後編
王宮に入ってすぐに、リラは孤立する事になった。というのもベルがその美しい顔を悲し気に歪めて、あらゆる関係者にこう言ったからだ。
「リラは本当はいい子なの、でもいつも我儘を言ってばかりで……私はいつでも、リラに大事なものを奪われてきたけれど、あの子は悪い子ではないの」
何て嘘っぱちだろうか。最初からそう言う触れ込みをされたリラは、美少女が悲し気に訴える効果の強さに、ここも自宅や学校と同じなのか、と悲しくなるほどだった。
我儘で、姉の物をなんでも略奪する強欲な妹。姉をずるいと言って、無理やりついてきた妹。
そんなレッテルを張られたリラは、人々から冷たい視線と態度をとられ続け、自宅と同じように引きこもりがちになったのである。
そしてベルはこれを幸いと、リラに
「これを仕上げておいてね」
と、誰も見ていない時を狙って、リラに色々な結婚式用の縫物を押し付けてきたのである。
例えば、王族の結婚式の際に、貴族の当主と当主夫人に渡される、ハンカチの制作。
例えば、王族の結婚式の際に、近しい友達に渡すと幸運を呼ぶと言われている、布製の髪飾り。
例えば、王族の結婚式の際に、諸外国の重鎮たちに贈られる、諸外国の紋章をかたどった布製のレリーフ。
果ては王子様の結婚式の際に、王様や王妃様が身にまとう礼装のたすき。
このあたりの地域では、全て花嫁が自作するものである。無論手伝いの針子を使う事もあるが、時間をかけて一人で作成する事が、最も素晴らしいと言われている品物たちだ。
創世の女神が、世界を一人で縫い上げた事に起因するのである。
誰とも会いたくないし、皆冷たい目をして、リラを最低の妹という扱いで扱うため、部屋にこもりっきりのリラには、時間だけはあったのだ。
そして、なにより。
「こんなに出来ないです」
そう言ったリラに、ベルは容赦なく頬を張った。
「あなたはこのために連れてきたのよ。役立たずになるつもりなら、あなたが私を害そうとしたと言って、辺境の荒野に置き去りにさせてもいいのよ!」
そう脅されたリラは、辺境の荒野が話で聞く限り、とてつもなく恐ろしい場所だったため、恐怖で身を震わせて、従うほかなかったのだ。
更に期限までにすべてを作り上げるには、ろくな休憩などないに等しいスケジュールを組まれ、目の下に隈を浮かべ、顔はやつれ、髪はぼさぼさで、身ぎれいにする余裕もなく、衣装もぐちゃぐちゃでも、仮眠をとるとベルに、定規で背中を打たれて叩き起こされる日々だった。
ベルは狡猾で巧妙で、他の誰にも気付かれないで、こんな無茶苦茶をし続けたのだ。
ついにリラは、何か考える事を辞めて、機械的に作業をこなすようになった。
ベルに与えられた私室の中の一つ、裁縫部屋のはしに布を置き、一時間か二時間程度の、それくらいならぎりぎり叩かれない仮眠のための空間を作り、それ以外は窓辺でずっと、日が落ちて手元が見えなくなるまで、裁縫を続けた。
そんな日々が数か月続き、いよいよ来週は女神の祝祭である。最後の仕上げに取り掛かっていたリラは、扉を叩かれていた事に気付かず、作業に集中していた。
「ベル様、本日の薔薇です……? あ?」
一向に返事がないため、勝手ながら扉を開けたのだろう。扉が開く音に顔をあげたリラが見たのは、よれよれ衣装の庭師にしか見えない、土と草の汁にまみれた、麦わら帽子の男だった。
姉が好む、深紅の薔薇の束を抱えている。
「……」
どうでもいい相手だ。リラはまた手元に目を向けた。これが終わらなければ、食事にもありつけない。ここでは、実家以上にご飯が寂しいのだ。薄すぎるオートミール粥くらいしか、リラはもらえたためしがない。
我儘妹の性根を叩き直す、と使用人たちが一致団結している結果でもあった。
「いや、あれ? ここはベル様の裁縫部屋ですよね? あなたは?」
庭師が近付いてくる。強い花の匂いがした。リラは話す事もおっくうだったが、顔をあげていった。
「姉は仮面舞踏会のための準備で、別の棟にいます。薔薇はそちらに届けてください」
「姉? 君が噂の、強欲我儘略奪系妹?」
「……姉に妹はほかにいないので、該当者は私でしょうね」
今更、何て言われてもどうでもいい。リラは彼にこう言った。
