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第八話

 文化祭まであと一週間となった時、わたしたちのバンドは急遽演目が増えてしまった。

 盲腸で入院してしまった先輩の代打を頼まれ、甲斐先輩が渋々引き受けてきた。

 持ち時間は十分、わたしたちは考え倦んでいた。

メインの演目はストーリー性を持たせたひとつの物語となっている。そこに曲を増やすことは不自然だから、他の演目と演目の繋ぎとして頼まれていた。

 土曜日に突然お願いされて翌日の日曜日、優先的に練習場所を使えるようになったわたしたちはお気に入りの小さな音楽室に缶詰となっていた。

 甲斐先輩の実家はギター教室を営んでいて、甲斐先輩もバイトがてら教室の先生としてお手伝いをしている。そのために甲斐先輩が夕方までに帰らなければいけない。

 朝早くから集まり、まず演目の相談を始めたけれど、とにかく頭を悩ませていた。

「カバーにしちゃう?」

 新君が仕方なくそう言った。

 オリジナルしか演奏しないわたしたちはそもそも既製の曲のカバーをしたことがない。練習曲として使っているものはあくまでウォーミングアップや技術の練習用。人に聴かせるようなものがまるでない。そうして今回の文化祭を含める数回あった演奏会の為にしか曲を作り上げられていない。  

 まだ人前で演奏していない曲をという注文だった。けれどもわたしたちはバンドとしてのストックが一つもない。

 カバーでやれるとすれば練習に使っている曲。けれども今からアレンジを加えて作品として仕上げるのは面倒くさいと甲斐先輩がぼやいた。

 わたしたちはわたしたちだけの音楽を奏でたい。既製の曲をアレンジして使うとしたら、その曲を壊さずにわたしたちらしい世界観を作り出せなければ満足できないだろう。満足に作り上げられていないものを人前で演奏するのは失礼だと思う。

 ぼやいたあと、考え込んだ末に甲斐先輩が言った。

「二人ともストックはあるよね? あるならそれ使っちゃおう」

 わたしと新君はあまり乗り気になれなかった。言った甲斐先輩だって本当は嫌に違いない。

 わたしたちにはひとつの拘りがある。

 演目には必ず、物語を語るようなストーリー性を持たせるというもの。

 曲を持ち合って始めに行う作業は、物語として繋がるように詞にアレンジを加えていくこと。それから曲調のアレンジを行う。ここまでにかなりの時間を費やす。

 甲斐先輩の思い切りが正しいことは確かだった。一番妥協に遠いのがそれだということは違いない。確実にわたしたちの音が生まれる方法だ。

「俺、明日一曲持ってくるよ。で、新と天ちゃんも明日一つずつ何か持ってきて。強行するよー。期限は明後日」

「お、おう……」

「が、がんばる……」

 流石に新君もわたしも息を飲んでから言った。引き受けてしまったからにはやらなければならない。



 わたしは円佳君を馳せながら書いたあの時の詞を持ってこようと思った。

 形にならない気持ちを昇華させられるとは思わない。けれども、見えなくても手に取れなくても、解き放つだけなら出来るはず。わたしが抱えるまるで形のないこの感覚を大切に歌に乗せてみたい。



