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(3)平民聖女と王太子

「マルティナさま。あちらにいらっしゃるのが殿下でございます」


 いやいや、使者さん、そんな軽い感じで紹介されましても! 私は慌てて頭を下げましたが、薔薇の花に囲まれたミイラ男もとい王太子さまはぴくりともいたしません。すみません、王太子さま息してらっしゃいますか?


 正直言って、リアクションに困ります。「初めまして」もなんだか変ですし、「ご依頼ありがとうございます」ではなんだか呪われていることを喜んでいるみたいですし……。


 それに貴族的なマナーにおいては、目下の人間から声をかけるのはまずかったはずです。ということはカーテシーをしたまま、声をかけられるまで待機が正しかったのではなかったかしら? まあそもそも、カーテシーなんてできないのですけれど。あんな苦行みたいなポーズ、訓練されていない一般人には不可能です。


 ええい、なんと言ってよいかわからないときには必殺愛想笑いですよ。へにゃりと笑った私に向かって、使者さんが解説を始めました。


「王太子殿下は森の魔女さまの呪いを受けた結果、このように身動きのとれぬ体となってしまいました」

「一体、何をすれば突然呪われるような状況になるのです? 森の魔女さまを怒らせるようなことでもなさったのですか?」

「魔女さまのお考えは独特ですから」


 森の魔女さまはかつての大聖女さま。ご結婚され聖女を引退したあとは、とある森で悠々自適に暮らしていらっしゃると聞きます。それなのにどうしてこのようなことを?


 使者さんにもわからない呪われた理由を知るためには呪いをかけた本人を捕まえるしかないのでしょうが、なかなか難しそうです。普通に考えて、魔女さまがのこのこと私たちの前に出てくることはないでしょうし……。


 ふわり、黒っぽい何かが使者さんの周りで揺れています。少しずつその勢いが増しているような……?


「それで、呪いの内容は具体的にどういうものなのでしょうか?」

「ちょっとしたことで、王太子さまが壊れます」

「えーと、それは物理的にですか? それとも精神的に?」

「物理的に粉々になります」

「なにそれ怖い」


 「硝子の王太子」という通称にひっかけた呪いをかけるなんて、さすが魔女さまです。えげつないことこの上ないです。ドン引きしていると、使者さんが王太子さまに巻かれている包帯を指差しました。


「殿下に巻かれている包帯をよく見てください。細かい模様があるのがわかりますか?」

「……本当ですね。これは?」

「手書きの魔術術式です。これは薄い保護膜で覆っているような状態です」

「……え?」

「包帯を外すと、おそらく細い部分、例えば指先などから崩壊が始まるものと思われます」

「ええええええ」


 ちょっと待ってください。思ったよりも呪いの内容が重い上に、時間の猶予がなさすぎです。この呪いを解けと言われても、どうしていいかわかりません。私にできるのは、ただの害虫退治なんですよ。


「王太子さまはそれで大丈夫なのですか?」

「まあ、大丈夫と言えば大丈夫です」

「聞いておいてなんですが、『大丈夫』と言える要素がひとつも思い浮かびませんが……。そもそもどうやって意思疎通をはかっているのですか?」

「それはですね、殿下が魔力を使って空中に文字を出現させているんです。それで指示を仰ぐ形になって……」

「使者さん、その口を今すぐ閉じてください!」


 私が叫べば、使者さんが顔を青ざめさせました。


「すみません。このような内部事情、聞きたくなんてなかったですよね……」

「え、違いますよ。別に怒ってなんていませんからね! 単純にあれです、口を開けてると口の中がもっしょもしょになりますよ!」

「は?」

「ほら、見てください」


 私が指差した先には、いくつもの羽虫の集団がありました。



 ***



「マルティナさま!」


 使者さんが悲鳴にも似た叫びをあげるのと、私が秘密兵器を振り回し始めるのは、ほぼ同時でした。


「使者さん、もう一度言いますが、どうか口を閉じていてくださいね! よければ、鼻もつまんで目も閉じておいたほうがいいですよ!」

「それではマルティナさまのお手伝いができません!」

「それでは王太子さまが粉々にならないように、肉壁になっていてくださいませ!」

「っ! わ、わかりました!」


 ひゅんひゅんと両手でふりまわしているのは、特製のとりもちがついた大判の紙紐、いわゆる粘着テープです。テープはあっという間に真っ黒になっていきます。念のため、多めに用意しておいてよかったですね。


