7.
あれから一ヶ月もしないうちにローガンは隣国に旅立った。イーサンとしてはあそこまでプライドをズタボロにされたのだから反骨精神で辛い訓練に耐えて騎士になると正直言って欲しかった。だが、やはりそんな気概は弟にはなかったようだ。
なまじ才能があったこと、騎士の家系であることが彼を剣の道に固執させたのかもしれない。
憑き物が落ちたように淡々と女との関係を清算しに行ったのは驚いたが、一緒に行った従者の報告によると予想通りの言葉をかけられたものの、それに応じる事は決してなかったそうだ。
シャロンにも謝罪していた。彼女はそれに何も言う事なく、ただ受け入れた。
弟もそれで許されたと思っていないだろう。だが、今できることはそこまでだと理解していたゆえにそれ以上何かする事はなく言われるがままに旅立っていった。
シャロンの生家であるミルバーナ伯爵家は代替わりした。どうやら税を一部誤魔化していたらしい。彼女の兄が代替わりを条件に上手く取り回して、"不足分"の納税を行なったと聞く。
タイミングを見計らっていたのだろう。もっと好機はあったと思うが、シャロンの婚約の結び直しが上手く取り回るようにしてくれたとしか思えない。領地に両親は追いやられたが、領地運営には携わらせて貰えないそうだ。そちらは代官に任せ、元伯爵夫妻は領地の本邸から程近い別邸で軟禁状態のようになっていると聞く。
甘い処罰だとも思うが、シャロンが嫁ぐ事や今後は兄が妻を迎え入れる事を考えればそれが最善だったのだろう。
例の妹シェリルは元伯爵夫妻から離され、今は王都で泣き暮らしているそうだ。どこまで再教育をするか、それともこのままでも受け入れてくれるような婚家へ出してしまうか。そこは若き伯爵の頭の悩ませどころらしい。
妹はシャロンに謝罪をしなかった。それどころか彼女を責めたという。自分の行動が間違っていたと気づく日が今後くるかはわからない。
シャロンは謝罪を受けられなかった事に対して気にした様子もなく、ただ何も知らず純粋な子どものような妹も他者に悪意を向けられるのだと感心してしまった、だそうだ。
彼女の中で妹はその程度の存在でしかないのだろう。
あの騒動の翌日、ローガンとの婚約破棄についてイーサンがシャロンに伝えた。
「・・・そういうことだから君はもう自由だ。けれど、願わくばこれを受け取って欲しい」
彼女の前で跪き、開いた小箱の中では夜空の色をした石の指輪が輝いていた。
「イーサン様・・・?」
「僕も弟の事を本来なら責める立場にないんだ。君の努力に、君の素晴らしさに、そして君の美しさに・・・僕は君の全てに惹かれて、いつの間にか愛してしまった。これは昨日のプレゼントの揃いなんだ。作ったあとに後悔したよ。日の目を見る事が決してないこれを今後自分は未練たらしく見つめるのかと」
シャロンの手を取っても彼女はそれを振り払うことはしなかった。その細い指に銀輪を通していく。薬指に輝く指輪は渡されるべき人の手に渡り満足そうに輝いている気がした。
「身に秘めた想いを伝える事は決してしないと決めていた。それは弟の未来を奪う事になるからだ。君を想うのと同じくらい弟も大事だった。けれど、君を大事にしようとしない弟を見て、もうこの気持ちを抑える気がなくなった」
指輪をした彼女の華奢な手を包み込んだ。少し冷たいその指先を温められるのは自分であって欲しい。そう想うのは自分のエゴだと自覚はある。
弟が堕とされることになった最後の鉄槌はイーサンが振り下ろしたようなものだ。イーサンが父である侯爵とその夫人の義母の願いを受け入れた。弟の代わりに彼女との婚約。将来的に誰も継がないようならば代わりに侯爵家を継いでほしい。もしくは父に何かあれば次の後継者が現れるまでの繋ぎとしてその立場に立って欲しい。
煩わしいその提案も彼女の存在が自分の背を押した。今までは寸での所で止まっていた。弟がいつか現実を見た時に後悔して欲しくないと。だが、未来の侯爵家を担う価値もなければ男としての矜持もない。そんな奴に彼女を渡すなど耐えきれなかった。
「弟の婚約者に恋慕していたような男を嫌悪するだろうか?結局弟を追いやり、君の隣を得ようとしている。そんな男を厭うならば拒否して構わない。その場合は君の目に触れぬようにしよう。今後の結婚も差し障りないようはからうし、別の相手を探、」
つらつらと思ってもいない言葉が口に出てくる。そんなイーサンを止めるようにシャロンはもう片方の手で彼の手に重ねた。
「私は・・・貴方が好きです。ずっと、ずっとお慕いしていました」
彼女はぽろぽろと涙を流した。その姿が美しく愛らしくイーサンには映る。涙を落とす彼女の頬に口付けてその涙を吸い取った。けれど、とめどなくそれは流れ続ける。
伏せていた瞳と目が合った。イーサンは吸い寄せられるようにシャロンの紅い唇に自分のそれを重ねた。優しく合わせるだけの口付けを何度も角度を変えて交わす。
「・・・少し僕は面倒な立場だ。将来的にどうなるかはわからないけれど、侯爵になる気は僕自身にはない。今度、侯爵家で持っている爵位を貰って子爵になることになってる。君に苦労させるかもしれない」
「貴方とともにあれるなら、例えどんな事があっても、何処までも」
イーサンはシャロンを強く抱いた。少し赤く染まる耳元に囁きを落とす。
「僕は君だけを愛し、大切にすることを誓うよ。例え死が別つその先も君を愛し続けるから」
未来はどうなるかわからない。けれど、確かな未来はこの腕の中にある。
・・・僕だけの愛しい人 〜愛に飢えた令嬢が幸せになるまで〜fin.