「さっさと出て行ってください。仕事の邪魔です」
「仕事って……君、そんなすごい酷い顔で、まだ休まないのかい?」
「終わらないと、結婚式に間に合わないので」
「……君は結婚式のために何をしているんだ?」
「それは……」
言えばきっと姉にまたひどい目にあわされる。リラは口をつぐんだ。
しかし、手元のものを見て、庭師はある程度察した様子だった。
「……君が言わないのなら、とやかく俺も言わないけれど。一人で辛くないか?」
「私の噂を使用人経由で聞いているなら、一人の方がましだって思うでしょうね」
「……」
庭師は数秒黙った後、こう言った。
「じゃあ、俺はこの時間に、そこの窓辺の草むしりをするから」
「……え」
「誰も聞いていないという感じで、独り言でもぶちまけなよ。俺には君が、噂通りの性根の女の子だとは思えない」
そんな事を言ってくれる人は初めてだった。リラは泣きたくなったが涙が縫物に落ちると、また姉の折檻を受けるため、ぐっとこらえた。
それから一週間、リラは窓辺で独り言のように、今までの事を庭師にぶつける事にした。
姉の性悪な事も、ついつい言ってしまった。婚礼衣装横取りの話も。花嫁が作るべきものを皆押し付けて遊び惚ける事も。
皆にはいい顔をして、正体を隠している事もだ。
そうやって話すだけで、心は少し軽くなった。リラは誰かに信じてもらいたかったのだ。
自分は悪者じゃない、と言いたかったのだ。誰も信じてくれなかったけれども。
リラはある時、窓越しに庭師に問いかけた。
「私の話を信じる?」
「君の現状とかを見て、俺は判断するだけさ」
「ありがとう」
「お礼を言われる事なんて何もしてないよ。君の名誉を回復させる事なんて、出来ない身の上だからね」
苦笑いをする庭師に、それでも救われるのだというと、庭師は笑った。
「こっちこそありがとう」
いよいよ結婚式であり、女神の祝祭だ。リラは何とかこの日までにすべてを完成させて、泥のように部屋の隅の布の上で寝ていた。式典の中を見たいとは思わない。姉が、偽りをたっぷり塗りたくって、幸せになるのなんて見たくなかったからだ。
きっとこうして、姉の都合のいい針子として、自分は生涯を終えるのだろう、という諦念も彼女の中にはもう出来てしまっていて、庭師の青年が信じてくれているから、まだ壊れていないだけだった。
布の上で丸まっていたリラは、不意に大きな足音がいくつも近付いてくるため、目を開けた。
ここ数週間は、姉の無茶苦茶な要求を可能にするために、徹夜徹夜と、一体何日まともに眠れたかも覚えていないくらいだったのだ。
体はぼろぼろで疲労でくたくたで、食事もついに受け付けなくなった。
目を開けてじっとしていると、怒号が響き、裁縫部屋がガチャリという音を立てて開く。
「本当にいたのか……」
そう言ったのは誰だろう、男性だ。そして王冠を被っている。王様だ。そしてリラが必死に作り上げた礼装を着ている。似合うな、上出来だった、とリラはぼんやり思った。
王様の脇にいるのは、やはり礼装の女性で、とても似合っている。こっちも上出来だったみたいだ。
「ひどい……大丈夫ですか?」
女性はリラの前に膝をつき、やつれ切った顔、頬骨が浮くほどのやせ細り方、目の下の消えないかもしれない隈に眉をひそめて泣きそうだ。
「一つ聞きたい、私達の礼装を作ったのは、ベル嬢ではなく、君なのかい、リラ嬢」
「……はい」
リラは疲れ切った声で何とか、肺を動かして喋った。
「すぐ医者を呼べ! 彼女を運んでくれ」
王様が誰かに命じている。リラは目を閉じた。疲れて疲れて、指一本動かしたくなかったのだった。
「出来上がった衣装の事を、ベル嬢に聞いても、まともな答えが返ってこなかったため、追及したのだ。そうしたらぼろが出たようで、見苦しい癇癪を起した」
次に目を覚ました時に、リラは王様直々に事情を聴く事になった。
衣装のどこに気合いを入れたのかなど、当たり障りのない話だったのに、ベルは一切答えられなかったし、それを作った技巧の話など頓珍漢すぎて、これは怪しいという事になったのだ。
そのため詳しく聞きまわり、姉はついに
「役立たずを使ってあげたのよ!! 王妃様の役に立つなんて光栄でしょう!!」
