(7)平民聖女と大聖女
王太子さまの元婚約者さんにお会いした翌日。色々と考え過ぎた結果、私は頭がくらくらしてきてしまいました。さすがにこの状態では、害虫退治に出かける気力もわきません。そんな私に甘いお菓子を差し出してきてくれたのは、タイミングよく部屋に遊びにきていた使者さんです。失礼ながら使者さん、昨日の今日で働きかた改革をし過ぎなのでは?
「マルティナさま、お疲れのようですね。昨日からずっと考え込んでおられるようですが」
「王太子さまの呪いについてなんですけれど。どうしても森の魔女さま……大聖女さまのお考えがわからなくて」
「そうですね。僕もこの歳になってもさっぱりわかりません」
使者さんがわからないのに、一般市民の私にわかるわけがありません。いっそ、本人に聞くのが手っ取り早いのではないでしょうか。……本人に、聞く?
「そうです、それが一番ですよ!」
「マルティナさま?」
部屋の中でじっとしているなんて私らしくありませんもの。いきなり立ち上がった私を見て、使者さんが目を丸くしました。最近の使者さんは、お仕事モードではないお顔をたくさん見せてくれます。美形の百面相が見られるなんて役得です。
「今日は『害虫退治』はお休みですか」
「せっかくなので今まで放置していたものを整理してみようかと思います」
「それでどちらに向かわれるのです?」
「使者さんならおわかりでしょう。王太子さまのお部屋ですよ。もちろん一緒にきてくださいますよね」
「殿下にお会いになられるのですね。……承知しました」
「使者さんったら変ですよ。もともと、呪いを解くために私を招いたのでしょう。それなのに今の使者さんは、呪いを解いてほしくなさそうに見えます」
「そんな風に見えましたか。困りましたね」
困ったように眉を下げ、使者さんが頬をかきました。
そうして唐突に願い出た王太子さまへの面会は、思ったよりもスムーズに実現されることになったのです。
***
お部屋は人払いがされていたのか、王太子さましかいらっしゃいませんでした。動くと壊れる王太子さまをおひとりにしてよいのでしょうかね。
高価な美術品でさえ、万一に備えて厳重に保護されます。替えのきかない王太子さまであれば、それこそ誰にも触れられないように隠し通すべきです。
それなのに王太子さまときたら、四方から見える場所でお茶会を開いてみたり、思いあまってムカムカさんをティーカップに入れるような侍女さんをおそばにおいてみたりと、あまりにもご自身のことに無頓着。
こんなことができる理由はただひとつ。王太子さまが本物ではないから、そしてその偽物は壊れることがないからなのではないでしょうか。
「どうしてこのような真似をなさったのですか、大聖女さま?」
お茶会で見た美しい結界のイメージに引っ張られ、かつての役職名を出してしまいましたがかまいませんよね。
「失礼させていただきます」
包帯でぐるぐる巻きにされた王太子さまの手をとりました。確かに硬質な石に見えるのに、触れてみるとふわふわとした柔らかさと温もりを持っています。おそらくこの包帯に書かれていたのは認識阻害魔術の術式なのでしょう。
「あら、もうバレちゃったのね」
認識阻害は気がついた瞬間に効力が大きく下がります。王太子さまの姿がじんわりと歪み、まろやかな女性の姿に変わりました。包帯ぐるぐる巻きなところだけは同じです。
「大聖女さまご自身が、わざわざそんなお姿になられるなんて」
いくら呪いを演出するためとは言っても、ここまでする必要があったとは思えません。思わず本音をこぼせば、大聖女さまは包帯を外しながら答えてくれました。
「オズワルドを自由にするためにはこれが一番だったのよ」
「包帯ぐるぐる巻きがですか?」
「だってぴったりでしょう。心も表情も冷たく、血が通っていないと言われていた『硝子の王太子』が、呪いによって動けなくなり、ちょっとしたことで粉々に砕け散るなんて」
「すみません、何をおっしゃっているのか分かりかねるのですが……」
なんだか、大聖女さまは少し……いいえとんでもなく怒っているように見えます。でも、一体誰に?
