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第六話

 練習が休みの日、わたしと加奈ちゃんは一緒に寄り道をすることにした。

 部活に入っているわたしは放課後に直で寄り道することがあまりなくて、少しだけ不思議な感覚を抱いた。それはきっと一緒に居るのが加奈ちゃんであるからだ。

 天文同好会の活動日であるかんなちゃんは一緒に来られなかった。かんなちゃんは今頃、甲斐先輩の「面倒くさい」親友をこき使っているところだと思う。その先輩は三年生、かんなちゃんは一年生。なのに先輩はかんなちゃんに頭が上がらない。

 となりで歩く加奈ちゃんの長いおさげがるんるんと弾むように揺れている。加奈ちゃんは感情が顔に出やすいから、うきうきご機嫌なのが手に取るようにわかる。

 懐かしい感覚が呼び起こされる。

 あの頃、加奈ちゃんはわたしたちと居ると、賑やかなのにどこか穏やかさをもってたくさんたくさん話をしてくれた。

 よくよく考えると、加奈ちゃんは楽しいことだけしかわたしたちに話さない。楽しそうな加奈ちゃんの話を聴くことは心地良さがあって、だからわたしはそのことについてまるで気付かなかった。加奈ちゃんに何かを相談された試しもない。

 時々傍迷惑な言動をしては周囲とぶつかる加奈ちゃんは悩み事をいっぱい抱えていたのかもしれないのに、それをわたしには言いたくなくて、けれども誰かにわかってほしくて、でも上手な形として伝えられなかったのかもしれない。

 苦手な野菜の克服方、どの色の靴下を身に付けようか、ご飯とお風呂どちらを先にしようか、そんな些細なことだって全て悩むという行為。

 加奈ちゃんはそういう小さな小さなものをたくさん抱え込んでいたのかもしれない。

 悩むことがあまりないわたしだって、例えば苦手な階調に対してどんな風に声を扱うべきかといつも考えている。 

 結局のところ、それが悩みという形にあるかそうでないか、違いはそれだけなのだと思う。

 わたしに対して言葉を荒げたことのない加奈ちゃんは、涙を浮かべて押し迫られたあの一度の時も、語調が強かったけれども声を荒げたわけではなかった。そうして加奈ちゃんはその時、涙目で泣かなかった。わたしは加奈ちゃんが泣いている姿を知らない。

 加奈ちゃんは、自分の興味で突っ走る時以外、押し付けがましいことを言うことがなかった。ただ、その押し付けがましさをわたしへではなく、周りの友達に対して振る舞うことが問題だった。

 今思うと、自分の居場所をもっと求めていたのかもしれない。わたしたちのとなりにある自分の居場所を守りながら。



 加奈ちゃんに対してずっとつっかえていたものは、気が付けば全て取れていた。元からつっかえる必要なんてなかったのかもしれないなんて思うこともある。

 わたしが上手に出来なかった、そういうことなのだと思う。

 加奈ちゃんへの感情が変化してしまったあの時、きっと自分の辛さしか見えていなかったのだ。



 学校の裏手にあるたこ焼き屋さんの話を加奈ちゃんにすると、「行きたい!」と言い出して、結局その日のうちに連れていくことになった。  

 小さな店内の割に簡素なテーブル席がいくつもあり、だべるのに最適なそのたこ焼き屋さんは一本細い筋を入るから、あまり知られていない。ひっそりと知る者の溜まり場となっている。部活帰りに新君と甲斐先輩に連れられるまで、地元なのに店の存在を知らなかった。

 店主のお兄さんは音楽部の創設者の一人である。部活でもよくお世話になっている陽気で気さくな先輩。

 カウンターでたこ焼きを注文し、「いつも通り?」と聞かれて「はい」と答えると加奈ちゃんの興味を惹いた。そうして嬉々と聞いてきた。

 「マヨ無しソース少なめ」と教えると、加奈ちゃんは案の定嬉しそうに「わたしも同じにしてください」とお兄さんに伝えた。

 面倒見の良いお兄さんは兄のように接してくれるから、みんな言葉通りお兄さんと呼んでいる。

 初めて見る女の子に気の良いお兄さんがからから笑った。

「仲良しなんだな」

 接客業を営む人の見る目に感心しながら肩を竦めて、焼き立てを作るお兄さんの手元を見つめながらくすりと笑ってしまった。

 お兄さんはその言葉を明らかにわたしではなくて、加奈ちゃんに向けていて、加奈ちゃんがとても嬉しそうなのが顔を見なくても伝わってくる。

 こういう時の加奈ちゃんがわたしはとても愛らしい。

 けれどもやっぱり疑問。

 加奈ちゃんはどうしてこんなにわたしのことを好きでいてくれるのだろう。わたしは一度加奈ちゃんを拒否した。

 これだけは今も疑問のままで、わたしは時々申し訳なくなる。



 加奈ちゃんが転校してきてから一ヶ月が経った。クラスに未だに馴染めない加奈ちゃんは常に静かだ。わたしたちと話している時以外は。だから冷静に加奈ちゃんを見つめられる時、色々考える時間が持てた。