と胸を張り、そこでベルが一切針仕事をしていなかった事実が発覚したのだ。
更に、王子様と昔であった可愛らしい少女は自分だと、証明する紋章入りのハンカチを手に
「王子様の運命の女の子は私ですわ! あんなダサい妹ではありませんのよ!」
とある意味自爆した。その妹はどこに、という事を使用人たちにも聞きまわった結果、裁縫室に閉じ込められている状況で、孤立していて、多分寝食もろくにしていないと発覚した。
使用人たちはベルに騙され切っており、
「強欲我儘略奪系妹は、痛い目を見るべきだ」
と思っており、その扱いに疑問を抱かなかったらしい。
余りの偽装行為に、王直々に確認に来た結果、堅い床の上に、薄っぺらな布一枚で寝ているリラが発見されたというわけで、結婚式は中断となったのである。
もうこれに対する王室のメンツの潰れ方は凄いので、ベルがこの後どういう扱いになるかは未定だが、ろくな扱いにはならないだろうという話だった。
王は言う。
「もともとベル嬢は、遊びまわっており、一体どこで作成する時間があるのか、と疑問もあったため、庭師に扮した継承権のない息子に探らせたわけだ。その報告もあった故、鎌をかける事を決めたのだがな」
あの庭師は、王子様だったわけだ。何もできないと言いながらも、結構探るのも、人の懐に入るのも上手な人だったのだろう。
第一王子はこの事実に衝撃を受けており、記憶の中の淡い恋の相手が、別人だった事にも気付けなかった自分にも、ショックを受けているらしかった。
そのため、第一王子は申し訳なさから、お見舞いに来られなかった。
それでいいのだ。きっと、あの初恋は、気付いてもらえなかったあの、婚礼衣装を出しに行く日に終わった。
とにかく、リラはゆっくり体を休めて、壊れかけた体の治療に専念する事になり、祝祭から数日が経過した。
寝てばかりで、柔らかく味の薄い食べものしか受け付けない身の上なので、なかなか回復しないリラだが……とろとろと眠っていた時である。
「あんたのせいで……あんたなんかが……喋るから……」
という、どす黒い声が近くで聞こえて、はっと目を開けると、刃物を持った姉がぎらぎらした瞳で、寝台の上のリラを睨んでいた。
「あんたのせいだわ、責任取りなさいよ!!」
ベルは怒りなどで歪みきり、美しかった顔を豹変させて、リラに刃物を振り下ろそうとし
……その腕を日に焼けた腕に掴まれた。
「あのね、ベル嬢。あなたはリラ嬢に謝罪に来ると言って、部屋から出されたのに、見張りが誰もいないって思ってたわけかい」
「あんた、あんたのせいよ!! あんたたちのせいだわ! 王子様との結婚がなしになったのも、私が大ウソつきって呼ばれるのも!! 賠償金でいえがつぶれるのも!!」
「どれも君の結果だろう」
あきれ果てた声で庭師がいい、騒ぎを聞きつけた兵士が、ベルを連れて行く。
「今度はどんな言い訳をしても、外に出しちゃだめだって、部屋の番人に伝えておいてくれ」
庭師はそう言い、静かになった部屋で、リラを見た。
「気分はどう?」
「すこし……楽になりました」
「ああ、かしこまらないでほしいんだ、継承権のない王子って、あんまり階級的には高くないから」
「そうですか……でも、命の恩人なので……」
「俺がもうちょっと早く動いていたら、式の前にいろいろ明らかになって、君をもっと早く保護できたんだから、そんな風に言わないで」
庭師、いいや王子はそう言って笑った。
「……頼みがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「もしも恩があるって思うなら……ハンカチに刺繍を入れてほしいんだ」
「!」
リラは目を丸くした。ハンカチに刺繍を入れてほしい、それはこのあたりではべたなプロポーズだったのだから。
「どんな目にあっても、立ち続けた君を支えたいと、思ってしまったんだ。この思いを受け取るかどうかは、君の自由で構わないから」
王子はそう言って微笑んだ。そして慌てたように言う。
「兄上を思っているなら、すぐ身を引くから!!」
その慌て方で、リラは本当に久しぶりに笑い声をあげた。
暖かな光が、部屋に差し込んでいる午後だった。




