【悪魔の脚本】停滞輪廻【β版】
これは『悪魔の脚本』内のシナリオの一つのプロット版です。昔に書いたものがあまりに違っていたので勿体ないのでリサイクル投稿。やってることは酷いのに、表現が明るすぎてボツにした物。
それでも設定は酷いのでご注意下さい。
自分で書き留めておいてなんだけど、この物語は……あまり好きではないわ。
だから隠しておいた。これを開く人。貴方はこの本を見つけてしまったのね。
これは私にとって、非常に不愉快な物語。
可哀想だとは思うわ。それでも不愉快。だから乾いた笑いしか作れない。この残酷は、私にとって憐憫に値すると同時に自己嫌悪と同族嫌悪を呼び起こす。
貴方にとってはどうかしら?
繰り返される物語。
終わらない、綴じられた物語。
永遠よりも長い久遠を殺され続ける物語。
繰り返しの物語は他にも認めた。あれは極々一部の者だけが、記憶を引き継いでいたけれど、この物語は全くの逆。一人を除くすべてがそれを持っている。その異常性が私を不快にさせる。いや……違う。私は恐れている。その存在に戦慄を覚える程に。
彼等はみんな、生きた屍。何度も何度も殺された。そしてこれからもそれはずっと続いていく。
人は愛のために生き、愛のために死ぬ。そう言えば聞こえは良いわ。
でもコレは拷問。彼女を愛そうとする者は居ても、彼女を愛せる者は何処にも居ない。歪すぎる、歪んだ物語。
回り続ける綴じた輪。前には進めず唯堕ちていくだけの物語。回らぬ水車。泡沫は生まれず水は濁り腐るだけ。それが流れ行く先……
私は知っていた。知っていたの。それでも……それでも、それなのに………………
*
僕が物心ついたときには、そこにはもっと大勢の人が居た。けれど、ある日突然彼等は消えてしまった。
それなのに、テレビは映る。新聞は届く。ネットも繋がる。お店に行けば依然と変わらぬように商品が陳列されている。作った日付も賞味期限も変わっていく。本屋に行けば、集めていた本の続きが置いてある。CDショップにだってテレビに映るようなアーティストの新曲が置かれている。
だからこの生活に、何の不便もない。大好きな家族が居て、暖かいご飯と温かい家。欲しい物は何でも無料で手に入る。まるで夢のような生活。お金の全く必要のないところで自由気ままに暮らせるのだから……ある意味僕は幸せなのだろう。
出来ないことは家族以外との電話とメール。勿論郵便システムだってこの場所にはない。ポストに入れた物は届かないし帰ってこない。例外として自宅には配送されるけど。
ああ、勿論友達には会えない。だから学校は空。街は空洞。いるのは僕たちだけ。僕の家族だけ。
昔は怖かったけど最近は打ち解けた兄さん。気は弱いけれど優しい父さん。そして、誰よりも優しく綺麗に笑う姉さん。
僕は、姉さんが大好きだ。
嘘じゃない。
世界で一番、姉さんを愛している。
本当なんだ。嘘じゃない。嘘じゃない。だから信じて、姉さん。
(そう思わなきゃ……そうならなきゃ、僕は)
*
「……よう」
僕の顔を覗き込むようにしていた影は、次第に見慣れた顔へと変わっていく。そこにいるのは一人の青年。忘れるはずもないその人は……
「兄、さん」
「はぁ……災難だったなお前も」
(災難)
確かに。そう頷いてしまいたくなる衝動を僕は堪えた。ここで堪えなければその災難がまた訪れるのだから。だから僕は嘘を付く。彼女を慰めるように。
「……僕が悪いんだ。そうでなきゃ……運が悪かった。それだけだよ」
兄さんに嘘が通じるとは思わない。けれど、僕はそう言うしかない。
怖いよ。怖い。怖いんだ。それを口にすることさえ出来ない、臆病者に成り果てた僕は。
そんな僕を馬鹿にするでもなく、兄さんは笑った。諦めた僕への悲しみと、彼女への若干の呆れ……そしてここにいる自分自身への嘲りを込めて。
「馬鹿。お前は今日死んだんだ。だから今、あの女はいない。演技は必要ねぇ、いい加減目ぇ覚ませ」
(ああ僕は、今……なんて言ったんだ?)