 ゆっくり考えればいろいろ見えてくることがある。きっとかんなちゃんたちも気付いている。

 加奈ちゃんはわたしのことが大好きで大好きでいてくれているということ。わたしの周りのみんなのことも大好きで大好きでいてくれているということ。

 そうして、わたしたちの前で、きっとまだ加奈ちゃんは自分を抑えているということ。

 薄々気付きはじめていたそれは、もはや確信に近い。

 もうわたしたちの輪の中に加奈ちゃんは居るのだから、気にする必要のないこともたくさんある。相手を尊重することと気を遣うことは全く違う。

 きっと加奈ちゃんは加奈ちゃんで、形ないものをたくさん抱えているのだろう。加奈ちゃんは何も言わないし、形すら見えていないのかもしれないから、わたしがどうにかしてあげられるわけもなかった。

 加奈ちゃんが周りを引っ掻き回すことはもうない、最近のわたしはそう思う。もし加奈ちゃんが空回りしそうになったら、わたしたちが先に気付いてあげたらいい。きっとそれだけで、それが正しいように思う。

 中学生のわたしはそれをしてあげられなかった。

 やはり今までの自分は、なんて酷い友達だったのだろうか。

 気付けなかった空白の時間の中で、心の中で、只管彼女を悪者にした。それなのに加奈ちゃんは今でもわたしを親友だと言ってくれる。



「加奈ちゃんは相変わらずだねえ」

 なんだか変わってないような変わったようなわたしと加奈ちゃんの関係性に嬉しくなって口を滑らせたら、加奈ちゃんは満面の笑顔を浮かべた。わたしの好きな加奈ちゃんの笑顔。

 寄り道が決定した瞬間から加奈ちゃんは終始ご機嫌で、今のこの瞬間が一番嬉しそうだ。

 加奈ちゃんのことがちゃんと好きだと気付いた時、わたしはひどく満たされ嬉しかった。

 あの頃だって変わらなかった。噛み合わなくなるまでの加奈ちゃんのことはちゃんと好きだった。だから最後に誰より傷付いたのは、わたしでも円佳君でもなくて加奈ちゃんだったかもしれない。



 カウンターに「マヨ無しソース少なめ」のたこ焼きが二つ置かれると、加奈ちゃんが当たり前のよう七百円置いた。それは二皿分。思わずぎょっとしたけれど、こういう時の加奈ちゃんは譲る気が毛頭ないことを知っている。

 加奈ちゃんは日頃のお礼だと言った。 

 そんな言葉をくれた加奈ちゃんに対して、つい後ろめたさを感じてしまって焦った。わたしは最近まで、加奈ちゃんがちゃんと好きだということを忘れていたのだ。

「今日はわたしが奢るんだって決めてたの!」

 加奈ちゃんは何がなんでも譲る気がない。こういう時の押しの強さはあの頃からまるで変わらなくて、苦手だった加奈ちゃんの側面だったのに、今はなんだか擽ったい。

 たこ焼き二つを手にして先に席へ向かう加奈ちゃんのご機嫌な背中をのんびり見送ってから、ウーロン茶を二つ注文した。

 大きいプラスティックのカップにウーロン茶を注ぎながらお兄さんがにやにや笑っている。

「あのね、ちょっと前にうちのクラスに来た転校生なのだけど、中学の時のお友達なの」

 わたしがそう言うと、お兄さんは「なるほど」と言った。

「楽しい子でしょ?」

「面倒くさいくらいに楽しそうな子だな」

 その言葉に盛大な笑いを零してしまったのは、甲斐先輩と同じようなことを言ったからだ。

 加奈ちゃんは直情的なところもあるから、面倒くさいくらい楽しい子という表現は的確かもしれない。しかしわたしが持っている今の加奈ちゃんに対する形容は、面倒くさいではなくて、複雑であるというものだった。

