愛に飢えた令嬢が幸せになってから
久しぶりにやってきたグラジェル侯爵家の領地は相変わらず広大で肥沃な土地が広がっている。侯爵家私有地は屋敷から見渡す事が難しいほどの広さを誇っていた。屋敷の裏に広がる森、そしてその先に続く山は元々開発が進んでおらず、保護区として許可された者以外は入らないよう制限されている。ここ数年は侯爵の息子達が研究用にそれぞれ使っているので、最低限の整備は整えられているが。
今回はそれが悪いように働いた。
「それで?野営暮らしは楽しかったかい?」
夫は執務室の机に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せてニコリと笑った。目の前には立たされた息子と息子よりも一つ年上の義弟が並んで青ざめている。
事の始まりは8日ほど前に遡る。先に領地に向かって行った息子と末の義弟は到着した日こそ大人しくしていたが、その翌日の早朝には置き手紙一つでいなくなった。
"1週間ほど出かけてきます。探さないで下さい。"
そんな事が書かれていたが、どちらも侯爵家の後継候補である。探さないなど選択肢はないのだ。
けれど、相当入念に準備をしていたらしく、全くどこに行ったか見当がつかない。
息子と末の義弟の逃亡の翌日、遅れて領地に到着すると息子達と先に来ていた義母は捜索を打ち切っていた。自分勝手な子どもの捜索など人の無駄遣いだと大層お怒りだ。
どうしたものかと頭を捻っていると、夫と植物研究の為に一緒に来た上の義弟が地図を広げて、ぶつぶつと話している。それに近づくと丁度顔を上げた義弟と目が合った。
「シャロン、大丈夫だよ。これから少し人を連れて私が探して来るから」
「え?ご自分で捜索隊を率いるのですか?」
「本当は兄上の方が適任だろうけど、仕事が詰まってるからね。でもこの辺りなら私で十分だ。母上は君に任せるよ。それじゃあ」
にこやかに部屋を出て行った義弟から夫へと視線を移すと夫もとても穏やかに笑っていた。
「何が適任だか。もう僕より強いくせに・・・大丈夫だよ、シャロン。任せておけば問題ない」
騎士を辞めてから剣の扱い方が分かるとかなんの皮肉だと以前義弟は溢していた。確かにそこらの一介の騎士よりもかなり義弟は強い。もともと騎士として学んでいた人である。小部隊指揮も学生時代に経験しているはずだ。
夫も義弟も表情穏やかだった。それならば大丈夫だろうと彼等に全てを任せて義母に寄り添う事にした。
その日のうちに上の義弟が息子達を発見したと伝令の騎士から一報が入った。どうやら山の中にいるらしく、上の義弟は数人の騎士とともにそのまま陰ながら彼等の護衛についてくれているという。
そんな見守りありでの野営暮らしを終えた息子達は当初の書き置き通りに1週間で屋敷に戻ってきた。
・・・といっても帰宅前日に上の義弟に捕まりかなりガッチリと叱られたようで消沈して帰ってきたのだが。
夫の前に連れ出され、冷え切った目で笑う夫を目の前にして、これから始まる第二ラウンドに彼等は血の気が引く思いだろう。
「はい、楽しかったで、」
「バカ!余計な事言うな!」
下の義弟を息子が小突いた。確かにここで何か言うのは得策ではない。
だが、今の一言で夫の周りの空気はまた一段と冷え込んだ。斜め後ろで控えている上の義弟も微笑んでいるのに目は何も笑っていない。
侯爵家の現当主は義父である。年齢的にそろそろ引退を希望しており、執務のほとんどを夫が担っていた。侯爵家の息子達は誰も代替りを承諾しないのでなかなか世代交代は上手くいっていない。互いが互いに当主権利を押し付けあっているのでなんとも珍しい兄弟だろう。
「だ、だって!ここらで腕試ししてみたくて・・・そういえば兄上!金です!砂金を見つけました!大発見です!」