 アレンジする時の基調を決めてしまおうと、それぞれ練習前の準備を始めた。

 既にピアノの支度を終えている新君の手慣らしと一緒にわたしの発声練習をする。

 甲斐先輩が音楽室の隅で音叉を使ってギターの調律をしている。

 甲斐先輩はケースからギターを取り出したあと、必ず同じ場所へギターケースを立て掛ける。立て掛けたギターケースと向かい合って準備をしている姿はいつも幸せそうだ。

 それぞれ準備が整うと、わたしたちは必ず行う練習がある。

 予め机の上に出しておいたスティックを手にして机を囲む。用意しておいたメトロノームを用いてリズム取りの練習を行う。

 リズム感を養うとともに、三人の息を合わせる為のこの練習は新君が持ってきた。

 初歩的なリズムから始めて、どんどん変則的なものへと変えていく。

 ピアノを愛する新君は家でピアノの練習を行う時、只管ピアノの基礎やこういった練習をしてから大好きなクラシックを弾くのだと、お隣のかんなちゃんが言っていた。

 わたしたちは変則的なテンポやリズムを好む。練習しても練習しても足りない。出来るようになったらもっともっと他のことがしたくなる。

 わたしが居るから歌詞のある曲しか作らないけれど、わたしたちは決して形ある言葉を届けたいわけではない。

 わたしたちが届けたいのは、自分たちが奏でる数多の音と感覚、そして想い。それらを届ける手段として形あるもの、言葉というものに当て嵌める。

 基礎練習を行いながら、幾つかのテイストもジャンルも違う楽曲を使って様々なテンポ、アレンジを試みる。その時、歌詞は入れずにいつもわたしはスキャットのみ。

 いつだって自分たちだけの音を生み出したいわたしたちには、必要なことを幾らでも取り入れていく代わりに、要らないものもあった。

 歌詞もきちんと取り入れてセッションし、見つけたしっくりくるものを演目に持っていけばいいのかもしれない。けれども、わたしたちはそれをしようという発想を待てない。



 取り入れてみたい試みを打ち合わせながらいくつも試して、疲れてきた頃に昼休みを挟んだ。

 お昼を食べ終わってのんびりとしていたら、かんなちゃんが差し入れを持ってきてくれた。

首元に当てがわれたひんやりとした感覚、アイスクリームだ。頭を使っている時に甘いものは助かる。

 三人で目を輝かせると、かんなちゃんが高飛車に言った。

「これからはかんな様と呼ぶといいわ」

 相変わらずだなと苦笑いを浮かべたわたしの向かいで「絶対に嫌だ!」と新君と甲斐先輩が抗議する。

 わたしの隣に腰を下ろしたかんなちゃんが、突然耳打ちをしてきた。

「がんばって、だって」

 よくわからなくてわたしはぽかんとした。

察しが悪いという呆れた目でかんなちゃんに見つめられても、よくわからないものはわからない。

 かんなちゃんはわたしの首に腕を回してさらに耳元で囁くように言った。

「何だか物静かそうな男の子ね」

 かんなちゃんが言ったその言葉にはっとした。

 円佳君しか思い付けなかった。

 頭が追いつかない。かんなちゃんはわたしの話でしか円佳君を知らない。どういうことだろう。

「ほら、天の幼馴染のみっちゃん」

 かんなちゃんと寄り道をした時に一度だけみっちゃんと出くわしたことがある。

「みっちゃんたちが合同練習で今来てるんだよ」

 わたしはそれで漸く察することが出来た。

 みっちゃんと円佳君は中学の時から陸上をしていて、今も陸上部に所属している。

「そのみっちゃんと話してたら、なんか声かけられた」

 わたしは自分が小さく微笑んだことに気付いた。

 会いたくないけれど、会いたい。

 会いたいけれど、会いたくない。

 結局わたしは会いたい。恋しい円佳君に会いたい。

 わたしには今、円佳君の瞳を見つめられたなら、話したいことが山ほどある。円佳君がわたしと目を合わせてくれたなら、伝えたいことを伝えられるだけ伝えたい。言葉を見つけることが出来たならば。

「頑張ったらご褒美あるよー」

 こそこそ話を終えると、そう言い残したかんなちゃんは同好会の活動があるからと音楽室を出ていった。

「差し入れありがたいけどさ」

「毎度嵐だな」

 新君と甲斐先輩が苦言にも近いぼやきを漏らした。

 ありがたいアイスクリームをいただいてすっきりしたわたしたちは再びセッションを始めた。



 何度か同じ曲を繰り返していたら、楽しいことを三人して一気に思いついた。

「モーツァルト!」

 と言ったのはクラシック好きの新君だ。踊り出しそうな声の調子が新君らしい。

「賑やかなの試しにやってみたい!」

 甲斐先輩が目を輝かせた。甲斐先輩が賑やかな曲をやりたいと言いだすのは珍しい。

「楽しいのやるなら、ラストが良い!」

 と思わずわたしは言ってしまった。

 この学校の音楽部はとても自由だ。そして地元ではとても有名。演奏会には沢山の人が訪れる。音楽に関することなら何をしても構わないこの部では、裏方に回って運営やスタッフ業を好んで行う人たちの方が多い。みんなが嬉々と演奏会の企画を立てていくから、ありがたいことに発表の場が他の文化部よりも格段に多い。