 お代を置いてウーロン茶を二つ受け取り、お礼を言うとお兄さんに聞かれた。

「出来はどんな塩梅?」

「上々、と言っておきます!」

 わたしがそう答えると「楽しみにしている」とお兄さんがプレッシャーをかけるような口調で言った。

「……あんまり緊張させるようなこと言わないでよ」

 思わずそう返すと心外そうな顔をされた。

「天でも緊張することあるのか」

「ありますよう。お化粧して人前に立たなきゃなんです、なぜか」

「あー甲斐か。服装とか全部うるさそう」

 そうしてお兄さんは「本当あいつってロマンティストだよな」とけらけら笑った。



 加奈ちゃんとわたし、ふたりして猫舌でたこ焼きを一気に頬張れない。割り箸で切り分けて、それでも熱い熱いと言いながらウーロン茶を口に含む。うまく割れなくて笑い合う。

 そんな風にゆっくりとふたりの時間を楽しんでいたら、たまたまやって来たクラスメイトの男の子二人に声を掛けられた。

二人は加奈ちゃんをそろりと伺ったあと、わたしたちに同席してもいいかと尋ねてきた。

 わたしは判断を加奈ちゃんに任せてみることにした。

 加奈ちゃんは少しの戸惑いと照れたような緊張したような、つまり複雑だけれど嬉しそうな表情で「うん」と答えた。猫撫で声は出てこない。とにかく照れくさそうだ。

 そのあとの加奈ちゃんは終始楽しめているようだった。わたしが加奈ちゃんと呼ぶから、男の子二人も加奈ちゃんと呼びはじめて、名前を呼ばれる度に加奈ちゃんはくすぐったそうだ。

 のんびりとした性質の子たちであるのと、少人数で話しているからだろう。加奈ちゃんが教室の中にいる時とまるで違う。肩の力を抜いて楽しそうに話をしている。

 それでもわたしたちが知るよりも静かで、ひどく気を遣っているのがよくわかる。

 未だクラスに打ち解けていない加奈ちゃんは、やっと少しだけ慣れてきたわたしの友達に嫌な思いをさせないように必死なのだと思う。

 どうしたらみんなに自分を受け入れてもらえるのか、友達の作り方が得意ではない加奈ちゃんはきっと困惑したまま過ごしている。

 これだけは、どうしても加奈ちゃんの問題。わたしたちに出来ることは言葉なくそっと背中を押してあげることだけ。 

「友達なんて作ろうとして作るものじゃない」

 わたしを含めてみんな同じことしか言えないと思う。

 それはきっと加奈ちゃんには難しいことで、そんな言葉で加奈ちゃんを追い詰めてしまったら嫌だ。

 甲斐先輩や新君は校内に友達がたくさんいる。わたしやかんなちゃんも顔が広い方だと思うけれど、まだ一年生のわたしたちから比べると、二人の交友関係は驚くほど幅広い。

 わたしたちの関係は、その広い交友関係とは裏腹に少しだけ閉鎖的な感もあるかもしれない。

 踏み込まれることが好きじゃない甲斐先輩は深い自分事を他人にあまり話さない。新君は元気じゃない自分を他人に見せることを只管嫌う。かんなちゃんと甲斐先輩の「面倒くさい」親友は我を崩すことを絶対にしない。わたしはいつもどこでも微笑んでいたいから感情を顔に出すのが好きじゃない。

 結局何処かみんな似ている。自分が他人に見せたくない姿を隠す。

 わたしたちはわたしたちだけでいる時だけ、隠したい姿を少しだけ見せ合う。感覚的にそれらを捉えて、言葉少なく受け入れて胸に留める。

 今の加奈ちゃんは、わたしたちの性質を毎日のように垣間見ている。けれどもわたしたちの関係性は少しだけ複雑だから、時々加奈ちゃんは淋しそうだ。

 わたしたちの輪の中に自然と溶け込んだ加奈ちゃんも、わたしたちからすれば、もうこの少しだけ複雑な関係の一人だ。

 教えたくても、これは形を持たないから伝えづらい。

 そんな加奈ちゃんはみんなに迷惑をかけたくないと頑張ってしまっているようにしか見えない。そうして加奈ちゃんは頑張っている自分を知られたくないようにも見える。

 頑張らなくていいとも気を遣わなくてもいいとも、きっと伝えてしまってはいけない。

 円佳君に伝えたい。

 わたしたちの輪の中で笑っている加奈ちゃんの今の姿を。

 わたしはいつまでこうしているのだろう。

 頑張っている加奈ちゃんの横には、のほほんと笑っているだけの頑張れないわたしがいる。


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