(5)平民聖女の仕事観
「マルティナさま、今日はなんだか嬉しそうですね」
「ありがたいことに、お茶会が中止になりましたからね」
「代わりに晩餐をご一緒に……」
「結構です。味がわからない夕食なんて想像したくもありません」
「残念ですね」
「そんな寂しそうな顔をしても騙されませんよ!」
そう、なんとも嬉しいことに本日のお茶会は中止なのです。なんでも、王太子さまが元婚約者さまにお会いになっていらっしゃるのだとか。
「元婚約者ですか……」
「気になりますか?」
「まあ、それなりには」
貴族の結婚は政治的なものだと聞きます。うまくいっている間柄でも、時流に合わせて婚約を解消したり、再婚約がなされる場合もあるのだそうです。
あるいはより具体的に考えるならば、呪いを受けたという事実が重要視され、それを王太子さまの瑕疵とされた上で婚約解消となったのかもしれません。すべて推測でしかありませんが。
「殿下がいないことがそんなに気になるなんて、少し悔しいですね」
「誤解を招くような発言はお止めください。どちらかというと、使者さんが一緒に行かなくてよかったのかが気になっているのですが」
「僕が行っても行かなくても、殿下たちの会話に影響などありません」
「それは違うと思いますよ……」
私は首を傾げましたが、使者さんは小さく笑うばかりでした。
***
お茶会さえなければ、私の1日の予定など掃除以外に特にありません。そこで今日は掃除道具を持って、のんびり城内を回ることにしました。
王太子さまのお部屋の周囲は頑張って掃除をした甲斐があって、随分と雰囲気がよくなりました。積極的に換気にも励んだ結果でしょう、淀んでいた空気が抜けて爽やかな風が通っています。
そのぶん他の場所の汚さが目立ってきているので、掃除場所を変えようとなったわけです。
荷物を抱えながら移動していますと、馴染み深いあの気配を感じました。
「使者さんストップです」
「何か忘れ物ですか?」
「声を落としてください。一同、敬礼!」
大きな声で掛け声をかけたくなる気持ちをぐっと抑えながら、静かに敬礼を行います。ぽかんと驚いた表情をしながらも、同じように敬礼をしてくださる使者さんは、本当に優しい方です。
「……マルティナさま?」
「動かずに、目線だけ南南東に向けてください。大声は禁止ですよ。そこに、軍曹殿がいらっしゃいます」
「軍曹殿? わかりましt!」
事前に注意を入れておいてよかったです。やはりいきなり出会うと、驚いてしまいますよね。
私たちの目の前を、足先まで含めればてのひらサイズを軽々と越える軍曹殿が歩いていきます。どうやら王太子さまの部屋の近くでは、獲物が捕れなくなったようですね。
さっさかさっさかと進んでいく軍曹殿を見守っていると、使者さんに不思議そうに尋ねられました。
「マルティナさまは、彼を殺したりはなさらないのですね」
「使者さんは、私のことをなんだと思っていらっしゃるんですか。私の仕事はあくまで害虫退治です。戦友を後ろから撃つような真似はいたしません」
まあ依頼主さんによっては、脚が8本あるなんて無理と言われてしまいますが、個人的には攻撃などしたくない相手です。
彼らは「名前を言ってはいけないあの虫」を食べてくれる上に、先日の茶会で騒ぎを引き起こしたムカムカさんたちのように毒攻撃をしかけたりはしません。欠点といえば少々見た目が受け入れがたいというところなのですが、彼らの戦歴をご存知であれば目をつぶっていただきたいところです。
それに「名前を言ってはいけないあの虫」がいなくなれば、軍曹殿は自ら引っ越していきます。万が一自宅で出会った場合には、敬意を払いつつ、付かず離れずの距離で共存できたらいいですね。
「そういうものですか」
「そういうものです。そもそも害虫だ益虫だなんて、私たちが自分たちの都合でいろいろと言っているだけ。だから彼らにとってみれば、『害虫撲滅』を掲げる私なんて、聖女どころか悪魔に見えると思いますよ」
見方を変えれば、見えてくるものは大きく変わるのです。
「……それは、不要な人間や不必要な仕事など何もないということでしょうか」
「難しいことは私にはわかりません。ただ、すべてを必要なものか不要なものかで分けてしまうと苦しいかもしれませんね」
私はゆっくりと一度だけ目をつぶります。
