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07 名前を呼ぶということ

 

「湯岡さん、今日からよろしくね。そういやお友達今日来てくれてるんだって?」


 着替えが終わると店長が話しかけてきた。新から聞いたのだろう。


「はい、昨日の話をしたら友達がバイトに興味あるみたいで。」

「そうなんだ、昨日お願いしたばかりなのに誘ってくれたんだね。ありがとう。バイトは大募集中だから二人がいいと思ったら是非今度面接させてね。」

「伝えておきます。」


 興味があって来店までするなんてかなり脈アリだと思われただろう。

 つむぎはともかく紺は応募するみたいだし、嘘ではない。


「じゃあバイトの流れを説明するね。まず着替え終わったらここで出勤ボタンを押してくれる?自分の名前を探して……」


 店長が説明をし始めてくれる。つむぎと紺も気になるが、人生初のバイトである。

 まずはこちらをしっかりやらなくては。一旦使命は忘れることにしよう。



 ・・


 スタッフルームの次はキッチンを案内してくれる。オープンキッチンとなっていて、明るい開放感のあるキッチンだ。料理クオリティのためにキッチンスタッフは社員が三人いるそうだ。社員+バイトで四人〜五人入るようで、今日のメンバーを軽く紹介してくれた。

 みんないい人そうではあったが、大人の人に混じって働くのだと思うと緊張してきた。謎の理由で軽い気持ちでバイトを始めてしまったが、ちゃんと働かなくてはいけない。



「じゃあ次はホールに行こうか、湯岡さんはホール担当だから準備が終わったら平日はもうホールに出てくれていいから。土日に朝からシフトに入る時は朝ミーティングがあるから待っててね。」

「はい」


 ホールに案内される。カフェにしては結構大型の店舗だ。窓が大きく天井が高い明るいカフェは30席あるし、平日でも私含めて四人ホール担当がいる。


「接客の流れはなんとなくイメージつくと思うけど、まずお客様がきたら……。」

 来店したお客様の案内や、メニューやトレイの場所や説明をしてくれる。

 最後にレジまできた。慣れるまではレジ担当はしないようなので流れだけ教えてくれる。お客様の対応をしない時は店舗の出入口にあるレジかオープンキッチンの近くに立っているそうだ。


「まあ実際やってみてわかることも多いと思うから、今日は先輩についてやってみようか。実践が一番だからね。」

 そう言って店長はレジに立っているスタッフに声をかける。「高池くん、今日湯岡さんについて教えてくれる?」



「あっ新人さん!任せてくださーい!でも、俺でいいんですか?」

 いたずらっぽい笑顔を作る新。この水分たっぷりのキラキラの瞳が好きだったのだ。平面で白黒の漫画の世界なのに新の瞳はいつも輝いてみえた。こうやって実物を見ると、当たり前だがさらにピカピカに見える。


「湯岡さんに変なこと教えるなよ。」

「こっそりサボる方法ですか?」

 店長もいたずらに返し、さらに言い返す新。ふざけた口調だが、新が真面目に勤めていることは漫画で履修済みである。



「あっ、湯岡さん固まってる。ごめんね、冗談だよ!ちゃんとわかりやすいように教えるからね」

 いたずらな表情が私に向けられる。新の目が私に向けられることが、あるんだ……!と何度でも新鮮に感動してしまう。



「よろしくお願いします。」

 固まったのはあなたが推しだからです、とは言えるわけがなく一言発するのが精一杯だった。



「湯岡さんもA高校なんだよ、今年の新入生。今日の中だと高池くんが一番年齢近いからね。じゃあ他のホールの子もついでに紹介しちゃおうか。」


 オープンキッチンの近くにすすみ、残り二人のスタッフを紹介してくれた。二人とも男性で大学四年生だったから、年齢の近い新が教育係に任命されたのだろうか。いや「マーブルキス」でもつむぎの初出勤の教育係は新だった。新の親しみやすさなら任されるのも納得だ。


「じゃあ湯岡さんは高池くんについて、まずは高池くんの接客を一通り見ようか。次からはちょっとずつ湯岡さんもやってみよう。

 まずは案内から覚えるのがわかりやすいと思うから、さっき高池くんがいたレジの近くにいてくれる?高池くん、レジはまだやらないからお会計のお客様いたら他の子に頼んで。それ以外のことはどんどんやり方見せて、湯岡さんにやらせてね。」

「わかりました、任せてください!」

「はい。」


 頼んだよと店長は新の肩を叩いてスタッフルームに戻っていき、レジ前に私と新は移動する。



「今はどのお客様も提供し終わった後だから、来店があるまでほとんど仕事はないかなぁ。」

 なるほど、たしかにどのお客様もテーブルの上にはお皿が並んでいて、追加注文かお会計くらいしかなさそうだ。

 つむぎと紺も会話している。少し遠くの席なので何を話しているかわからないが紺が柔らかい表情をしている。紺は女子大警戒男だからあんな風な表情を向けるのは私かお姉ちゃんだけなはずなのに。



「二人とは中学が同じなの?」

 私の目線に気づいたのか新が訪ねてくる。

「えと…男の子は私の幼馴染なんです。女の子は幼馴染のクラスメイトで。」

「ふうん。」


 あ……もしかして紺とつむぎがいい雰囲気に見えているのではないだろうか。遠目に見ると仲良くお茶をしているのでそう見えるかもしれない。


「あっ、二人も知り合ってからは数日なので!えっと、二人はあの……。このバイトの件で一緒に来ただけで……。」

「なるほどねえ。」


 二人の関係はまだ始まっていないのに誤解されたら困る。誤解されていないか不安だが、新の表情は読めない。


「それより、もしかして緊張してる?」

 不安が顔に出てしまっていたのか、優しく聞いてくれる新。―――いやもう新じゃなくて、高池先輩と呼んだ方がいいかもしれない。漫画のキャラではなく現実なのだから。


「はじめは緊張するよねえ。俺もやばかった。」

「ちょっと意外です。」

「そりゃ俺だって最初はね。でもリラックスすれば全然大丈夫!そうだ、よかったら冴ちゃんって呼んでもいい?堅苦しいの苦手で、年も近いし!…ちょっと馴れ馴れしかったかな?」

「いえ、うれしいです。新先輩。」


 流れで名字ではなく下の名前で呼んでしまった私こそ馴れ馴れしかっただろうか、と不安になる前に


「あーついに俺も先輩かあ!ずっとなりたかったわ先輩!」

 新先輩がへにゃりと笑う。こうやって素直に感情を表現してくれるところは漫画のキャラとしても素敵だなと思っていたが、実際に間近でみるとますます素敵なところだと思う。


 お客様か来店され会話は一旦終了し、新先輩がお客様を案内するのを見ながら私も嬉しくて心のなかではへにゃへにゃ笑っていた。

 漫画の新じゃなくて、本物の新先輩になった瞬間だったから。新先輩、心のなかでもう一度読んでみる。名前を呼べるということはこんなに嬉しいものだったのか。

 冴ちゃんって呼んでもらって、私が新先輩と呼ぶ。

 なんだか少しだけ漫画の主人公になれたようだった。私はただの当て馬だというのに。

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