夢と現がごちゃ混ぜになるような妙な気分の中、僕は一つずつ今の境遇を思い出す。僕が落ち着いたのを見て、兄さんが低く語りかける。
「そうやって上手く取り繕ってどのくらい持った?」
「今回で最長記録更新。ジャスト半年」
「マジ?俺最短一日、最長三週間だわ。ったく……あいつの逆鱗はわけわかんねぇ所にあるよな」
苦笑する兄さんに釣られて僕の口も綻んでいく。
「わかりやすいよ。彼女が必要とする自分になればいいんだ」
演じればいい。選択肢さえ誤らなければいい。そうすれば、幸せな家族ごっこが続けられる。
「それでももって半年とかありえねぇよなぁ……」
それは彼女の気分だろう。男の僕には女の人の気持ちの百%を理解することなど不可能。彼女の行動、考えの八割くらいは覚えたが……それでもまだ足りない。
ちょっとしたこと。僕らには取るに足りないようなほんの些細なことで、彼女は怒る。
彼女を怒らせてはいけないとわかっていても、僕が女の人に……彼女自身になれない限り彼女の怒りを買わずに生き続けることは難しい。
彼が居るから僕はなんとか僕としてここにいられる。僕はもう心が折れてしまった。屈しかけているけれど、完全に負けないで居られるのは、兄さんが居るから。
もし僕がいつか屈してしまったとしても……兄さんには諦めて欲しくない。そう思う。僕は兄さんを尊敬している。頼もしいし、彼と話していると僕にも希望という夢の光が見えてくるような気がする。昔は喧嘩ばかりしていたけれど、今は兄さんがとても好きだ。
「今、何時?」
「零五分過ぎ。昨日がさっき終わったところ」
ああ、だから兄さんはここにいるのか。僕は納得する。
まだ頭が上手く回っていないのだろうか。そんな当たり前のことも思い出せないようじゃ。
僕は昨日、殺された。姉さんに包丁で殺された。そして今日になり、僕が復活した。
殺しを終えた後の姉さんは、何事もなかったかのように部屋へと戻り、そのまま寝る。死体はその場に放置されたままになるが、午前零時きっかりに、それは本人の部屋のベッドに帰る。
死体が生身の人間に変わるという薄気味悪い魔法が働いて。
姉さんは殺しの次の日はお昼まで目覚めない。だから内密な話をしたい時は、この時が絶好の機会。もっとも、その機会のためにわざと殺されようとは思わないけれど。
(だって、痛いんだ)
姉さんの得物兼凶器は包丁。相変わらず容赦のない刺し方……いや、切り方。兄さんが戯れに“首狩り一号”と名付けただけはある。
一号はこれまで魚の他に、僕等三人の首を切り落とした曰く付きのそれ。切れ味は抜群。
剣を嗜んでもいない女性が片手で人の首を落とせるくらいと言ったら、その恐ろしさが伝わるだろうか。その癖不器用な姉さんが、料理中に指を落とすことはない……非常に女尊男卑な包丁である。
“一号は男だ、たぶん女好きのド変態のセクハラ親父に違いない”と僕は言ったが、兄さんは静かに首を振り、“いや、おそらく男の浪漫的に女の方向で居て貰いたい。脳内擬人化で美少女キャラにすることで、殺された時の衝撃を緩和させてるんだから俺は”とか面白いことを言っていた。
次から僕もそう思うことで、何とか落とされても泣かずに済むようになった。勿論痛いことは痛いけれど。
「……相変わらず半端無い切れ味。一撃必殺とか……もう首狩り改めクィーンアマゾネス号とかどう?」
「流石は俺の嫁。いや、それは却下で。もう少し愛らしい名前が良いな、お前の改名案は認めない。俺的には首狩り改め……威血伍とか牢図とかどうよ?赤いし(返り血的な意味で)」
「却下。兄さん昔の癖で変な当て字使ってるでしょ」
それなんてDQNネームだよとか心の中でのみツッコミを入れておこう。
それにしても兄さんの口からそんな言葉を聞こうとは。世の中何が起こるかわからないものだな、と一日に三回程度は今でも思う。
僕等がこの空間に隔離されたのは三年前。あの時僕は、まだ十五歳だった。単純計算で今は十八歳……になるはずなのだけれど、僕の背は全く変わらない。追い越してやろうと目標にしていた兄さんとの差がひらきもせず、縮みもせず今に至る。変わらない僕等を余所に、日めくりカレンダーは捲られ続ける。
ニュースは毎日移り変わり、以前のようにいろんな情報を僕等に伝える。誰が不倫しただの、首相が変わっただの、物価が上がっただの……そんなことを暇潰しに眺めるだけ。殺人事件が起きる度、場所と被害者の名前を確認するけれど……この三年間、外界から届く情報に、僕等のことを伝えるものはなかった。なんとも矛盾した表現であることを認めた上で、この場所を言い表すのなら……止まらないのに止まっている……か?