「山の裾野にあるあの河原は"溜まる"んだよ。調査で金鉱までは見つかっていないが、あの辺には金脈がある。手をつけていないゆえそれなりの金になるが一時の物だろう。余計な人をさいて指揮をとるなんぞ割に合わないからする予定はないよ」
「やっぱりご存じでしたか。そうですよね。はい・・・」
満面の笑みから打って変わって小さく消え入るようにそういうと顔色を無くした。これ以上の打つ手は彼にはないだろう。だんまりを決め込む息子の方がこの場では賢いように思える。
「あなた、そろそろ準備しないとお仕事のお約束の時間ですよ」
天の助けとばかりに彼等の目が輝いた。残念ながら私も怒っているので助け船を出す気はない。
「今後の教育カリキュラムに関しては昨日御義母様と組み直しました。それと、学園の入学を二年後、一年後とそれぞれ控えていますが、このまま落ち着かないようなら北の辺境伯の騎士育成部隊への入隊も検討したらどうかと話していました。御義父様が先代と知己ですし、現当主の妻は私の親友のソフィアですもの。伝手は充分ですから」
「あぁ、昔誰かさんが尻込みして行かなかったアレか」
「それは言わない約束ですよ。にしても行かなくて本当に良かった」
笑い合う上の兄弟と違い、末の義弟の顔は完全に真っ白になっている。相当嫌なのだろう。その隣では目をきらめかせている息子がおり、こちらには何も響いていない事がよくわかる。
「僕は北の辺境領行きたいな。学園で貴族関係でごたつくの面倒だし、どうせ騎士になるからすぐにでもそっちがいい」
「うぇっ!?お前本気か!?」
息子には嘘偽りは何一つない。なんなら満面の笑顔だ。
「え?本気だよ?」
「・・・わかった。あとでもう一度詳しく話そう。やる気があるなら止める気はない」
「ほんと?やったぁ!」
「だが、まずは反省も兼ねて叔父さんに訓練をつけて貰いなさい。その後はお祖母様のレッスンをうけるように・・・君もだよ、逃げても無駄だよ」
息子に視線が向いているうちにジリジリと出口に向かって動いていた末の義弟はあえなく捕まり、上の義弟に首根っこを捕まれ引きずられていった。息子も一礼すると元気にその後を追いかけて行った。
残された夫は椅子にずるずると沈むと片手で顔を覆った。そっと机に紅茶を出す。一杯紅茶を飲む時間くらいはあるだろう。
「・・・元は騎士の家系ですし、あの子が一番この家の家長に向いていそうですね」
「・・・方々からそう言われている。その為にも一度僕がその座につけとも」
頭を抱える夫には申し訳ないが、わからなくない。間繋ぎに夫は適任だろう。この人は優秀すぎるのだ。夫は継承権放棄をしたいのだが、ずっとそれは保留されている。逆に上の義弟は継承権保留後に放棄手続きをして早々に処理された。
末の義弟も家を継ぐ意思は無さそうで、面倒なことは甥にあたる我が家の息子へ押し付けようと躍起だった。そして息子は息子で飄々となんでもこなしてしまうので侯爵家の後継者になれといっても、別にいいよ、くらいのノリだろう。
「ふふっ。損な立場ですね、イーサン」
「本当にね」
手招かれて彼に近づくと強く腕を引かれ、バランスを崩して腕の中に収まった。
「紅茶もいいけど、こっちがいいな」
「・・・困った人ね」
顎をとられ、触れるだけの口付けが繰り返される。だんだんと深まる口付けが色を帯びる前にパシリと手を叩く事は忘れない。
「ここまでです」
少し拗ねたように唇を尖らせた後、苦笑いをして紅茶を飲み始めた。
年上の憧れの彼は夫になると少し子どもぽくなった。
でも私は彼を愛しているから、どんな彼であっても愛おしい。
「貴方がどんな立場になっても、私は貴方の隣にいます」
「離れたいって言われても離さないしね」
少し重い彼の愛は私を常に満たしてくれる。
きっと、これからもこんな幸せが続いていくことだろう。
愛に飢えた令嬢が幸せになってから…fin.