1.
むかしむかしあるところにとある男女がおりました。
彼は伯爵家嫡男、彼女は一代貴族の男爵家の娘でした。
2人は学園で出会い、間も無く愛し合いましたが、彼の家族からの反対で妻になることが難しかったのです。
ある日、彼らの友人の女性がいいました。
私を妻として下さいませんか?義務さえ果たして下されば貴方達を応援致しましょう。
彼は侯爵家令嬢であった友人を妻として娶りました。妻とは一男一女を設けました。そして、愛する彼女との間には愛らしい娘が出来、死が別つその日まで幸せに暮らしました。
めでたしめでたし。
・・・貴族社会というのはなんと歪んでいるのだろう。こんな話が美談の一つとして一昔前に語られたのだから。
妻の献身、美しい友情。
愛する男女の素晴らしい物語。
なんとバカバカしいのだろう。
間接的にでも当事者となってみればいい。
そこにあるのは地獄でしかないのだから。
* * *
花咲き誇る伯爵家の庭園は茶会などでも話題になるほど素晴らしいものなのだそうだ。けれど、これよりも数段素晴らしい意匠が施された庭園を持つ屋敷に数日おきに訪れているシャロンからすればなんのことはない景色だった。
所在なく、湯気立つカップを見詰めながら苦痛の時間がただ終わるのを待つ。目の前で繰り広げられる茶番に視線を向けるのはなんともバカらしい。ならば、湯気の変化を気にしている方が数倍良いだろう。
「お姉様?どうされました?」
ふいに声をかけられ、嫌な気持ちを抑えつつ顔を上げる。
「・・・どうもしないわ」
もう少し取り繕えばいい物を、いい言葉が浮かばずに思わずそう口に出た。すると、目の前では一方は心配そうに、もう一方は私の言葉がお気に召さなかったようで眉を寄せている。もうこの光景も何度目だろう。見飽きてしまったというのはこういう事なのだろう。
「お疲れなのではないでしょうか?昨日も夜遅くまで書庫に篭っていらっしゃったと聞きました」
「無理をして周りに心配をかけるのはよくないよ、シャロン」
一方の・・・妹のシェリルは心の底から心配しているのだろう。この子はそういう子だ。何事にも悪意がないから扱いに困る。
そしてもう一方、婚約者であるローガンは含みがある。俺の愛しのシェリーに無用な心配をさせるな。そんなところだろう。
「・・・そうですね。申し訳ありませんが、先に下がらせて頂きます」
辞する旨を伝えればどちらもホッとした様子を見せる。2人とも互いに違う意味合いを持っているが、それにシェリルは決して気がつきもしないことだろう。
あぁ、なんとバカバカしい。この無駄な時間など無くなればいいのに。
シャロン・ディル・ミルバーナは伯爵家長女として生まれた。5つ上に兄が、1つ下に異母妹がいる。
そして10歳の時に婚約した婚約者がグラジェル侯爵家の嫡男であるローガンだ。
我が家は歪んでる。そして婚約者もだ。
我が家は一昔前に貴族間で美談として取り上げられた特殊な家族だ。母のローザリアは友人であったミーシャを妾として受け入れた。父は本当なら第二夫人として彼女を据えたかったようだが、祖父が許さず、爵位を父に譲って隠居した現在もシェリルの事は孫として一応は受け入れているが、ミーシャの存在は認めていない。そして当のミーシャも流行病で娘が3歳の頃に儚くなってしまい、故人になった以上、扱いは今後変わる事が決してなくなっている。
そんなこんなで両親は祖父とは絶縁といかなくとも関係があまり良くないが、これはあくまでも余談であろう。
5歳上の兄は嫡男として、末のシェリルは愛娘として大事に育てられた。
ではシャロンは?
はっきり言ってどうでもいい存在だった。
両親はお互いの関係性に酔っているのだ。母は実の娘であるシャロンより義理の娘であるシェリルを可愛がった。父のシェリルへの溺愛は勿論の事だ。
何かにつけてシェリルがこの家では優先される。酷い時は嫡男である兄よりも、だ。
やや身体が弱いのもそれに拍車をかけるのか、シャロンがどんなに努力しようとどんなに我慢しようとそれが当たり前として通される。
シャロンの小さな頃絵本を読んでくれたのは乳母だった。遊んでくれたのも乳母と護衛騎士。そして時折兄が気にかけてくれた。
けれど、シェリルは何故かシャロンの母が絵本を読み、遊び、そしてシャロンの両親と義母と出掛けていた。
なんで?どうして?そんな疑問をシャロンが口にした時、頬を父に叩かれた。
わがままを言うんじゃない。
何故?親の愛を求めるのはわがままなことなのだろうか?
シャロンは年齢よりもかなり賢かった。ゆえにその疑問は口に出来なかった。
シェリルが呼ばれているシェリーの愛称も小さな頃はシャロンが呼ばれていたはずだった。けれど、義母が"シェリルもシェリーね"と言ったその日からシェリーという愛称はシェリルの物になった。まだ幼かったはずなのに覚えているのは恐らく幼心に相当ショックな出来事だったのだろうと思う。
名前が似通っているのはわざとなのかもしれないと今ならば思うが確かめようはない。
そんないらない子と言っていいシャロンにも価値がある。数ある侯爵家の中でもその頂点たるグラジェル侯爵家嫡男の婚約者として先方から指名されたのだ。国有数の侯爵家の未来の女主人に選ばれたことは何よりも名誉な事だった。
けれど、そんな婚約者もいまやシェリルに骨抜きだ。初めて会ったのは侯爵邸だった。格上の屋敷に初めて行き、ドキドキしながらの顔合わせ。自分に現れた王子様の為に心の底から頑張ろうと心に決めた。けれど、2度目の顔合わせで伯爵家に彼が来た際にそんな淡い恋心に近い気持ちは打ち砕かれた。一目惚れの瞬間とはまさにあの時がそうなのだろう。同い年の貴族子息らしい仮面が剥がれ、ただの恋に落ちた少年に成り下がったのだから。
それをまざまざと見せられたシャロンはその夜泣き腫らしたのは秘密だった。
本当か嘘かわからないが、父は内々の段階でシェリルを勧めたらしい。けれど、身体が弱い点から侯爵家から拒否されたという。
けれど、こうなるなら父の要望を通してくれたら良かったのに。
シャロンは週に3回侯爵家で花嫁教育を12の年からずっと受けている。今はだいぶ少なくなったが、最初の頃は膨大な宿題と家でも侯爵家へ嫁いでも恥ずかしくないよう課された日々のレッスンは休みなくシャロンの一日を埋め尽くしていた。寝る間も惜しんで毎日毎日励んでいる中、週に一度のローガンとの茶会は苦痛以外の何物でもなかった。
侯爵邸でのレッスン後に茶会をしていた頃はマシだったが、いつの間にか伯爵家で茶会が行われるようになり、またいつの間にか妹が同席するようになった。
5つ上の兄がそれとなく妹本人を窘めたことがあったのだが、何故かその後兄ではなくシャロンが父に呼び出され、頬を打たれた後、長い説教を受けた。
兄に謝られ、そして距離を置かれた。時折部屋にそっと手紙が届くが、下手にシェリルの、そして親の機嫌を損ねればシャロンに害が及ぶと思ったらしい。
こうしてシャロンは家の中でどんどんと孤立した。
諦観。それは自分に課した課題だ。
諦める事に慣れてしまった心はどれほど渇いてしまったのだろう。シャロンは泣く事をもう忘れてしまった。