(それにしても……)
誰が予想しただろう。テレビと本とゲームがあるこの異空間において、二次元が唯一の娯楽の補給源。もともと漫画好きだった僕はともかく、あの兄さんまでこんな風になってしまうなんて。
兄さんは元々僕とは違かった。学校には男女構わず友達は多いし、スポーツは出来るし、顔だって悪くないし。興味のない勉強はおろそかにしていたけれど、やれば出来ない人ではなかった。
唯、何時も機嫌が悪そうな顔をしていた。お小遣いを巻き上げられたこともあったし、蹴られたことも一度や二度ではない。ゲームを壊されたこともあった。勝手に中古屋に売られていたこともある。正直、嫌いだった。
兄さんが街中で、怖そうな人達と一緒にいた所を見たこともある。きっと彼は僕とは別の世界で生きていて、僕か兄さんかのどちらかがこの家を出れば、その世界が交わることは二度と無いだろうと思っていた。そんな兄さんが何よりも好きだったバイク。姉さんがそれを「五月蠅くて嫌いだわ。場所取るし」と言った次の日からこの世界から消えていた。趣味も消され、世界には姉さん以外の異性がいない。苛立ちさえ失われた虚ろな目。そんな目の兄さんを見ていられなくて、せめて暇潰しにでもなればと貸したゲーム。
でもまさか恋愛シュミレーションに兄さんがあんなに填るとは思わなかった。何を思ったのか彼は、ゲームショップの棚の片っ端から喰い漁り、今では何処に出しても恥ずかしくない(いや、ある意味恥ずかしい)ギャルゲマスター。中の人まで愛してる。
「うん、兄さん早く戻ってきて」
未だ妄想の世界から帰ってこない兄さんに、僕は静かに語りかける。二次元に引きずり込んだ僕が言うのもなんだけど。弟子に越された師の気分で、暫く彼を見守る僕が居た。
*
兄さんが戻ってくるまで十分は放置していたと思う。実に無駄な時間を消費したような気がする。
「で、話って?」
「お前なんで今回殺されたんだ?」
「健全な十八歳の青年らしく、十八禁エロゲコーナーの新作をチェックしてたらぶすっとぐさっとぐしゃっとすぱっと」
「それだけ?」
「それだけだよ」
兄さんは何やってても野放し放置なのに僕はこの扱い。差別だと思う。人権侵害だ。
「異常だな」
「異常だね」
兄弟二人で頷き合う。何の解決にもならないけど、あの理不尽に対しても少しは腹の虫も治まる。
「姉さんはさ、僕にいつまでも姉さんに頼りっきりの弱い子供でいて欲しいけど、僕が例え二次元でも好意を向ける対象があってはいけないらしい。ブラコン乙」
「いやむしろショタ乙」
「ショタ言うな。もう18だって僕」
「つかお前からショタとったら何が残るんだ?唯の根暗眼鏡な男子中学生……じゃなくて高校もいけねぇ(学校自体が機能してないから)唯の引きニートだろ」
「うん、否定はしない、眼鏡以外は」
長年慣れ親しんだ眼鏡も姉さんが「コンタクト似合うよ」の一言でこの世界からおさらば。コンタクトをしてもいないのに視力が上がるというわけのわからない補正効果が現れた。
(あの人は無意識に人のパラメまで弄くれるんだろうか)
「お前のアイデンティティがむしられて久しいな。どうもお前の顔が思い出せないと思ったらお前眼鏡かけてねーからか」
「何年一緒に暮らしてその台詞?」
「そんなことより弟よ。前はおまえ何だったっけ?」
「確か半年前は全年齢のギャルゲが原因。あの人は俺に髭兄弟を操って跳んだり跳ねたりテニスさせたり双六やらせたり車走らせたりすることしか許してくれないみたいだね。最近あいつ等にまで萌えられそうな悟りの境地に陥りかけた」
RPGでも妙に露出の高いキャラが居ると血祭りフラグが立つ。格ゲーはひたすら男キャラ使用が逃げ道。おかげでストーリーモードは野郎ルートしかわからない。
でも特例として、姉さん似の子(髪の色とか、雰囲気とか服装とか……ようはこじつけだ)が出てる奴なら可の場合もある。それを仄めかせば。その場合でも、ギャルゲの又かけやコンプリートは浮気と見なされ鮮血フラグ。
遠い目をしている僕を見て、兄さんが泣くほど爆笑している。
「やめろやめろ、今度は髭のせいで殺されるぞお前~」
「髭と心中は御免被りたいな流石に」
「よしせっかくだ。お前今度ボブでもやってみろ」
「その心は?」
「意外と面白……いや、それで刺されなかったらお前のゲームジャンル許可が一つ増えるかも知れない&あの女の何かの覚醒により、お前への執着が軽減し、俺無事帰還。どうよ完璧な計画じゃね?」
帰還メンバーから意図的に省かれた数名の存在が気になったので、とりあえず言いたいことは……嫌味。
「……そっちまで喰い漁ってたの兄貴?」
「暇だったんだ出来心だったんだ!俺の歌姫がOP歌ってたから!つい!歌が良いと作品も気になるだろうJK!今は反省しているが後悔はしていないつか兄貴言うな!なんか違う兄貴彷彿すっからお兄ちゃんと呼べ!」
