4.
イーサンが初めてシャロンの名を聞いたのは領地で仕事をしてる頃の事だった。学園をまともに通っていなければ社交界もまともに顔を出した事がないイーサンにとって、ミルバーナ伯爵家に弟と同い年の少女がいる事をその時まで知るわけがなかった。
イーサンはとても賢く、自分の知識欲を満たす為には貪欲に努力出来る人間だった。普通は貴族社会の縮図のような王立高等学園に貴族はほとんど入学するのだが、特別な試験を受け、高等学園の過程をスキップし、自分が書いた論文を携えて大学校の門を始めからくぐった。
その論文がきっかけで半年もしないうちに治水学の権威である隣国の博士から留学をしてこないかと声をかけられ、一も二もなく飛び付いた。あちらで論文の有用性が認められ、17歳で博士と呼ばれる立場になり、18歳の頃にはこちらに戻り王家の招聘を受けた。
まず侯爵領で治水工事の有用性を証明し、その後は侯爵領で育てた人間を各地に派遣しつつ自分も王家の指示に従ってあちこちを転々と回った。
そんな中で時折王都で顔を合わせる未来の妹はとても勤勉で素晴らしい人間であったが、ずっと愛に飢えた娘だった。
最初に婚約のきっかけになったのも親ではなく兄だったという。彼女の兄は賢く、一つ年上の王太子の学友兼側近候補として一年早くに学園に通い始めた。友人間でまず話題になったのは末の妹の話で、適当にその件を濁したのと打って変わってその上の妹に関しては、努力家でしっかり者で賢く一番幸せになって欲しいと切実に語ったという。
それを回り回って耳にした父が伯爵家に婚約の打診をした。始めはイーサンすら耳にした事があった末の妹の方を強く勧められたらしい。
侯爵家が未来の侯爵夫人を打診するのだ。ある程度調べた事が何故わからないのか。顔と愛嬌だけがいい娘など、その地位に相応しい訳がない。
父は伯爵家の要望を撥ね除け、当初からの予定であったシャロンとの婚約をもぎ取った。
しかし、ここで誤算が起きた。
婚約を結んだローガンが件の妹シェリルに堕ちたのだ。
最初はまだ婚約を結んだのはシャロンの方だと自制心が少なからずあったように思える。だが、どんどんと弟は深みに嵌っていき、気が付けばシャロンを軽んじるようになっていった。
そもそも今の伯爵家は眉を顰めるような話が美談と貴族社会で語られた末に出来上がった家庭だ。あの家の中はシェリルを中心に出来上がっていると聞く。ローガンはそれにいつの間にか毒されていったのかもしれない。
再会するたびにシャロンはどこか寂しそうで、また一つ、また一つと年を追うごとに諦めることを増やしていた。
イーサンはシャロンが不憫でならなかった。こんなに気立てがよく、出来た女性はいないだろう。父も義母もそうだ。シャロンをよく褒め、大切にした。
その行動も弟を頑なにさせる要因になったのだろうからこれも難しい話だ。
弟は両親やイーサンから窘められるほどにシェリルにのめり込んでいった。あの小娘のどこがいいのか、イーサンにはわからない。一度弟に聞くと、儚げで守ってあげたくなる、そんな女性なのだと熱に浮かされたような答えが返ってきた。
守らなければいけないだけの女が自分の隣に立てるのかよく考えるといい、とイーサンは初めて弟にキツい言葉を投げかけたのだが、拗ねて口を利かなくなってしまい、その後そのまま遠くに仕事に出たので有耶無耶になった。あの時もっと強く正せばよかったのだと後悔しても全てが遅かった。