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Hotel Souma  作者: 霧海 森
3/4

送るつもりは、なかった

 「……まあ、あとは燃やすだけですから」


 受付カウンターでその言葉を聞いた瞬間、成宮理人はまぶたの奥にピリつくような違和感を覚えた。

 言いようのない、喉に刺さった小骨のような感覚。

 この感覚は、かつて理人自身が誰かに言った台詞と、酷似していた。


 「すみません、ちょっと乱暴な言い方でしたかね?」


 そう言ったのは、20代後半の女性。ジャケットの袖から覗く腕時計をちらと見て、気まずそうに笑った。

 彼女の名は、緒方紗枝。ホテル蒼間に「叔母の遺体を一時預けたい」とやってきた。


 「正直、こういうサービスの意義は、よくわからないんです。思い出に浸るっていうのも、苦手で」


 割り切った口調。情緒を切り捨てて、冷静でいようとする態度。

 ──どこか、昔の自分に似ていた。


***


 「紫苑の間」に案内された紗枝は、部屋の中を一通り見渡すと、すぐにソファに腰を下ろした。

 棺には、歳を重ねた女性が穏やかな表情で眠っている。

 紗枝の叔母であり、母の姉にあたる人物。未婚のまま一人で生きてきた女性だという。


 「うちの母は、あんまりこの人と仲良くなかったみたいで……実家からも遠かったし、私もそんなに会ってないんですよ」


 それでも、紗枝は唯一の親族として、葬送の手続きを引き受けたという。

 「別に嫌いじゃなかったですけど、すごく距離はあった気がします」

 そう言って、彼女は小さく肩をすくめた。


 理人は相槌を打ちながらも、なぜか心がざらついた。


 “死者との距離”を言葉で測るような態度に、かつての自分を重ねすぎてしまったのかもしれない。

 ──いや、違う。

 自分も「死んだ人間にここまでする必要はない」と思っていた。

 でも、目の前のこの客が言うと、どこか引っかかる。


 「無駄じゃないかって思ってますよね」


 そう問いかけたくなった。

 けれどそれは、自分自身にも刃を向けることになる。

 理人は黙って、「何かご希望があれば、いつでもお申しつけください」とだけ言って頭を下げた。


***


 翌日、紗枝が口にした希望は、意外なものだった。


 「叔母が生前好きだった画家の展覧会、近くでやってるって、昨日ネットで見て。パンフレットとか、あれば飾ってもらえますか?」


 理人はわずかに驚いたが、「もちろんです」と答えた。


 「私、小さい頃にその人の画集を見せてもらって、変な絵だなと思ってたんですけど……なんか、急に思い出して」


 彼女はそれ以上、何も言わなかった。

 ただ、その目には、前日とは少しだけ違う色が宿っていた。


 理人は静かに頷き、展示会のパンフレットを調達し、棺のそばに飾った。

 叔母の写真の前に、それを見つめるように置くと、部屋にわずかな彩りが加わった。


***


 三日目の夕方。チェックアウトの準備のため、理人が部屋を訪れると、紗枝は棺の前で小さく笑っていた。


 「こんなに……なんていうか、落ち着いてるんですね、ここ」


 理人はうなずいた。


 「私、最初は早く片づけたいって思ってたんです。でも……こうやって、何日か一緒に過ごして、なんかちょっと変でした」


 「変……ですか?」


 「この人のこと、そんなに知らなかったはずなのに。……なんか、寂しいなって思っちゃって」


 理人は、静かに目を伏せた。

 言葉にしきれない感情が、彼女の中で少しずつ輪郭を持ち始めているように感じた。


 「わかんないですけど……ちょっとだけ、送るつもりになったかもしれないです」


 ──“送るつもりはなかった”。

 そう言っていた彼女の口から、自然と出た言葉だった。


***


 理人は、空になった部屋に戻り、カーテンを閉めようとして、ふと手を止めた。

 日が落ちかけた西の空が、じんわりと紫がかっていた。


 “自分がかつて抱いていた言葉が、他人の口から出たとき、こんなにも違和感を覚えるものなんだな”


 それは、自己否定ではなかった。

 ただ、“どこかが違う”という、小さな異物感。

 時間をかけて、誰かと向き合うことの価値を、自分が少しだけ理解し始めたからかもしれない。


 ──人を送るって、思っていたよりもずっと静かで、ずっと大変だ。


 そう、理人は心の中で呟いた。


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