「楽しいこと、楽しくないこと。やりたいこと、やりたくないこと。やりたくないけれどやらなければならないこと。これくらいにわけて整理しておくと、気持ちが楽になりますよ」
いつの間にか使者さんは下を向き、じっと何かを考え込んでしまわれました。
***
「マルティナさまは、働くことが嫌になったりしないのですか?」
なんだか今日の使者さんは変ですね。質問ばかりで、小さな子どもみたいです。
「なりますよ。いつも、大金持ちになってぐうたら過ごしたいなあと思っています」
「でも毎日働いていらっしゃる」
「働かなければ、食べてはいけませんから」
貧乏暇なしなのです。
「では、質問を変えましょう。あなたは税の代わりにここに連れてこられたはずです。自分と引き換えに暮らしを守った家族や村、問答無用で聖女としての労働を課す教会に、怒りを持つことはないのですか」
「……今日の使者さんはなんだか意地悪ですね」
「マルティナさま、答えてください」
その勢いに私は驚くばかりです。いつも穏やかな使者さんのどこに、こんなどろどろしたものがくすぶっていたのでしょう。
「言われた全部のものに対してですが……。いろいろと思うところは、正直ありますよ。でもあの時何ができただろうと思うと、何にも思いつかないんですよね。あそこで、『村のために犠牲になってくれ』なんて泣いて土下座されても困るじゃないですか。娼館に売られたわけでもありませんし、笑って『玉の輿を目指せ』と言われるほうがマシかもしれません」
「マシ、ですか」
「……税金も無しというわけにはいかないでしょうから、負担額や徴収方法などを考えてもらえると嬉しいですね」
やっぱり私は、家族や村を恨みたくはありません。ただのきれいごとかもしれませんが、積み重ねてきた日々を、あの出来事だけで全否定するのは嫌なのです。
なんだか、自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきました。でも、そうですね。ただひとつ言えることは。
「それでも私は、いつか機会があれば家族や村のみんなに会いたいと思いますよ。そう思えるくらい、たぶん私は幸せなんだと思います」
「そういうものでしょうか」
まだ納得いかないという感じですね。いいでしょう、次は私の番です。答えたくないなんて、許しませんからね。
「でもそれは、使者さんだって同じことではありませんか? 嫌だなあ、働きたくないなあと思いながら、働くことだってあるでしょう?」
「……そんなことは……」
「別に私は学校の先生ではありませんし、使者さんの上司でもありませんから、仕事の愚痴をこぼしても怒ったりしませんよ。守秘義務に反するようなことでしたら、巻き添えは勘弁してほしいので逃げますけれど」
「正直者ですね」
当然です。権力怖い。
「王さまだって、面倒だなって思いながら仕事をしていることもあるのでは?」
「陛下も……」
「教会の聖女たちの中にも、『今日はやる気でないわあ』とか『いっそリア充は結界の外で滅べ』なんて言っているひとだっていますし」
「なんて無茶苦茶なんだ」
「理想は確かに大事ですけれど、理想通りに働けない自分が悪いなんて思う必要はないんです。だって私たちは、みんなごくごく普通の人間なんです」
一度言葉を止め、私は使者さんの顔を覗き込みました。
「それでも、この仕事をしていたおかげで使者さんに出会えましたから。やっぱり私は、聖女になってよかったです。昔からの相棒みたいに、隣にいることが自然なひとなんて初めてです。使者さんさえよければ、ずっと一緒にいてほしいくらいですよ」
でも王宮で働いているかたが、害虫退治なんてやってくれませんよねえ。お城の仕事のほうが高給でしょうし。
「ずっと一緒に?」
「ええ、ずっと一緒にいられたら幸せです」
相棒がいたら、あんなに楽しく仕事ができると教えてくれたのは、使者さんです。ソロプレイヤーから卒業できたら、幸せでしょうねえ。いくらみんなに感謝されても、ぼっちは寂しいんですよ。
どんよりとしていた使者さんの表情が、ゆっくりと晴れていきます。うっ、まぶしい。その明るさに耐えかねたのか、数匹の軍曹殿たちがずざざざざと大慌てで隅に移動していきました。おそるべし、使者さんの顔面偏差値。
「マルティナさま。あなたの『呪いを祓う力』は本物ですよ。それだけは忘れないでくださいね」
どうして、今そんなことをおっしゃるのでしょう。