即座に泣く素振り。兄さんも随分と演技上手になったものだ。それが実際生かされていないのが惜しいくらいだ。
まぁ……半分以上は僕のせいでもあるのだけれど。
「ところで兄さん」
ピタリと先程までの鳴き真似を止め、けろりと答える兄さん。
「なんだ弟……っていうとなんか某髭ブラザーを思い出すんだが弟よ」
「あの人達そんな風に呼び合ってないと思うけど……じゃなくてさ、兄さんはこの三年間殺され続けて何か思い当たった点はある?」
「ああ……あるな。俺があいつに殺されるのは……気分、何となく、八つ当たり、ヒステリー。お前との会話を遮ったから。お前と仲良くゲーム対戦してたから。お前と……」
「……人の口から聞くと、なおさら異常だよね」
紡ぎ出される兄さんの言葉を聞く内に、気持ち悪さが込み上げる。とどめの一言で、完全に僕は項垂れた。
「あいつはお前が好きなんだろ。恋愛対象として」
「……ですよねー」
なるべくなら目をそらしたかった事実を人の口から語られる。もっともここに閉じ込められて半年もしない内から嫌でも気付かされていた。
決して彼女の前では見せられない溜息。心労で死ねたりしないだろうか。そうすれば完全に死ねないだろうか。
「おいおい、少しは喜べよ。お前姉属性無いのか?」
「流石にリアルで身内じゃ萌えないよ。血の繋がらない姉とか妹ならともかく」
「禁断……ありじゃね?」
「いや、なしだよ俺的には」
確かに姉さんは綺麗だけど、そういう好きにはなれない。
僕は彼女を許せないだけ。人として。それだけ好きだとか。愛しているからだとか。そんな理由で罪を正当化するような人間を愛せるわけがないじゃないか。
愛するふりなら出来るけれど。
「僕に出来るのは、兄さんが解決の糸口を見つけてくれるまで……姉さんの機嫌を取り、兄さんとほどほどに険悪を保ち続けることくらいだよ」
「っかし、どーすっかなぁ……店じゃ武器になりそうな物は置いてねぇし、包丁はあいつの言うことしか気かねぇしつかあいつしか取り出せねぇし」
「…………取り出す?」
気が付いたときにはいつも彼女が後ろにいて、そのまま殺されるからわからなかった。
父さんと兄さんが殺される時……ああそうだ、いつの間にか彼女の手の中にはそれがあった。
「ああ……確かに取り出してた。空中から?そんな馬鹿な」
ありえないという僕に、兄さんは微笑む。だって考えてもみろと彼は言う。
「俺達をこんな場所に閉じ込めたのは、どう考えてもあいつだろ?ここはあいつのための場所なんだから」
「……兄さんは、そう思ったんだ」
「違うのか?あいつは思うだけで、この場所の全てを思い通りに出来る。俺達三人の意志以外の全てを」
「……僕にはわからないけど、もし神様が居るんならその人は僕等が嫌いであの人のことが大好きなんだってことくらいは理解してるよ」
はなから平等なルールではない。圧倒的不利の中、僕等が逃げ続けるだけのゲーム。彼女はそれを気分で殺すだけ。
それを覆すには並々ならない努力と下積みが要る。まずありとあらゆる幸運は僕等に味方しない。それを認めた上で僕等は彼女をどうにかしなければならない。
僕等は殺されれば蘇る。その逆は?
そう考えたのは一年前の僕等。一年間それを目論みながら、僕等は未だ彼女を殺せないまま。
「相手は細腕の女一人。俺達三人ならどうにでも出来るはずなんだ。……一番の大男が一番心が脆いとかほんと役立たずだよなあのクソ親父!」
「……説得、か。父さんは殺され続けたことで心は折れまくりだし、大分調教されてるから逆に危ない。密告される可能性もある……というより実際あったよね確か」
「あー……あったなぁ」
兄さんがわざと連日彼女を挑発し、連日殺され続けたシーズンがある。夜の密談の機会のために、命を捨てて復活を遂げた兄さんと共に、毎晩父さんを説得し続けた。父さんを嫌いな兄さんが頭を下げまでしたのに、父さんはそれに応えようとはしなかった。
それどころか、彼は僕等を裏切った。
いくら喧嘩慣れしている兄さんでも、素手であの二人を相手にするのは難しい。健全なる肉体に健全なる魂が宿るだかなんだかで、気の弱さをカバーするため多種多様の格闘技をマスターしたとんでもない父さんなのだ。兄さんも背は高いが、父さんのような筋肉質ではない。
姉さんに襲いかかった兄さんを、父さんは迷わず殺した。兄さんの首を、おかしな方向へ曲げされたあの……ぼきりという重い音を僕は忘れられない。今こうして兄さんと話していること自体が夢のようだと感じてしまう。
姉さん以外の人に殺されたケースでの復活は前例がなかったが、兄さんが今ここにいるように、手にかけた者がだれであれ、僕等は逃げられないことがわかった。
あれ以来父さんは戦力としてカウントされないばかりか、兄さんの中では彼女以上の憎しみの対象として映っているようだった。
「せめて武器が在ればなぁ……」
