08 ヒロインはきっと当て馬を好きになるだろう
一組、来店案内をした。一組、オーダーを取った。一組、出来上がったデザートと飲み物を運んだ。
それだけで大仕事をした気分だ。実際人と話すことが得意でない私からすると本当に大仕事だ。初めてなので新先輩に見守ってもらいながら、だが。
「オーダーうまく聞き取れませんでした。」
本日の定位置のレジに戻り、先程の接客の反省点を述べる。
「まだメニュー頭入ってないから仕方ないよ。そのうち最初の三文字くらいでわかるようになる。」
「本当ですか?」
「疑うねえ。じゃあメニュー当てクイズしてもいいよ。冴ちゃんメニュー見て何でも好きなの言ってみて。最初の三文字で当ててあげる。」
からかうような口調なのに、優しい。気持ちをほぐしてくれるし、本当にクイズをすればするほどメニューも覚えられそうだ。
新先輩のクイズに挑戦しようとしたところで、レジにお客様がやってきた。
「紺…とつむぎちゃん…!」
私がバイトを始めてから一時間ほど。二人が帰ってもおかしくない時間だった。
「ありがとうございます、どうでした?」
「とても美味しかったです、ごちそうさまでした。」
新先輩の問いに元気よく答えるつむぎ。新先輩と同じでつむぎの瞳もキラキラだ。どうやって生きていれば目の輝きが変わるんだろう。
「バイトの応募するわ。」
つむぎとは対象的に本当に美味しかったのか疑うほどローテンションの紺だがもう完全に働くつもりらしい。
「私もしたいと思ってる!今日親に話してみるね!」
つむぎも入ってくれるなら、手違いで釣れてしまった紺はもう許そう。本当なら紺とつむぎの接点はあまり作りたくないが、どうせ二人は同じクラスで、隣の席で、少女漫画の通り進んでしまうのだから。それなら新先輩に早く出会う方がいい。
「…本当に?ありがとう……」
心のなかではガッツポーズを作ってヨッシャ!!!作戦通り!と飛び跳ねるほど嬉しいのに、あんまり嬉しい声がでないのが難点。つむぎや新先輩のように、人を優しい気持ちにさせるような受け答えができたらいいのに。
今日のレジは他の先輩にお願いして、と言われていたが私の身内ということもありそのまま新先輩がレジ対応もした。
「二人が本当に応募してくれるの待ってるよー!」
お釣りを返しながら、人懐こい笑顔を向ける。こうやって歓迎されるとますます入りたくなるだろう。
「それじゃあ、冴ちゃんバイト頑張ってね!」
つむぎにそう言われて気づく。
「あれ紺、帰っちゃうの。」
「そりゃ……バイト終わるの遅いでしょ。」
「あ、そうか。」
今はまだ17時。バイトは今日19時まで入っている。
紺が帰るのは当たり前に決まっている。決まっているのだが、やはりつむぎと二人で帰ってしまうことはなんとなく落ち着かない。
他に人がいるカフェと違って、完全に二人きりになってしまう気がして。夕暮れ時の帰り道なんて、いかにも少女漫画の展開が進みそうなシーンだ。
「夜、気をつけて帰れよ。」
「うん。じゃあまた明日の朝。」
「それじゃあ冴ちゃん今日はありがとうね、ばいばい!」
手を大きく振って出ていくつむぎと、ちょっとだけ会釈をしていく紺。すぐに扉は閉まり、二人の姿は見えなくなった。
つむぎの家って、私たちと家と方向同じだっけ……。
「マーブルキス」では、紺をつむぎが送っていくイベントなどなかったような気がするが……。いや、あったかな。推しカプではない紺とつむぎのイベントはどうも詳しく覚えていない。
少女漫画だとヒロイン中心に話が進んでいくから、恋愛の進行状況はすべてわかるけれど、脇役になるとこうもヒロインのことが読めなくなるなんて。
「冴ちゃん大丈夫?」
「すみません、ちょっと考えごとしちゃって。」
「幼馴染くんとはいつも一緒に登下校してるの?」
「家が隣なんです。」
「ベタな少女漫画みたいだね。」
思わず吹き出してしまう。だって本当に少女漫画の世界なんだもん。ただ、私はヒロインでなくて脇役なんだけど。
私が笑うと新先輩も嬉しそうにまたへにゃりと笑うから、ヒロインだと錯覚してしまいそうにはなる。
「まあ、これからは一緒じゃないでしょうけどね。」
バイトも始めたし、これからはシフト次第でバラバラになりそうだ。朝は変わらないかもしれないが。
「そうかあ…。」
そういえば新先輩の家はつむぎの家方面だった。バイトの帰り道につむぎが紺の相談をしていたんだった。やはり帰り道は恋を進行させる舞台だ。
これからつむぎがバイトを始めたら、シフトによっては二人が一緒に帰る姿を見送らないといけないのか。と一瞬だけ思ってしまった。
大丈夫、漫画よりもずっと素敵な新先輩は私がつむぎと幸せにするから。もう一度、誓いを立てる。
つむぎはバイトに応募すると言ってくれた。
紺への恋が始まる前に、新先輩に出会ったなら。バイト帰り道で二人だけの特別な時間を過ごしたら。
つむぎも新先輩も本当に魅力的だから、きっと好きになるだろう。
私の作戦はうまくすすんでいる。大丈夫。