ネコミミと旦那様
しゃがみこんで今にも泣きそうな私に、彼は酷く動揺した。片目しかない目を開いてから、すぐに使用人たちへ声をかける。
「皆、下がれ。妻はどうやら無事みたいだ」
「そうですか」
ララはすぐに納得して皆を立ち退かせていく。仕事をサボりたい彼女らしく、急用なことでなければ大人しく過ごしたいのだろう。平穏が訪れたと思うより、公爵様が私の頭の方をマジマジと見てきた。
「……幻覚じゃないです」
目を何度もパチパチさせる彼に言う。
絶対に幻滅されただろう。こんな似合わない猫耳をいい年して、つけるなんて。妻がこんな趣味を持つ変態など知らなかったと言われるかもしれない。もしくは、頭のネジが外れたのかと。
「血が出ている。事情は後で聞くから早く治療しよう」
彼は救急箱を取り出して、すぐに治療を始めた。消毒されると、ズキッと頭が痛くなる。
「っ…」
「痛いのは最初だけだ。少し我慢できるか」
「子供じゃないんですから」
ブーブー言う私に、彼は慣れた手つきで傷を手当する。包帯も無事にまかれると、なんだかゴワゴワして耳が気持ち悪い。
「で、何があった」
「やはり…言い逃れはできませんよね…」
恥ずかしいけど、全部話すことにした。猫耳カチューシャをつけたら、なぜかわからないまま完全に同化したこと。それを切り離そうとして、ナイフで耳を傷つけたこと。
「待て、魔王というのは本当か」
「っ…はい」
彼は大きくため息をついて顔をおおった。これは絶対に困らせているやつだろう。
魔王とは、竜よりももっと古くからいた魔物の存在だ。はるか昔、この世界がまだ混沌に満ちていた時。初めに地上を支配していたのは、魔物とその王である魔王だった。
そんな邪悪な存在を私は魂ごと同化させてしまったのだというから。
「私も理由がわからなくて。っ………ごめんなさい」
いつもはこんなじゃないのに。
彼の完璧な妻になりたい。
衣食住も好きにしていいし、屋敷も自由に使っていい。そう言われても、私は彼と過ごす時間を大切にしたかった。
忙しい仕事を終えて帰ってくる公爵様はいつも疲れてていそうで。何かして、十分休息を取れるようにしてあげたかったけど、刺繍ぐらいしかできない。辺境伯家は良くも悪くも騎士の家系で、女は剣を握らず裁縫だけにしろという父の方針だったから。
彼に迷惑をかけたいわけじゃない。
でも迷惑しかかけていないだろう。猫耳をつけたこんなダサい私……
「…」
(可愛すぎるだろ)
顔を手でおおう彼は、ますますため息を付いた。
気のせいだろうか。
無口で気難しそうな顔をした、公爵様。普段の態度とはまったく想像もつかない感想が聞こえてきた気がしてそのまま静かに耳を澄ませてしまう。
「はぁぁぁぁ………」
(なんだよ、可愛くしてるならそう言ってくれ。俺の心臓が持たん)
いつも無口だった。
私の眼の前で食事するときも、お帰りを言いに玄関まで出迎えに言ったときも。
初夜さえも、私は無言で隣に眠る彼の背に寂しさすら感じた。
なのに彼が今まで、私の前では黙っていた理由は。
「私の猫耳…ダサくないですか」
「は?」
(よく似合ってるが。というかもう、このまま一生つけてていい。君は本物の猫より可愛い)
「っっっ!?」
そう言われると、なんだか目頭が熱くなってきた。顔もいささか、彼に向けるような余裕もなくなる。
「傷が痛いのか」
「違っ……違うんです」
私は首を横に振った。
彼にこのことは伝えたほうがいいんだろうか。あなたの心の声が聞こえているのだと。
今まで冷たく思っていた彼の態度が、本当は私に対する照れ隠しだったなんて。
嬉しい。
嬉しいから、まだ教えたくない。
心を読まれることを知られたら、今度こそ気味悪がられるかもしれないから。
「痛むなら我慢するな」
彼は私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
『我慢しろ。骨折ぐらい、根性で治る』
父様がくれたものとはまた違って、胸にしみてくる。
「心配してくださって、ありがとうございます」
「っっ!」
(その顔は反則だ!)
笑い返せば、彼は黙ったまま部屋を出ていく。部屋を出る時の公爵様の背中は大きくて、頼りがいがあるように思えた。
初めて夫婦として過ごした、寂しさを覚えるような影はそこにない。
「ほんの少しだけなら……この耳に感謝できるかもしれないわ」
「だろだろ?そうだろ?」
忘れた頃に魔王の声が聞こえてきて、心臓の音が上がった。
「ちょっと、驚かさないで」
「いやはや〜、あいつがお前の旦那ってわけね。ラスティレッド・イフリート」
赤髪をした竜騎士の名をあげて、魔王は機嫌良さそうだ。
「世界征服はしないわよ?」
「イフリート…どこかで聞いたな」
「私の話、聞いてるの?」
猫耳をグイと掴むと、また激痛が走った。いい加減、覚えたほうがいい。この猫耳はもう、私の耳だということを。