兄さんはそれきり黙り込み、僕も俯いた。武器になるようなものは、店にも売っていない。スーパーに前まであったその置き場だけ何もなく、がらんとしている。金具屋なんて、店自体が消えていて空き地になっていた。
僕が姉さんの注意を引き、その後ろから兄さんが金属バット撲殺計画を実行し、それが潰えた次の日から……世界から金属バットが消えた。そんなことの繰り返し。
今日もこれといった対策が見つからないまま朝日が昇る。姉さんが起き出す前に何時も通りを演じなければ。
「んじゃ、またな」
「うん……また」
その再会を誓う言葉は、三分の一で自分、三分の二で二人のどちらかの死を予言する。またこうして会うことなく、全てが上手くいけばいいのに。そう何度思ったことか。
日が高く登った頃、階段を下ってくる軽い足音。姉さんだ。
ああ、よくもぬけぬけと。自分だけ、全てを忘れた顔をして。理想に手が届くまで、何度も僕等を殺し続ける。
(大っ嫌いだよ)
世界から消された人。大好き好きだったあの子を脳裏に思い描きながら、僕ははにかむような笑顔向ける。「大好きだよ」と偽りを姉さんに告げるため。
「おはよう、姉さん」
*
「もう!姉さんってば何時まで寝てるの?僕お腹減って動けないよ」
ああ我ながら反吐が出そうないい演技だ。こんなところに閉じこめられてから知ったことだが、僕には演技の才能があったらしい。こんな事なら美術部じゃなくて演劇部にでも入ってればよかったかな。いや……だめだな、この女が認めてくれなかっただろう。その場合、もっと早くにこの世界に放り込まれていたかも知れない。そんな元凶は何も知らずに微笑んだ。彼女は何も覚えていないのだ。僕を殺したことも、彼女を殺したことも。
「ごめんなさい、なんだかお布団が気持ちよくて寝坊してしまったみたい」
昨日お日様に当てたのがいけなかったのかしら。そう小首を傾げる仕草は年齢より幼く見える。
「何も食べてなかったの?」
「だって……火、危ないじゃない」
「ふふ、そうね。貴方ったらいつまでも怖がりなんだから」
駄目で頼りない弟。それが彼女の僕への認識。いつまでも必要とされたい。自分だけを見て欲しい。そんな我が儘なエゴのために、彼女はこんな世界を築きあげた。
彼女を殺せば終わるのか。それともその望みを叶えてやれば、終われるのか。
(痛いな……)
死すら解放ではない。死ぬ度に、絶望の足音が一歩一歩近づいてくるのがわかる。
捕まってはいけない。
自由な生などない。一日を生き延びる度に、諦めの声が大きくなる。
囚われてはいけない。
彼女の黒い瞳に映る僕が、どんなに小さく頼りなくとも。
「買い物行ってもいい?」
「どこまで行くの?」
「文房具屋さん……画材見たいんだ。あと……木が落ちてる所ってあるかな」
「どのくらいの大きさ?」
僕は曖昧に手で大きさを表現すると、姉さんが微笑んだ。
「それならホームセンターの方がいいんじゃないかしら?お父さんに運転頼みましょう?」
当然のような口ぶり。姉さんの中には、自分がその買い物について来ないという選択肢がないようだ。あと、父さんが断るというパターンも。
「でもどうしたの突然そんな物が要るなんて」
「ほら僕美術部だったでしょ?久々に絵が描きたいなと思って良い天気だし。そしたらスケッチブックも見あたらないし……あ、それからさ、木版か木彫りの像とかやってみたくて。前は上手くできなかったけど今なら出来そうな気がするし……」
「そう……何を描くのか聞いてもいい?」
「だ、……駄目だよ!姉さんには内緒!」
「あら?どうして?」
「ど……どうしてもだよ!」
怒鳴り声は彼女を傷付けないように……必死な顔を、照れた顔を造れ。
「そ、その内だったら……見せてもいいから……だから」
「ふふ、何かしら楽しみだわ。それじゃあ完成したら最初に見せてね」
「うん、約束!」
差し出す小指に嬉しそうに自分のそれを絡めた彼女。
指切り。それだけで幸せそうに微笑む彼女を見ると、僕等を殺す彼女が別人のように想えてくる。
こんな風に笑う人を傷付け裏切る。殺される方に非があるのではないか、そう想わせるような無邪気な笑み。
(それでも……)
騙されてはいけない。
傷のない首の痛みが警告のようにずきと痛んだ。
*
父さんはいつも、一階の自室に引き籠もっているため家にいても殆ど会うことはない。食事も彼は自分の部屋に運ばせる。姉さんだけがその部屋に自由に入れ、彼を外へと連れ出せる。
恐怖という餌で上手く躾られた犬。今となっては、従順な犬が殺されることは皆無に等しい。
迷惑極まりないことに、姉さんは瞬間取りだし包丁を一瞬で装備してしまうように、この大男を詠唱なしで召還することが出来る。
兄さんと付けたあだ名がケルベロス。それじゃあ姉さんは地獄の閻魔だろうかと僕が言ったら兄さんは、「あれは魔王だろ、子供攫いの」ときっぱり断言。この場合、攫われた子供とは僕等のことだろうなとは思った。だから否定はせずに爆笑した……所をケルベロスに聞かれていて、ケルベロス襲名記念日にめでたく兄弟ともに討ち死にを果たした。
