6.
「選ばせてあげるよ」
ローガンをどうするのか。それを最終的には父と母に委ねられた。選択の準備こそしていたが、それを与える気はあまりなかった。だからこんな話をするのはイーサンの気まぐれでしかない。
「・・・何をですか」
「僕より君の方が基礎能力は高い。けれど、何故手も足もでない?答えは明確だよ。実戦が圧倒的に足らないんだ。北の国境の守護を担う辺境伯と父上が知己でね。学園を辞めさせてその性根を叩き直して貰うという話が上がってる」
一度そんな話を父が本人に持ち掛けたと聞いている。本人は青褪めながら学園でもう少し学びたいと断ったそうだ。今回は逃げようがないと察しているのだろう。青を通り越して白くなっている。
北の辺境伯は騎士の育成が厳しい事で有名だ。だが、その分育て上げられた騎士の力量は間違いない。学園からの推薦状を得てそちらに向かう若者もいるほどだが、ローガンには残念ながらその気概がないようだ。
「もう一つ。僕の兄弟子が隣国の大学校で教鞭を執っている。高等学院でも地理学を教えていて、その延長で軍事地理学にも詳しいんだ。流石に他国だし騎士科に受け入れはして貰えないが、僕が少し前まで教鞭を執っていた縁で君の一般科の受け入れは可能だそうだ。あちらでの保護者はその兄弟子に頼んでいる。そちらで最低でも1年間学んでくるといい。明日にでも父上に呼び出されるだろう。よく考えて答えを出しなさい」
ローガンも分かっているだろう。今回のどちらの提案もあの小娘と引き離す為なのだと。積もり積もった行動は目に余った。火消しのしようがないところまで来てしまっている。
「あと、君のシャロンとの婚約は近々破棄される」
「えっ?」
暗い表情から一変。ローガンの明かりが差した瞳にイーサンは再び影を落とさせる。
「自動的に嫡子としての座は保留。シャロンは僕の婚約者となる予定だ」
「っな、あんたは後継としての権利放棄を、」
「してるよ。18歳の成人と同時にね。けれど、父がどうやら書類を提出してなかったらしくてね。表向きは嫡子は君と言ってはいたが、どうやら保険をかけていたそうだ。それに腹の子も男ならば正当な後継者候補として、女であっても良い婿をとって継ぐという可能性がある」
「腹、の、子?」
「母上の腹の御子だ。ここ数年後継者の打診は受けていたが、ずっと突っぱねていてね。まだ母上は若いのだし、父上だって元気なのだからもう1人頑張ったらいいと言っていたら上手い事出来たそうだ。半年もしないうちに生まれるよ。やはり気付いて無かったか」
まぁ、わざと教えなかったのだろうから分からないのも無理はない。
父は学園卒業と同時に学生時代から付き合っていた男爵家の娘と結婚し、市井に下っている。それから数ヶ月後にイーサンが生まれているので若干計算が合わないのがご愛嬌だが、若くして父になった人だった。
そして義母も婚約期間から侯爵家に入り、卒業と同時に結婚しており、若いうちにローガンを産んでいた。
父はまだ四十代、義母も三十代。貴族社会は結婚が早いので上と下が離れているというのもよく聞く話だ。話題にはなるだろうが、珍しくもない。
ずっと自分が後継者だと信じて疑ってこなかった弟には酷なことだろう。自分の知らないところで舞台から降りたはずの兄が後継者になるよう打診され、いつの間にか母親の腹の中には自分の立ち位置を揺るがす存在が宿っているのだ。
何も聞かされぬまま落第者の印を押されていた。心情はそんな所だろうか。
「一つ道を選ぶならば教えておこうかな」
もう返事はない。
「一つ下の学年に第三王子殿下がいるね?しかも騎士科だ。なんで侯爵家の君が御学友兼側近候補とならなかったんだろう?」
俯いていた顔をノロノロと上げた。絶望を見られるならまだ希望を持っているという事だ。こんな物じゃまだ足りない。シャロンを今まで傷付けた報いはそれ相応に今後受けさせていく。これはまだ序章でしかない。
「君の剣は中途半端だ。騎士として剣を極めようという気概がみられない。そして、婚約者をあそこまで蔑ろにしてその妹に入れ込むような人間を信用できるかい?妾を持つにしろ、最低限の礼を尽くす必要がある。それが学生時代なら尚の事だ。裏で逢瀬を重ねるならまだしも表で堂々と・・・浅はかだね、君達は」
