10 恋が始まらなさそうな配役
私たちの目の前に置かれたホカホカのふわふわオムライス。それが今日のまかないのようだった。
「俺、まかないでオムライスが一番好きなんだ。」
ニコニコ、という音が聞こえてくるくらいしあわせそうな顔をしているのは新先輩だ。
店長がまずは同じ高校の先輩と仲良くなるのがやりやすいだろう、とディナー営業に入る前の新先輩の休憩時間を合わせてくれたようだ。
「私もオムライス大好きです!ふわふわ派なんでこれは最高です!」
答えるのはもちろんつむぎ。私と紺も頷いた。
「そうだ、こないだ冴ちゃんにはOKをもらったんだけど二人とも下の名前で呼んでもいい?俺のことは新先輩って気楽に!」
名前を呼ばれた時自分だけがすごく特別な気がしたが、それも一時の夢だったようだ。
「はい、改めてよろしくお願いします!」
「はい、お願いします。」
「二人ともかたいなあ。俺の前ではそんな気つかわないで。まあ俺も初日はもっとガチガチだったけどね。友達もいなかったし。」
「たしかに友達二人と入ったぶん不安は少ないです。」
つむぎの中で、私はもう友達にカウントされているらしい。ライバルとして意地悪するぞ!という気持ちはさらにしぼんでいく。
「俺は学校から近くていいなってくらいで応募したんだけど、本当ここにしてよかったよ。店長も他の人もいいひとだしまかないはおいしい。あとケーキとかも社割で安く買える。」
「そうなんですか。」
聞き役に徹していた紺が反応するので思わず笑ってしまう。無言で紺が睨んでくるが、あまりの返事の早さだったから仕方ない。
「紺、甘党すぎるんですよ。」
「そういえばこないだも築山くんケーキ二つ食べてたね。」
「そうなんだ!?ちょっと意外、でもそれなら最高の職場かも。まかないでケーキつくこともあるよ。」
つむぎも新先輩も笑ってくれる。紺は口数は少ないけど話してみると素直で結構おもしろいやつなのだ。
「てか冴ちゃんずっと緊張してたでしょ、ようやく笑ったな。」
またいたずらっぽい笑顔を向けられる。私は本当にこの笑顔に弱くて、そりゃ推しが笑いかけてくれたら緊張もするに決まっている。
「絶対笑わせてやろうと思ったのに幼馴染強いわー。」
「結構すぐ笑いますよ。」
涼しい顔で紺は言うのだった。まあたしかに、慣れているひとの前だとゲラだったりする。
新先輩が自然に盛り上げてくれるから場の空気が和らいでいく。私も紺もやはり緊張していたし、つむぎだって初バイトだ。私と紺と友達と言ってくれたが実際まだ知り合い程度なわけだし緊張したに違いない。
私と紺が無口なばかりに、率先して頑張って話してくれていたんだなというのがわかった。
「もう今日から買っていってもいいですか?」
「うん、いいと思うよ。何にする?休憩終わったらお会計するよ。」
「ミルフィーユ二つお願いします。」
「ミルフィーユ?二つも食べるの?ミルフィーユ好きなんだ?」
「あ、いえ…一つはお土産です。」
ああ、沙良お姉ちゃんにか。お姉ちゃんはケーキを選ぶ時は必ずミルフィーユだ。たしかにここのケーキはおいしいからお土産にしてあげたくもなる。
「えーもしかして彼女に?」
「いや、そんなんじゃ……」
と俯く紺はそれ以上語らないが、それは肯定にも見えた。そりゃ夜にケーキをお土産に持っていく存在なんて彼女くらいしかないだろう。隣の家の幼馴染だなんて思わない。
つむぎは状況をニコニコ見守っている。心のなかはどう思っているのか、モノローグが読めないからわからない。
でも、まだ出会って一週間。恋はそんなに進行していないはずだ。この後長く苦しい片思いにハマってしまうのならば今のうちに引き返した方がいい。
私はライバルになれる気がしなかったが、所詮序盤の雑魚キャラ。紺との恋のラスボスは沙良お姉ちゃんだ。この時点で沙良お姉ちゃんの存在を知ったならば、気持ちにストップがかかるかもしれない。
「ミルフィーユ、二つ、と。」
ポケットの中から伝票を取り出して記入する新先輩。
こんなに素敵な人とも出会ったんだから、彼女持ち(にみえる)紺よりも新先輩のことを好きになるだろう。間違いない。
そう信じた私の言葉をすぐさま砕く言葉が降ってくる。
「俺も彼女にお土産買っていかないとなー。」
彼女………?新先輩に………?
「実は彼女のこと怒らせちゃってさあ。」
「えーどうしたんですか?」
「聞いてくれるー?」
「私、恋愛経験全然ないけどいいんですか。」
衝撃を受けた私の横で、推しカプが会話している。推しの彼女の話を。
紺もなんだかんだ興味ありげにしっかり聞いているが、私は必死で原作を思い返していた。
そうだ、そうだ……新とつむぎの出会いのタイミングがズレたから………!
「マーブルキス」の新は彼女はいなかった。
いや、「マーブルキス」で新とつむぎが出会った時に、彼女がいなかったのだ。
新は初めての恋じゃなかった。新が必死になった恋はつむぎが初めてなだけだ。
「バイトと私、どっちが大事なのって言われちゃってさ。彼女も大事なんだけど今人手不足だからなかなか会えないから。ケーキ買ったら喜ぶかな。紺のアイデア真似しただけだけどさ」
そうだ、原作の新もそうだった。
それなりに彼女を大切にして好きなつもりだけど、彼女からしたら不十分で。誰にでも優しいから、たったひとつの一番になれないのだ―――つむぎを除いては。
「じゃあ私たちが早く仕事を覚えて新先輩と彼女さんが会える時間作りますね!」
「ありがと!早く俺より成長してな。」
会話の流れではあるが、つむぎが新先輩を応援してしまった。
彼女持ちの新先輩と彼女持ちに見える紺、恋に憧れるつむぎ。ラスボスの存在が先に明らかになってしまったのでライバル役としても解雇されそうな私。
恋が始まらなさそうな配役になってしまった。どうしようか。




