女。
初めて見るはずなのに、私はこの人を知っていた。
改めて部屋の中をよく見ると、いつも寝ているシングルベッドの数倍はある。
「あ、これって――夢?」
思わず口に出すと、エイミーが眉を寄せた。
「お嬢様、夢ではありませんよ? 起きて下さい。ですが、お嬢様が寝坊なさるなんて珍しいですね。いつもお一人で起きていらっしゃるのに……」
この状況はよくわからないが、夢にしてはシーツの感覚も匂いも感じるし……かなりリアルだ。
しかもかなりお腹も空いている。
(もしかしてこれが……明晰夢ってヤツ?? とりあえず起きよう……)
私は起き上がろうとしてうっかりバランスを崩してしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
エイミーが咄嗟に手を出して転ばないように支えてくれた。
「ええ……」
上手くバランスが取れずに不思議に思ってよく見ると、私の手はとても小さかった。
見える視線も随分と低い。
(……私、もしかして小さい?)
私はいつもよりも低い視界の中、なぜか場所を知っていた鏡の前に立って愕然とした。
鏡に映っていたのは、銀に近い白い髪にサファイアのような透き通った青い目の小さな女の子だった。
(あれ……私、この子知ってる……)
そう思った瞬間。
走馬灯のようにこの女に子としてのこれまでの生が浮かんで来た。
(そうだ。夢なんかじゃない――私、この子に生まれ変わったんだ……)
私は鏡からエイミーに視線を移しながら尋ねた。
「ねぇ、エイミー。私っていくつ?」
エイミーは困った顔で答えてくれた。
「どうしたのですか? お嬢様は先日10歳になられたばかりですけど……」
「10歳……」
(あれ……私はいくつだった? 働いていたから成人はしていたはずだけど……)
よく考えてみたが、私は以前の自分の名前も歳も思い出せなかった。それなのにゲームをしていたことや内容は思い出せる。
とても……不思議な感覚だった。
「ブランカお嬢様。一体どうされたのですか?」
私はエイミーの言葉に思わず彼女を見つめた。
「ブランカ……そう、私はブランカよ……」
「……? はい……」
(ブランカって、あのブランカだよね? あの鬼畜ゲームのヒロイン……)
私がずっと苦しんでいた乙女ゲームの主人公。
そう私は信じられないことにBADエンドが多すぎる鬼畜ゲームの主人公と同じ名前だった。
再び鏡を見て、思わず叫んでいた。
「私、ブランカ・リンハールよね⁉」
「ええ……本当にどうされたのですか⁉」
(どうしよう!! 間違いない!! どういうことか全くわからないけど、今の私はあのBADなエンドばかりの気の毒過ぎる主人公ブランカ・リンハールになってる!!)
どんなに気をつけても待ち受けているのはBADエンド。
happy:BADの割合が1:100(感覚的には)
そんな不遇過ぎる人生……
悪役令嬢の方がまだ安全な生涯を送れるに決まっている。
そんなゲームの主人公になってしまった!!
しかも何時間もプレイしているのに、誰一人として攻略対象との幸せなエンドを見ていない!!
「無理……」
思わず呟くと、エイミーがなだめるように言った。
「怖い夢でも見られたのですか? 元気を出して下さい。そう言えば…第二王子のアルフレッド殿下からお茶会のお誘いがあったと聞いていますが……お嬢様も呼ばれているのでしょうか?」
私はエイミーの言葉で背筋が凍りそうになった。
「え? アルフレッド殿下から?」
私が声を上げると、エイミーが嬉しそうに言った。
「ふふふ、そうです。アルフレッド殿下はとても美しいとのお噂ですから、お嬢様も気になりますよね……昨日、王宮から使いが来ました……食事を済ませて旦那様に……」
ブランカが10歳の時に、アルフレッド殿下からのお茶会へのお誘い!?
(それ……もしかして、ブランカの破滅の始まりになるあのお茶会では??)