「そんな・・・そんなことは・・・」
「殿下は生徒会役員だそうだね。まだ一年次だし、副会長だそうだけど、立場上任命権がお有りだそうだ。殿下はシャロンを役員に指名したが、彼女は断っている。何故かな?」
問い掛けても答えは出る訳がない。シャロンの事を何一つとして気に掛けて来なかった人間が彼女の行動を想像することも難しいだろう。
「シャロンは自分の立場としては過ぎた職務であると断った。裏を返せばお前を差し置いて役員にはなれないと言ったんだ。殿下もしつこかったようで生徒会役員の補佐として時折職務を担っているそうだ。名前こそないが、役員の仕事を普通に任されている。彼女が堂々と出来ないのは君の至らなさじゃないかい?」
「・・・そう、かもしれません」
「かもしれないじゃない。そうなんだよ。ねぇ、なんでシャロンを大切にしなかった?悲恋の主人公として噂されてそれに酔ったか?想い合う男女が結ばれない。2人の障害はヒロインの姉。ただの浮気でしかないのになんとバカバカしい。姉の男に手を出す妹なんて性悪以外の何物でもないね」
「・・・俺を悪く言うのは構いません。だけど、」
「彼女を悪く言うな、って?そう言うならきちんと筋を通したら良かったんだ。身体が弱いことは仕方ない。後継が出来なければ僕や親戚筋の子を養子に取る事も考えれた。けれど、そんな考え以前に例の女は君の隣に立つ為に何か努力をしたのかい?シャロンに並び立つのは難しいだろう。けれど、それに倣うように努力したならば多少話は違った。けれど、ただ甘やかされて与えられた蜜を吸うだけの女が次期侯爵の君の隣に立てると?ただのバカ女のままでいいと考えていた君もあの女も伯爵家の人間もなんと矮小な人間か。もう笑いが止まらないというのはこの事だろうね」
わざとらしく笑い声を上げてやる。何かの意地なのかと思うほど彼女に関する問いをするすると挿げ替えてしまうのは何故だろうか。恐らくくだらない虚勢や見栄、劣等感。それらが絡み絡み合ってシャロンに向いたのだろう。彼女は特出した才能がある人間だ。それに比べてローガンは多少剣は使えどごく普通の何処にでもいる青年でしかない。
始めは純粋な恋心と本来の婚約者との間で心が揺れていたことだろう。だが、時間が重なるに連れ、シャロンの素晴らしさに恐れ慄いた。小さくちっぽけな人間である弟が己を大きく見せる為にどんな方法をとるべきか。
そして見つけた自分が優越に浸れる物。自分の素晴らしさを手離しで褒めてくれる相手。それは愛情に飢えたシャロンを一番傷付ける方法だった。妹を優先し、愛すること。物事を知らない妹はローガンに耳に心地良い言葉しか与えない。しかもそれを与えてくれるのは好きな女だ。
そんな心地良いだけの居場所を見つけた弟は目を向けるべき事柄を見なかったことにしてどんどんと遠ざけていった。
醜悪な話だ。劣等感の強い人間は過剰に優越感を求める。努力を忘れ、怠惰を選んだ弟。
父も義母も公正な人間だ。努力した者にはそれ相応の対価を、しない者には努力出来るよう導くために一緒に考え行動してくれるのだ。それは家族にもそれ以外の人間にも同様だ。弟にはかなり骨を折っていた。だが、その心根は変わらなかった。両親の自分にかけた労力など何一つ見えていないのだろう。
「僕がシャロンと結婚する。同じ家から2人も妻を取る事は決してない。あの女との関係はきちんと清算するように。以上だよ」
イーサンはローガンの反応を見るまでもなくさっさとその場を後にする。あの女とともに在りたいならば家を出るしかない。だが、貴族という肩書きを捨て、困難が待ち受ける道を弟が選ぶか?それはまずないだろう。
そしてあの女も貴族社会以外では生きられない。ローガンとの関係は別れる時にきっと言うのだろう。ずっとお待ちしております、と。けれど、半年もしないうちに悲しみにくれる女を慰める別の男にコロっといくのだ。あのタイプの女は移り気だ。依存出来る相手がいるなら誰だっていい。
きっと、半年も経つ頃にはローガンに再び絶望が訪れる。それが分かっていながら教える気もなければ、幸あれと願う気にもならない。
それほどまでにイーサンはローガンを許せなかったのだ。