あれ以来、例え魔王がいなくとも壁に耳あり障子に目あり……例の絶好の機会以外の馴れ合いを禁止した。
魔王があの眠りについた後、ケルベロスはその扉が何度叩かれようがそれを開けることはない。唯一の絶対者の不在なのだから、当たり前と言えば当たり前。だからあの時間は絶対に安全の保証がある。
ケルベロスは魔王の足代わりに使われるだけ使わされて、そのまま駐車場で待機を命じられた。一時間半にも渡る買い物の中、炎天下の陽の当たる駐車場の車の中で待ち続けた彼の忠犬ぶりには涙が出そうだった……が、過去に何度か彼に殺されたことを思いだし、止める。
「ぶはははははは!だっせーケルベロス!」
深夜零時過ぎ。兄さんの部屋に響く笑い声。今日は兄さんの部屋に僕が足を運ぶ番。
「兄さん……今日のは流石にやりすぎだよ」
「ん?そうか?まさかからかっただけで殺されるとは思わなかったけどな俺も」
買い物から帰宅した僕と姉さんにデートでも行ってきたのかとちょっかいを出したのが今日の死亡フラグ→照れ殺し。復活早々、「喜んでんなら殺すなよ」と兄さんは絶叫した。
「基本見ざる聞かざる言わざるで兄さんは生き延びられると思うよ」
「いや……どうだかな」
何も知らないまま死亡した兄さんに今日一日の報告をしていたのだが、彼はお留守番ケルベロスが酷くお気に召したようだった。
「そんなことより、兄さん……コレ」
僕が差し出したそれに、兄さんは目を見開いた。そりゃあ驚くか。僕だって驚いた。
「ちょ……な、なんだこれ!?」
「彫刻刀。木彫りと木版やりたいって言ったらもらえた。机からとりだしてたけど」
彼女が存在を許可したものだけが、外界から此方側に招かれる。そういうことなのだろうか。
試してないことが、一つある。
「姉さんが起きている間にしか、僕等は死んだことがない。彼女が寝ている時に……例えばこれで僕が自殺したら、復活効果は機能するのかな?」
もしかしたら、完全に死ねるかもしれない。マイナスの逃亡を告げる僕に、兄さんは輝いた目で僕を叱り付ける。
「何言ってんだ馬鹿。いいか?今日、俺は死んだ。死人がある日はあの魔王は昼まで起きねぇ、ここまで言えばわかるか?」
「……あ」
魔王が目覚めてその扉を叩くまで、番犬は絶対に部屋から出ない。
つまり僕等は番犬を退け、無防備の魔王を殺すための凶器を手にしていることになる。
「くくっ……こっちサイドに引き込むのは無理でも、敵だからこそ役に立ってくれやがる!あいつ今まで生きてきて一番良い仕事したなきっと!忠犬気取ってるから肝心なときに何も出来ねぇんだよあの馬鹿犬!」
「なんか……逆に怖い」
上手くいきすぎて。希望を持ってしまいそうで。
(これで駄目だったら……)
もし、殺しても彼女が生き返ったら。他にどうすればいい?
もうお手上げだ。屈してしまうかもしれない。
「んな顔すんな!俺を信じろ!一緒にここから逃げるんだ!」
「兄さんっ!……いや、兄貴!」
「漢たる者自分の嫁は自分で選べ!あんな魔王な花嫁が居て堪るかってんだ!」
「どうしよう!なんか今日物凄く兄さんが輝いて見える」
「ふ……俺に惚れたら火傷するぜなんつって」
「ああ、それはあり得ないから」
「……相変わらずノリ悪いなお前。ま、いいか。そんじゃ、ま……さくっと行きますか!」
*
「つーわけで、反省会ですワトソン君」
「そうだね。些か変なテンションになっていたことは否定出来ないと思うよホームズ君」
深夜テンション恐るべし。顔から火が出そうな俺と兄さん。あれから五分も経っていないのにこの様だ。情けなくて涙も出ない。
「だぁあああああああああああああああああああああああああ!どうなってんだあの扉!鍵なんてねぇだろ!?なんで開かねぇんだよ!」
兄さんは怒りのままに叫び出す。
「もーお手上げだ。そー思って苛立ちから掲示板にトピ立てた。題して“ヤンデレ姉に殺されまくっているのだが”。むかついたからブログまでつくってやった愚痴ブログ。んでもってイライラしたから小説投稿サイトにも書き殴ってやった。直木賞ってこの魔界にまで届くんだろうか?」
「新聞載ったりしたら笑えるよね。取材とか来てないのにテレビに兄さん映ったりして」
一方通行の通信。見ることは出来るが見てもらえない。無駄な抵抗、唯の気休めだとわかっていても、夢のある話は僕等の空虚によく染みた。
メールは遮断されている。外部との通信のやり取りは出来るはずがないのだ。
「……おい、これって」
兄さんの投稿した掲示板のトピック。それにコメントが増えていた。
「まさか……掲示板は機能しているのか?!」
それでどうなるとは思いがたいが、完全に他人からシャットアウトされていた生活を送っていた僕等にとって、それは一筋の光明のように映った。
(……どうして?)