 繋ぎではなくトリをいただくには段取りを既に組んでしまっている運営方に甲斐先輩が交渉しなければならない。

 と、少し逡巡したあとに甲斐先輩が勢いよく言った。

「やろう、それ! 絶対盛り上がる! というか、盛り上げちゃおう!」

 それからわたしたちはピアノを囲んで再び話し合いはじめた。初めに甲斐先輩が出した提案をひっくり返して。

「おもちゃ箱みたいな感じいいなあ」

 ふと思い浮かんだことを言ってみた。

「それ楽しそう!」

 元気でいつも愉快な新君が嬉々とした。新君自体、おもちゃ箱のような性格だ。

「んー、じゃあさ。思いきっておもちゃの行進ねじ込みたい」

 甲斐先輩のその提案にわたしと新君の高揚感が増す。

 すると新君が言った。

「今から即興でストーリー性ある長めの曲作っちゃわない?」

「それ良い!」

 わたしと甲斐先輩の声が揃って弾んだ。

 それからわたしたちは幾つかの案を出し合って、「おもちゃ箱」をテーマに即興を始めた。

 イントロは新君のピアノ、静かに弾むおもちゃのマーチから、優しい甲斐先輩のギターが加わり、わたしがフェイクを重ねていく。パーティが始まるよという合図のように音を重ねていく。おもちゃの兵隊さんの呼びかけにいろんなおもちゃたちが集まってくる。

 コード進行の基本はおもちゃのマーチ、歌詞は最低限で楽器のようにスキャットを多用しようという打ち合わせで始めた。

 わいわいおしゃべりをするように音楽が流れていく。

 誰かの合図で変拍子を取り入れたり、変調出来る拍子にクラシック好きの新君が「おもちゃの行進」以外にも明るく賑やかなクラシックを取り入れる。高揚感が最高潮に達したところで爽快に幕を下ろした。 

 予定の三曲分の長さで演奏を終えると、三人で顔を合わせて笑い合う。最高な気分だった。



 音楽室のドアがとんとんとノックされた。

 そういえばいつものことだけれど、かんなちゃんはいきなりがらりと開けてくる。だからかんなちゃんでないのは確かだ。加奈ちゃんかなと思ったら、やっぱり加奈ちゃんだった。

「差し入れ持ってきたの」

 そう言いながら加奈ちゃんが可笑しそうに笑うから、三人揃ってわたしたちは首を傾げた。

「なんだかとっても楽しそう!」

 そうしてわたしたちは楽しいから「楽しい!」と声を揃えた。

「疲れているかなって思ってお菓子持ってきたけど……邪魔しちゃったかなあ」

 申し訳なさそうに若干顔を曇らせた加奈ちゃんはやっぱりわたしたちに気を遣っている。

「そんなことないよ!」

 間髪入れずに勢いよく言った新君がやたらと嬉しそうだ。その様子に加奈ちゃんが柔らかく微笑んだ。

 わたしが好きな加奈ちゃんの笑った顔。おもちゃ箱から生まれた楽しい気分が加奈ちゃんの笑顔で更に膨らんだ。

 もしかしたらと思った。加奈ちゃんは女の子らしいことが得意だ。お料理やお菓子作りがとても上手。とても美味しくて、久々に食べられるかもしれないと期待をした。

 加奈ちゃんが机に広げてくれたお菓子は手作りで、やはりとても美味しそうだ。

 甲斐先輩がやたらと悔しそうな顔をしている。甲斐先輩は料理が好きらしい。得意らしい。理由は化学実験だと思う。いつもお弁当は自分の手作り。とにかく恨めしそうだ。加奈ちゃんがおろおろしている。

 察した新君が甲斐先輩を窘めた。

「あのさ、甲斐。男でお菓子作り得意なやつってそうそういないから」

 そうして「たぶん」と付け足した。新君が「たぶん」と付け足したのは、器用に甲斐先輩がお菓子も作れてしまうからだ。

 二人がそんなやり取りをしているうちに、わたしは一番乗りをいただいた。

 可愛らしいデコレーションのされた小さなタルト。頬張ったら美味しくて、顔を綻ばせたら、加奈ちゃんの顔も綻んだ。

 加奈ちゃんの笑顔が昔と随分違うようにわたしの目に映った。

 わたしたちは今のわたしたちの時間の形を持って、わたしたちの今を過ごしている。進み続ける時間に胸が熱くなった。

「天ちゃん、変な顔ー」

 浸っていたのだろうわたしのおでこを新君がつんと突いた。わたしは嬉しいから「嬉しいの!」と笑った。

 となりに座っていた甲斐先輩が吹き出して、新君のとなりに座っている加奈ちゃんが照れくさそうな笑顔で肩を竦めた。

 嬉しい時に嬉しいと声を弾ませられるこの今がとても大切に感じた。

 邪魔したら悪いからと、加奈ちゃんはわたしたちが食べ終えるとすぐに帰ってしまった。ひどく寂しそうな新君が可笑しくて、わたしと甲斐先輩は目を見合わせた。



 円佳君が来ている。

 音楽室の音は外まで聴こえる。

 円佳君の耳にわたしの声は届くだろうか。

 「頑張って」と言ってくれた円佳君が、まだわたしの歌声を覚えていてくれたら嬉しい。それだけで嬉しい。



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