(8)平民聖女への求婚
「ありのままのあなたを見るために、『使者』としてお伺いしました。試すような真似をしてすみません」
頭ではわかっていたことが言葉として突き刺さり、胸が苦しくなりました。
「王太子さまから見て、私はどんな人間でしたか?」
「あなたは、とても素直で優しいひとでした。挨拶のあとに、僕のことをなんと呼べばよいか尋ねてきましたよね。偽名を使ってもとっさに返事ができない可能性を考えて、『使者さん』とでも呼んでいただければと伝えたら、本当にそのまま呼んでくださったので、騙している身としては、素直過ぎて心配になってしまいましたよ」
「そ、それは、ひとによってはご自分の名前や苗字が好きではない場合もありますので、従ったらいいかなと。別に、ひとさまの名前を覚えるのが苦手なわけじゃありませんから!」
「……マルティナさま、ひとの名前を覚えるのが苦手なんですね」
「……はい」
痛恨のミス。うっかり自爆してしまい、顔から火が出そうです。私を見てくすりと笑う王太子さまは、確かに使者さんとして振舞っていたときと同じ顔をしていました。そんな王太子さまを、大聖女さまも嬉しそうに見守っています。
私の隣にいた使者さんのあの笑顔もあの言葉も、演技などではなく心からのものだったと信じていいのでしょうか。
「あなたといると、自分が好きだったことややりたかったことを思い出せました。王太子である前に、確かに自分はひとりの人間だったのだと。本当にありがとうございます」
大聖女さまが、あくまで「呪い」にこだわった理由がわかったような気がしました。作り物の「為政者として正しい姿」や「王太子として望まれる姿」ではなく、オズワルドさまご自身を取り戻してほしいと望まれていたのですね。
「滞在中もせっせと働いてくださったおかげで、積もり積もった呪いが綺麗に浄化されたようです。城内の者たちも、城がまともになったと喜んでいましたよ」
「ちなみに私が重点的に『害虫退治』をしていた場所は、みなさんにはどんな風に見えていたのですか」
「呪いを撒き散らした本人だからかもしれませんが、とりたてて僕には何も感じられませんでした。ただ、使用人たちの間では色々と『出る』と噂があったようですね」
「『出る』って幽霊ですか?」
「発生する事象は受け取り手の任意によるのかもしれません。イメージの問題でしょうか。とはいえ、城内にはいわくつきの場所や道具も山のようにありますし。すべての呪いが僕のせい、ではないと思いますよ」
そこで私ははたと気がつきました。今までスリッパその他で退治してきた害虫さんたちは、どこからどこまでが呪いだったのでしょうか。羽虫は? ムカムカさんは? ハチさんは? 軍曹殿はまさか天の遣いなのですか?
さらに、私と周囲の会話が噛み合わなかった理由は、都会と田舎の常識の違いではなかったことも理解してしまいました。呪いを害虫と言い張っていたなんて……。恥ずかしい、穴があったら入りたいです。
***
「それでは、これにて依頼は完了ということでよろしいでしょうか」
完了ということであれば、私は教会に戻るだけです。今後、王太子さまにお目にかかることもないでしょう。いくら聖女とは言え、今回の件は本当にイレギュラーだったのですから。
突然王太子さまがひざまずき、私の手をとりました。
「あなたに会えなくなるなんて寂しいと思うのは、僕だけなのでしょうか。『ずっと一緒にいられたら幸せ』と言ってくださったのは、やはりただのリップサービスでしたか」
「そんな、嘘ではありません。けれど、王太子さまと私とでは身分が違いすぎます。どうぞ立ち上がってくださいませ」
やっていることが破邪であろうが害虫退治であろうが、私は所詮平民です。聖女としての力があるからこそこうやって出会うことができましたが、それ自体が奇跡のようなもの。本来なら交わることのない世界に住んでいます。王太子さまが私と一緒に、害虫退治をすることなどありえないのです。
王太子さまはそのままの姿勢で私を見上げています。
「身分の差さえなければ、僕の隣にいてくれますか?」
「もちろんですよ」
やっと出会えた相棒です。一緒にお仕事ができたなら、百人力に違いありません。
「あなたと一緒なら、僕は頑張れる。この国をより良いものとするために、王として生きていける。どうか僕の隣に王妃として立ってはいただけないでしょうか」
「……ふえ?」
「呪いを撒き散らす王太子はやっぱり嫌ですか……」
「え、ちょっと、王太子さま、足元からなにか変なものが発生しています!」
気の抜けたような声を出した私を見て、王太子さまはひどく悲しそうな、どこか諦めたような顔をしていました。その姿を見るとなぜでしょう、胸が痛くなります。
ふたりの間に漂った気まずい雰囲気に、慌てて大聖女さまが割り込んでこられました。
「もしも嫌なら、全力であなたを逃がしてあげる。国をまたぐくらいじゃこの子は簡単に追い付くでしょう。次元を越えるくらいのことはしないといけないだろうけれど」
私はゆっくりと首を横に振ります。王太子さまのお申し出を聞いたとき、驚きはしましたが不快な気持ちは一切ありませんでしたから。
「マルティナさん、この子がこんな風に誰かに執着するのって初めてなの。それはわたしからすれば素敵なことだけれど、マルティナさんにとってはわからない。この子の愛は、きっととてつもなく重くて面倒くさいわ。そんな愛情は、やっぱり怖いかしら。不要かしら」
少しだけ考えてみました。私がいないと呪いをまた撒き散らすとまるで脅しのような求愛をしてくる王太子さまが、なぜか可愛らしく思えてしまうのです。
「私、平民ですよ?」
「身分の件についてはどうとでもなります」
「名前も覚えられませんし」
「みんなにあだ名をつけちゃいましょうか」
「礼儀は最低限ですし、ダンスもカーテシーもできません」
「すみません、それは僕と一緒に練習しましょう」
「破邪の力が失くなったら離婚ですか?」
「まさか。力があってもなくても、あなたはあなたです」
だからそばにいてほしい。それは、本来なら選ぶ立場にあるはずの王太子さまからの、心からの懇願。これからの未来がどうなるかわかりませんが、私は王太子さまを信じてみることにしました。そっとその手をとります。
「わかりました。それではおt」
「ありがとうございます。即日で王妃になってくれるなんて回答をもらえるなんて幸せです。無理なら、何をもってしても口説きおとすつもりでしたから。こうしてはいられません、早速父上にご報告しなくては」
王太子さまのお父上って、それってまさか国王さまでは?
両手を握りしめられていたはずがあっという間にお姫さま抱っこに切り替わり、王太子さまが私を抱えてすたこらさっさと走り始めました。
あれ、おかしいですね。ちょっと待ってください。展開が早すぎます! もしかして私、早まったのでは?
「え、ちょ、まっ!」
もちろんそんな私の悲鳴はかえりみられぬまま、顔合わせという形で外堀が埋められていったのでした。