この世界は姉さんの望みを繁栄させる場所=僕等の地獄。
(……もしかして)
姉さんは、こういう機械に疎いから……知らないのかもしれない。
彼女はメールさえ止めればネットは外界と繋がらないと思っているのだ。勿論思い込みで。
情報閲覧としての娯楽を残したのは、僕等のため。パソコンをゲーム機と同じ玩具という認識。アメとムチのアメ。
「俺、馬鹿だ!ネトゲとか手出してたらよかった!姉さんの認識してるメールと違うからチャットは出来たかも!くそっ、新作ゲームばっかやってんじゃなかった!」
「俺もだ畜生!チャットはどうかは知らんが、せめて動画サイト行ってればコメント機能で気付いただろうにっ!」
ゲームをさせてくれる優しい姉さんを、僕は好きだというだろう。そのために。好きになって欲しいからという心が残した蜘蛛の糸。その優しさに付け込むことに僕は後ろめたさを感じた。それでも目の前の希望の光はあまりに眩し過ぎたのだ。
「っておいおい、コメント一つかよ、なんだこれ」
明らかに落胆した声の兄さん。
「な、何て書いてるの?」
「悪戯……にしては何か、気味悪い文。ええと……“汝、力ヲ求ムル者……我ノ力ヲ欲スル者ヨ。御名ヲ謳エ、我ヲ喚べ”汝汝汝……って、んん?」
兄さんの困惑する声。その後に続く言葉の羅列を目で追うと、それまでの横書きを無視した文字配置。真っ直ぐに僕の目に飛び込んできたその単語。兄さんの横……左側から画面を覗き込んだせいだろう。
汝久遠の悪夢を紡ぐ者Εφιάλτης我を誘え
汝統べる世界の闇の王καταστροφή我を迎えよ
汝統べる鏡の夢現の王Απώλεια我を惑わせ
汝罪を空より降らす者Έγκλημα我を縛めよ
汝罰を海より招く者Τιμωρίας我を戒めよ
汝全ての領地を侵す者Επέμβετε我を汚せ
汝歴史と物語を紡ぐ者Ιστορια我を謳え
「読めるか、お前……」
「最初のはよくわかんないけど最後のは……」
歴史。ヒストリー……
「イストリア……だったっけ」
何かで耳にしたことがある。朧気に呟いたその言葉。
それを紡いだ時、パソコンの画面から目が眩むほどの光が生まれた。
光が静まり、僕が瞳を開く頃。
そこには、初めて見る人……僕等以外の人間が居た。綺麗な人だ。何年ぶりかに目にする姉さん以外の女の人。
いや、人間と呼んで良いものか。
その人の頭には、一対の小さな翼と二本の角。長い髪は紫、瞳は時折白銀に煌めく硝子色。
そんな色の人間なんて見たことがない。というか……これは漫画とかに出てくるあれみたいだ。
そう……悪魔。我を謳えとは……名前を呼べということだったのか。
もしかして僕らはとんでもないものに縋ってしまったんじゃないか?いや……縋れるモノがあるのなら、何でもいい。ここから僕らを救ってくれるのなら、魂くらい売ってやる。それより僕らは辛い境遇にあると自認している。きっと地獄とかの方がここより何倍も素敵な場所だろうさ。
「人の子よ、我を呼んだのはお前か?」
僕と兄さんを目に留めたそれは僕らを哀れんだ。
「……なるほど。難儀な」
「……ご存知なんですか?」
何かを知っているようなその反応。尋ねればそれは静かに頷いた。
「我が同胞の悪戯の痕が見える。相も変わらず品のない悪趣味を……これだから第壱門の眷属は」
「いち……?」
よくわからないが彼らにも派閥のようなモノがあるようだ。
「我は第漆門が王の眷属。階級で言えば……それなりといったところだ。触媒も無しに我を呼び出すとは……いいものを持っているな。なかなか心地好い……美しい声だ。時が時なら我が君をも呼び出せたやもしれぬ」
「は、はぁ……ありがとうございます」
なんのことだかさっぱりだが、好感を持ってもらえるならありがたい。これからの取引をスムーズに進めるためにも。
「で……悪魔と契約と言えば……魂が要るんですか?オーソドックスに」
「あーそれなら持ってけ持ってけ。もう何回も殺されてるからな、今更惜しい命でもないし」
「むしろもらってください。今すぐ殺してくれても結構ですよ?」
俺と兄さんの言葉に悪魔はくくくと笑う。
「それは潔くて好感が持てる……と言ってやりたいところだが、第漆門に属する我らは他の同僚達のように契約者の命に興味がないのだ。第漆門は、芸術を司る悪魔が属する。我らは魂など喰らわなくとも生きていけるのでな」
「ち、使えねぇ」
悪魔の言葉に仰々しいため息を吐く兄さん。舌打ちまで!?