「みんな、オズワルドに甘えてきたの。王族は常に笑顔で、何度困難にぶつかっても立ち上がり続ける。そんなわけないってわかっていたのに。それにオズワルドもオズワルドよ。がんじがらめになって身動きがとれなくなっていたら、仕方がないで済ませちゃダメなのに!」
大聖女さまのお話についていけず、つい首を傾げてしまいました。
「みんな、『呪い』があるから反省するの。いろんなことを振り返るの。それは無理矢理私が引き起こしたものだけれど、そうでもしないと本当にオズワルドが壊れちゃうから。大切なひとを守るためなら、『魔女』の呼び名が広まってもわたしはちっとも困らないのよ」
「すみません、叔母上はとてもまっすぐなおかたでして。言葉足らずなところも多いので誤解されやすいのです」
大聖女さまの説明も使者さんの補足も何を言っているのかさっぱりわかりませんが、ひとつだけはっきりしたことがあります。やはり、使者さんこそが王太子さまだったのですね。
***
「マルティナさま、いつから気がつかれましたか。包帯の件がなければ、もう少しあなたとのんびり過ごせたのでしょうか」
「呪いが解けたら、入れ替わりはおしまいですものね」
「そういう意味じゃ」
「そもそも、包帯ぐるぐる巻きの王太子さまが気になったのは、私がおっちょこちょいだからという部分が大きいんですよ」
他のかたがうっかり腕を折ったりしないか、私自身がぶつかって粉々に砕いてしまわないか、お会いするたびに胃がきりきりしていたのです。壊れやすいなら出歩くなと思ったところで、疑問が生じた形ですね。
ただそれだけであれば、あくまで多少の違和感で終わっていたはずです。
「私がはっきりおかしいと思った理由は、使者さん……いいえ王太子さまのもとにくる文字の蝶たちが、必ず『オズワルド』と呼びかけていたからなんです」
「でも、マルティナさまは文字が読めないと……」
「複雑な文章は読めませんよ。けれど、単純な単語なら暗記してしまえばわかります。例えばそうですね、名前とかなら」
子どもが思いもよらぬ言葉を知っていることに驚いた保護者のように、王太子さまが微かに苦笑を浮かべました。人間はいくつになっても成長する生き物なんですよ。油断大敵なのです。
そして最後に疑問が確信へと変化したのは、中庭で出会ったご令嬢の態度でしょうか。彼女は王太子さまと婚約を結んでいたかたです。同世代の人間で、彼女よりも身分の高いかたなど本当に限られているはず。そんな彼女が城内で自ら声をかけることなく、カーテシーで礼を尽くす相手。そんなの王太子さまくらいしかいらっしゃらないではありませんか。
「それでも、やはり私には大聖女さまが王太子さまに呪いをかけた理由がわからないのです。それについて教えていただけないでしょうか?」
頭を下げれば、大聖女さまが小さく笑い声をあげました。
「わたしがかけたのは、『呪い』ではなく、『呪い』ですよ。可愛い甥っ子を、立ち直らせるためのね」
「『呪い』ですか」
「あなたは、わたしの姿を見て何をやっているんだと思わなかった? バカみたいだと感じたでしょう? でもね、あの状態こそがオズワルドの置かれた立場だったのよ。本人は認めようとはしなかったけれど。わかるかしら?」
そうして人差し指を立てると、なんともお茶目なウインクを私に向かって飛ばしてこられたのでした。
***
「叔母上、ご迷惑をおかけしました。ここから先は、僕自身の言葉で彼女に話しましょう」
使者さんがにこりと微笑みました。それは普段と同じように綺麗な……けれど温度が全然異なるどこかひんやりとした透明な微笑みでした。
「僕は自分で言うのもなんですが、生真面目なタチでして。王族に生まれたからには、理想の国王になりたいと考えていたんです。そのために、まずは王太子としての仕事をこなしていたのですがね。よかれと思う形で仕事をこなしたとしても、結局どこからか不平不満が聞こえてくる。恋愛関係になれずとも良きパートナーになろうと思っていた婚約者からは、真実の愛について語られる。僕はほとほと疲れてしまいました。そんな時ですよ。あなたのことを知ったのは」
王太子さまが気の毒すぎて、私は相づちをうつのが精一杯です。一瞬見えた表情は綺麗なのにどこか作り物めいていて、「硝子の王太子」という通称が妙にしっくりきてしまいました。でもそれは、周囲の人々がいろんなことを王太子さまに押し付けた結果なんですよね。
「どんなに呪われた幽霊屋敷であっても、ひとたび彼女に任せたならば、綺麗に清められてしまう。しかもただびとであれば呪い殺されてしまいそうな呪詛を、彼女はスリッパひとつで浄化させてしまうのだと。そんな冗談みたいな報告です」
「私がやっていたのは、ただの害虫退治で……」
「まだそう信じていらっしゃるのですね。あなたにとっては不本意なことかもしれませんが、あなたは破邪に特化した聖女なのですよ」
なんということなのでしょうか。いきなりそんなことを言われても、どうしていいのかわかりません。ただの害虫だと思っていたものが、言葉そのままの「呪い」だったなんて誰が信じることができるでしょう。
「よくよくあなたのことを調べてみれば、そもそも王都の教会に引き取られた事情そのものが特殊で……。だからこそ、僕はあなたに会ってみたかったのです。あなたの心を知ることができたなら、感情を出さない代わりに城内に呪いをあふれさせるようになった僕でも、もう一度頑張ることができるかもしれないと思ったから」
呪いをかけられたのではなく、むしろ撒き散らしている! 城内の害虫の正体に頭を抱えながら、私は黙って次の言葉を待ちました。




