送るつもりは、なかった
「……まあ、あとは燃やすだけですから」
受付カウンターでその言葉を聞いた瞬間、成宮理人はまぶたの奥にピリつくような違和感を覚えた。
言いようのない、喉に刺さった小骨のような感覚。
この感覚は、かつて理人自身が誰かに言った台詞と、酷似していた。
「すみません、ちょっと乱暴な言い方でしたかね?」
そう言ったのは、20代後半の女性。ジャケットの袖から覗く腕時計をちらと見て、気まずそうに笑った。
彼女の名は、緒方紗枝。ホテル蒼間に「叔母の遺体を一時預けたい」とやってきた。
「正直、こういうサービスの意義は、よくわからないんです。思い出に浸るっていうのも、苦手で」
割り切った口調。情緒を切り捨てて、冷静でいようとする態度。
──どこか、昔の自分に似ていた。
***
「紫苑の間」に案内された紗枝は、部屋の中を一通り見渡すと、すぐにソファに腰を下ろした。
棺には、歳を重ねた女性が穏やかな表情で眠っている。
紗枝の叔母であり、母の姉にあたる人物。未婚のまま一人で生きてきた女性だという。
「うちの母は、あんまりこの人と仲良くなかったみたいで……実家からも遠かったし、私もそんなに会ってないんですよ」
それでも、紗枝は唯一の親族として、葬送の手続きを引き受けたという。
「別に嫌いじゃなかったですけど、すごく距離はあった気がします」
そう言って、彼女は小さく肩をすくめた。
理人は相槌を打ちながらも、なぜか心がざらついた。
“死者との距離”を言葉で測るような態度に、かつての自分を重ねすぎてしまったのかもしれない。
──いや、違う。
自分も「死んだ人間にここまでする必要はない」と思っていた。
でも、目の前のこの客が言うと、どこか引っかかる。
「無駄じゃないかって思ってますよね」
そう問いかけたくなった。
けれどそれは、自分自身にも刃を向けることになる。
理人は黙って、「何かご希望があれば、いつでもお申しつけください」とだけ言って頭を下げた。
***
翌日、紗枝が口にした希望は、意外なものだった。
「叔母が生前好きだった画家の展覧会、近くでやってるって、昨日ネットで見て。パンフレットとか、あれば飾ってもらえますか?」
理人はわずかに驚いたが、「もちろんです」と答えた。
「私、小さい頃にその人の画集を見せてもらって、変な絵だなと思ってたんですけど……なんか、急に思い出して」
彼女はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、その目には、前日とは少しだけ違う色が宿っていた。
理人は静かに頷き、展示会のパンフレットを調達し、棺のそばに飾った。
叔母の写真の前に、それを見つめるように置くと、部屋にわずかな彩りが加わった。
***
三日目の夕方。チェックアウトの準備のため、理人が部屋を訪れると、紗枝は棺の前で小さく笑っていた。
「こんなに……なんていうか、落ち着いてるんですね、ここ」
理人はうなずいた。
「私、最初は早く片づけたいって思ってたんです。でも……こうやって、何日か一緒に過ごして、なんかちょっと変でした」
「変……ですか?」
「この人のこと、そんなに知らなかったはずなのに。……なんか、寂しいなって思っちゃって」
理人は、静かに目を伏せた。
言葉にしきれない感情が、彼女の中で少しずつ輪郭を持ち始めているように感じた。
「わかんないですけど……ちょっとだけ、送るつもりになったかもしれないです」
──“送るつもりはなかった”。
そう言っていた彼女の口から、自然と出た言葉だった。
***
理人は、空になった部屋に戻り、カーテンを閉めようとして、ふと手を止めた。
日が落ちかけた西の空が、じんわりと紫がかっていた。
“自分がかつて抱いていた言葉が、他人の口から出たとき、こんなにも違和感を覚えるものなんだな”
それは、自己否定ではなかった。
ただ、“どこかが違う”という、小さな異物感。
時間をかけて、誰かと向き合うことの価値を、自分が少しだけ理解し始めたからかもしれない。
──人を送るって、思っていたよりもずっと静かで、ずっと大変だ。
そう、理人は心の中で呟いた。