「ちょ、兄さん!?」
「悪魔の話は最後まで聞け人の子よ。誰も契約せんともただ働きをしようとも言ってはおらん。我らが求めるのは娯楽。歌や踊り、絵画……あらゆる芸術と作品が我らの生きる糧となる。しかし……このようなピリオドは我が君の美学に反する」
「え、俺達もしかしてもう終わってんの!?」
頷く悪魔。
「我が僅かにこのシナリオを書き直す力を貸そう。それがどのような形になるかはお前達次第だが、白黒は付けさせる。未完を完結だと言い切る暴挙!我が君をどれだけ愚弄すれば気が済むのだエフィアルティスの眷属め」
「エフィアル……ティス?」
おお、これじゃこれ。悪魔が指さすはパソコンの中のあの詩の一節。一番最初に記してある名前のことだ。これ、そんな風に読むのか。
「第壱魔王エフィアルは、久遠と悪夢を司る。お前達の境遇そのものだろう。おそらく主等の姉は第壱眷属と契約しているのだろうな」
「永遠に終わらない物語。なんという暴挙か!あの方に対する冒涜を何度やれば気が済むのだあやつらは!」
「未完ってそんなにいけないことなんですか?」
「停滞の作る永遠など美しくない!永遠を作ることに固執し!作品を冒涜する地に唾吐く行為だ!」
「地に唾って……最近は見てねーけどよく近所のじいさんとかやってるよな」
「だから兄さん揚げ足ばかり取らないでよ!機嫌損ねて帰っちゃったら僕らが困るんだよ馬鹿!」
兄さんの無駄口に一睨みした後、視線を悪魔にやれば、悪魔は静かな怒りを湛えていた。僕らにじゃない。姉さんに関わる悪魔と、この世界の在り方に。
「一度はじめたものは終わらせなければならない」
静かにそう呟いた後、悪魔は空へと手をかざす。
「踊るはピネロ語るはメラニ」
筆が現れ宙に浮く。現れたインク瓶。それを悪魔は此方に差し出した。
「我の契約は、契約者の血液。これはインクとして物語を書き変えるために必要となる。もうひとつ必要なモノは、この硝子玉と契約者の片目」
「か、片目、ですか?」
それをえぐり出せと言うことだろうか。何度も殺され慣れているとはいえ痛いものは痛い。僕らはその痛みに縛られているようなもの。兄さんも強がってはいるが……威勢は昔より弱まっている。死の痛みに比べれば、片目くらい……そっと片目に手を伸ばす僕。
それを悪魔が制止する。
「待て。我はそのようなモノは要らん。貸すと言っている。そして貸せと言っているだけだ」
「意味がわからないんですが……」
僕の疑問に悪魔は力……目の交換とは権利の譲渡だと言い直す。
「第七眷属たる我の瞳は硝子球。これとそれに映る景色……契約終了時までそれを交換することが契約条件。そうすることで我は内側の物語を見、契約者は外側から物語を見ることだ出来るのだ」
「それって……全部終わったら戻ってくるんですか?」
「無論。私は第五眷属のように悪趣味な眼球コレクターではない故実質我が契約者から奪うモノはない。物語の紡がれ方によって、契約者は零を失うか百を失うか。逆を言えば何も失わず百を手にすることも不可能ではない」
「失われたモノは二度と戻らない。我らは完全に綴じてしまった物語には入り込めない故綻びのある物語、その隙間から私は入り込む。非の付けようがない終わりを迎えた物語や、我が一度ピリオドを書き記した物語は、我であっても入ることが出来ないのだ。お前達は停滞の中にあって未だ停滞を知らぬ。ピネロを踊らせる資格は十二分にあろう。それで、どちらが我と契約するのだ?」
「二人とも……じゃ、駄目なのか?」
「駄目ではないが、それでは我が困る。両目を無くしては色々と支障が出る。新たに悪魔を呼び出すのならそれも可能だが」
「………僕が」
「俺がやる」
昔僕が脅えていた頃の威厳を取り戻した兄さん。その有無を言わせぬ覇気に僕は反射的に引き下がる。
「でも……兄さん!?」
「こいつの話だと、お前ならもっと凄い悪魔でも呼び出せるかもしれないんだろ?それならここは俺がやった方がいい」
「見てろよ、最高の娯楽にしてやるから」
「なんとも人間らしく人間らしかぬ男だな。主は人間にしておくのが勿体ない」
「褒め言葉か?」
「我らは嘘は付かぬ」
「はは、気に入った!お前なんて悪魔だ?」
「我は第七……」
「そうじゃなくてお前の名前だよ。そんくらいサービス付けろよ」
「我が名はアーディン」
「そっか、よろしく頼むぜアーデ!」
手を差し出す兄さんを、不思議そうに眺める悪魔。彼女はふむと僅かに考え込む仕草をし、それへと応えた。