私は急いでエイミーを見ながら言った。
「エイミー、急いで着替えてお兄様のお部屋に行くわ!!」
「え? そんなに待ちきれないのですか?」
そうじゃない。
でも、のんびりと説明している心の余裕がない!!
「とにかく急いで!!」
「はい!!」
私は急いで着替えると、兄ジークの部屋に走ったのだった。
◇
「失礼します」
兄のジークの部屋に行くと、ブランカの父と母が病気でベッドに寝ている兄の側に座っていた。
「おお、ブランカどうしたのだ?」
私は三人に近づきながら尋ねた。
「お父様、王宮からの手紙は何だったのですか?」
「ああ、第二王子のアルフレッド殿下からのお茶会の招待状だ。同世代の貴族の令息を呼ばれるそうだ……だが……ジークは……出席できない」
(やっぱり!!)
実はゲームではさらりと説明されていた。
病気でブランカの兄のジークはアルフレッド殿下主催のお茶会に参加することができなかった。
だが……
兄はこの後、傾きかけた伯爵家子息が第二王子アルフレッドのお茶会を断ったことで貴族の中でかなり立場が悪くなる。
それほど王族の招待というのは貴族に対しては重責なのだ。
兄は伯爵家の男子として、さすがにお茶会を欠席ばかりするわけにはいかずに、少し体調が良くなると無理をしてお茶会や集まりに出席することになる。だがその度に、王子殿下のお茶会を欠席したことを責められて、とうとう心労で病気は悪化し、命を落とす。
跡継ぎの兄を失った母は半狂乱になり命を絶つ。
父はこのことで酷く衰弱し、苦悩する。
さらに私……ブランカは伯爵家の跡取りとして恐ろしいほど厳しい淑女教育を受け、絶対に優秀な男性と婚約しなければならない、というプレッシャーにまみれた崖っぷちの状況になる。
つまり、これはリンハール家が過酷な運命に向かって行く序章となる出来事だ。
今後のことを考えると、怖いというのももちろんだが……
私はベッドに寝ている兄を見た。
色白で顔も整っているし、優しそうな碧い瞳がとても綺麗だ。
母親も慈愛に満ちた表情で微笑んでいる。
(こんな人たちを、心無い言葉で死なせたくない!!)
私は必死で考えた。
BADエンドばかりの過酷な道に進みたくない。
さらに兄や母を誹謗中傷で死なせたくない。
だからと言って体調の悪い兄を無理やりお茶会に行かせるわけにはいかない。
私はゴクリと息を呑んで父に話かけた。
「お父様、招待状を見せてもらえませんか?」
「構わないよ」
お父様は兄のベッドの横の椅子から立ち上がると、兄の机の上に置いてある封筒を手に取った。
私は急いで兄の机の近くに行くと招待状を手に取った。
――リンハール伯爵子息殿へ
(リンハール伯爵子息殿へ……か……)
私は急いで中身を見たが、兄ジークの名前はどこにも書いていなかった。
(兄を指名されているわけじゃない……招待を受けたのは《《リンハール伯爵子息》》)
つまり今回のお茶会は、各家の者が王家家への呼び出しに応じるかだけを問われたお茶会。
(リンハール家の人間なら誰でもいい??)
――それなら……私は……
私は兄の机の上に置いてあった護身用の短剣を手に取り、長い髪を掴み短剣で切った。
床に自分の銀に近い長い髪が落ちて行く。
「キャーーブランカちゃん!!」
ブランカの母親の声が部屋中に響き渡り、父親の声も遅れて響いた。
それもそのはずだ。貴族令嬢が髪を短くすることはない。
「ブランカ、何をしているんだ!?」
「ブランカ!? どうしたの??」
髪をばっさりと切って短くなった私は慌てる三人を見ながら言った。
「お父様、私がジークお兄様の代わりに……王家のお茶会に出席します」