 とはいえ、貴人の部屋の中に害虫が大量発生しているなんて、やっぱりここが「汚城(おしろ)」というのは間違いなさそうです。お城だというのに、こんなに人手不足なんてどうかしています。お掃除係りは上に掛け合って、人員を増やすべきですね。


 それにしても本当になんなんでしょう、この部屋は。さっきから次から次に、羽虫がわいてきます。もしかしたら空中から羽虫が誕生しているのではないかという疑念が湧いてきますが、さすがにそれはありえませんよね。ということは、この部屋の中に元凶があるはずなのです。


「使者さん、王太子殿下ってバナナか何かが好物なんですか?」

「は? いいえ、そのような話は存じ上げませんが……」

「庶民の家の台所でも、こんなことにはなりませんよ。王太子さま、ベッドの下に腐った……ええと失礼、熟れすぎたバナナを大量に隠しているんじゃありませんか?」

「王族に限らず、なかなかバナナをベッドの下に隠す人間はいないと思いますが……」

「みなさんいろんな趣味や性癖をお持ちですからね。『普通はない』というのは、逆に偏見かもしれません」

「王太子殿下にそういう趣味はございません!」

「使者さん、怒らないでください。かためのバナナが好きなひともいれば、ぐじゅぐじゅのバナナが好きなひともいる、ただそれだけのことじゃないですか」

「怒ってないですよ。ただちょっと偏執的なバナナ好きとか、羽虫の群れの元凶と思われる王太子殿下が情けないだけで……」


 なんだか急に使者さんがしょぼくれてしまいました。やっぱり自分の主人が誤解されるのは辛いことなのでしょう。大変申し訳ないことをしてしまいました。とはいえ、今はそんなこと後回しです。まずはこの羽虫をどうにかしなくては。


 うっかり王太子さまを粉砕しないように使者さんを壁に使いつつ、群れごと一網打尽です。うーん、大漁大漁。……これがお魚だったら、士気もあがるんですけれどねえ。


 ようやくひと段落ついたとき、ひらひらと何かが近寄ってきました。蝶……いいえ、これは文字ですね。


「殿下からの労いの言葉です」

「あら、そうなんですね」


 一瞬害虫に見えて叩き落としそうになったのですが、ギリギリセーフでした。こんなことで打ち首なんて嫌ですし。ふわふわと文字は私の前を漂い続けます。……えーと、これってどうすれば消えてくれるのでしょうか。


「これ、どうしたらよいのでしょうか」

「……読み上げてもらえれば、そのまま消失しますよ」


 あらまあ、それは困りました。私は頬に手を当てて、一瞬だけ悩みましたが、嘘をついても仕方がありません。見栄を張る意味もありませんしね。


「私、文字が読めないんですよ。だから使者さん、こちらを読み上げていただくことはできますか?」


 辺境では、たいていのことは口約束です。書類や法律よりも、人間関係やコネがものをいう世界。領主さまクラスになれば別でしょうが、下々の人間は自分の名前くらいしか書けないひとも多いのです。私も王都に連れてこられてから、ようやく文字の勉強を始めました。でも文字がわかっても、単語を覚えないと結局物語も何も読めないんですよねえ。


 私の言葉が意外だったのか、使者さんは目を瞬かせたあと、小さくうなずいてくれました。



 ***



「って、そんなことを話している間に文字が増えていませんか?」


 私の前で漂っていたはずの文字は、気がつけばぐるりと私を取り囲んでいます。しかも若干の圧がこもっているようで、少しずつ私を取り囲む輪が小さくなっているのです。文字が小刻みに震えていますが、まさかこれって威嚇ですか?


 読めないはずの文字が、意味を持つのがわかりました。

 これ絶対、「逃がさない」とか「帰さない」とか言ってますよ。ちょっと泣いてもいいですか?


 つい涙目で使者さんを見上げれば、困ったように視線をそらされました。


「呪いを解く解かないは別として、殿下はご友人としてあなたの城での滞在を希望されるそうです」

「……私、害虫退治しかできませんからね!」

「よければ、毎日お茶を一緒に飲んでいただきたいそうです」

「包帯だらけなのにですか!」

「気になるところはそこなんですか」


 王太子さまの笑い声が聞こえたような気がしました。

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